絡んだ糸の、その先は 魔法使いの一生は長い。
そう頭では理解していたものの、ああ、こういう事なのか、と納得出来たのは五十年ほど生きた頃だったか。
北の厳しい大地では、人間は生きる事すら難しい。
俺が生まれ育った、親父の庇護下にあった村の人間たちは、四十年も生きれば御の字という程儚い存在だった。
子供はまず育たない。十人のうち、成人出来るのは片手にも満たない。それでも貴重な働き手であるから、どの家も大概子沢山だった。
人間たちとは別の理由で、といっても家族の中で魔法使いなのは俺と親父だけだったが、俺は大家族の末子として生まれた。悪党一味の頭であり魔法使いの親父が、同じく魔法使いの息子を望んで大量に子種を撒いたのだ。
ハズレを引いた兄弟達に囲まれ、アタリを引いた俺は明らかな別待遇と英才教育を受けた。けれど、手足となるべく育てられた兄弟達にとってそれは当たり前の事であり、妬むよりむしろ、俺に取り入ってでも生き延びようという腹積もりの奴が多かったように思う。
中には対等な兄弟のように俺に接する奴も居たが、そういう、腹に一物の無い奴から先に死んでいった。
そんな環境で育ち、魔力が成熟する頃には親父の一味の幹部になっていた。魔法使いと人間が混在する集団で、弱い人間たちはバタバタ死んでいく。顔触れが変わらないのは幹部の魔法使いたちだけだ。
悪党の名に恥じない、商隊や貴族からの強奪と、庇護下の村の統治が俺の仕事だった。親父は北の魔法使いには珍しく、村を支配ではなく治めていたのだ。
庇護する代わりに年貢を取り、僅かな作物が育ちやすいよう祝福を与える。村人と共に狩猟へ出ることもあった。
村人達は俺たち一味を畏れてはいても、恐れてはいなかった。そんな関係を結んでいるのも、親父が囲った女たちがこの村の出であるからかもしれない。そうして人間たちに囲まれ暮していたから、当たり前のように庇護下の村から妻を娶り、人間の息子が生まれた。
魔法使いでは無いが、俺譲りの利発な息子はスクスクと育ち、もう数年で背丈も並ぶかという頃。事件は起きた。
親父の縄張りへ、他の魔法使いが侵略して来たのだ。
もちろん応戦した。が、親父は石になり、その間に庇護下の村は焼け落ち、妻と息子も炎に飲まれた。兄弟、幹部数人と逃げ切るのがやっとだった。
初めての大敗だった。
敗けた悔しさと、強者に出逢った興奮と、大量に家族や知人を喪った喪失感。様々な感情がない混ぜになり、怪我の回復も遅れた。それでも、親父から教え込まれた組織の頭たる者の教えと、北の魔法使いたる矜持が俺を奮い立たせた。
それから数年、俺はがむしゃらにマナ石を食い漁った。力を蓄え、知略を磨き、魔法の精度を高めた。そうして親父の仇討ちを果たし、名実共に一味の頭を襲名したのだ。
仇討ちと言えるほど親父に情があった訳ではない。
「いいか、ブラッド。組織の頭は落とし前をキッチリ付けねえといけねえ。舐められたままじゃ、寝首をかかれるからな」
まだ年端もいかない頃、兄に獲物を横取りされた俺に親父が語って聞かせた教えに習ったまでだ。
だけど、その頃にはもう兄弟は誰も居なくなってしまった。
縄張りを取り戻しはしたが、村も家族も無くなってしまったし、自分に残ったのは数人の手下だけだ。
五十年生きてきた結果がコレだ。この先、自分がどれだけ生きるか分からないが、途端に生きる事が虚しく感じた。
それからただの悪党から盗賊稼業に生業を改め、徐々に縄張りを広めて沢山の財宝をこの手にした。手下も少しずつ増えている。
だが、ただ日々の繰り返しだけだ。
そう思い至った時、親父の事を思い出した。
何故魔法使いの息子を望んだのか。単純に強い子分が欲しかったのもあるだろうが、それだけじゃなかったのだろう。
もう、どんな声だったかも思い出せないが、俺が手柄を立てたり魔法を覚えるたびに誇らしげに上がった口端を思い出す。
だが、同じ轍を踏む気は起きなかった。打率の悪さを目の当たりにしている。それに、北の国で生き抜く為に、家族を持つのは得策ではない。弱点を晒しているようなものだ。
