【書きかけ】蒼想スターチス【後日談】 邪竜ニーズヘッグを討ち果たし、竜詩戦争は本当の意味で幕を閉じた。その立役者たるルカといえば、今日は一職人として腕を奮っていた。
大きな戦いを終えた後だからしばらく体を休めて欲しい、とアイメリクや暁の面々に勧められたのである。なら戦闘は控えてクラフターに専念するかと皇都の復興事業に応募したところ、呆れた顔でため息をつかれたのが腑に落ちない。
弓の手入れのために学んでいた木工の技術だが、街の復興にも役立つだろうと申し出て正解だったようだ。
瓦礫の山でしかなかった区画が、日に日に整備されて資材の山に置き換わっていくのは感慨深いものがある。そしてそこに自分の手も加わっているのなら尚更だ。
そんなこんなで、ここのとこルカは冒険者を休業し、イシュガルドに居着いて製作業に精を出している。朝から職人として働き、夕方には家路につく。とても健全だ。
そして、帰る先はキャンプ・ドラゴンヘッド。エドモン卿はフォルタン邸に滞在することを快く勧めてくれたが、ルカには賑やかで温かいあのキャンプが一番居心地が良かった。
「おかえり、我が友よ」
「ただいま、オルシュファン」
蒼天街の復興に従事してから何度となく繰り返されたやりとりだが、いまだにむず痒さが拭えない。一度は死んだと思っていた彼が変わらずそこにいて、帰りを迎えてくれることがどれほど得難いことだろう。その奇跡を噛み締める度に情けなく頬が緩んでしまう。
「友よ、今晩付き合ってはくれぬか?復帰の段取りがようやくついてな。久方ぶりにお前とゆっくり話がしたい」
総長アイメリクの命とはいえ、長いこと死んだものと思われ、あれこれ引き継ぎを済ませたところでひょっこり戻ってきたものだからキャンプ・ドラゴンヘッドは大騒ぎだった。引き継ぎのやり直しに現状の把握にとそれは忙しかったという。
一方ルカは蒼天街の復興に走り回っていた訳だが、文字通り瓦礫の山を人の住める場所にするのだから、やるべきことは無限にある。戦闘とはまた違う疲労感にくたくたになり、キャンプに帰った途端布団に倒れ込む生活だった。
そんな訳で、オルシュファンと酒を片手に話し込むなど、ここしばらく無かったのだ。
「いいぞ。俺も切羽詰まった依頼は無いしな。蒼天街の話とか聞きたいだろ?」
「ああ!是非とも!では、部屋で待っているぞ。……また、後でな」
パッと輝くような笑顔で頷いた後、別れ際に蕩けるような笑みに変わったのを見て、心臓がどくりと跳ねる。
オルシュファンの姿が見えなくなるまで見送った後、ふらりと廊下の壁に寄りかかり熱を持った顔を覆った。
あんな、心底愛おしいものを見るような目で見られて、自惚れないわけが無い。いや、実際に自惚れではないのだろう。なんせ一度は彼から真っ直ぐな恋心をぶつけられている。それが今も変わりないことを一瞬で理解してしまうような、そんな微笑みだった。
そしてルカもまた思い知ったのだった。小さな石碑の前でその形を知り、痛みと共に抱き続けてきた思いが、少しも薄れていないことを。
(俺、あいつと二人で飲んで平気なんだろうか……)
はあ、と体に溜まった熱を逃がすように息を吐くと、それは白く曇って空気に溶けた。
――――――――――
酒を飲む時、オルシュファンはナッツかチーズでもあれば十分らしいが、ルカは肴もよく食べるタチだ。二人で飲むのも久しぶりだし、せっかくだから腕を奮おう。何より、今は慎重に飲まねばおかしな酔い方をしてしまいそうで恐ろしい。
汗を流し夕食も軽く済ませた後、厨房を取り仕切るメドグイスティルに頼み込み、調理場の一角と食材を少し分けてもらう。もちろん使った分は後で埋め合わせをするつもりだ。
