SOS阿鼻叫喚になったリーグ部の騒ぎに誰かが気付いたようで、間も無く先生達がやってきた。
「どうしたんだ」と優しく尋ねられたけれど、とても誰も話せる状態じゃなかったから、一番冷静だったハルトさんが説明してくれて。
カキツバタの死は瞬く間に学園中に知れ渡った。
先生達も本当になにも知らなかったらしい。後からカキツバタの担任が彼の実家へ電話して怒鳴り散らしていたと聞いた。三留の問題児を任されるだけあり厳しい人だったものの、あそこまで鬼気迫る表情と声は初めて見た、とも。
混乱も混乱。酷いパニックが広まる中、私や皆は宥められながら部屋に戻った。
とにかく一度シャワーを浴びて着替えなさい、とあちこち薄汚れていた私は勧められた。いつもなら言われなくても真っ先にそうしてたけど、気が重くて身体が重くて怠くて。どうにかお風呂場まで入ったが、結局十分もせずに上がってしまった。
髪も乾かさずにフラフラとベッドまで行き、倒れ込む。
「………………カキツバタ…………」
忘れられたら楽なのに。気付けばあの名を呟いていた。
あの戯けながらも私達を呼ぶ声に、ふざけてるクセにいつも優しい眼差しに、銀世界を庭のように散策する白い髪。翻す紫のマント。全部憶えてる。ここに確かに彼は居た。ついこの間まで、居たんだ。
でも、もう、戻って来ない。
卒業どころか、永遠に。
「っ、ぅう…………」
悔しくて辛くて腹立たしくて、収まった筈の涙がまた溢れてきた。
見てても苦しいだけなのに、先生に預ける気になれなかった彼のポーチを掴んで、抱き締める。
こんなことなら、もっと褒めてあげればよかった。もっと優しくしてあげればよかった。もっとちゃんと心配してあげればよかった。もっと沢山バトルすればよかった。もっと、もっと、
もっと早く、彼に近づいて、彼の強さを認めてあげればよかった。
『タロ!』
彼はどんな風に笑ってたかな。張り付けたような、飄々とした笑みしか思い出せない。
楽しいことが好きだと言っていた。リーグ部での日々は、私達との勝負は、楽しかったのかな。
「…………最期に、なに考えてたのかな…………」
私達のことだったらいいな。そう思っても、もう居ない人の頭の中身なんて、知る由もない。
「ひぐっ、う、うぅ…………!!カキツバタ………ごめんなさいっ、本当、に………!!」
気付けば泣きながら彼に謝っていた。
なにに謝罪したかは自分でも分からない。厳しく接していたこと?踏み込むのを躊躇ってしまったこと?それとも、あの日「帰りたくないなら帰らなくていいんだよ」と引き留めてあげなかったこと?
……どれもそうで、どれも違う気がした。
ワケも分からず只管「ごめんなさい」と繰り返して嗚咽していた私は、気付けばそのまま眠っていた。
知らず知らずのうちに朝日が昇る。
目覚めた私は暫くベッドの上でボーッとして、その後ほぼ無意識に洗面所へ向かった。起きたら顔を洗って髪や肌などを整える。大抵の女の子には身についている習慣だろう。……そんな必要も無い子やしない子も居ると思うけど。
「酷い顔…………」
そう鏡に映る自分を嘲笑った。
濡れたまま寝た所為で髪はぐちゃぐちゃ。目元も泣いた跡でぐしゃぐしゃ。なによりも明るさとは無縁の酷く死んだ顔の自分が居る。
彼のことでここまで悲しめるんだ、私。なんだか変な感じがする。
「……………………皆、大丈夫かな」
人の心配をしてる場合か、と言われそうだけれど、ふと仲間達が気になった。
特に、カキツバタと仲の良かったハルトさんと彼を慕っていたアカマツくん。二人は比較的落ち着いていたが、精神的なダメージは大きい筈だ。
こんな状態の私が会っても余計辛くなるだけかもしれない。それでも先輩だから、私は仮にもブルベリーグ三位だから。
顔を引き締めて、なんとか見れる程度には容姿を整えて、いつもの制服を纏いカキツバタのポーチを提げ部室へ向かった。
「おはようございます…………」
自動ドアをそっと潜り抜けながら、静かに挨拶した。
部室はシンと静まり返ってる。それどころか人が殆ど居ない。昨日の今日だし、ここはカキツバタの領域だ。来ようと思うだけで辛くなる人は多いのだろう。
それでも唯一立っていたのは、ハルトさんだった。
「ハルトさん」
「…………タロちゃん」
私はその背に話しかける。彼の声は掠れていた。
それに、振り向こうとしないチャンピオンの視線の先には……一番奥、一番端の椅子。カキツバタの定位置である席があった。
やはり彼も辛いのだろう。ただぼんやりとあの椅子を眺めている。
隣に立って顔を見れば、目の下に隈が。眠れなかったのかな。
心配で心配で、でもなんて言ってあげたらいいのか分からない。私も黙ってあの椅子を見つめた。
立ってるのは疲れるとか、椅子は有難いとか、何処までも怠惰なリーグ部長。その姿が目に浮かぶようだった。
