無題厄災討伐後、さて姫様はどこに居を構えますかとなった。リンクは当然カカリコ村に住むのだと思っていて、内心正直とても寂しかったのだが、しかしまさか一緒に住みましょうと言えるわけもなく話の行く末を他人事のように見守っていた。
そして今、リンクとゼルダは同じベッドで寝ている。
(どうしてこうなったんだろう?)
背中の向こうでゼルダの寝息を聞きながら自問自答するのはもはや毎晩の日課になりつつあった。
もちろん当然全く嫌なわけではないが、この状況がおかしいことくらいさすがのリンクにも分かっていた。
──遡ること一月前。
「姫様のハイラルのために動きたいというお気持ちは、このインパようようわかっております。ですが、今は百年の封印という大業を成し遂げたばかり。そうすぐに次へ次へと動いては身体も心も疲れてしまうでしょう。まずは少し、何も考えずに休むことも大切ですぞ。そこに、ほれ、丁度いい小器用な男がおりますでな」
と言われてその場にいる皆の視線をバッと集めたのがリンクであった。
「え、俺……?」
「其方以外誰がいる。それともまさか自分以外の男に姫様のお世話役を務めさせようと……」
「いや! そんなとんでもない! 絶対ダメです! 絶対! 俺がお世話します!」
「というわけです、姫様。リンクはハテノ村に家があるとか。カカリコ村より警備は劣るかもしれませんが、厄災も祓った今、リンク一人いれば護衛には足りましょう。ここより知り合いがいない分、一度お役目のことなどは忘れて羽を伸ばしてください」
「わかりました。リンク、世話になりますね」
「あ、はい、いえ! 光栄です!」
そして今に至る。
いや、まだ少し説明不足だったかもしれない。
──ハテノ村に着いた日。
「で、ここが水場で、上が寝室になります。ベッドが一つしかないので俺が使っていた物で申し訳ないのですが、ゼルダ様にはそちらを……」
「ではリンクはどちらで寝るつもりですか?」
「ソファがありますので俺はそこで」
「それは……ちょっとベッドを見せていただいても?」
「もちろんです」
リンクに案内された寝室を見渡して、おもむろにベッドに腰掛けたゼルダはそのままぽすんと身を横たえた。
(え、最後にシーツ洗ったのいつだっけ?!)
リンクはゼルダの突然の行動に、どうしようもないことしか頭に思い浮かばない。どうしようもないが、リンクにとっては切実だった。
「ゼ、ゼルダ様……ちゃんと夜になる前にシーツも枕も新品に替えますので……!!」
臭いチェックをされているのではないかと思うと、居たたまれなくて顔から火が出そうだ。
「あら、そんなに気遣っていただかなくても大丈夫ですよ。貴方、この家にはあまり帰ってきていなかったと言うではありませんか。このベッドも部屋もきちんと整えられていて、清潔な感じですし。それより、貴方の寝床が問題です」
やはりソファは不味かっただろうか。宿を取って完全に別の屋根にするのが、ゼルダ様としても安心なのかもしれない。しかしそうすると護衛にはやや心許ないな、などとリンクが瞬時に思案しているのを、ゼルダは潔くぶった斬った。
「居候の私がベッドで家主の貴方がソファなど、さすがに図々しいと私でもわかります。なので、一緒にここで寝ましょう」
「………………なんと? 仰いました?」
「ですから、共にこのベッドで寝ましょうと提案しました。今寝転がってみましたが、二人分のスペースはありそうです」
「何を言っているんですか!! ありえませんよ!!」
「大丈夫です。私、寝相は良い方ですし。イビキも多分かかないと思います」
「いや問題はそこじゃなくて!!」
「私はそんなにふくよかな体格ではありませんし、リンクも男性にしては小柄でしょう? なので二人で寝ても納まりますよ」
(小柄……)
気にしていることをサラッと言われ、つまりは男として見られていないわけかとリンクはガッカリと納得してしまった。
「わかりました……」
そしてションボリとした気持ちのまま、なし崩しにゼルダの提案を受け入れたのであった。
そして、今度こそ今に至る。
(おかしいよね? おかしいよな? 恋仲でもない男女が二人で一つのベッドに寝ているなんて、おかしい以外のなにものでもないよな?)
