Let's go out now 何日も前から今日の天気が気になって仕方がなかった。どうせ移動は車で、遊びに行く先もショッピングモールで雨が降っても問題ないとはいえ、初めて二人きりのお出かけだ。どうせなら晴れて欲しくて毎日天気予報と睨めっこをしたし、ルルに「晴れになるおまじない!」と教えて貰ったテルテルボウズなる物も、ルルと二人でティッシュ箱が二箱空になるまで作ってしまった。おかげで現在のスミス家の窓は味のある顔をしたテルテルボウズに占拠されている。
おまじないの甲斐があったのか、それとも単に一週間前から変わらず〝晴れ〟を予報し続けた天気予報の通りになっただけなのか、待ち望んだ本日は少々やりすぎくらいの快晴となった。カーテンを開け放った途端に窓に広がる青空、白さが目に痛い雲、手加減なしの日差し。寝ぐせを付けた頭でルルと顔を見合わせ、満面の笑みでハイタッチを交わした。それぞれの逢瀬に相応しい一日の幕開けだった。
いつもより念入りにおめかししたルルをオジサマことスペルビアの家に送り届けたあと、スミスはイサミの家へと車を走らせた。乗車前に『三十分くらいで着くよ』と送ったメッセージには『わかった』と即座に返信があった。
イサミから送られてくるメッセージはいつも簡潔で無駄がない。悪く言えば素っ気ないのだが、スミスはイサミの事務連絡めいたメッセージも彼の実直さの表れだと気に入っている。しかし、当の本人は気の利いたことのひとつも言えない自身の文面を密かに気にしているらしい。
「oh,my……」
数分遅れで送られてきた追加メッセージを信号待ちの間に確認したスミスは思わず額をハンドルに打ち付けた。そんな愚行を間違っても犯さないが、うっかり運転中に目にしていたら間違いなくハンドル操作を誤っていただろう。運転中は生真面目に通知をオフにしていて良かった……と思いつつ、スマホ画面をそっと撫でた。
送られてきたのはスタンプが一つ、画面の中で愛らしくデフォルメされた青目のゴールデンレトリバーが親指を立てている。
(どんな気持ちでこのスタンプを買ったんだイサミぃ……!)
聞きたい。物凄く問い質したい。どんな心情だったのか、購入までどれくらい躊躇ったのか、どうしてこのスタンプを選んだのか、事細かに、細部まで、余すことなく、全て知りたい。ついでに言えば最初は誰に送ったのかも聞きたい。いや、やっぱり聞きたくないかもしれない。スミス以外の名前を出されたらまず間違いなく嫉妬するのでそこはトップシークレットで願おう。
スミスはハァ、と甘い溜息を吐いた。イサミは凄い。スタンプ一つでこんなにもスミスの心を掻き乱す。
(Your blow is heavy)
まだ合流もしていないのにたったのこれだけで最高の一日だ。そろそろ信号が変わりそうな気配を感じてスミスも手早くスタンプを返す。イサミに似ていると衝動買いした黒猫のスタンプが、画面の中でクールな表情を浮かべていた。
バクバクと鳴り響く心臓を宥めながら、住宅街の路地を三回左に折れ曲がる。イサミの家はやや奥まった場所にあり、古めかしい平屋は二階建ての住居に囲まれているため相当近づかないと姿を現さない。至近距離まで来てようやく全貌を表すところがNINJAのようで、古風な外観と相まって最高にCoolだ。それをイサミに伝えるとイサミは虚を衝かれたようだったが、満更でもなさそうなのが印象的だった。
これは最近になってわかってきたことだが、イサミは自身の外的魅力に自覚がないせいで自分自身を褒められても今一つピンと来ないらしい。スミスがそれなりの勇気を持って「イサミは笑顔が素敵だ」と褒めたとき、謙遜でもなんでもなく、本当に心底わかっていない様子で「はぁ……?」と気のない相槌を打たれた時はうっかり心が挫けるところだった。
その代わりとでも言うように、持ち物や技術、周囲の人間や環境、つまるところ彼が信頼を置いているものに対する賛美は素直に受け止めるし喜んでくれる。おかげで隙あらばイサミを賞賛したいスミスはイサミの持ち物チェックにも余念がなくなった。もちろんお世辞で言っているわけではなく心からの賞賛であるし、良いと思ったものを褒めることでイサミが喜んでくれるなど一挙両得というやつだ。
そんな事を考えながら次第に近づく目的地を前に、スミスは目を見開いた。平屋を囲う薄鼠色の塀を視界が捉えるより先に、見知った人影が目に飛び込んできたせいだ。
(イサミ⁉)
