十日間限定、番ごっこ唸り声が聞こえてくるのでまたかぁ、なんて思いながら、作業を一度止めて振り向く。ソファーの上で作りかけの着ぐるみの頭を抱きしめながら唸る司君の声のせいで集中できないとか、そういうことは全くない。いやむしろ、この唸り声が聞こえてきたということは休憩の時間だろう。
「どうしたんだい?あんまり唸ると喉に障るよ」
「あぁ……、そうだな、すまない」
僕がそういうと、彼は唸るのをやめて謝る。まぁ謝罪が欲しいわけではないから気にしないでと言うように手を振って彼の方へ体を寄せた。恐らくいつものアレだろうと思うんだけど、それを言ったら臍を曲げそうだなぁ、と思って彼が話してくれる気になるまで待つことにする。無理矢理聞き出しても怒るか落ち込むか、どちらにしても彼のフォローは必要になるだろうな、なんて。
恐らく、司君が唸っている理由は僕の頸のことだろう。第二性がポピュラーになった今、αもΩも一定数いるし彼らが同じクラスにならないように配慮もされている。僕はかなり早い段階でαという診断が下っていたこともあって、学校側としてもすぐに対処してくれた。下手にΩと同じクラスになるとヒートがきた時にまずい、というのもあるだろうから、その配慮はありがたいものだ。望まない加害者になりかねないという立場だからこそ、危険から遠ざけられているのは助かっている。
そういうわけでα、ということもあって遠巻きにされていたのだけど僕は昔からショーにしか興味はなかったし恋愛感情というものに関してもピンときていなかった。そもそも司君達と会う前は寧々と瑞希以外の人と関わることもなかったしね。そもそもΩの子自体が少ない、というのもあるんだろうけれど。
司君はβで、残念なことに運命の番、なんてものではなかった。少しロマンチックだし、そういう演目もあるから自分にもそういう存在がいるのだとは思う。だけど、それが司君ではないことが少し寂しい、とか……、そんなことを考えていたのは内緒だ。
司君とお付き合いをするようになって、そういう空気になって……、まぁ僕達も健全な高校生ということも大きく肌を重ねるようになる。ここまでは順風満帆とは言い切れないけれどそれなりに順調なお付き合いを進めていた。僕達って基本的にはお互いがショー馬鹿なところもあるからワンダーランズ×ショウタイムの活動に差し支えないように、と決めていることもあってそう頻繁ではないのだけど、そういうこともしている。その中で、司君は僕の頸を噛むことが多い。かなりキツく噛むものだから襟足が長いとはいえ、結構目立つ。こらこら、と最初は咎めていたけれど、「すまん、つい」と申し訳なさそうに言われたら惚れた弱みで許してしまう。
まぁ、恐らく僕がαであることや自分がΩであるということが気になっていて、無意識のうちに痕を残しておきたいんだろうなぁ、と勝手に考えているのだけど、それを確認したことはない。
「随分と熱っぽい目で見ているから何か用だと思ったんだけど、何か悩みごとかい?」
「悩みごと……、と言って良いのか分からないのだが……」
「僕の頸を見ても痕は残っていないけどね」
当たり前だけど、Ωとは違ってαやβが頸を噛んだところで痕は残らない。αがΩを噛んで痕を残すのはその存在は自分のものであると示す為のマーキングだ。Ωという下位(と言ったら今の人権的な観点から言うと怒られるかもしれないけれど)の存在を上位であるαが所有している、という証明なのである。それはαとΩの存在が互いにとって相互補助のようなものだった名残なのだろう、と想像はつくけど……、その辺りのことを考えると止まらなくなりそうだから、司君の話の方に集中する。
「そうだな……やはり、頸の噛み跡は残らないか」
「そりゃあ、あれはαがΩの頸を噛むことで番になったという証明になるのだから、βの君がαの僕の頸を噛んだところで意味はないねぇ」
噛み跡が名残惜しいのは司君だけじゃないのだけど、なんて言おうとしてやめておいた。生真面目でまっすぐな我らが座長をあまり悩ませるものではないし、司君の悩みが僕の一言で解決するとは思えない。
男同士のβとα。それだけでどこまでいっても平行線なのは当たり前で、心は繋がれるのに体は永遠に繋がらないなんてまるで種族の違う物同士の逃避行みたいだ、と自嘲気味に笑う。いずれくる別れ、というものがチラつくからこそ、無意識に繋ぎ止めようとされているのだろうか、と彼の気持ちを考えると少し笑ってしまう。
「まぁでも、気になるなら噛んでくれて構わないけどね」
まるで標本のように綺麗な、虫歯ひとつないお手本のような歯形を付けられるのは、僕としても気分がいい。
αだからβだから、そんなことなんてどうでも良いんだ。
いつかもしかしたら僕の元に運命の番とやらが現れる可能性はゼロではないし、そうでなくても夢を追いかける以上は司君と別れなければいけない日がくるかもしれない。
だけどそんなたらればや第二性に拘るよりも、僕は今ここで天馬司の恋人として側にいたい。
いずれくる未来よりも、今ここで彼と過ごす時間を、なんて我ながら見事に溺れたものだ。
「だが、噛むとなると痛むだろう」
司君のその問いに、僕は少しだけ目を開いてそして笑う。
その痛みが心地いいとか言ったらどういう反応をするのやら。
「痛いけど……、痕が無くなる方が嫌かなぁ」
思い切り噛んで、痛みと共に刻まれる傷痕が、愛しいぐらいに嬉しいなんて。
「ねぇ、司君」
そろそろ薄くなってきたし、新規のショーの予定も無いから。
「類」
「噛み跡、付けてくれないかい?」
襟足の髪を態とらしく掻き分けて彼に言う。
ゴクン、と鳴ったのはどちらの喉か。
どちらでもいい。
この後、また何日かは消えない傷痕が刻まれるのだから満足だ。