おかしいといえば、そもそもこの同居生活を提案したインパこそがおかしかった。
──責任の取れないことは、するでないぞ。
などと釘を刺されたが、それなら最初からこんな忍耐耐久レースのような場を組まないで欲しかった。責任を取ればしてもいいのか、俺ごときに取れる責任なんてないのだから何もするなということなのかと聞けば、当然後者なのだろうから。
ちなみにインパとしては前者のつもりであった。百年寝ていただけのリンクより百年生き抜いたインパの方が当然考え方も熟練しており、こうまでしないと進展しないと踏んだのだ。しかしゼルダの無垢さとリンクの意気地の無さはインパの想像を超えていて、共にベッドに寝て一月経っても何の進展もなかった。
リンクは今宵もゼルダの寝息を聞きながらため息をついて、眠気が訪れるのを待った。さすがに一月も共に寝ていれば、緊張のあまり一睡も出来ない、ということはなくなったが、入眠のタイミングを逃すと色々と考えてしまってなかなか眠れないのは、もう仕方のないことだった。
色々と、というのはつまり色々である。
ゼルダがいくら男として見ていなかろうが、リンクは立派な男であり、その健全な肉体と同じくらい健全な心──つまりは性欲──を持っているのだった。さすがに寝込みを襲ったり隣でゴソゴソしたりなどという節操のないことはしていないが、頭の中で色々考えてしまったり、あげくそれが夢に出てきてしまったり、そのせいで早起きを強いられたり……ということくらいは許してほしい。
(百年前の俺、どうやって過ごしてたんだろう……)
百年の眠りから覚めて、記憶と一緒に自制心も無くしてしまったらしいリンクは、記憶は取り戻したもののもう片方は行方不明のままだ。記憶がない時にした奔放な旅が楽しかったのもあって──もちろん記憶を取り戻した時はそんなこと言ってられなかったが──、今のリンクはゼルダと再会しても百年前と同じようには振る舞えない。そこはもう諦めているし、ゼルダも気にしていないように見える。だが、こうして欲求を我慢している時には百年前のキリッとした自分が恋しい。彼にはこんな苦労なかったのではと勝手に過去の自分を羨む。
(まぁ、こんな幸せもなかったのだろうけど)
なんだかんだ言って、ゼルダと一緒に住んで一緒のベッドで眠るという幸運は、何と引き替えにしても手放せそうにない。無防備な寝顔も愛くるしい寝息も、百年前には想像のできなかったものだ。これを手に入れるためならもう一度厄災と戦ってもいいと思えるくらいには、幸せな暮らしだ。
だからリンクは自分でそれをブチ壊さないように、湧き上がる悶々とした気持ちにはきっちり蓋をするのだった。
「おやすみなさい、ゼルダ様」
とっくに眠りに落ちているゼルダに優しく声をかけて、今度こそ自分も眠ろうとした時だった。
「んん……ダメ……」
小さく、ゼルダのうめき声が聞こえた。
「ダメ……ダメですリンク……まって……」
(うなされている?)
自分の名前を呼ばれてドキッとしたものの、その苦しそうな声にリンクはゼルダの顔を覗き込んだ。少しだけ眉を寄せて、苦しそうな表情。
「んん……そんなに強く……あ……っ、ダメ……っリンクぅ……っ」
それなのに口から溢れる声がなんとも悩ましげで、リンクは起こそうかと持ち上げていた手を思わず止めた。
(こ、これは……)
これは、もしや、俺と同じような……その、つまり、“アレな夢”を見ているのでは?!
一瞬にして寝ようという気持ちが吹き飛んだリンクは、悪夢ならば起こそうとしていたその手すら引っ込めてじっとゼルダの寝顔、もとい寝言に注目した。
「…………リンクってば……んんぅ……そんなとこ舐めちゃ……」
(舐めちゃ?! 舐めちゃなに?! 何を?! どこを?!)