会話の方がメインとなるだろうから、時間が経っても味が落ちないものがいいだろう。ざく切りにした野菜を小鍋で熱した調味液に放り込み、さっと熱を通す。冷めれば味が染みて即席ピクルスの完成だ。容器ごと外の雪に埋めておけばすぐ冷えるだろう。
コカトリスのレバーを血合いを取ってミンチにして、刻んだ玉ねぎとニンニクをバターで炒める。それから白ワインで煮詰め、スパイスを投入。本来は臭み消しのために漬け込んだりする必要があるが、調理師ギルドのマスターが唸るほどのスパイス知識を蓄えたルカにとってはどうということはない。全ては好物のカレーのためだったが、以外にも使える場面は多い。汁気が無くなるまで煮詰めればレバーパテもどきになる。ペーストではないので「もどき」だが、食感の残る肉肉しさも悪くは無い。
レバーペーストを煮詰める間にもう一品。ナッツをオリーブオイルとスパイスで和えてオーブンでロースト。ただそれだけの物だが、香ばしく歯ごたえが増したナッツに後を引くスパイシーさが癖になるのだ。
「お酒でも飲むの?」
レバーパテを煮詰めていると、メドグイスティルが手元を覗き込んでくる。
「ああ、オルシュファンがひと段落ついたから、久しぶりにゆっくり話をしようってな」
「あら、よかったじゃない」
「何がだ?」
「オルシュファン様のこと、好きなんでしょ?」
ガッシャン!
好きな食べ物を当てるような軽々しさで呟かれた言葉に、手の中から胡椒の瓶がレバーパテに落下し、中身がぶちまけられる。
「…………何言ってんだ」
「あら、随分スパイシーになっちゃったわね」
目を輝かせて笑う無邪気な顔に、墓穴を掘ったなと嫌な汗が流れる。確信めいた笑みに今更取り繕うのも無意味か、とため息をつきながら頷いた。
「やっぱり!ねぇねぇ、告白とかするの?」
「しないよ」
声を弾ませて絡んでくる彼女に、恋バナのお作法など知らんと言うように返す。
「あいつが生きていてくれるだけで十分だ」
彼が死んだと思っていたときは、行くべき場所もやるべき事もあるのに、どこへもたどり着けないような、そんな気がしていた。それと比べれば、生きてそこに居てくれるだけで十分幸せなのだ。
そう返すと彼女は苦笑しながらも、明るく言う。
「もっと欲張ったっていいのに」
「欲張るったってなぁ……」
オルシュファンを好きなことは認めるし、過去に彼が伝えてくれた気持ちと同じだと思っている。だが同じ思いを抱いていたとして、その先にどうなるかなどは考えてもいなかった。いや、自分の気持ちを知った時には彼はもう居なくて、考えようもなかったのだ。
なら、彼と思いが通じ合った今、自分は世間一般で恋人同士がするような睦みあいがしたいのだろうか。
エレゼン族の長駆は、身を預ければすっぽりと自分を包み込んでしまうのだろう。鍛えられた肉体を愛する彼がルカの身体を賞賛するのはいつものことだが、触れるとしたら芸術品を愛でるようにそうっと撫でるのだろうか。
「――さん、ルカさん、タイマー鳴ってるよ」
「えっ、あ、悪い、あ"っっっづ!!」
「ちょっ、ルカさん大丈夫!?冷やして冷やして!」
ローストナッツの焼き上がりにセットしておいたタイマーが鳴るのも気づかず、呆けていたことを指摘する声に動揺し、熱された天板に素手で触れてしまった。
「いや、大丈夫。かすっただけだ」
「もー、料理中にぼーっとしちゃ駄目だよ。で、何考えてたの?」
「……別に」
なんてことない風に装って、次はしっかりミトンを嵌めた手で天板を取り出し、耐熱皿にローストしたナッツを空ける。香ばしいスパイスの香りが立ち上り、喉が乾きを訴えた。ああ、酒が飲みたい。
「はい嘘!料理しててあんなに動揺するルカさん見たことないもん。ねぇねぇ、何考えてたの?オルシュファン様のこと?」