堂々巡りの思考に埋もれ、一人で晩酌する日が増えた頃だ。ネロを拾ったのは。
あれは、冬本番の、北の国らしい吹雪の夜だった。
新たに縄張りへ加わった町へ降り、酒場で酒宴に興じた帰り道、ふと感じた魔力の気配に細い路地へ目が留まった。
立ち止まり目を凝らすと、雪が一箇所、不自然な積もり方をしている。
「ボス? どうしました?」
「…てめえら、先に帰ってろ」
驚く手下を尻目に、ザクザクと雪を踏みしめ路地裏へ近寄った。
小さな雪山の前にしゃがみ込むと、身じろいだ雪の下に黄水晶の輝きと視線が絡んだ。上質な蒸留酒を思わせる琥珀色を溶かしたようなその瞳は、驚きと困惑を浮かべている。
膝を抱えていたのは、まだ年端の行かない子供だった。
「てめえ、魔法使いだろ。そこそこ魔力もありそうな癖に、雪なんかに埋もれて何してやがる」
「あ…えっと…、ここ何日かろくに食ってなくて…」
乾いた唇から、少し高い、掠れた声がボソボソと漏れる。カタカタと震えて膝を抱く手は凍傷寸前のようで、このまま捨て置けば明日にでも石になるだろう。
何の関係も無い子供だ。役に立つかも分からない。
でも、このまま放っておくのは何故か気が咎めた。
「…てめえ、生きる為に何でもする度胸はあるか?」
「何でも…?」
「そうだ、何でもだ。この国じゃ弱え奴は生きていけねえ。てめえが野垂れ死のうが俺の知ったこっちゃねえが、それなら今ここで俺様が石にして食ってやるよ。それとも、俺に付いてくるか?」
その言葉に、ブラッドリーを見上げた黄水晶に光が宿る。
「…死にたくねえ」
「なら決まりだな。てめえ、名前は?」
「ネロ…ネロ・ターナー」
「ヨシ、しっかり働けよ、ネロ」
ワシ、と頭を掴んだ所からネロに積もった雪が解けるように消えていく。凍えた体がほわ、と温まり、頬にも赤みを取り戻した。
「あ、あんたの名前は…?」
「俺様はブラッドリー・ベイン。ボスって呼びな」
***
ネロが生まれた町は貧しく、荒んでいて、生きるために奪うことが当たり前の場所だった。
自分と似ていない兄弟たちと共に、旅行者や町外からの商人を見つけては数人で囲んで物乞いし、気を引いている間に他の者が荷物を盗む。盗んだ金品はその日のアガリとして両親へ渡した。
一日あくせく走り回っても、まともに食事を与えられることなど殆ど無い。人間の兄弟たちにシュガーを食べさせ越えた冬もあったが、それも限界があった。
あ、無理だ。と。プツリと糸の切れたネロが、もっと楽に生きられる場所があるはずだと、家を出たのは十にも満たない頃だ。
ネロの思惑は完全に外れた。
他所の子供を助ける余裕など誰にもなく、年端のいかない子供がこなせる仕事も無く、もちろん食べ物を買う金も無い。
路地裏で蹲りながら、今年の冬は越せないかもしれないと思った時、ブラッドリーが現れた。
真っ白に染まる世界の中、そこだけ色付いたように鮮やかな紅玉色の瞳を見た時は、まるで宝石の様にキレイだと思った。
こんなに美しい宝玉を持つこの人は、きっと今まで出会った大人たちとは違うんだろう。
不思議と確信めいた物がネロの心へ浮かび、ワクワクと心を踊らせながらその背を追ってアジトまでの道を歩いた。
そう、思ったのに。
「ギャハハハ! おい、もっとやれよ!」
「酒が切れたなあ、おい、誰か貯蔵庫行って来んねえ?」
ネロがブラッドリーに拾われ、早一ヶ月が経った。その間、盗賊団がしていたことと言えば、昼間からダラダラと緩い酒宴を開き、投矢や撞球で賭け事に興じるという堕落しきった生活と評して過言の無いものだけだ。
ネロは酔い潰れる大人たちにジト目を送りつつ、木で作られた的に向かってナイフを投げる。アジトへ着いた翌日から、ブラッドリーに命じられたのはこの的当てだった。
カッ、と小気味好い音を立て、十何本と並んだ隙間にナイフが突き立つ。一ヶ月も毎日やっていると、流石にコツが掴めてきた。