「まだあそこに座ってるみたいに感じるよね。あの人が、あの場所に」
ハルトさんが苦しそうに目を伏せながら語る。私は同意するべきか悩んで、結局なにも言えなかった。
「僕、まだ信じられないんだ。ツバっさんが死んだだなんて。僕が手を拱いてる間に、こんな」
「…………彼の家族は不慮の事故だと、葬儀も終わったと言っていました」
「そっか。……そっか。もっと早く違和感に気付いていれば、皆に言っていれば、お別れくらい出来たのかな」
そんな。貴方は一番最初におかしいって。
それを聞かなかったのは私達だ。貴方が気に病むことじゃない。
どれも言葉にならなかった。言ってしまって、責められるのが怖かったのかもしれない。
「なんで僕って、いつも手遅れなのかなあ」
……彼は後悔を口にする。『いつも』の意味は、訊けなかった。彼は以前にも近しい人を亡くした経験があるのだろうか?そう推測するだけに留まった。
「事故、事故かあ…………」
まだ信じたくない。
そう顔に書いてあった。多分私も。
「ねえ。ちょっとおかしいなって、ツバっさんは生きてるんじゃないかって思うのは、僕のただの願望かな?」
「…………?それは、どういう?」
突然、彼は妙な話をする。
つい聞き返したら、主人公のような人は再びあの椅子を見据えた。
その目は、真っ直ぐだった。
「いや、だってさ……ツバっさんのポーチ。随分綺麗じゃないか。あの人がポケモンを連れてないなんてことあるとは思えない。いつもの彼なら、『事故』の時にもボールや荷物を持ってた筈だよね?その割に、全然汚れても傷んでもないし……なによりも、なんだか段取りが良過ぎて作為も感じる。先生達にまで訃報が届かないなんて、普通有り得ないよ。…………本当に、死んじゃったのかな、ツバっさん」
言われてみれば、と私は彼の遺したポーチを外してよく観察する。
事故に巻き込まれたと私が咄嗟に分からなかった程度には綺麗だった。使い込まれてはいるものの、大きな傷や血の汚れなんかも無い。
偶々置いていってたのかも。という可能性は、ハルトさんの言う通りあまり想像出来なかった。だって彼は最強と呼ばれたトレーナーで、ポケモンを大切にしているから。
「………………………………」
いやでも、ここまで来て生きてるだなんて。
反論しようとしてから、カキツバタの死を告げてきたあの男性のあの顔を思い出す。
『アレは死んだ』
悲しみに暮れてるだとか、失意に陥ってるだとか。そんな表情じゃなかった。言い方もそうだ。
まるで私やカキツバタを、面倒だと思っていたかのような、冷徹で、空っぽな。
「…………ごめん、忘れて。ただの僕の考え過ぎだよね」
「! は、ハルトさん!」
「大丈夫。皆にこんな話はしないよ。下手に希望を与えるのは……むしろ酷だ」
冷や汗を流してたら、チャンピオンは立ち去ってしまった。
私はポーチを強く握り締める。
「カキツバタ……どうなんですか。貴方は、本当に」
相も変わらず返事は無い。
しかし私は、ハルトさんの勘を否定出来なかった。
したくなかっただけかもしれない。でも。
……それ以上部室で待っても誰も現れなかったので、私は一旦自室へ引き返した。
皆の部屋に直接行くのは……止めておいた。
自分の部屋に入り、鍵を閉めて机に歩く。
そこで不意に気が付いた。
……机上に、手紙のような物がポツンと載ってある。
「? なんで……ていうか誰からだろう」
そういえば朝からあったような気もしたけれど、思い出せない。
でもちゃんと戸締りはしてたから、不在の間に忍び込まれて届けられたワケがない。鍵の管理者が無断で入るとも考えられないし、私が忘れていただけで何処かで受け取ってたのかも。
ポーチを丁寧に置いて、手紙を手に取った。
差出人は、
カキツバタ。
「!?」
私は声も出ないくらい仰天して、大慌てで封を開けた。
なんで、なんで?カキツバタからの手紙?どうしてこのタイミングで?
彼らしくもなく丁寧に畳まれていた中身を取り出して、読み始める。
『拝啓 タロへ。
ご多用中、ひとかたならぬお世話をいただき、心より感謝申し上げます。
とかなんとか、そういう堅苦しいのは無しだな。元気にしてるか、タロ。この手紙をお前が読んでるってことは、多分オイラの身になにかがあったんだろう。
これはオイラがポケモン達に預けた手紙だ。それぞれ皆に届けるよう言ってある。アイツらは賢いから、きっと上手く全員に渡してくれたよな?』
「ポケモン達に…………」
何処まで用意周到なのか。それなら私が寝ている間に置かれたりしててもおかしくない。だって彼のポケモンの入ったボールはずっと私が持っていたから。
それにしても、『オイラの身になにかがあったんだろう』ってどういう…………?
