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    iguchi69

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    「我が愛しのカルネアデス」
    ※メンスト、バンエピ、あの~を踏まえての狛犬兄弟過去捏造

    時折、兄から映画を観ないかと誘われることがある。
    正直言って煩わしい。双循の持ってくるタイトルは大抵が白黒であったり、後々調べものをする必要があるほど特殊な時代や風習を舞台にしたものが多かった。(ひどい時は色彩どころか音声さえもなかった)去年やっとケーキに乗せる蝋燭を二桁に増やした凱循にとっては退屈で仕方ないものだ。

    しかし断ればどんな嫌がらせを受けるかわからない。向こう三日はおどれは教養が足らん鳥並のおつむにゃちいと難しかったかと嫌味三昧の日々が待っていると思えば、凱循に選択肢は残されていなかった。それに、少なくとも画面の中の世界に没入する数時間は、もはや日常となった性質の悪い悪戯を回避できる。
    凱循はしぶしぶ兄の手招きに従い、暗幕を張った北の部屋へ入った。日当たりの悪い部屋は初春にも関わらずひんやりとした空気で満たされている。思わずくちゅん、とくしゃみがひとつ漏れた。ほれ、と差し出された毛布をひったくるようにして奪う。

    「200分近くあるけえ、便所は漏らす前に言うんじゃぞ」
    「漏らす訳ないだろ! ガキじゃないんだからな!」
    200分、という言葉を頭の中で計算する。全く以ていらつく。こんな男と興味もない映画を観るために午後の3時間を使う羽目になるとは。
    誰の趣味だかオーディオ機器の揃えられたここには和室には似合わぬ大きなソファとオットマンあった。二人は細長い両端にそれぞれ足を置く。ビロード張りの椅子の座り心地だけは悪くなかった。

    ***

    終幕までに休憩は二度取った。一度目を通しているのか、双循がリモコンを操作するタイミングは絶妙だ。切が良く、途中までのストーリーを忘れたり気が散るようなこともない。200分近くの超大作は小学5年生の凱循には少々冗長だったが、始めから終わりまであらすじを失念するようなことはなかった。なんのことはない、パッケージから類推される通り陳腐なラブストーリーに凱循は何度目ともわからない欠伸を噛み殺す。ただひとつ、船が氷山にぶつかって沈没していく様だけは見ごたえがあったけれど。

    親の決めた愛のない婚姻、身分違いの恋、そして人智の及ばぬ悲劇。判で押したようにお手本のストーリーラインだ。くだんねぇ。音にはしない愚痴と舌打ちを口の中でだけ呟く。そもそも、結末は始めから解っているではないか。どうせこの女だけが生き残るのだ。老婆だから、彼女の死でエンドロールが始まるのかもしれない。そして天国だかどこかで若き日の亡き恋人と再会でも果たすのだろう。

    画面の中では、船の残骸に横たわったヒロインがわずか絵描きの手を握りながら宝石のような眼に零れそうなほどの涙を湛えている。情感たっぷりのBGMはいかにも涙を誘っているが、ただそれだけだった。自分たちが生まれるよりもずっと前に完成された作品だ。当時は激震が走ったのだろうが、洗練された現代ミューモンの眼には粗が目立つ。

    ふと隣を見やるとひとつ違いの兄は画面をまっすぐに見つめていた。緑の眼に液晶の四角い光が反射する。何が楽しいんだか。見ているものの感想など知らず映画は続く。そっと盗み見た残り時間はあと20分に迫っていた。あと少しだ。あと少しで解放される。狛犬の尾が期待に疼く。

    自己犠牲に酔った遺言を聞きながら凱循はオレならそうはしねえな、と思った。愛だの恋だの、心底くだらない。ほんの数日前に出会っただけの女によくもここまで思い入れができるものだと感心すらした。
    画家になりたかったのだろう。自分を馬鹿にした奴らを見返したいんじゃないのか。今すぐその女を黒い海に引きずり落とし、金目のものだけを奪って自分が助かればいいのだ。そして当初の計画通り新天地でやり直す。理知的で完璧な助言だ。しかし画面の中の主人公は聞き入れることはない。バカが、と吐き捨てる。漆黒に沈む金髪に兄を重ねれば心は幾分か晴れた。
    エンドロールの最中で双循がこちらを向く。身構えるのはもう癖になってしまった。

    「……凱循、おどれじゃったらどうする」
    「……あ?」
    「ワシとおどれで、海に放り出されるとするじゃろ。流れてきた扉には一人しか乗れん。おどれはどうする?」
    「そんなもん、お前を突き落とすに決まってるだろ」

    できるかどうかはともかくとして、とは言わなかった。凱循の宣言に緑の眼が細められる。あの微笑みの意味を、未だに計りかねている。

    ***

    「嫌やわあ。沈むやなんて、縁起の悪い」
    「ほんまにそうなったらどないすんねん……『言霊の・意味もわからん・クソキッズ』」

    帆先でじゃれていた双子が言う。919は眉を潜めた。まさかあの豪華客船の迎えた結末を知らないのだろうか。ありえないことではない。661と659の生い立ちなど聞いたこともないし興味もないが、生の野菜すら見たことがない特殊な人生を歩んできたのだ。タイトルとポスターにもなった名シーンだけは知っていても、本編は見たことがないのかもしれない。彼らに比べればあの息苦しい家であっても一般的な幼少期を過ごし、生まれ故郷のまだある自分は恵まれているのかもしれない。一瞬だけ浮かんだ甘い考えを掻き散らす。関係がない。クソ双子がどうであろうが、オレの怒りはオレだけのものだ。
    これ以上立ち入る気はなかった。無視を決め込むことで線を引く。一つ屋根、もとい一つ船底を共に長旅を続けてはいるが、彼らとは仲間などという生ぬるい関係ではなかった。

    13の用意した船は件の客船には及ばないが、たった5人で生活するには十分すぎるほどに広い。氷山に当たればひとたまりもないだろう。人生を惜しむ暇もなく沈んでしまう筈だ。
    0に近い可能性だと知っていながら、919はそうなったら、というもしもを考える。結論は変わらない。誰であっても、オレは蹴散らす。そして生き残る。野望、というにはあまりに煮詰め過ぎたこの思いを昇華するのだ。

    919は真っ直ぐに航路の先を見る。日のあるうちの大海は青く、反射する光がところどころを翠に見せた。もう数年は見ていないあの目を思い出す。同時に蘇る苦い記憶に大きく舌を打ったが、その音はごうごうと吹き抜ける潮風に掻き消されていった。
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