付け合せのバゲットを取りに厨房を歩けば、雛鳥のようにねぇねぇと着いてくる彼女にげんなりする。図星を言い当てられたままこうも付き纏われてはたまらない。
「はぁー……もう勘弁してくれ。レバーパテわけてやるから」
「えっいいの?うーん、それじゃあ仕方ないから勘弁してあげる」
恋バナに色めき立つ女性の追求から逃れられるなら、この位ささやかな代償だ。レバーパテを少し残して容器に盛る。鍋に残した方はそのままメドグイスティルに渡すと、さっそくバゲットに塗ってかぶりついている。
スパイスナッツとレバーパテのココット、切り分けたバゲット、外で冷やしていたピクルスを瓶ごとトレイに乗せる。戦果報告よろしくと笑顔で送り出すメドグイスティルにひらひらと手を振って、厨房を出た。
――――――――――
「待っていたぞ」
柔らかい笑みのオルシュファンに招き入れられ、部屋の奥へと通される。さりげなく暖炉に近いソファを勧めるところに、紳士的な人の良さを感じてむず痒くなった。
「わざわざ作ってきてくれたのか」
「あんたと飲むのも久しぶりだからな。……まあ、ちょっとばかし張り切っちまった」
調理中にメドグイスティルが恋だの告白だの騒ぐからどうしても意識してしまい、オルシュファンを直視できない。
「……?どうした?」
「いや、なんでもない」
「そうか?ふむ、ならば、私もとっておきを出すとしよう」
そう言うとオルシュファンは私室の奥へ何かを取りに行った。その間に料理を並べておくとしよう。
「先の事件の謝礼にとアイメリク総長から賜ったのだ。神殿騎士団の報奨とは別に『友人として特別な感謝を』との事だ」
そう言ってテーブルに見慣れないボトルを置いた。ワインの銘柄には詳しくないが、おそらく良い物なのだろう。
「いいのか?そんなもの開けて」
「うむ、お前の冒険譚を聞きながら飲む酒が一番美味いのだ。今を置いて他にあるまい!」
「……そうか」
顔を輝かせてはしゃぐオルシュファンに、皿を並べる振りをして俯き熱くなった頬を隠した。それぞれのグラスにワインを注ぐと、芳醇な香りと澄んだ濃紅色に期待が高まる。
「それじゃ乾杯といくか」
「うむ、何に乾杯するか」
「そういうのいるか?…………イシュガルドの未来に?」
「ああ、それはいいな!イシュガルドの未来に」
「「乾杯」」
おどけて杯を掲げ、濃い紅色の液体を口に含む。
「!……美味いな」
口に含んだ瞬間から濃厚な葡萄の風味が広がる。その中をまろやかな酒精が鼻に抜け、ほわりと熱を灯しながら喉へ滑り落ちていく。最後にかすかな酸味と渋みが口の中に残り、濃厚なだけではない爽やかさがあった。ワインには詳しくないルカにも上等なものだとわかった。
「ああ、ここまでのものはなかなかないぞ。さすがは総長……素晴らしいチョイスだ」
「……そうだな」
関心しつつグラスを揺らすオルシュファンに同意をしつつ、ルカは心の内で少し後悔をしていた。
作ってきた料理はどれも味に自信はあったが 、これほどの銘酒の伴となると不釣り合いだ。そもそもが会話の合間に摘む程度にしか考えていなかったものだ。即席で作った口休めの料理に合わせるには勿体ない気がした。
「こんなにいい酒が出てくるなら、もっとちゃんとした物を作るんだったな……」
ついルカの口をついて出たぼやきをオルシュファンは聞き逃さなかった。
「何を言う。どれも美味いぞ」
バゲットに齧り付き、口の端に付いたレバーペーストを指で拭いながらオルシュファンが言う。友の前では畏まった所作をしない、彼のそういう所がルカは好きだった。
「味はまあ悪くはないが、腹に入れば何でもいいと思ってて……手抜きもいいとこだぞ」
ピクルスを口に運ぶと、即席漬けのためどことなく角があった。一晩寝かせればまろやかさも出たはずだ。酸味と甘みのバランスは良いのに、眉間に皺がよってしまう。
