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    iguchi69

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    2023バレンタイン(ジョ双) 6/7

    紙袋いっぱい ジョウは普段鞄の類を持ち歩かない。大切なものはお薬手帳と、その時々に処方された薬の入ったピルケース。そしてそれらを服用するための補助ゼリーと、せいぜいスマートフォンくらいのもので、それらは文字通り肌身離さずポケットに入れておける程度のかさだからだ。
     荷物が増えるとしても、愛機を寝かせた楽器ケースくらいしか思い当たらない。それにしたって、バックパックのように背負うタイプではなく手持ちに限る。いつなんどき道端で行き倒れるともしれない身として、布製の軽くが薄いソフトケースを下敷きにし自慢のネックをへし折る危険性を鑑みれば当然の選択であった。
     こうなれば、他にジョウが荷物を持てる余地はない。尤も、そうならないよう自身でも極力余分なものは持ち歩かないよう気を付けていたのだけれど。――それが今日に限っては裏目に出た。ジョウくん、これ使いな。そう言ってオーナーの奥さんから手渡された紙袋には、ジョウでも知っている洋菓子ブランドのロゴが控えめにあしらってある。贈答用の箱詰めでも入っていたのか、じゅうぶんにマチのある袋には大小様々の貰い物がみっちりと詰まっていた。きっと去年なら嬉しい重みだとにやけさせていた頬が、今は強張っている。

     時は2月の12日。バレンタインを控えた最後の日曜日のことだ。ジョウの受難はアルバイト先へ向かう道すがらから始まっていた。

    「よう、ジョウくん!」
     外階段を降りるジョウに声をかけたのは向かいの屋敷に住む大家の老夫だった。これ、孫から渡してくれって頼まれてね。渡された包みはいかにも手作りらしく、リボンの輪が垂れ下がっている。彼のいう孫娘とは何度か遊んだことがあった。今は小学校の高学年くらいだった筈だ。しばらく顔を見ないが、こんな知り合い未満のオレにもチョコをくれるなんて、義理堅い娘だと感心する。

     次は職場でのことだ。寄り道をせずに出勤し、支給されたコックコートに背を通す。まだ時間に余裕があるからと休憩室に入ったのが運の尽きだったのかもしれない。
    「ジョウ先輩っ!」
     土日に限って実施しているランチタイムを終えた早番のメンバーが揃っていた。シフトが被ったことのある顔ぶれもいれば、引継ぎでちらりと見かけただけの顔もいる。お疲れ様です、そういい終わる前にジョウの前に差し出されたのは、煌びやかな装丁の箱だった。
    「あの、みんなからなので!」
     みんな、と言うのはここに揃っている面々だけを指すのだろうか。ジョウは礼を告げ、義理にしては高級な箱をロッカーに収めるためにもう一度更衣室へ戻った。それにしても、丁寧な子達だ。まさか遅番のスタッフにもこうして手渡しするために残っているのだろうか。
     誰かが旅行に行った時のように、記名して『ひとりひとつずつ!』とでも書き記した箱をそのまま休憩室に置いておけばいいのにと思ったが、たとえバイト先の同僚への義理だとしても対面で渡してくれたことは素直に嬉しかった。

    「ジョウく~ん……いい男は罪だねぇ」
    「……なんのことスか」
     ミーティング5分前に厨房へ入る。オーナー兼店長の配偶者である『奥さん』はキッチンを取り仕切るいわゆるシェフの立場にあった。仕事熱心な彼女はつかの間の休憩時間でも腰を据えて休むことはせず、こうやって流し台の傍に置いてある小さな箱椅子に腰かけているのが常だった。
     にやにやと含みのある笑いに心当たりはない。浮かんだまま、どういう意味かと問えば彼女は巨大な冷蔵庫の右端――ここには、製菓用の材料が搬入された箱のまま積まれている――を開けて見せた。
    「お客さんたちから預かってるよ。名前も聞いてあるから。ジョウくん、これ使いな」
     薄いギフトボックスが十数個、積まれている。ひとつずつに貼られた付箋はスタッフが気を利かせて素性を聞いてくれた結果だろう。奥さんはジョウが現物を確認したのを見てから用意した紙袋にそれらを詰め、あがるまで置いといていいからね、とだけ言った。その時点で、チョコの水位は袋の半分まであった。

