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    iguchi69

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    2023バレンタイン(ジョ双) 1/7

    「普段行かない店」 高い天井いっぱいに甘い匂いが充満している。
     どれほどの数があるのか、広大なフロアの端から端までみっちりと詰め込まれたブースから香る匂いが混ざり合ってもはやどこが何を売っているのすら定かではない。ジョウの目の前にはスパイスを取り入れた味が斬新で風変わりだと謳っているポップがあった。それひとつなら目を引くこともあるだろうが、今は暴力的なほどの匂いに搔き消されて有象無象の波の中に沈み込んでいる。
    『個性派のあの人に♡カレーチョコで差をつけろ!』

     差をつけるも何も、結局チョコじゃねぇか。
     ジョウは居心地悪げに顰めていた眉に力を込めた。件のスパイスチョコの売り子の肩がびくついた気がして、慌てて表情を戻す。悪目立ちをするのは好ましくない。ただでさえ、自分はこの空間においてこの上ないほどの異物なのだから。

     クソ、とマフラーの中、更に想像の上でだけ舌を打つ。ハメられた、と思ったのは時すでに遅し催事場に着いた後のことだ。時は一時間前に遡る。

    ***

    「ほうれ、おどれの分担じゃ。引き取りは明日までじゃけえ」
    「…………なんだよ、これ」
     こいつの差し出すものを無防備に手に取るほど腑抜けてはいない。訝し気なジョウを気にもとめず、双循は摘まんだ紙切れをひらひらと揺らした。
    「はぁ~? チョコに決まっとるじゃろうが。ブッ倒れついでに記憶まで飛ばしたか」
     二人きりのスタジオに呆れ声がやけに響く。二学期の期末テストの結果が芳しくなく、学期はじめ早々に居残りを続けている後輩たちがいないのが災いした。これでは、双循の言葉の真偽がわからないではないか。
     大胆不敵かつ狡猾剽悍たる狛犬はジョウの疑わしそうな視線もものともせず続ける。

     来る来週末、DOKONJOFINGERはバレンタインライブを行うことになっていた。真強敵達に感謝の意を込めてチョコレートを配る。そこまではジョウも把握していた。予防接種をしたにも関わらず今年もきっちり罹った型違いのインフルエンザを拗らせ、入院する羽目になった先週までの話し合いで決まったことだ。
     不在の間に企画はどんどん煮詰まっていったらしい。双循がチョコレートを手配し、梱包は手分けして行う。双循の言い分を搔い摘めば、最も面倒な話し合いを始めこれまでの業務を免れたのだから現物の受け取りくらいはお前がしろ、ということだった。
    「なぁに、代金は払っとるんじゃ。お使いくらい脳の茹ったクソ不死鳥でもできるじゃろ」
     言いたいことはあったが、ジョウは一度だけ舌打ちをして伝票を受けとった。仕方のないこととはいえバンド練習に一週間参加していない負い目があったからだ。

     薄水色の控えには有名なデパート名と聞き覚えのあるようなないようなブランド名、そして丁寧にも階数が書かれていた。頭の中で路線図を思い描く。明後日のバイト前には十分立ち寄る時間がありそうだ。

     そしてジョウは今、バレンタインを控えた週末の熱気立ち込める特設催事場に来ている。目線の下にはひしめくミューモンたちの色とりどりの頭、そして耳や角が波のように蠢いていた。
     二十歳を超えたばかりの男子学生にとってこれほど場違いな場所もない。どうにもいたたまれない気持ちを抱えたまま受取列に並ぶ。

     料金は支払い済だという双循の言葉を疑っていたが、店員は伝票を一瞥するとすぐに品物をカウンターに乗せた。厚手の紙袋が二つ。これでよろしかったですか、という言葉に、ジョウはよろしいも何も知らねぇんだけどな、と思いながらも頷く。こちらの事情など知る由もない販売員の下げる頭に見送られながら、ジョウはまたうんざりするような気持ちで人波の中に戻っていった。

     課された仕事を済ませると気持ちが軽くなる。余裕のできた心で見渡せば、普段ならば絶対に足を踏み入れることもない、何なら存在すら知らなかった世界を垣間見たことを自覚して気分が高揚した。
     ジョウはもとより、こういったお祭り騒ぎは人一倍好きな性質である。老いも若いも大勢の女性たちが楽し気に商品を物色する様はむさ苦しい男衆のそれとはあまりに異なるが、ここに渦巻く熱気は確かに真夏に神輿を担ぐ自分たちの情熱とそう変わらないように思えた。

     とはいえ、あまり長居してはせっかく治った風邪がぶり返しそうだ。ジョウはできる限り足早に、しかしミューモンでごった返す会場を小さな歩幅で進む。時折勧められる試食を断るのにも難儀した。

     もともと甘いものは好まない。食事制限には邪魔なことこの上ないし、栄養価などゼロに等しい癖にカロリーばかりやたらと高い菓子類を食べることは稀だった。せいぜい人からもらったものを口にする程度だ。だから、専門店など行くはずもない。足を向けるとすればハッチンと行く駄菓子屋くらいのものだ。
     ハチドリクッキーが何枚買えるのだろうか、いかにも煌びやかな包装は見ているだけでも胸やけしそうだ。それこそあの甘党の後輩なら目を輝かせるのかもしれないが。土産にすればさぞ喜ぶことだろう。
     こういうのって持って帰れたりすんのか。無理だろうな。ジョウは軽く手を上げて断りの意を示しながら、遅々とした歩みで出口を目指す。

     ふと歩みが止まったのは、その籠の中にある翠玉があまりに鮮やかだったからだ。
    「あ、よろしかったらどうぞ!」
     牛族らしく、幼い顔立ちに似合わぬ大きな角を生やした少女が差し出したそれをつい受け取ってしまう。
    「持ち帰って頂いてもかまいませんので……彼女さんに渡してあげてくださいー」
     邪気のない顔が微笑む。ジョウは「どうも」と礼を告げて軽い会釈をした。

    ◇◇◇

     エレベーターに乗るとようやくむせ返るような熱気から逃れられた心地がする。ジョウはまだ手にしたままだったチョコレートの包みを眺めた。己の体温のせいか、はたまたあの特設会場のひといきれのせいか、表面がぐにょりと歪んでいる。このまま持ち帰っても溶けてしまうかもしれない。ジョウは逡巡の後、キャンディのような包み紙を捻って中身を口に放った。
     溶解しかかっていた外殻が弾け、舌の上に心地よい苦みが広がる。ホワイトチョコレートの重い甘みの後で、香り高い茶の風味が鼻を抜けていった。抹茶だ。色だけでなく、味すらもあの男を思い出させるのがなんとも腹立たしい。

     こんくらいは駄賃だろ。ジョウは誰に伝えるでもない言い訳とともにチョコレートをかみ砕く。金字の輝くエメラルドグリーンの包装紙をライダースのポケットに突っ込んだのは、ささやかな秘密を捨ててしまうのが惜しかったからに過ぎなかった。
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