「手間はかけていなくても、心は尽くしてくれただろう?」
嬉しそうに言うオルシュファンに顔を向ける。彼は卓上の料理を柔らかい笑みで見つめながら口を開いた。
「お前の作ってきた料理は会話の妨げにならないものばかりだ。食器の音がせず、冷める心配も乾く心配もない。これらは会話を楽しむための料理だろう?」
「まぁ……な」
至ってその通りなのだが、面と向かって言葉にされるとどうにも気恥しい。曖昧に肯定しながら、照れ隠しにナッツを口に放り込んだ。
「その心遣いが嬉しいのだ。お前がこの時間のためを思って作ってくれたのだから、今この場においてはどんな美食にも勝る」
「……あんたがそう思ってくれるなら何よりだ」
心底嬉しそうに語るオルシュファンに、勿体ないだとか後悔といった気持ちが溶けるように消え、ルカの表情が緩んだ。
「ところでこのパテだが、美味いんだが少し胡椒を効かせすぎじゃないか?」
「…………さぁな?ウルダハのレシピだからじゃないか?」
すっとぼけながら口に入れたレバーパテはやはり辛かった。
――――――――――
久々の語らいに美味い酒と肴もあり、話は尽きない。互いの近況に始まり、蒼天街の復興が進んでいること。人の文化を学びにきた竜にものづくりを教えていること。アバラシアの空賊と共闘したこと。時を操る蛮神のこと。
喋り方は淡々としているし、話の内容のトンデモ具合を差し引いても会話が盛り上がるタイプではないとルカは思自負していたが、オルシュファンが子供のように目を輝かせて先を促すので、ついつい口が回ってしまう。二人の会話が途切れることはなかった。
オルシュファンがくいっとワインを飲み干し、ほうっとため息を吐いた。
「今夜は少し冷えるな。私もそちらへ行っても構わんか?」
ルカはアルコールが回っているのかそこまで寒さを感じていなかったが、オルシュファンがそういうなら断る理由などない。
横にずれたルカに拳ふたつ分の間を空け、オルシュファンが座った。近くなった彼の気配に鼓動が早くなる。暖炉の火が写って揺れる瞳がいつもより甘い気がするのは酒のせいか、あるいは他の何かか。
その目がふと、手持ち無沙汰に置かれたルカの手に止まり、そのまますいっと持ち上げられた。
「どうかしたか?」
「……ずいぶんと、傷が増えたな」
「ああ……」
オルシュファンが死んだと思っていた時、ただ強くならなければとがむしゃらに武器を振るった。肉刺ができては潰れ、傷を負い、そんなことを繰り返すうちに傷跡だらけになってしまった。
「今回の件はもうチャラだって言ったろ。結局お互い生きてるんだからそれでいい」
気にするな、と手を振ってやろうとしたが、オルシュファンがそのまま手を離そうとしない。
「?……おい、」
「お前は、そうして強くなっていくのだろうな」
同じように硬くなった手が、労るように手を撫でる。比較的新しい、皮膚の薄い傷跡をそっとなぞるように触れられ、ぴくりと体が震えた。
「悲しみや苦しみと真っ向から向き合い、それを乗り越えようとする。そうして強くなっていくお前はとてもイイが、全てを抱え込もうとするのは少し心配だ」
「……その、オルシュファン」
オルシュファンが心配して語りかけてくれているのはわかるが、手に出来た傷跡や肉刺を一つ一つ数えるように撫でられては、とても話どころではない。
「だから、お前を支えたいと思っている者たちのことを忘れるなよ。それから覚えておいてほしい……私がお前を愛しているということを」
「あいッ!?は、ぇ?」
突然の告白に動揺していると、言い終わると同時に指先ふにりとした柔らかい感触を覚え、混乱は最高潮に達した。顔が熱く頭が回らない。手を取られたまま硬直している自分に、オルシュファンが苦笑している。
