sweet bitter Valentine 付き合って間もない二人(万至)
もしかすると世の女性は皆訓練された戦闘員なのかもしれない。
コーヒー豆をチョコレートでコーティングした、どこぞのショコラティエと有名なバリスタがコラボしたチョコレート。インステで見たと、甘いものが大して好きじゃない万里が珍しく興味を示していたそれが、この百貨店の催事場限定であると知って会社帰りに立ち寄ったわけだが、ごった返す人込みの中、俺はすっかりおよび腰になっていた。
素早く隙のない身のこなしで混雑をものともせずお目当てのものをゲットしていく女性たちを見ながら背中に冷たい汗が流れる。
俺あの中に入るの?え、ちょっと、いや、だいぶ無謀じゃない?諦めた方が良さそうじゃない?いやでもどうしよう。万里に渡すチョコレートが用意できない。
だけど付き合ってから初めてのバレンタイン。恥ずかしくて普段「好き」とか言えない分、この期に乗じて気持ちを示せるのでは?と思っていただけになんとしてもチョコレートを用意したかった。
しょうがない。手作りにするか。溶かして型に入れるだけならいけるだろ。よゆーよゆー。
万里がいない時を見計らって夜中のキッチンを借りることにした。
だがしかし、思ったよりもことは上手く運ばなかった。解せぬ。あんなに脳内シュミレーションしたのになぜだ。
まずチョコレートを溶かすところからつまずいた。
湯せん?何それ。とにかく溶かせばいいんだろ。板チョコを鍋に入れて火にかけると溶ける前から焦げだした。なんでだ。調べるとチョコレートは直接火にかけたらだめらしい。めんどい。湯を張ったボウルに鍋をつけてようやく溶かすことができた。それを型に流し込む……はずがなかなか型にヒットしなくて、あちこちにチョコレートが流れていってそれはもうキッチンが大惨事になった。それでも奇跡的に型に収まったチョコレートの上にカラフルな小さい粒々のチョコを乗せて冷やしてラッピングして、なんとか完成。良かった。これで万里にチョコレートを渡すことができる。ほっとしたのも束の間、
「にっが……何これ」
試食したチョコレートは食べられたものじゃなかった。こんなの万里に食べさせられない。
苦労した分だんだん腹が立ってきた。あーもう渡さなくても別にいいや。柄にもないことするもんじゃないな。とはいえ往生際悪く捨てるこてもできない。焦がして煮詰めて苦くなったチョコレートは袋に入れセロハンテープでぐるぐる巻きにして厳重に閉じ込めた。
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数年後の二人(同棲万至)
「至さんバレンタインバレンタイン」
「開口一番それかよ。至さんはバレンタインじゃありません」
帰って来るなりただいまより先に言われたセリフに苦笑する。
「分かってるって。楽しみだったんだからしょうがねーだろ。なぁ早くちょうだい。あれ」
そんなに甘いもの好きじゃない万里が早く早くって俺からのチョコレートを待ってる。ちょうだいって言い方がかわいくてちょっと焦らしたくなった。
万里からは今朝すでにもらっている。甘さ控えめ手作りの丸いカステラをチョコレートでコーティングしたロリポップ。色とりどりの飾りがついていて、まるでブーケみたいでとてもきれいだった。これならゲームしながら食べやすいだろって、分かってんじゃん。スパダリかよ。スパダリだったわ俺だけの。
これ以上もったいつけてもなんだし、俺は昨日から用意していた包みをポケットから取り出した。
「ありがと、至さん。お、めっちゃきれいに作ってくれてんじゃん」
雑なラッピングを丁寧に開ける万里の満開の笑顔が眩しい。
「リクエスト通りにしたけどほんとにこれで良かったの?」
万里と暮らし始めて五年。家事が壊滅的だった俺も少しは料理ができるようになったから、他のものも作れるんだけど万里からのリクエストは毎年これだ。
「これがいいんだって。……うまっ」
「市販のチョコ溶かして固めただけだからな。不味くなりようがないだろ」
「んなことねえよ。市販のより至さんのが作ってくれたやつのが断然美味い」
「お前味覚おかしくない?」
「ふはっ、」
「なに突然」
「いや、その言い方、付き合って初めてのバレンタインのこと思い出して」
「……あぁ、そういえば。大喧嘩したっけ」
「至さん思いっきりチョコレート投げつけてくんだもんよ」
「あれは万里が悪い」
「だって前日至さんの髪から甘い匂いしたからてっきり手作りチョコ用意してくれたんだと思ってたのにくれねえから……」
初めて好きな人と迎えるバレンタインに気合いが入りすぎ、やる気だけが空回りして大失敗したチョコレート。
渡すわけにもいかず、かといって万里への気持ちを込めたものを捨てることもできずに隠していたところ、手作りのチョコレートを他のやつに渡したのかと万里がキレた。
まさかバレてるとは思わなかったんだけど。監督さんとか臣がみんなに配る用のお菓子を作っていて寮中甘い香りが満ちてたのに、俺の髪から匂いがしたって嗅覚鋭すぎるだろ。
今から思えば万里のかわいらしい嫉妬。だけどその時の俺は気持ちを疑われたと逆ギレしてソファーの下に隠していたチョコレートを万里に向かってぶん投げた。
「……っ!痛ぇ、何すん、」
「食えるもんなら食ってみろよ!」
「え?これ、」
渡せるものなら渡したかった。俺は万里と楽しくバレンタインを過ごしたかっただけなのに。
目の奥が熱くなってくる。気取られないように俯いているとガサガサとラッピングを開ける気配。まさか、食べるつもりなのか?
「うまっ」
「は?嘘だろ」
思わず顔をあげると目の前には歪な形のチョコレートを嬉しそうに頬張る万里の姿。
「嘘じゃねーよ」
「いやいや不味いのは知ってる。俺も試食済みだから。てかそれ焦がしちゃって体に悪いかもだからもう食うな」
「やだね。こんなうまいのに」
「……お前味覚おかしいんじゃない?」
「おかしくねえって」
……おかしい。恋は盲目というけれど、理性や常識だけじゃなく味覚まで失わせるものらしい。
でも俺に回収されまいと急いで食べる万里があんまり嬉しそうに見えるから、ひょっとしてほんとに美味しかったのかと錯覚しそうになって。
「もっかい味見させて」と万里の口中から奪ったチョコレートはやっぱり苦くて、でもひとりで試食したときよりも甘い味がした。
もう何年も前のこと。お互いに必死すぎたあの頃も、ある程度余裕を持てるようになった今では笑い話だ。
「懐かしいな」
「あん時から俺至さんのこのチョコが一番好きなんだよな。来年も再来年もその先もずっとこれがいい」
「いいよ」
「約束な。俺だけな。至さんの手作りチョコはたとえ味見でも春組とか監督ちゃんとか他のやつらにあげんなよ」
「ふはっ、お前な、」
前言撤回。万里は今でも俺に関することは余裕がないらしい。
「なぁ、至さん約束してくれる?」
「うん」
チョコレートに乗じた未来の約束が嬉しくて、引き合うように同じタイミングで重ねた唇はあの日と同じくらい甘い味がした。