はたして、そこにいたのはイサミだった。門を背にして背筋を真っ直ぐに立っている。空手を嗜んでいるからなのか今日もこの上なく美しい立ち姿であるが、そんな事よりも。
(どうして外にいるんだ⁉)
予定では、屋内で待機しているイサミをスミスがインターフォンか電話にて外に呼び出すはずだった。なにせあれだけ危惧した雨の気配はおろか、雲さえまばらなカンカン照りだ、直射日光を遮るもののない屋外でイサミを待たせるなどありえない。ありえない、が、実際イサミはそこにいる。
(Damn it)
あとたった数十メートルの距離がもどかしい。せめてこちらに気付いてくれればと睨みつけてみるも、こんな時に限ってイサミはこちらに気が付かない。安全運転第一、こんな時だからこそ余計に事故を起こさないように細心の注意を払いつつ慎重に距離を詰めれば、もうほとんど横づけする位置に来てようやくイサミは近づいてきている車がスミスの運転するものだと気づいたようだった。
「イサミ」
「お早う、スミス。良い天気だな」
スミスは車から降りる時間も惜しんでまずは一言叱るつもりでいたのだ。それなのに不機嫌顔を隠しもせずにパワーウインドウを下ろすと、目が合うなりイサミが向けてきたのがささやかながらも確かな〝今日を楽しみにしていた〟という笑顔だったせいで、非難の言葉も眉間の皺も一瞬にして吹き飛んでしまった。
スミスは「ぐぅっ」と呻いた。もしかしたら「う゛ぅっ」だったかもしれない。とにかくイサミの笑顔にノックアウト寸前となり、様子のおかしいスミスを訝しんでかけられた「どうした?」にも上手く反応が出来なかった。
(ずるい……君は、ほんとに、ずるい……)
恋愛は惚れた方の負けとはよく聞くが、正にその通りだ。誰よりも何よりもイサミのことを思って叱ろうとしたのに、一瞬にして気を削がれたスミスは項垂れた。仮にここが戦場だったなら戦死判定である。
「乗っていいか?」
「ああ、そうだ、ごめん、乗って、今すぐ乗ってくれ」
慌ててロックを解除すればすぐさまイサミが助手席に乗り込んできた。そう言えばいつもはルルと一緒に後部座席に座ってもらっているから、助手席に乗せるのは初めてだな……とハンドルに体重を預けたまま、スミスは隣を見やる。
「どうかしたか?」
「Nothing happened……」
この角度から見るイサミも良いな、と思いつつ、イサミの顔色をチェックする。額に滲む汗は薄っすら程度、頬も赤くない、息も上がっていない、服に汗じみもない。あれ? そう言えば今日はいつもと随分と雰囲気が違う。下ろしたてに見えるベージュのTシャツとプレスの効いた白のパンツ。腰のベルトがきゅっと締まり、イサミの厚みがありながらもバランスの良い体を引き立てている。率直に言ってCoolでCuteでSo sexyだ。
次から次に情報量が増えるせいで全く処理が追い付かないものの、叱る気は失せたとはいえやはりこれからだと口を開く。
「いつからあそこで待ってたんだ?」
「五分くらい前だな。三十分くらいで着くって連絡してくれてただろ? だからそろそろかなって」
「そう」
思っていたよりは短かったことに安心するが、それでも中で待っていれば良かったのにと思わなくもない。けれどイサミの様子を見るに今日を楽しみにしていて、待ち遠しく思っていてくれたことも十分に伝わったのでスミスはそれ以上野暮なことを言うのはやめにした。
「今日の服、とてもよく似合ってる」
代わりに本日の素敵な服装について触れれば、先程までなんともなかったイサミの頬に赤味が差した。
「ん……ありがと」
ああ、やっぱり下ろしたての服だったんだな、とか、もしかして俺のため? だとか、どうしよう今すぐ君を抱き締めたい、だとか。色々思いながら、スミスは今にも叫び出したい気持ちをぐっと堪え、努めて笑顔を作った。こうしている間にも時間は刻一刻と流れているのだ、折角のイサミとの初デート――だとイサミも思ってくれていたら嬉しいのだけれど――を家の前で終わらせるのは勿体ない。
「じゃあ、行こうか」
「よろしくお願いします」
スミスが運転するからなのか、律儀に頭を下げるイサミを小さく笑って車を発進させた。
ふと、スミスは先程送られてきたスタンプのことを思い出す。
「そう言えば可愛いスタンプ送ってくれたよな。イサミは犬が好きなのか?」
いや、とイサミが首を横に振った。
「嫌いじゃないが、特別好きってわけでもない。……なんとなく、スミスに似てるなって思ったら買ってた」
ここでスミスは事故らなかったことも絶叫しなかったことも、向こう十年は自身を褒めてやろうと固く誓ったのだった。