繋がることが出来たなら 青い空に浮かぶ白い雲。頬撫でる風は爽やかに二人を祝福し。
なんてことはなく。
鉛色の重い雲は小さな滴を絶え間なく零し、世界を霞ませる。もちろん頬を撫でる風などはなく、不快な湿気が体を包んでいた。一言で表すならば、悪天候。
そんな日に、紫草とラスカル・スミスはひとつ傘の下、心持ち人通りが少ない街中を歩いている。
「全く、ツイてないねぇ。折角の君とのデートなのにこんな天気だなんて」
紫草がボヤけば。
「わざとだろぅ?」
ラスカルが不機嫌に返す。
「今日は雨が降るって。何日も前から天気予報が言っていたと聞いたぜ」
「おや、ご存知だったのか」
「こんな日に呼び出すなんて、君は一体どんな趣味をしてるんだぃ?」
「なぁに、君とひとつの傘を分け合いたかっただけさ。それとも何かい?私の家で二人きりの方が」
「それはいやだ」
紫草の言葉を、ラスカルがピシャリと遮る。
「君と二人ひとつ屋根の下なんて、それこそ寒気がするぜ」
「おや、寒いのか。それならどこかカフェにでも入って温かいものでも」
「そう言うことじゃない」
分かっているだろう?
とでも言いたげに、ラスカルがじとりと紫草を見上げた。その視線に紫草の犬歯が覗く。
「だから、お詫びさ」
「お詫びの気持ちがあるなら、未来永劫ぼくを指名するのは止めてくれないかぃ?そもそも便利屋に君が望むシステムは無い」
「はずだね、本来は」
ぷすん、とラスカルがため息を吐く。
彼女は便利屋だ。愉快な仲間たちと“何でも請け負う”便利屋を営んでいる。メインは裏稼業のようだが、そこは“何でも請け負う便利屋”だ。便利に活用しない手はない。
紫草はそこに付け込んだ。
客としてラスカル・スミスの時間を買う。まるでデートクラブのような要望に、彼女の仲間たちは驚いていた。もちろん反対する者も居た。だが、誰も彼もが金の力には勝てないようで。
テーブルにそれなりの札束を積むと、あっさりと話が進んだ。それはそれはスムーズに。ラスカルの意思を無視した契約が結ばれていく。
いつしか紫草はお得意様になった、という訳だ。
「デートって、何をするんだぃ?」
「君は何をお望みかな?」
「知らないよ。デートなんてしたことない」
ひとつ傘の下。
濡れないように近づいてはいるものの、肩が触れ合うでもなく、手を繋ぐでもなく、僅かな隙間が生まれている。
デート、なんて甘い雰囲気はどこにもない。ただ雨の街を歩いているだけ。今のところは。
「君の欲しいものを買ってあげよう。何かあれば何でも言っておくれ」
「帰りたい」
「契約不履行で仲間の元へ帰るつもりかい?支払い無し、と知ったら君のお仲間達はさぞ嘆くだろう」
「……知らないよ、そんなこと」
ぼさぼさの髪から覗く、尖った唇。思わず弄びたくなるそれは、雨よりも潤っているように紫草に映る。
ふ、と視線の中に入る、裏路地。
あそこに引き込んで、誰も見えないところまで連れて行って、思い切り抱きしめる。濡れるのも気にせずに。時間いっぱい、彼女を堪能したい。
それも良いかもしれないな、と邪なことを考えていると、ラスカルの視線が一つの店を捉えていることに気づく。近づくほどに首の角度が変わっていき。
紫草は、そこで足を止めた。ラスカルの腕を引いて、店先に飾られているディスプレイの前に立つ。ラスカルを挟むようにして。
「コレを見ていたね」
「……なんの事かな?」
「誤魔化しても無駄なことは分かっていると思うけれど?」
見ていたよね?と屈んで耳元で囁けば、ラスカルがピクリと反応した。
彼女の目の前にあるのは、ウエディングドレス。純白のそれは真珠のような光沢を放ち、シンプルなデザインが上品さを醸し出している。
惜しげも無く使われたレースは繊細でいて力強く、スカート部分だけではなく、首元をも飾っていた。ウエディングドレスにしては珍しい、限りなく露出を抑えられたデザイン。
店は仕立て屋のようで、おそらく店主がデザインしたオリジナルのものと思われる。
「着たいのかい?」
「着たい、と言えば君は買うんだろぅ?」
「君が望むなら、仰せのままに」
耳元で交わされる会話。
フッと嘲笑うように、ラスカルが息を吐く。
「馬鹿みたいだ。いや、馬鹿だねぇ君は。見ていただけだよ。あまりにも綺麗だったからね。つい目を奪われてしまったんだ」
ただ、それだけさ。
言い残して雨も構わず立ち去ろうとするラスカルを、紫草は引き止めた。腕を掴んでくるりと回すと、己の中に閉じ込める。
ラスカルの目には嫌でもウエディングドレスが入ってしまうことだろう。そのように顎を固定しているのだから。
「もう一度聞こう。着たいのかい?」
「……君は、いつかこれを着るのかな」
ラスカルが呟いた。
寂しそうでもなく、羨ましそうでもなく。それは機械のような声だった。
「私が?どうせなら君が着ているところを見たいものだ。あぁ、でも君は人より少し小さいから、オーダーメイドが必要だな」
紫草は想像する。ウエディングドレスに身を包む、ラスカルの姿を。
それはそれは美しく……あるだろうか。何だかチグハグのように思えた。
滑稽だ。喜劇王のチャップリンでさえ真っ青になるほどに、違和感極まりない。
愛しい、愛おしい、ラスカル・スミス。彼女がウエディングドレスを手にすることは一生ないだろう、と何故か思った。
「バカバカしい。ドレスは素敵さ。でも、着たいとは思わない。僕がそんなことを言うとでも思ったのかぃ?それなら君は世界一の愚か者だぜ?」
ラスカルが鼻で嘲笑う。紫草のことを心の底から軽蔑した、嘲笑。
ショーウィンドウに反射するラスカルの表情は、雨が邪魔して読み取れない。細い体が冷えているような、気がした。
「それは失礼したね。それでは、世界一の愚か者が、お詫びにお茶をご馳走しよう。美味しいお店が近くにあるのさ」
言いながら、ラスカルの体を離す。同時に手を伸ばすと、パチンと音が鳴った。中々に力強い同意だ。
「僕の口に合わなかったら許さないぜ?」
「ふむ……難しい条件だが、君に憎まれるのも悪くない」
「君ってヤツは……」
呆れた声。表情。
紫草はラスカルの手を握る。
「本当にバッカだねぇ」
そうして、歩き出す。
鉛色の雲は重く空にのしかかり、雨は先程より質量を増している。断続的な檻のようだ、と紫草の犬歯が覗いた。