    ◇◇◇

     よりによって今日こんなことにならなくても良いだろうに。ジョウは自宅のドアの前で息を吐く。ため息というほどでもないが、重い呼気が二月の夜の闇に白く散った。ドアの横には換気用の小さな窓が備え付けられている。そこから漏れた光は、普段はほっと胸にあかりを灯すのに、今日ばかりは気持ちが重かった。それは、右手に持った紙袋の紐を食い込ませている重量の所為に他ならない。

     結局、その日ジョウが方々からもらったチョコレートは奥さんにもらった紙袋を擦切りいっぱい通り越してはみ出るほどの量になった。一人ならば人知れずにやけて終わるところだが、今日はそうもいかない。一人暮らしの1LDKの電気を付けるミューモンは、主人のジョウを除けば恋人しかいないからだ。義理だ、複数人の連名だから大きいのだと申し開きしてもあの嫉妬深い狛犬は話を聞きやしないだろう。
     機嫌を取るのは楽じゃなさそうだな。ジョウは覚悟を決め、ドアに手をかける。不用心にもそこは、案の定開いていた。ほら、あいつは言っても聞かないのだ。物騒だろと何度言ったかわからない。その度に、

    「ただいま……」
    「おかえりんさい」
     見渡せる位置に置いたソファから声がかかる。スマートフォンを操作する手元から一度だけ視線を走らせ、双循は足を組んだまままた何かの作業に戻った。予想と異なる反応にジョウは違和感を覚えたが、気付かなかったのならそれはそれで幸運だと思いなおす。その一方で、どこか心の隅に不満のささくれが立つのがわかった。

    「飯食ったか?」
    「まだじゃ」
    「鶏胸あっから焼いて……雑炊するか」
     ジョウはキッチンへ向かうとまず手を丹念に洗い、それから冷蔵庫を開けた。すぐにしまってしまえばいいものを、紙袋をそのままシンクの上へ置いたのは、そのまま収めるには容量が心もとなかったからに違いない。双循は遅い夕食の提案に気のない返事を返す。なんだよ、よそ見しやがって。心の中に澱が溜まっていく。
     さっきまでは言いがかりをどういなすのか気がかりで仕方なかったのに、いざ何も言われないとそれはそれで物足りないのだから我ながら身勝手なものだ。ジョウは紙袋をソファの前のローテーブルに置いた。どさ。それなりの質量が伴う音がする。双循はやっとそれを認めると、特に翡翠の目を揺らがせることなく細め、意地の悪そうな声を出した。

    「なんじゃあ、戦果自慢とは百舌鳥かおどれは。えらくモテて良かったのう」
    「お前はねーのかよ」
    「はぁ?」
     横並びの状態から頬を包み、首を寄せる。外気を吸った肌との温度差に双循の眉がぴくりと寄った。
    「双循はくれねぇの」
     出した声は、自分でも意外なほど甘えた響きを持っている。

     だってお前、ライブで配るって真強敵用にはチョコ用意してたじゃねぇかよ。恋人のオレにないなんてそんな理屈が通る訳ないだろ。
     よほど不満が籠っていたのか、無意識に力の入った掌に押されて双循の口が歪む。と同時に、不敵な笑みが顔全体に広がっていた。

    「ふん! 気の早いクソ不死鳥め、まだ12日じゃろうが」
     はたかれた手は行き場所をなくすがすぐに絡めとられ、次は双循の顔が至近距離に近付く。
    「……おどれ、69倍で返す覚悟はあるんじゃろうな」
     ジョウ、と耳元に注がれる声は何よりも甘やかだ。なんてことはない。この狛犬は嫉妬深いがそれ以上に計算高く狡猾で、おまけにジョウの想像をずっと超えるほど、目当ての獲物を捕らえる為ならじっと牙を研ぎながら耐えしのぐことを厭わないのだった。
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