「どう、した?あんた今日ちょっと変だぞ……?」
「言っただろう、手加減はしないと。私の気持ちは知っているだろう?」
「それはっ……そう、だけど……いきなりすぎだろ。あれ以来何も言ってこなかったくせに」
熱の篭った視線に居たたまれ無くなり、逃げるように床を見つめる。取られたままの手にようやく意識が行き、引っ込めようとしたら逆に握りしめられてしまった。
「ふむ……私が一方的に知っているのはいささか不公平か」
「……何がだ」
「実はな、お前の私に対する気持ちを聞いてしまったのだ」
「は……?」
一体何を言っているのか。ルカがオルシュファンへの気持ちを自覚したのは彼が死んだ、もとい身を隠した直後だ。その気持ちはずっと胸に秘めておくつもりで、誰にも話したことはなかった。なのにいつそれを聞いたというのか。
「お前が捕まっていたとき、私も救出の場に居たのだ。むしろ囚われていたお前を助け出したのが私だ」
「は!?嘘だろ、あんたが居たなんて誰も……」
「錬金薬で見た目を変えて神殿騎士団に潜り込んでいたからな。そこで、薬で意識が朦朧としていたお前に言われたのだ。私が好きだと、居なくなってから気づいた。伝えられなかったことをずっと後悔していた。とな」
「っ…………?、っ!?」
驚きのあまり詰まった喉から言葉が出ず、ルカのぽかんと空いた口は無意味に開閉を繰り返した。つまり自分は、まったく覚えていないところで、秘めておこうとした気持ちを、本人に打ち明けていたということか。
それを理解した瞬間、血の気が引くような、一方で頭に血が上るような感覚がして頭がくらくらした。もう自分がどんな顔色をしているのかわからない。穴があったら入りたいとはこのことだ。捕らえられたままの手もそれどころではなくなり、もう片方の手で顔を覆って俯いた。
顔を覆ったままのルカとの間に気まずい沈黙が流れる。宥めるように握った指先の背を撫でると、びくりと震えてオルシュファンを見たが、視線が合うとすぐに逸らされてしまう。
「……私にこういうことをされるのは、嫌か?」
「嫌っていうか、その……」
居心地が悪そうに肩を竦め、いつもの落ち着きをなくししどろもどろに喋るルカが、いっそ哀れにすら見える。
よくよく考えてみれば、些か無遠慮が過ぎたかもしれない。秘めていたはずの思いを人知れず暴かれ、それを盾に迫られるというのはなかなかに受け入れ難いものだろう。
少し頭を冷やすべきかと、オルシュファンがそれまで捕えていた手を離そうとすると、逆に弱い力できゅっと握り返してきた。
ルカの脳裏で、困ったような笑みで手を引こうとするオルシュファンが、彼の思いに答えられなかったいつかの日と重なった。あの時、彼と同じ思いを返せたらいいのに、と歯がゆい思いをしたが、今は胸を張って自分もオルシュファンを好きだと言える。それなら、何を躊躇うことがあるだろうか。自分がどうしたいかはわからなくても、彼を受け入れたい気持ちは間違いなく本物だ。
「…………俺、は」
間を開けて発せられたルカの声は掠れていて、たどたどしく言葉をつむぐのを急かさないよう、オルシュファンは静かに待った。
「あんたが生きてるってだけで十分で……その先なんて考えてもいなかった。それにこういうことは慣れていなくて、戸惑ってはいるが……その、あんたを……好き、だっていうのは確かだ」
流れた髪のせいでオルシュファンからは表情は見えないが、一瞬詰まって告げられた『すき』という言葉と力が篭った指先に、拙くも真剣に思いを伝えようとしてくれているのが伝わる。無愛想で感情を表に出すのが苦手な彼がだ。そのいじらしさにオルシュファンの胸が甘く締め付けられる。
