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    iguchi69

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    2023バレンタイン(ジョ双) 7/7

    下駄箱に入ってた「ジョウ!」
     玄関から双循の声がする。棘も険もない柔らかな呼びかけだ。恋人のこういう声を聴くと、いつだってジョウは嬉しくなる。自分たちの関係が日常の延長線上にあることを実感するからだ。こんなことで、と双循は笑うだろう。しかしジョウにとって、何の変哲もない毎日の積み重ねこそが幸福の最たるものであった。隠居のじじぃか、と底意地悪そうに笑うだろう顔の想像ですら愛おしい。さて、今日はどんな用事だろうか。
     階下の老夫婦が土産をくれただとか、消防点検がある日に休めるかだとか、ある程度のあたりをつけていたジョウは無防備に「おう、どうした」と返そうとして、しかし続いた言葉に肝を冷やした。
    「緑の靴箱知らんか。ここに置いとったんじゃが」

     がさがさと物音がするのは、そう大きくもない備え付けの下駄箱を上から下から探しまわっているからだろう。
     双循のいう緑の靴箱とは彼の革靴が入っていたブランドものの空き箱のことだ。大学入学を機に購入したその中身は、さほど出番はないものよく手入れされて下駄箱の隅を定位置としている。一方、箱の方はというと空の状態で最上段に置かれていた筈だ。ジョウにははっきりと覚えがあった。なにせ、つい先週手に取ったのだから。そして、何も入っていないと思い込んでいたそこにあるものが放り込まれていたことも知っている。

     それは、綺麗なハート型の泥の塊だった。乾ききったそれは陶器と見紛うほどつややかで、下駄箱の中の、更に靴の空き箱の中というシチュエーションでさえなければチョコレートと間違えてしまいそうだ。その日、防災グッズの収納場所に悩んだ先で偶然それを手にしたジョウの脳裏には一年ほど前の光景が甦る。

     双循の悪戯好き(そんな可愛いものではない場合も多々あったが)は出会った頃からだ。実利を求めた上でとる手段が汚いくらいならともかく、時として何の意味もない、ただ相手を虚仮にして笑うためだけにせっせと知略を巡らせることもある。
     ジョウには何が楽しいのかわかりかねるが、一銭の得にもならないことにあちこち根回しし、往々にして手ずから手間をかける様は好奇心旺盛な子犬のようで、惚れた弱みを多めに引いてもその無意味な愚かさは愛らしくさえ映った。尤も、ターゲットにされる後輩達にとっては冗談ではないだろうが。

     泥団子をチョコのように成形し、いたいけな男子学生をぬか喜びさせるたちの悪い遊びの被害者はハッチンだったと記憶している。オンナなんか興味ねぇよと口では言いつつも態度には思春期相応の興味がにじむあのいたいけな少年は、この性悪の狛犬にまんまと純情を弄ばれたのだった。
     これはあの時、彼の下駄箱に入っていたものと同じだ。

     ジョウは光沢のある黒い紙で加工された靴箱の中をまじまじと見て、そして考える。まさか二年続けて同じ悪戯を、それももう卒業した母校に赴いてまでするとは思えない。双循はそこまで馬鹿でも、暇でもない。いや、馬鹿ではあるかもしれないが。大学生にもなってこんなものをこそこそ仕込んでいるのだから。
     ハッチンにせよ、同じ手法に二度もひっかかるだろうか。いや、犯人の卒業後だからこそ油断しているかもしれない。あるいはヤスか、もしかしたら大学の同級生だろうか。いずれにせよ、ジョウはこいつは碌なことに使われないと判断した。
     泥をチョコレートの如く光沢を出すまで加工するには多少の月日が必要だ。バレンタインまではあと三日。さすがの双循も、タネがなければ悪ふざけを中断せざるを得ないだろう。

    「捨てよったんか」
    「……!」
     気付けばリビングに入った双循がこちらをじっとりと見ている。ジョウは言葉を詰まらせた。緑の目は犯行を未然に防がれたばつの悪さに揺らいでいるというよりも、心からの怒気に満ちていた。
    「クソ不死鳥が! あれはのう、バルトとニケルからの預かりモンじゃ!!」
    「は……?」

