オシャレは足下から猛暑を越えて気候も穏やかなものとなり、そろそろ秋へと差し掛かる九月下旬。空は晴れ晴れとして青かった。地上よりも少しだけその上空に近い赤屋根の上では荘厳な鐘の音がぐわんぐわんと鳴り響く。くぐもって煩いその音に、遠巻きに式の様子を見下ろしていたひよ里は顔を顰める。
皆から祝福の花の雨を浴びせられ、時にはヤジを飛ばされている、この式の主役である一組の男女。純白のドレスに身を包んだ栗髪の女が頬を赤らめ必死に涙を堪えているのを、呆れたように、けれど愛おしそうに口元を緩めて宥めるタキシードの青年はかつてボコボコにしごき倒したオレンジ頭。アイツ、タキシード似合わへんな。
花嫁はゆるく波打たせたボリュームのある髪を結い上げることなくそのままに、サイドの毛のみを華やかに編み込んだハーフアップにしていた。トレードマークである柔らかい色の綺麗な長い髪が、ドレスの白によく映えている。豊満な胸元を何やら細やかな刺繍が入っているのであろう布地が品よく隠し、けれど布に覆われてなおそのスタイルの良さは一目瞭然であった。女性らしさの象徴である膨らみのすぐ下はキュッと締まって、しかし腰から足下にかけてふんだんなレースがふわりと広がる。それはもう、完璧な曲線であった。体型に恵まれたこの女は白無垢よりも断然ドレスが似合うのだろうなと、そんな誰しもにわかりきっていることを思う。
まるでウェディングドレスを着るために生まれてきたかのような美しい容姿に、プランナーとやらはさぞかし張り切ったことだろう。
ひよ里はその眩いばかりの光景に思わず息を飲んだ。
(天女みたいやな……)
もはや胸中にはそれしかなかった。お得意のチクチクした嫌味も忘れるような、多幸感溢るる花嫁姿。綺麗なものもここまでいくと仰ぎ見るばかりで僻みすら出てこないものなのだなと自分の心の有様をどこか他人事のように思った。感服である。
———もう井上を、あんな目に遭わせたくねえんだ。
ふと、異形の力にビクついてはひよ里の手を焼かせたあの頃の一護の言葉を思い出す。級友が重症を負わされたこと、目の前で他でもない井上織姫を傷めつけられたことがよほど堪えたらしい。己が無力さをこれでもかというほど痛感した一人の少年が訓練の合間に漏らした淀みない決意は、なぜだかひよ里の胸をひどく穿った。ああそれはもしかして。あの頃既に一護自身が自覚していたかはひよ里の知るところではないが、そのむず痒い予感めいたものの果てが今日この日の祝宴だった。
チンカスの分際で大口叩きよる、ほんならビビってへんではよ虚化せんかいハゲェ。
ひよ里は一護の切実な気持ちに、そんな言葉しかかけることができなかったのだが。
うるせェ八重歯と返すその生意気な目は揺るぎなく、ただ真っ直ぐに前を見据えていた。
現世にとどまっているひよ里は、花嫁の方とも少しばかり交流があった。かつて襟首を掴みあげ共に空を飛んだ(拉致ともいう)あの少女は、一人では食べきれない勤め先の廃棄パンをしばしばアジトへ持ってきた。会えば喧嘩腰になるひよ里に物怖じもせずニコニコと素っ頓狂なことをのたまうものだから拍子抜けしてなんだかんだと打ち解けてしまったのである。色恋に鈍いひよ里にさえ、織姫が一護を好いているのは火を見るよりも明らかだった。
ひよ里はもはや少女でなくなった織姫のこれまでに思いを馳せる。人間の身でありながら異形の能力に目覚めてしまったがゆえに背負わなければならなかったものがきっとあっただろう。ただの女子高生としてだけ生きていれば目の当たりにすることもなかったような、残忍な場面に出くわすことだってあったかもしれない。優しい織姫はその度に人一倍心を傷めたに違いない。それでもなお、いつも素直で明るく、振る舞いひとつで場を和ませるその姿勢はひよ里には到底真似できないものであった。
その二人が今、周囲の歓声を一身に受けながら人生のひとつの節目を迎えている。
「ウチは行かへんで、人間どものおめでた行事なんて。どうせ死神連中にも声かけてんねやろ」
数ヶ月前、アジトを訪れた2人にこの式への参加の有無を問われたひよ里は、ぶっきらぼうにそう返した。あないな連中会いたないわと。
そのすぐ後に同じく誘いを受けていたラブにはゲンコツを食らったが、撤回はしなかった。ウチの勝手やろと怒鳴れば、断るなら断るで他に言い方があるだろうと言われた。ぐうの音も出ない正論を前にもはやひよ里の立場はなく、苦し紛れにうるさいわとぼやくことしかできなかった。
だって仕方ないだろう。そりゃ、悪態のひとつでもつきたくなる。一護や織姫と少しは交流があるとはいえ、相変わらず人間のことは好きになりきれないのだから。ひよ里の人間嫌いは、こちらへの滞在期間が長い分いっときよりマシになったものの、未だ健在であった。結婚式なんて、流石にそこまでがっつり現世サイドの催し物に人間たちに混じってのうのうと参加なんてしたくない。二人の挙式に何食わぬ顔で義骸に入ってぞろぞろ参列してきそうな死神たちだって、今でもやはり極力視界に入れたくない存在なのだ。緊急時の切迫した状況でなければ、こちらから尸魂界に赴くこともない。勿論、仮面の仲間たちとは時折連絡を取ることもあるし、向こうが現世に来た時は顔を合わせているが。