「だから……自分がどうしたいとかはよくわからないが、あんたのしたい事には応えたい、と思う。…………だから……あんたの好きにして、いい」
そう言ってわずかに上げたルカの顔は夕日が射したかのように赤く染まり、髪の隙間からオルシュファンを見上げる眼は躊躇いがちに揺れていた。
オルシュファンがもう片方の手でルカの頬に触れるとピクリと体を震わせたが、もうそれに構うことはしなかった。手のひらを添わせ、エレゼンには馴染みのない頬のまろみと柔らかさを確かめるようになでる。その手の温かさが心地よく、ルカは照れたように目を伏せながら頬を寄せた。
戦場で苛烈に敵を屠り、邪竜ですら討ち取った英雄が、撫でられる猫のように身を委ねている。それが自分だけに晒す姿だと思うと、オルシュファンの胸にむず痒い優越感と、もっと触れたいという欲が湧き上がった。
顎へと手を滑らせ、薄い唇に触れるとルカの双眸がはっと開かれる。
「ここも、いいか?」
「……ん」
オルシュファンが指の腹でそっと撫でると、そこから伝わる甘い痺れにルカが身じろぎする。視線を彷徨わせた後目を伏せ、喉を鳴らすような小さな肯定を返すと、顎にかかった手が上を向かせた。
薄い唇同士が重なり合い、羽が触れるようだったそれはすぐに離れた。物足りなく感じたルカが目を開くと、鼻先が触れ合う程の距離で熱を持った蒼の双眸と視線が絡み合う。ドキリとして震えた吐息がこぼれる間もなく、再び唇が重ねられる。
「……ふ、…………」
ルカとて経験が無かった訳ではないが、表面的な触れ合いだけで頭の奥が甘く痺れ、息ができなくなるようなものだとは思わなかった。
いつのまにか頬から後頭部に回ったオルシュファンの指が、さりさりと項を掻くとルカの背筋を悪寒にも似た疼き伝い、呼吸がままならなくななっていく。その濡れた吐息すらオルシュファンには甘く思えて、もっとと頭に回した手に力を込めると、シャツをぐいっと引っ張る感覚に我に返った。
「は……息、止まりそうだ」
ルカの瞳は溶けだしそうなほど潤んでいて、口元を押さえた手の隙間から乱れた吐息が聞こえる。キャンプ・ドラゴンヘッドの兵士に混じり涼しい顔で訓練をこなす彼が、キス1つで呼吸を乱すなど思いもしないだろう。
「お前がこんなにも愛らしいとはな」
「……何言ってんだ、ガラじゃないだろ」
ふい、とそっぽを向いたルカの頬を撫でると、戸惑ったような視線を向けられる。
「ルカ、こっちを向いてくれ」
撫でながらそう促すと、視線を逸らしながらも向き直ってくれる。そういう、つっけんどんにしながも自分の言葉は素直に受け入れてくれるところが愛おしいのだと、オルシュファンは笑みを浮かべた。
「お前が愛おしいからそう感じてしまうのだ。生憎、この感情を言葉にしようとすると『愛らしい』としか言いようがなくてな。不快であったのなら控えるとしよう」
「なっ……~~~っ!あんたはまたそういうことを……!」
ルカは面食らった後ため息をついて首を振った。しかしピンと張った耳がせわしなく跳ね回っているので、どう思っているのかは一目瞭然だ。よく動く耳と尻尾は変化に乏しい表情の代わりによく働く。オルシュファンがそれを知ったのはそう最近のことでもない。
「ふふ、やはり愛らしい。こう言われるのは嫌か?」
「…………好きにしろ」
ぶっきらぼうな口調に反して跳ねる耳が愛らしく、オルシュファンが腰に手を回して抱き寄せれば照れ隠しのように額を肩口に押し付けてくる。こめかみに唇を落とすと、はたはたと揺れる耳がこそばゆく、それもまた愛おしかった。
身を寄せあったまま他愛のない話をしているうちにルカの緊張も解れ、オルシュファンに身を預けるようになった。酔いも相まって普段より緩んだ表情で、くふくふと笑いながら擦り寄る姿はこの上なく愛らしい。しかしオルシュファンも緊張を抑えるためそこそこ杯を空けていて、酔いが回っているのを自覚していた。
