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    mumumumumu49

    @mumumumumu49

    4スレは信仰

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    mumumumumu49

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    前回の続き。4スレ。追いかけっこします。

    魔女パロその4 ぐず、垂れた鼻を啜り、匙を皿の上に下ろす。
     皿の上に転がっている星は失敗作だ。きらきらと静かな光を宿す、歪な形をした飴玉をぺろりと舐めてみても、全然甘くない。うすくしょっぱい涙の味。これをエランに渡すことなんて、できそうにない。
     星の飴は心で作る。悲しみながら作れば涙の味に、楽しみながら作れば果実の味に。多くはおやつや材料のつなぎとしても使われるこの飴を、魔女は愉快に歌いながら練り溶かす。魔女は甘いものが大好きだから。
     けれど、今のスレッタは楽しく歌うことなどできそうにない。それでもなんとか作ってみようと試したが、できたのは出来損ないだ。エランにはもっと甘くて美味しいものをあげたいのに。
     じわり、滲んできた視界を強く擦ってやり過ごす。優しい風が吹いた。気遣ってくれているエアリアルに不格好に微笑み返す。
     エランさんを怒らせた。
     どうして彼が怒ってしまったのか、なにがいけなかったのか。それがスレッタにはわからない。スレッタにわかることはエランが誕生日を聞かれたくなかったことと、彼がスレッタに怒ったということ。そして、彼が呪われているという事実だけ。呪いの主はたぶん、魔女、なのだろう。
     本来魔女と使い魔は契約により結ばれる。魔女は使い魔に魔法を与え、使い魔はその代わりに細々とした仕事を行う。ただそれだけの間柄。けれど、魔女によってはそれだけでは済まないこともある。スレッタは実際に目にしたことはないが、お気に入りの人間を動物に変えて使い魔にしてしまった魔女の話も聞くし、使い魔が逆らわないように隷従の呪いをかけてしまう魔女もいるという。
     けれど、それにしてもあの呪いは異質だ。
     エランにあの姿を強いて縛り付ける。怪我も変化も許さず、そのままにいなさい、と。本人の意志さえも無視をして。意志も尊厳も苦痛さえも認めず、ただ、あの姿だけが重要だとでも言うように。冷徹な無関心と相反した強い執着が不変の呪いとなって彼のすべてを雁字搦めに縛っている。
     そんなの、ひどい。あんまりだ。呪いのことを思うとお腹の底がもやもやとして落ち着かない。どうにかしてやりたい。スレッタだって同じ魔女である。もし彼の身体を調べられれば、呪いの解法も見けることができるかもしれない。けれど、その前に。
    「エランさんに嫌われたかも……」
     口に出せば、また涙が湧いてきた。ぼろぼろと流れる大粒の涙をそのままに、エアリアルが運んできたハンカチで鼻をかむ。
     あのあと、エランはスレッタと口をきいてくれなくなった。スレッタが蜜を巣ごと採取しているときも、ドラゴンを解体しているときも。遠くでそっぽを向いて何も答えてくれなかった。エアリアルが怒って彼を吹き飛ばしたりもしたけど、大鴉に姿を変えた彼の態度は変わらなかった。