「おい、新入りの小せえの」
不意に背後から声をかけられ振り向くと、そこには夜着のままのブラッドリーが気怠そうに壁に凭れて立っていた。
はだけた胸元から覗く張りのある胸筋に、一瞬ドキッと心臓が跳ねる。
「てめえ、それ、魔法無しでやってんのか」
「? は、はい…」
溜め息混じりの問いに、ネロは疑問符を浮かべながら返答する。的当てをしてろ、という指示以外は受けていない。
「それにしちゃ上手えけどな。魔法で的までの軌道を描いて、そいつに得物を乗せてやるんだよ。そうすりゃ百発百中になる」
「へぇ…」
励めよ、と頭をくしゃりと撫でつけ去っていく後姿を、ネロは煮え切らない思いで見つめた。
路地裏で声を掛けられた時、別世界へ連れて行ってくれるのではないかと淡い期待が胸に宿った。だが、着いた先は堕落したゴロツキの集まりで、ブラッドリー本人も昼行燈にしか見えない。
かと思えば、今のように的確なアドバイスをくれる時もある。
一ヶ月も寝食を共にしたが、未だにブラッドリーという男の正体が掴めなかった。
「ウシッ、今日も飲むぞ、野郎ども!」
ブラッドリーの登場に室内がワッと沸き立つ。
夜着のまま酒宴に混ざっていく様子を見て、ネロは小さく溜め息を吐いた。
やっぱり馬鹿なのかもしれない。
そんな生活がもう一月程続いた。
その頃にはブラッドリーから教わった「ナイフを魔力の軌道に乗せる」というのも習得し、今度は「魔法で縦横無尽に動く的に向かって得物を当てる」事が日課となっていた。
盗賊団のアジトは洞窟を削り出して作られている。いくつかの部屋に分かれており、中でも皆が集まるこの部屋は広く削り出されていた。その中をビュンビュン飛び回る的を追いかけ、ナイフを打ち込むのだ。
ネロが周りをバタバタと駆け回り、時には間を擦り抜けたり頭の上でナイフを飛ばしても仲間達は何も言わない(もちろん、ぶつかれば怒鳴られるが)。不思議に思ったネロが数人に問うてみるも、皆口を揃えて「ボスの指示でやってる事だからな」と答えた。
ブラッドリーは昼行燈ながらも、この屈強そうな男達から厚い忠誠を得ているらしい。
今日も変わらぬ日々が続くかと思った昼下がり、日常は唐突に終わりを告げた。
いつものように夜着のまま酒宴の中心に居たブラッドリーの元に、一羽の小鳥が舞い降りた。その指先へ羽を休めた小鳥は一声鳴くと、輪郭から解けるように姿を消していく。どうやら、小鳥は魔法で作られていた物らしい。
小鳥が解けると同時、ブラッドリーの口角がニヤリと上がった。
「野郎ども! 冬籠りは終わりだ、肩慣らしの狩りに出るぞ!」
スクッと立ち上がったブラッドリーの声に、うおおおおおおおとアジトが割れんばかりに歓喜の雄叫びが答える。ビリビリと震える空気と、一瞬で変わった仲間たちの表情にネロは武者震いした。
つい先ほどまで見ていた彼等と、全くの別人のようだ。
パチン、と指を鳴らしたブラッドリーの前に大きめのテーブルが現れ、まるでクロスのようにふわりと地図が敷かれる。それを囲むように集まる仲間たちの隙間から、動けずにいたネロとブラッドリーの視線が交わった。
「新入りの小せえの。てめえも来い」
その声に、反射的に体が動く。
テーブルへ駆け寄ると、身体の小さなネロを優先し仲間達が最前列へ迎え入れてくれた。
「偵察に出してたダニーからの伝令だ。奴はこの辺りに居る。今年はここに、春告げ鳥が現れたらしい」
トン、と指を置かれたのは、アジトよりも遥か西に位置する山脈の中腹だ。
「春告げ鳥」は聞いたことがある。一年に一度、冬の終わりに飾り羽が淡い桃色に変わると言われている鳥だ。普段はただの真っ白な鳥だが、繁殖のため、この時期だけ雄の尾羽が変色するらしい。
希少さとその美しさから、尾羽や剥製が高価で売買されていると昔小耳に挟んだ事があった。
「奴等の住処は森だ。見つけたら数人で追い立てて、この平地まで誘い出す。そうしたら、俺と、ニック、サミー、それから新入りの小せえので仕留める」
