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    namidabara

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    5/25 進捗
    8日目/ちょっと鯉月に浮気してたから全然進まなかった。
    勇作さんの悪意のない輝きに勝手に目を潰されてのた打ち回る尾が好き

    尾月原稿 二時間も休んでしまえば、午後の業務などあっという間だった。大仕事を言い訳に後回しにしていた細々とした仕事を片付けていれば、定時はすぐにやってきた。「お疲れ、さっさと帰れよ」なんて声をかけてくる月島に、目を合わせないまま挨拶を返す。横からチクチクと刺さる宇佐美の面白そうな視線を振り払いながら、尾形は未だ青白い顔のまま残った仕事を月曜日の自分にぶん投げて定時退社したのだった。

     勇作との待ち合わせは繁華街の近くの駅前だった。尾形が店を選ぶとき、当て擦りのように安い・早い・美味いを売り文句にする面白みのないチェーン店ばかり選ぶのだが、勇作はいつだってどこだって喜んで見せた。
    『いつもこのようなお店で食べられるのですね。勇作は兄様のことが知れて嬉しいです』
     無邪気に輝く笑顔でそんなことを言うものだから、尾形の嫌味と当て擦りはその光でさっさとかき消されてしまうのだった。駅からも近く自宅からも左程離れていない店を選んだ。さっさと接待して、さっさと帰ろう。そんな思いで駅の改札を出た。腹立たしいが宇佐美と鶴見の策略のおかげで、朝よりは体調がマシになっていたのが救いだった。
     駅構内を出れば探し人はすぐに見つかった。勇作の周りは何故かいつも眩くて清らかな気がするのだ。時計の下で他の人間と同じようにスマホを見ているというのに、勇作の周りだけはくっきりと境界線が引かれている。祝福された子。あまりにも生きている世界が、違う。俗世から浮いている。尾形は目をシパシパさせながら、「勇作さん」と呼び掛けて重い足を動かした。
    「兄様!」
     声をかけられた勇作はスマホから顔を上げて、パアッと喜色に染めながら軽やかにその名を呼んだ。ぞわり、と背筋が粟立って心臓がひときわ大きく鳴り響く。ああ、これ、ダメなやつじゃないか。固まったままそんなことを考える尾形をよそに、勇作はパタパタと小走りで駆け寄ってきた。
    「お久しぶりで……、え、兄様、大丈夫ですか……? お顔が真っ白ですよ……?」
    そっと肩に手を添えられて、ぶわりと一気に全身から脂汗が噴き出た。呼吸が浅くなって視界がじわじわと狭まっていく。ねっとりと暑い初夏の空気の中、尾形の指先はどんどん冷え切っていく。まずい、フェロモンにあてられている。さっさとその手を跳ねのけて距離を取れ、脳内ではそう信号が送られるというのに、徹夜明けでがたがたの身体は思うように上手く動かない。

    ズキズキと首の付け根の辺りが痛む。細い糸でキリキリと締め付けられているようだ。鼻につく芳しい香り。それはαやΩにしか分からない、祝福された人間の匂い。強制的に遺伝子に屈服させられる、選ばれた強者だけが身に纏う生まれながらの愛の香り。
    「兄様? 大丈夫ですか?」
    急に押し黙った兄を心配してか、勇作は形の良い眉をへにゃりと下げて顔を覗き込んでくる。その善意は尾形にとって猛毒であった。ぞわり、と襲ってきた劇物のようなそれは、ここ数日まともな食事も睡眠もとっていなかった尾形の胃を、いともたやすく痙攣させてみせた。
    ——まずい、吐く。
    喉の奥がきゅう、と引き絞られる。この男の前で醜態を晒すことだけはしたくなかった、のに。

    「——尾形?」
    それは、わあわあと霧散する大衆の声の中で、たった一つだけはっきりと形を得ていた。勇作のものではない。低く、だが丁寧にやすりがけされたような滑らかな響き。ぼやける目玉を動かして、その存在を必死で探した。どこ、どこだ、どこに在る。なんでもいい。一つしっかりと輪郭のある強いものに触れて、今にも溶け出してしまいそうな自我を保ちたかった。
    「おい、尾形、大丈夫か」
    ふわりと何かが鼻をかすめる。どこにでも売られている安物の石鹸の香りだ。それなのにどうしてかそれを嗅いで、尾形は少しだけ楽に呼吸が出来た。引き攣れていた胃が大人しくなる気配を感じる。
    声のする方へ視線を向ける。頭一つ分下、ネオンの派手なライトに照らされて、僅かに海松色へ姿を変えるその瞳。
    「つ、き、しま、さん……」
    そこには、先ほどオフィスで別れたばかりの上司が立っていた。
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