お祭りの夜 何やら街が騒がしい。
引ったくりや言いがかり、口喧嘩等々で騒がしいのはいつものことだけれど、今日は何だかそわそわしている。
それもそのはず。今日と明日、店が並ぶ商店街のお祭りなのだ。
色彩豊かな装飾には各店の個性が出ていて、並ぶ街灯には電飾がぶら下がっている。
仄かに優しく、だけどどこか危険な匂いを醸し出す雰囲気は、この国ならではなのだろう。
日が陰りつつある黄昏時。てる子はとある街灯の下に立っていた。ただ、立っていた。それだけなのに道行く人の視線を集めるのは彼の身長の高さ故か、それとも。
「こんばんは、てる子さん」
てこてこと歩いてきて、見上げた笑顔で挨拶をする。彼女の名前はラスカル。ラスカル・スミス。この国で一番の悪党だという話だが、到底そうは思えない儚さだ。
てる子が口元だけで笑って会釈をすると、ラスカルは不思議そうな顔をする。
「どうしてベールなんて被ってるんだぃ?」
そう、てる子は黒い浴衣に黒いベールという、どこぞの葬式にでも出向くような格好で、ラスカルのことを待っていた。色彩に溢れ、人々の楽しげな声が満ちる中に、黒いインクを垂らしたような黒さで佇んでいたのである。
道行く人の視線を集めるのも当然のことだろう。もちろん、ラスカルが不思議に思うのも。
今日のお祭りはラスカルが誘ってくれた。曰く「いつも良くしてくれてるから、お礼がしたい」とのこと。
「お金の心配はしないでおくれ。臨時収入が入ったんだ」
余程大きな仕事を成し遂げたのだろう。誇らしげな彼女の言葉を断る理由はどこにもない。
「それじゃあ、エスコートを頼もうかしら、小さな紳士さん」
「小さいは余計だぜ」
クスクスと笑いあったのが十日ほど前。
そして、今日。約束の日。
店外でラスカルと会うのは初めてだ。だからこそ、彼女は驚いたのだろう。
勤務中の てる子は、他のキャストと違って派手な格好はしていない。とは言え、色合いが地味なだけでデザイン性で言えば似たようなものである。
今の てる子は、灰色の蝙蝠が染め抜かれた黒い着物に、占い師が被るようなベールを被っている。それも矢張り真っ黒で、しかしよく見れば繊細に編まれたレースだということが分かる。
猫も杓子も踊らにゃソンソン。
そんな愉しげな場所で、てる子だけが唯一黒い。ラスカルが不思議に思うのも当然だ。
「変、かしら?」
「いいや、とても似合ってるよ」
「そう、なら良かったわ」
「てる子さんらしくて素敵だよ。でも、どうして隠してしまうんだぃ?いつもの綺麗な顔を隠してしまうなんて勿体ないぜ?」
ラスカルが首を傾げる。覗き込もうとしない辺り、育ちの良さが伺える。
「普段の私にはね、コレが普通なのよ」
てる子はレースの端を摘んでヒラヒラと揺らした。
昔。てる子は大きな事故に巻き込まれた。それはそれは凄惨な事故だった、と聞く。幸か不幸か、自身にその記憶は無い。
しかし、その事故は てる子から全てを奪った。
父。母。弟。てる子の家族。愛おしい日常。
ショックで髪は白く染まり、後遺症で瞳は赤紫に濁ってしまった。
人々は同情した。てる子の悲惨な体験に。
同時に恐れた。人ならざるモノのような てる子の外見に。
白髪に赤紫の瞳は珍しいのだろう。影でコソコソ言われ、堂々と絡まれ、時には酷く襲われもした。
だから、てる子は隠すことにした。自分の全てを。忌々しい白髪と瞳を。それでも人の視線は突き刺さる。もう慣れたものだけれど。
「そうなのかぃ?でも、見にくくない?」
「えぇ……えぇ、そうね」
みにくい。
ベール越しに見る世界は、ぼんやりとしている。
輝く太陽も。
澄んだ青空も。
流れる白い雲も。
彩る木々も。
揺れる黄色い花も。
てる子には全てが眩しすぎた。
人々の好奇の視線。
憐憫の目。
聞くに耐えない陰口。
家族を見送れなかった後悔。
自分だけが生き残ってしまった罪悪感。
拭えない疑問。
同時に、燃え上がる憎悪。
世界はみにくい。
だからこそ、見えにくいくらいがちょうどいい。
ふと、ラスカルが両手を伸ばした。てる子に向かって。
何なのかと屈めば、そのままギュッと抱きしめられる。腰を曲げた状態で、中々にキツい体勢。耳元にラスカルの唇が当たる。
「世界がみにくいことは、ぼくも知ってる。そんなに良いものじゃないよね」
淡々とした声で。
彼女も昔、大切な友人を亡くしたと言っていた。その友人に会うためなら人殺しも厭わない、と。吹けば飛ぶような体で何を言うのか、と笑えない程の真剣さで。
「でもね、それだけじゃあないってことも、ぼくはしってるつもり」
一度ギュッと力を込めてから、ラスカルが離れる。今度は彼女の両手が てる子の頬を包んだ。
「世界はみにくい。てる子さんは見たくないかもしれない。でも、ぼくは てる子さんと同じ景色が見たい。せめて今日だけは」
駄目かな?と仄暗い水色が訴える。
頬を包む手が少し冷たくて、てる子は自分の手を重ねた。
比較にならないほど小さな手。力を込めれば簡単に潰れそうな細さ。訴える瞳は、心配と、不安と、期待が入り交じっている。そこに電飾の鮮やかさが反射して複雑に揺れていた。
適わないわね。
手を離すと、てる子は体勢を立て直す。少し腰を伸ばしてから、するりとベールを脱いだ。
驚くラスカルをしりめに、ベールを帯飾りにしてしまうと、そっと手を差し出す。
「エスコートをお願いできるかしら、王子様」
微笑めば、ラスカルがふにゃりと笑って手を取った。
「喜んで、お姫様」
赤。オレンジ。黄色。紫。青。緑。様々な色が溢れて、ベールの無い世界は矢張り眩しい。
だけど、手には少し冷たいぬくもり。絡む指は細く、繊細で、とてもやさしい。まるで綿毛のように。
この手があれば大丈夫。そう思った。
「さぁ、てる子さんは何から見たい?食べたいものとかあるかぃ?今日はぼくが奮発しちゃうぜ」
誇らしげなラスカルに、てる子が笑う。
「あら、エスコートしてくれるのじゃなくって?王子様のオススメの場所に連れて行ってくれなきゃ嫌よ」
「ふふ、分かったよ。お祭りと言えばりんご飴!ってカリンちゃんが言ってた」
「まぁ、アタシと居るのに他の女性の名前を出すなんて、無粋な王子様ね」
「ああ、ごめんよ。今日のぼくは てる子さんだけのぼくだ。さぁ、行こうぜ」
手を繋いで。
飛ぶような心持ちで。
二人は青い夜へと歩き出す。