「あ!……ダメ……!……っ」
ゼルダが首を振りながら、縋るように枕を握った。唇が夢の中の思考に追いつかないのか、言葉もなく、はくはくと動いている。
(あーーーーーーこれ見てるだけしか出来ない現実の俺って……)
虚しくなりつつも、目を逸らすことなどできなかった。しかし“夢の中のリンク”はすでに事を終えたのか、ゼルダの口から続きを思わせる言葉は出てこなかった。
急に冷静になって、なにやってんだ俺、と情けなくなったリンクは、今度こそ眠ろうと身を横たえた。
「…………」
横たえたものの、未練がましくゼルダの方を見てしまい、ちっとも眠れない。
(もしも、もしもだけど、ゼルダ様も俺が見てるみたいな夢を見ていたとして……それってつまり……俺と同じ気持ちってこと、だったり……)
余計な期待は止めよう、そもそも夢を辿ることなど詮無いことだと思うのに、どうしたって思考は止められない。なにせ真隣に本人がいるのだから。
(でも本人に昨日どんな夢見てましたかなんて……聞けない、よなぁ……)
リンクははぁ、と切なげにため息をつくしかなかった。
ゼルダは先程までの表情とは打って変わって、ずいぶんと穏やかな寝顔をしている。いつもは可愛らしいその顔が、今はちょっとだけ憎らしい。昼も夜も人を振り回すだけ振り回して。と、好きで勝手に振り回されているだけのリンクはゼルダの頬を指でふにっと押した。本人が起きている時には絶対に出来ない、いじらしすぎる仕返し。
「……ん」
ほんの少し触れただけなのに小さく声を出されてしまって、起こしたかとリンクは冷や汗をかく。
ゼルダはその金の睫毛をゆっくりと持ち上げて、翡翠の瞳にリンクを映す。そして自分の頬に触れているリンクの手にそっと自らの手を添えると、宝物を見つめるようにとろりと笑って──リンクは呼吸も忘れた──そしてまた糸が切れたように寝た。
自分の手に一瞬添えられていたゼルダの手がずり落ちると同時に、リンクも枕に突っ伏した。
(もう、眠れないやつ……)
*
「おはようございます」
ゼルダはなんとも清々しい朝を迎えていた。天気は快晴、外気も適温、仕事は全部昨日片付けており、休日に相応しい日和だった。
「おはようございます……」
しかしそんな朗らかな気分をブチ壊すような顔をした男が目の前に一人。
「リンク、どうしたんですかその顔! 隈が! 顔色も! まるで一晩中起きていたような顔をしていますよ!」
「いやぁ……はは……」
その通り、一晩中起きていたのである。
あの後眠ることを諦めたリンクは、家の裏で素振りをしたり裏手の山に登ってみたり、護衛として一応は家から離れすぎないようには努めたものの、とにかく一晩中身体を動かしていた。これだけ動かせばどれだけ邪念が浮かぼうと電池切れで眠れるだろうというところまで己を追い込んでいたら、朝になっていた。
「ちょっと……眠れなくて……」
「まあ、悪い夢でも見ましたか?」
「そういうわけでは……ゼルダ様は良く眠れたようですね」
どんよりとしたリンクとは対象的に、ゼルダは肌をピカピカとさせている。
「ええ、良い夢でした」
「へぇ、どんな」
うっとりと目を瞑るゼルダに思わずリンクはそう返して、あ、やば、と口を押さえた。しかしゼルダは特段気にした素振りもなく、むしろ可笑しそうにクスクスと笑いながらテーブルに着く。そんなゼルダの前に朝食を並べて、反応が予想と違うぞと思いながらリンクも向かいに座った。
「あのね、怒らないでくださいね」
「は、はい」
「ふふ、夢の中でリンクったら、とっても可愛いワンちゃんになっていたんです!」
「ワン……ちゃん……?」
「はい! 白と茶色の混じった毛の犬です。小型なんですけど、凄くすばしっこくて力強くて。お散歩に行ったらぐいぐい綱を引っ張るので転ばないように私何回も叱ったんですよ」
(おい、嘘だろ……)
昨日の寝言を頭の中で蘇らせつつ、リンクは笑顔を作る口の端がヒクヒクと痙攣するのを感じた。
「それに、好奇心旺盛で何でも口に入れちゃうんです! だから私、ダメってまた何回も注意して……本物のリンクは良い子なのに、犬のリンクはちょっと聞き分けが悪かったですね。泥水も舐めるし、困った子でした」
ゴンッ! と額をテーブルに叩きつけて撃沈したリンクに、ゼルダは慌てて近寄る。
「リンク?! どうしました?! やはり具合が悪いのでは……?!」
「具合……」
「ええそうです! 貴方おかしいですよ! 今日は一日ゆっくり休んでください」
「はは……」
真剣に心配してくれるゼルダに、そんなんじゃないです大丈夫ですと言える元気も気力も今のリンクにはなかった。ゼルダに肩を揺さぶられながら、ただただ己の早とちりと妄想の逞しさに押し潰されるのみであった。
*
良い夢でした、なんて口を滑らせたのは失敗だった。
リンクはなぜか寝不足で頭が回っていなかったようで、幸いなことにゼルダの取り繕ったような話には突っ込んでこなかったが。
ゼルダは無理矢理ベッドにリンクを押し込んだあと、朝食の後片付けをしながらほっと息を吐いた。
リンクが犬になった夢はもちろん本当だった。だけどそれは楽しい夢であって、うっとりするような良い夢とは違う。
良い夢とは──ゼルダは昨夜のそれを手を動かしながらゆっくりと夢想した。
『ゼルダ』
優しく、低い声で名前を呼ばれること。
そして剣を握るあの大きな手でそっと頬を撫でられること。
ゼルダは嬉しくてとろけそうになりながら、そっと自らの手を重ねるのだ。