「俺⁉」
思わず声に出てしまってから、しまった、と口を塞いだが遅かった。ネロは全員の視線を浴びる事になり、ビクビクと縮こまる。
「おう、てめえだ。期待してるぜ」
ニッと口端を上げ、貫禄のある声音で告げられれば縮こまった体が一瞬で膨らんだ。一言掛けられただけで、こんなに心が昂るものなのだと初めて知った。心臓の音が耳まで響くほど高鳴っている。
「出立は明朝だ。夜が明ける前にここを出るぞ、準備しとけ」
おう! と揃った声が洞窟内に響き、その場は解散になった。
バラバラと輪が崩れても、まだ高鳴りは止まない。
その夜は中々寝付けないまま、漸くまんじりとした頃に起床を告げる鐘が鳴った。
***
北の国の夜は明るい。
澄んだ空気は夜空を満点の星達で賑わせ、真っ白な大地は夜の闇を和らげた。
深い深い紺青色の空に檸檬を思わせる明るい黄色が混ざり、それは次第に橙を帯び始め、そして太陽の光が眩しく世界を照らし出す。
それが狩りの始まりの合図だ。
ズダァアアアアン、ズダァアアアアン、
立て続けに二ヶ所、森の奥から雪柱が上がる。それを見留めたネロは、グッと体に緊張を走らせた。
「まず、奴等の住処で派手に物音を立てる。寝耳に水で、驚いて無防備に動き出すはずだ。そこを見逃すんじゃねえぞ。奴等は動きを止めると景色と同化しちまう。そうならねえように、上手く羽撃き続かせるんだ。そうして森から飛び出た所をニックとサミーが結界で逃げ道を封じる。そこを俺と新入りの小せえので仕留める」
ブラッドリーの作戦はこうだ。
異議を申し立てられる身分に無い事は分かっているが、いきなり重要な位置に置かれて緊張しない方がおかしい。
身を強張らせるネロとは対象的に、ブラッドリーはゆったりと愉しげに森の方を見ている。
ネロは手元のナイフを見下ろすと、はあ、と小さく溜め息を吐いた。
「おい」
「ッ⁉」
気を抜いた瞬間に声を掛けられ、思わずビクッと肩が跳ねる。
「来るぞ」
短く告げられた言葉にハッとし正面へ顔を向けると、もう間近まで騒がしい羽音や銃声が迫っていた。
慌ててナイフを構えるとほぼ同時、心構えが整う前に、森から真っ白な鳥が飛び出した。
想像以上にデカい。
狼程もある体躯は純白で、尾羽は見事な桃色に染まっている。
見惚れたのは一瞬で、その後は動きを追うのに必死になった。体格に反して動きが俊敏で、鳥なのに緩急を付けながら一直線に飛ばない。
そして何より、大きな嘴と鉤爪が肉食である事を示していた。誤ればこちらが狩られてしまう。
ブラッドリーの作戦通り、森を出た春告げ鳥はニックとサミーの結界に逃げ場を奪われた。
となれば、森に戻る他ない。
クルリと踵を返し、森へと向かう春告げ鳥をブラッドリーの銃弾が追った。が、命中はせず退路を塞ぐばかりだ。
「ネロ! 仕留めろ!」
その様子を呆然と見ていたネロは、ブラッドリーの言葉に慌ててナイフを構え直す。そこで漸く、春告げ鳥の縦横無尽な動きに既視感を覚えた。
この動きを、自分は知っている。
そこからは身体が自然と動いた。魔法で対象までの軌道を敷き、それに乗せるようにナイフを投げる。
ネロが放ったナイフはキレイな弧を描き、春告げ鳥の胸元へ深く突き刺さった。
一声上げる間もなく絶命し、雪の上にドサッと落下した春告げ鳥の姿に、森から集まってきた仲間たちが歓声を上げる。
「よくやったな、小せえの」
後ろから不意にワシワシと頭を撫でられ、見上げればニカッと笑うブラッドリーの顔があった。
最初からブラッドリーはネロに仕留めさせるつもりだったのだ。一ヶ月も前から。
ブラッドリーが魔法を掛けた、ネロが追いかけ続けた的は、春告げ鳥と同じ飛び方をしていた。
盗賊団の首領とは名ばかりで呑んだくれの昼行灯だと思っていたが、ブラッドリーは立派な指導者だった。
「ありがとうございます、ボス!」
本当にこの人は、今までと違う世界を見せてくれるのかもしれない。
感激に沸いたネロは、心からの礼を述べた。