eve 課業を終え、寮までの道を足早に歩いていたヒビキは視界の端に上司の姿を認めて足を止めた。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
当初の目的である十二時の方向から二時の方向へと進行方向を切り替え、敬礼と共に上司へと言葉を投げかければ穏やかな声が応じる。
「イサミの奴を迎えに来たんですか?」
「……まあ、その様な所だ」
サタケの手の中に納まった鍵がバイクのそれではなく車の物だと確認しにやりと笑みを向ければ、苦笑めいた笑みが返された。
「そう言えば、一昨日イサミが外泊許可証申請してましたけど」
「そうだな、受理して、特段不備も無かったから許可している」
惚けた様に笑いかければなんて事のない様ににこりと笑うサタケに、流石に喰えない人だと思わず苦笑しつつ肩を竦める。
「今年のあいつの誕生日は丁度休みと重なったし、ゆっくりデート出来ますね」
「ああそうだな」
搦め手が駄目ならば今度は思い切って直接攻撃に切り替えるかとずばりと投げ掛ければさらりと返される。
「……揶揄い甲斐ないなー」
「私で遊ぼうなど十年早いよ、リオウ三尉」
一般的な上官であれば許されない様な軽口にも余裕めいた柔い笑みを湛えたままの敬愛すべき上官に思わず小さく吹き出すと、ヒビキは鞄の中に入れていた小さな包みを取り出した。
「最初は明日イサミに会ったら渡そうと思ってたんですけど、明日はどうやら渡せそうに無いんで、隊長から渡しておいて貰えますか?」
「誕生日プレゼントか? なら直接渡してやった方が良いんじゃないのか?」
小さな黒いビニールの包装紙を差し出せば、躊躇う様な言葉が返される。
確かに折角の誕生日のプレゼントだから直接渡してやれるのならば渡してやりたかったが、サタケの言葉にヒビキはふるりと首を横に振った。
「誕生日の当日じゃないと意味が無いんですよね」
「そうなのか?」
「ええ。……で、二人の邪魔をする程、野暮にはなれないんで、サタケ隊長にお預けしようかと……」
本当は別に当日に渡さなくたって問題は無いのだが、今回ヒビキがイサミの為に用意したのは風呂好きのイサミの為のバスグッズだ。
店頭に並んだ商品の柔らかい色味に惹かれて買ったギフトセットのボディソープは兎も角、バスソルトは営内の風呂では使う事が出来ない。
無論、そんな事は百も承知の上でヒビキはそれを購入した。
イサミが頻繁にサタケの家に泊まっている事は知っていたから、戦後、忙しさに追われる二人にせめて風呂くらいはのんびりと過ごして欲しいと言う願いを込めて。
「分かった。それなら預かる事にしよう」
「はい、お願いします」
二人でゆっくりのんびり楽しんでくれれば良いなと思いながらプレゼントを託すと、一瞬だけ迷ってヒビキは口を開いた。
「所で隊長はイサミに何をプレゼントするんですか?」
外泊許可証の内容までは流石にプライバシーの侵害だろうと見てはいないが、サタケの事だから、可愛い恋人の誕生日ならばとびきりの手作りディナーでもてなしてみたり、或いは雰囲気の良いホテルでの豪華なディナーに招待したりするのだろう。
それ自体がある意味プレゼントの様なものだが、イサミに対してはナチュラルに貢ぎ癖のあるこの男の事だから、誕生日と言う特別な日のプレゼントがそれだけで終わるなどとは到底思えない。
果たしてどんな特別なプレゼントをするのだろう。
好奇心まるだしてそうして問い掛ければ、サタケは普段の大人びた穏やかな笑みをほんの僅かに驚く様な表情へと変えてヒビキを真っすぐに見つめた。
「……イサミへの誕生日プレゼントね」
「ええ、何をあげるんですか?」
口元へそっと指を押し当てて暫し思案する様な顔をすると、サタケはその整った顔をとびきり悪戯な笑みの形に変えた。
「残念ながら、教えてやれない」
くつ、と喉を震わせて短く吐き出すと、くるりと踵を返してサタケはひらひらと手を振りながら、
「イサミだけの特別だから、私からは教えてやれない。……それでは、そろそろ約束の時間だから失礼するよ」
「え、ずるくないですか、それ?」
「ずるくても、駄目なものは駄目だ、知りたければイサミから聞くんだな」
とびきり悪戯な甘ったるい響きでそう告げると、ヒビキの言葉も待たずにサタケはくるりと踵を返すと、いっそ優雅なまでの足取りで立ち去った。
その行く先にイサミの姿がちらりと見えたのを確認すると、ヒビキはくるりと向きを当初目指していた方角へと向けて歩き出した。
今なら、イサミの元に駆け寄って直接誕生日の祝いの言葉をフライングで投げかけてやる事も出来なくは無かったが、そんな無粋な真似をする気持ちには勿論なれなかったから、気付かなかったふりをして、そして、ヒビキは自分の部屋へと向けて少し足早に歩き出した。