     バルトとニケル。青い髪のユニコーンの幼子と双循の関係は、安アパートを出た後でも奇妙な形で続いていた。双循の進学先が彼らの通う保育所と目と鼻の先であることが大きかったようだ。ジョウの知らぬところで三人の絆は着々と強くなり、今では多忙な兄に代わり『お迎え』をすることすらあるらしい。
     つまるところ、あの泥で作ったチョコのようなものは幼いふたりが兄の為に用意した作品なのだ、と聞かされてジョウの背筋には冷たいものが伝った。

     端正な顔が怒りに歪んでいる。口汚く罵ることすらしない様に、双循の憤懣が本気のものであることが伺えた。原因がはっきりしていようとも、責めたててもどうにもならぬ現実に時間が勿体ないとばかりに双循は踵を返した。大きく舌打ちをして何をするのやら、外に出ようとするその背にジョウは慌てて声をかける。
    「待て、待てって双循! 捨ててねぇよ!」
    「あァ!?」

     2LDKのマンションには、家族連れの入居を想定してか部屋に対しては立派すぎるベランダが備え付けられていた。若い男の二人暮らしでは使うことはないが、端にはシンクが取り付けられている。年末の大掃除でも触らず、一年分の砂埃がうっすらと溜まったそこに、緑の靴箱はあった。

    「……ほら」
    「………………」
     中身が中身なだけに双循はジョウの手からそれを丁寧に受け取った。本音ではむしり取り、ついでに鳩尾に蹴りをいれたいのがはっきりと分かる顔をしている。浅い蓋をあけ、中身を改めてようやくきつく寄っていた眉がほどけた。安堵そのものの顔にジョウも息を吐くが、向けられたのは厳しい目線だった。
     申し開きのしようもない。自分のものではない――二人暮らしのこの場合、確実に相手の私物を勝手に持ち出したことへの過失はこちらにある。たとえ中身が怪しげな、かつていたいけな後輩をひっかけた悪戯に用いたものと酷似した泥の塊だったとしても、だ。

     双循は「返してくる」とだけ言って家を出た。この日が受け渡しと決まっていたのだろう。ジョウはひとりになったリビングで深く息を吐き、己の勘違いを悔いた。その上で、取り返しのつかないことにだけはならなかった偶然に密やかな感謝を捧げる。

     捨ててしまうのは簡単だったのだ。靴箱を持って階下に降り、植木の隅でも落とせばそれで終わりだった。そうしなかったのは、間違いようもなく、己の中に幼稚な羨望があったからだ。たとえ悪戯だとしても、双循から『バレンタインの贈り物』という体のものを貰った過去の被害者が、ほんの少しだけ羨ましかった。
     悪戯の被害を未然に防げるなら良し、その相手が自分ならなお良し。そう思ってジョウは靴箱をベランダに隠した。ビニールシートで覆ったシンクなど双循は見もしないし、そこに何があるかすら知らないだろうと踏んでのことだった。
     今回は結果的にそれが良かった訳だが、これが一歩間違えていたらと思うと心臓が発作を起こしたように底冷えする。

    (……にしても)
     ジョウは考える。なぜ靴箱を隠したのだと聞かれたらどう言い訳したものか。よからぬことに使うだろうと決めてかかったことはこちらが悪い。ならば、なぜ捨てなかったのだと詰められたら?どう転んでも分が悪い。お前が作ったチョコもどきが欲しくて、などとどの口で言えようか。

     一方、ふたり掛けのソファで悶える恋人の浅はかな悩みなど大方目途のついている聡い狛犬は、その勘違いのあまりの愛おしさにこちらもまた頬を二月の寒風とは関係なく赤く染め、前々から予約していた小さなガトーショコラケーキを易々と渡してやるのは癪だと考えていたが、こちらもまた、適当に相手をあしらう言い訳に頭を悩ませていた。
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