     別れるときも冷ややかな声で数日後に取りにくるとだけ告げ、森の中へ消えてしまった。
     もう彼と穏やかに話すことはできないのだろうか。踊ることも、散歩も、夜ふかしも。あの優しげな黄緑の目を見ることも。
     ズキリと胸が軋むように痛む。視界が暗い。息が苦しい。腰を折って自分をぎゅっと抱きしめる。
     いやだ。このままだなんて、絶対に。
     どうすれば仲直りできるのか、スレッタは答えを持たない。頭の中でスレッタの好きな人たちに尋ねてみる。
     お母さんならこう言うだろう。『イヤなら動かないとね。進めば二つ、よ』。
     ミオリネさんならこう言うだろう。『聞きたいなら聞けばいいじゃない。アンタにできるのはそれだけよ』
    「うう……」
     答えはわかるのにスレッタにはできない。だって怖いのだ。もし、もっと拒絶されたなら。迷惑だって言われたら。それでも進むと、そう言えるのは彼女たちが強いからだ。そうなりたいのに、そうあろうと頑張って来たのに、結局借り物の勇気は借り物のままなのだ。
     この森には誰もいない。待っているスレッタの背中を押すひとは誰も。エアリアルは優しいから、スレッタが座り込むのを許してくれる。
     何時間そうしていただろう。日の暮れる時間になって、スレッタはようやくのそりと動き出した。
    「お腹空いた……」
     そういえば、お昼を食べ損ねてから何も食べていない。しょっぱい飴だけでは腹の足しにもならないのだ。ふらふらと食糧庫に向かい、ハムを切り取って小さく齧る。
     夕焼けの赤い光の中で、きらきら、きらきら。スレッタの涙が皿の上で光っている。蜜の中の静かで冷たく暖かな光は星の光と同質のもの。エランの目の光とよく似ている。ふと、そんな考えが浮かんだ。
     あの嵐の夜。エランと話をして、エランに見つめられて。外の嵐なんて忘れてしまったかのように幸せな気持ちで眠りにつくことができた。まるで優しい星に見つめられたみたいに。
     星の光は子守歌だ。星の優しさを浴びながら世界中の人々は守られ安らかな眠りにつく。暗い夜を照らす星の光は優しい星の贈り物なのだ──。
    「……?」
     何か頭の中を掠めるものがあった。
     眠りの棘、星光糖、氷の水銀。
     エランの依頼する品々を、スレッタは知っている。母からことさらに詳しく教えてもらっていたからだ。質の上がる作り方も、その役割も。
     突っ伏した机からむくりと起き上がり、ゆっくりとした歩みで本棚に近寄る。使い込まれた一冊を手に取りパラパラとめくって首を振る。これじゃない。もう一冊を手に取る。これでもない。この本棚に収められた本はスレッタが都で集めた数冊を除いてそのほとんどがプロスペラの蒐集したものだ。スレッタのために彼女が自ら綴った魔法についての入門書に、どこかの錬金術師の書いた奥義書。禁忌について。もしくは、幼いスレッタが読み聞かせをねだったお伽噺。死の国にお姫様を探しに出かけた王子様のお話。
    「ぁ……」
     わかった。わかってしまった。
     昼に月ができたわけ。彼の呪いの意味。依頼の理由。その先に待ち受けるもの。
     ──この依頼を達成しては、ダメだ。絶対に。