「そうか。まあ、無理にとは言わねーよ。気が変わったら二次会からでもカオ出せよな」
「余ったごちそうあったら持ってくるね、ひよ里ちゃん」
「いやそれはナシだろ」
「え、ダメかなあ。タッパー持参しようと思ってたのに」
「セコい花嫁だな…」
「えへへ…」
「なんでそこで照れる?」
せっかくの吉報に水を差す大人気ない返事にも、ひよ里の性格をわかっている二人は余裕の反応であった。心身ともに成長しているのだ、身も心も幼いままのひよ里と違って。
「別にいらんわボケェ」
捨て台詞のように吐き捨て、その場を立ち去る。少し離れた場所から振り返れば、ラブとハッチが二人となにやら話し込んでいた。ハッチは自分と同類の能力を持つ織姫のことを折りに触れては気にかけていたから、よい知らせが聞けて嬉しいのだろう。(が、人の話をイマイチちゃんと聞いておらず頓珍漢な返しをして織姫を困らせているようだった)
アジトを後にして、建物の屋根や電柱を飛び石に空を駆け抜ける。
(結婚、か……)
めでたいことだと思う。あの二人がうまくいったのも、喜ばしいことなはずなのに。何故、素直に祝福して参加することができないのか。
胸をざわつかせる何かの正体は、考えたくもない。
と、そんな葛藤がありながらも降り立った屋根の上。挙式は屋外だった。祝辞や催し物、ケーキ入刀など全てが教会の外で行われている。ひよ里が着いた頃には式はおそらく山場が終わり、各々がテーブルで食事を摂りながらご歓談という段階であった。
ひと通りテーブルを周り終えた一護と織姫が、新郎新婦の席からは少し離れたところで、立った状態で視線を絡ませている。目も当てられないほどの甘い雰囲気が、二人の間に漂っている。
(アホらし)
ひよ里はよっこいせと立ち上がる。そして、持ってきていたお祝いの荷物を肩に背負って飛び上がる。目掛けるは本日の主役二人のそのど真ん中。いつものジャージではあるが赤い服に白い大袋という出で立ちは、季節外れのサンタのようであった。
勢いをつけてダンッ!と着地をすれば、あたりに土埃が舞い上がった。
突如現れた野蛮人にムードも吹き飛び目を見開いて呆然としている二人を、ひよ里は着地したその体勢のままギロリと睨みあげた。
「ひ、ひよ里…!?」
驚いている一護をよそに、織姫の方へと立ち上がる。
「やる。差し入れや」
ほとんどひよ里の身体と同じくらいの大きさのある袋をぶっきらぼうに差し出すと、織姫はへ?あ、ありがとう…!とあっけに取られている。
次に新郎新婦のテーブルに並んでいる料理をひと通り見渡すと、ひよ里は狙いを定めて大股で歩き出した。
「コレ、もろてくで」
「あ!ひよ里お前!!コラ!!」
目をつけたのはメイン料理であろう大きな鶏肉の塊。おそらく切り分けて何人かで食べるのが前提として出されたものである。おかまいなしに骨の部分を無造作に掴んでふたたび屋根の上へと飛び上がれば、一護から抗議の声が上がる。
その間、織姫は袋の中身を確認したようで、
「わあ!!キノコだ!!」
花嫁にあるまじき間抜けな声を出した。
「マツタケやボケェ!」
会場に響きわたる大声で返すと、ひよ里はその場から飛び去っていく。ひよ里の声に負けじと弾む織姫を背に、少しだけ口元が緩んだ。
片手に鶏の丸焼き、両足に挟むは途中で調達した2リットルコーラのペットボトル。アジトの屋上で、両手をベタつかせながら甘辛いそれを貪り食らう。骨をコンビニ袋の中に捨てて、ペットボトルに手をかけたがぬるついた手では蓋がなかなか開かない。ヤケクソになってジャージの裾越しに力強くひねると勢いよく炭酸が溢れ出て、身体じゅうがベタベタになった。
「あーーーークソッたれ!!風呂や風呂ッ!!!」
コーラを一気に飲み干すとひよ里は叫んで立ち上がる。
手を洗い部屋で新たなジャージに着替え、脱いだものを全て近所のコインランドリーに放り込む。そのままお風呂セットを持って、行きつけの銭湯に直行した。
脱衣場で服を脱ぎ捨てて大浴場へ入れば、平日の昼間だけあって貸し切り状態であった。頭からシャワーの湯を被り、身体を洗っていく。ベタベタもお湯で流れてさっぱりとした。すぐ側にはマイ風呂桶にシャンプー、スポンジ。ひよこがトレードマークなお気に入りのそれらも鏡に映った己の裸もひどくガキ臭く、今日見た花嫁にはほど遠かった。
湯船に浸かりながら、式の様子を思い返す。100年を現世で共に過ごした仲間らは、自分以外皆何事もなかったかのように式に参加していた。それはもちろん、あのハゲも。
真子も織姫の美しい花嫁姿を見たのだろう。
ひよ里は小さいまま百年以上ずっと変わらない自分の身体のことを思う。あの忌まわしい夜がなく、死神のままあちらにいれば。あるいは、一部の仲間が復帰したタイミングで戻ることができたならば。この身体だって少しは成長したかもしれない。
でも、それができなかった。向こうには向こうの事情があったのだとわかってはいる。それでも。
自分を助けに来てくれた喜助にあらぬ疑いをかけ、自分たちのことも見捨てたあの組織に、平気なカオして所属などできない。許すことなど、到底できない。
あるいは、許せない気持ちそのままに折り合いをつけて護廷に戻る選択肢もあったかもしれない。