今なら多少強引に事を進めても咎められないのでは?しかしこれ以上手を出せば、収まりがつかずズルズルと最後まで致してしまう気がする。口付けを交わしたのすら初めてなのに、酒の勢いで進めていい訳がない。そんなことをすれば自分は今後一生イイ騎士などと自称できなくなる。
悶々としているオルシュファンの思考を、日付の変更を告げる時計の鐘が遮った。
「もうこんな時間か、ずいぶん遅くまで飲んでしまったな。お前もそろそろ自分の部屋に戻るといい」
退くなら今しかないとルカに帰るよう促すと、上機嫌だったのが一転して眉を顰められた。
「このまま泊めてくれてもいいだろ。ここで寝るのが初めてって訳でもないのに何を今更」
確かに遅くまで飲み明かした後、帰るのが面倒だとごねるルカを自分のベッドに転がして一緒に寝たこともある。彼は小柄で、また砦のトップのために広々と設えられたベッドでは何も気にならなかった。
だが今は話が違う。
「……正直、一晩お前と過ごして何もしないでいられる自信がない」
「へ」
ピキッという音が聞こえそうな程にルカの体が硬直した。
「当然、私はイイ騎士なのでお前の承諾なしに事を進めるつもりはない。だがこれでも結構酔っているのでな、どこまで自制できるかわからんのだ」
「そ、うか」
明け透けに胸の内をさらけ出せば、ルカはぎくしゃくとオルシュファンとの間に隙間を空けた。それでいい。あまり軽率に理性を揺さぶられては堪ったものではないから、多少なりとも意識してくれた方がありがたい。
「こういうことは急ぐものではないだろう?まだ私にイイ騎士でいさせてくれ」
わかってくれるな?と子供に言い聞かせるように頭に手を置くと、固まった表情のままコクコクと頷いた。
「あー……そう、だな。急ぐのはよくないな。うん。今日はこの辺でお開きにしよう」
そそくさと食器をまとめ、部屋を出ていこうとするルカをオルシュファンが呼び止めた。
「おやすみ、愛しき友よ……よい夢を」
「………………おやすみ」
オルシュファンの胸ほどしかない額へ、屈んで唇を落とし、笑みを浮かべてそう告げた。自室の扉を開けてルカを通し、角を曲がってその姿が見えなくなるまで微笑みを崩さず見送っていた。
角を曲がりオルシュファンの私室から死角になる場所で、ドアの閉じる音を聞いた瞬間ルカは壁にもたれかかってズルズルと崩れ落ちた。
(……流されるところだった)
酔いはオルシュファンの発言のせいで完全に醒めていた。あれほど酒で脳が溶けていたら何をされても受け入れていただろう。オルシュファンがイイ騎士で本当によかった。
なんとか気を取り直して食器を片付け、自室に向かう。石造りの冷え冷えとした廊下がせっかく温まった体から熱を奪い、ぶるりと体を震わせる。同時に自分を包み込んでいた温かく逞しい身体を思い出し、また頭を抱えて悶える。
だって、あんなオルシュファンは知らない。顔を合わせれば晴れやかな笑顔を浮かべながら大声で名前を呼んで、挨拶代わりの抱擁は力強くて、痛いくらいに背中を叩いてくるのが、ルカの知るいつものオルシュファンだった。
それがあんなにも、慈しむように柔らかい触れ方で、静かな甘い声で……知らないその姿に動揺していたはずなのに、別れて数分も経たないうちにもうあの温かい腕が恋しくなっている。
次は自分から晩酌に誘ってみようか。そうしたら、また今日のように触れてくれるだろうか。急ぐものではないと手を引っ込められたその先を求めたらどんな顔をするだろう。
その様子を想像して、ふはっと吐息を漏らし、ルカは身を縮めながら冷えた廊下を足早に通り過ぎた。
ーーEndーー