……まだ続きがある。私は目を走らせた。
『オイラはもうそう長く学園には居られないと思ってこの手紙を書いてる。読まれてるってことは、多分卒業も出来なかったんだろうな。申し訳ない気持ちでいっぱいだよ。
本当に、お前には世話になってばかりだったな。部の運営といい仕事といい勉強といい……これでも感謝してるんだ。ありがとう。なにも返してやれなくてごめんな。
結局お前からも皆からも家からも逃げまくって、オイラはどうしようもない部長だった。でもオイラ、結構皆のこと好きだったよ。
スグリとゼイユは怒ってるか?アカマツとネリネはビビって動けなかっただろうなあ。キョーダイは泣くかもな。お前もなんだかんだ優しいし、ちょっとは泣いて怒ってくれると嬉しいぜ。他の部員も、……これ以上は考えたらオイラまで泣いちまいそうだ。止めておこう。
とにかくさ。楽しかった。お前らと出会えてよかったよ、本当に。こんなロクでもないヤツに付き合ってくれて、ありがとな。
キョーダイとお前は信じないかもしれない。でもオイラは満足してんだ。
だからさ。
探しに来ないでくれよ。
そんだけだ。
さようなら。お前らの未来が幸せであることを願ってる。どうかオイラなんかはとっとと忘れてくれよな!
カキツバタより。敬具』
「なに、これ」
こんなの、まるで、自分が居なくなると分かっていたかのような、でもちゃんとカキツバタの字だし、
『ツバっさんは生きてるんじゃないか』
まさかそんな!!
私は手紙とポーチを手に飛び出した。
廊下は走らないとかそんなのどうでもよくて、急いで走ってリーグ部室へ入る。
「!! タロ先輩!!」
「タロ!」
そこには四天王もスグリくんもゼイユさんも、ハルトさんも居た。
「皆さん、ハァッ、手紙……」
「どうやらタロにも届いたようですね」
「カキツバタからの手紙でしょ?あたし達の部屋にもあったの。気味が悪いくらい気付かなかったわ」
カキツバタの指示に従い、ポケモン達はしっかりここに居る全員に渡したようだ。
ハルトさんが「多分内容同じだと思うけど」と見せてくるので、全員で全員分のを比べてみた。
各々へのメッセージ以外は、大体同じ。挨拶も、それに、
『探しに来ないでくれよ』という部分も。
「オレよく分かんないんだけど……これ、ちょっと変じゃない?」
「ああ。まるでカキツバタは、」
「自分が死ぬって分かってたみたいだ」
「しかし、少し表現も妙です」
「『自分の身になにかが』『そう長く学園に居られない』……それに、『探すな』」
「直接『死んでしまう』というものはありませんね。言葉を選んだとしても、『探すな』と言うのは意味が分かりません」
カキツバタは自分に『なにか』が起きるのを知っていた。
それは確かだけど、でも死んでしまうとまでは思ってなかったとも取れる。
…………私と、それにハルトさん達も同じことを考えたのだろう。それぞれの顔を見た。
「ツバっさん、やっぱり本当は生きてるんじゃないかな」
言い出したのはチャンピオンだった。
私達以外は誰も居なかったので騒ぎにこそならなかったが、当然動揺はする。
「いやでも、カキツバタ先輩の家族が死んじゃったって言ってたんだよな?タロ先輩」
「言ってた、けど……よく考えたらそれとポーチを渡されただけです。どんな事故かは教えてくれなかったし、お墓なんかにも案内されなかったし…………葬儀が終わったばかりにしては、片付いてた。それに、あの人のあの顔。あまり信用出来ない」
手が震える。声が震える。
そんなことって。
「死んだことにされた、ってか。家族に」
スグリくんが唸り、ゼイユさんが壁を殴った。
「『探すな』なんてふざけてるわ」
そうだ、ふざけてる。
こんな別れ方、許せない!!私達が納得すると思ったの!?
ねえ、カキツバタ!!!
「しかしこの書き方。わざわざこのような物を用意するとはカキツバタらしくない」
「…………これさ。『SOS』とも取れるんじゃないかな?」
ネリネ先輩とハルトさんが眉間に皺を寄せる。
助けを求めてる?あの人を頼らないカキツバタが?
それこそ信じられなかった。
でもどちらにしても、私達の考えは一致してるだろう。
私はカキツバタのポーチから彼の手持ちの入ったボールを取り出し、仲間に差し出した。
「探しましょう。私達でカキツバタを見つけて、連れ戻すんです」
卒業するって言ったのは貴方ですよ。
ポケモン達も私達も置いて消えるなんて、絶対許さない。
今更またたった一人で戦わせるわけない!貴方の居ないリーグ部はつまらないんですから!
皆さんも力強く頷いて、それぞれ一個ずつボールを受け取った。
ハルトさんはジュカイン。アカマツくんはオノノクス。ネリネ先輩はフライゴン。ゼイユさんはカイリュー。スグリくんはキングドラ。
私はブリジュラスのボールだ。
「この子達を、彼に会わせてあげましょう。必ず」
例え望まれてなくても、突き放されても知ったことじゃない。
死んだ彼を探すと誓った私達は、早速なにをするか話し合いを始めた。
私達とポケモン達なら、一度振り払われたあの手もきっと掴み取れる。そう信じて。