     嵐の森の夜は騒がしい。魔女に怯え昼に眠っていた魔獣たちが起きだすからだ。
     ざわめく木の上で、エランは家主のいない魔鳥の巣で軋む身体を身じろぎさせる。欠損を修復したあとは特に痛みが激しい。それでなくとも眠るのは苦手だ。意識の断絶は次の覚醒を約束せず、夢として襲い来るのは身を裂くような痛みの反芻。仮に生きながらえたとして、朝陽とともに終わらない苦しみに絶望が押し寄せる。期待するのはもうやめた。裏切られるたびに失望する身勝手な自分にももう疲れた。風に身を任せ、流れに委ね、遠くから糸で身体を操るように自分と自分を切り離して生きていた。何も思わないように。悲しまないよう、喜ばないよう、それこそ誰かに望まれた木偶人形みたいに。
     なのにまた、期待してしまった。
     大罪人プロスペラ・マーキュリーの娘。魔の荒れ狂う嵐の森に置き去りにされた放置子。失われた命の代替品。
     きっと、同じ・・なのだと思った。夢を見た。
     けれど違った。彼女は使い捨ての道具なんてものではなく親に大切にされ生まれを祝福された少女だった。何も持たない自分と同じなどと、おこがましい。
     無茶をしてでも依頼を進めたのは突き放したかったからだ。彼女も呪われた化け物と分かれば必要以上の干渉をする気も失せるだろう。もう関わりたくはなかった。間違いだったのだ、勘違いだったのだ。何も見えない暗闇で愚か者が小さな蛍火を星だと見間違えた。そんな迷惑な話だったのだ。
     依頼を終えて姿を消せば、彼女も自分のことは忘れるだろう。そして何も知らないまま親と友人に愛される満ち足りた日々を過ごすのだ。何も持たない虚像のことなど忘れたままに。
     想像の光景に昏い嫉妬がずしりと腹に溜まる。弱って尖った神経には木の葉の音さえ気に障る。けれどそれでいい。それが良かった。それがあるべき姿だった。
     せめて冷たく重い現実は飲み下さねばならない。希望を抱いたままでは癒えることもできないのだから。
     は、と無理やり息を吐いて寝付けないままに滲みる夜風を耐えしのぐ。
     夜半よわ、森が騒いだ。
    『エランさんっ!! スレッタです!!』
     夜の森に少女のソプラノが響き渡る。獣がざわめき、鳥が木陰から逃げ出した。妖精たちが囁いている。逃げ出さなきゃ、嵐が来るぞ。
     スレッタ・マーキュリーだった。
    『エランさんっ教えてください! どうして怒ったんですか!? わたしたち、仲直りできませんかっ!?』
     風に乗せ声を届ける魔法を使っているのだろう。必死な声がエランの元へも届く。
    『わたし、鬱陶しいですか!?』
     ああ、きみはやっぱり鬱陶しいよ。
     舌打ちして木の上から飛び降りた。地面に落ちる前にカラスに変わり、風を掴んで森を駆ける。この羽根色なら闇に紛れ見つかることはないはずだ。
     けれど、魔女も動いた。
     ごうと音を響かせて空気が動く。風が吹き木々が揺れる。気配がする。スレッタがすぐ近くまで来ている。エランは必要以上に羽ばたかないようにしながら高度を下げ、地面すれすれを草木を避けながら飛んだ。彼女が飛ぶところは何度も見ている。高度ならともかく小回りならば彼女の箒に勝つ自信があった。
     突如、歌が響いた。
    「……?」
     エランの知らない歌だ。意味が分からず飛びながら耳を澄ませる。ゆったりとした歌詞をたどると、誰かの誕生日を祝う祝い唄だった。理解するとともにスレッタの魔法に乗せ屈折させて自らの声を届ける。
    「……ぼくには誕生日はないと言ったはずだ」
    「エランさんっ!」
     魔女の声に歓喜の色が混じるのを苦く感じながら出鱈目な軌道で夜の森を滑空する。鳥の純度の低いエランは夜目が効く。このままならたとえ新月であろうともぶつかることはない。
    「帰ってくれ」
    「教えてください! わたし、なにかしてしまいましたか?」
    「ぼくは帰ってくれと言ってるんだ!」
     ひとつ、呪いに餌をやり、軋む翼の形を変える。より風を掴みスピードを上げられるように大きく、禍々しく。血の流れ込む心臓はきいきいと悲鳴を上げたがいつものように無視をした。
     にもかかわらず魔女は食らいつき離れない。今もまだ、すぐ後ろから懸命な声がする。
    「誕生日、ないなら今日にしませんか!? 誕生日がないなんて、寂しいですっ!」
     煩い、煩い、煩い、煩い。
     希望に満ちた言葉は呪いのようだった。
     スレッタの傷ついた顔。夜にひとりで寂しいと呟いた切なげな声音。森でひとりほろほろと泣いた哀れな少女。脳裏に過ぎる彼女の記憶を歌声とともに振り切ろうと藻掻く。闇のなかのエランの羽ばたきは影を波立たせ、影で編んだ網がスレッタを襲う──が、風の刃で断ち切られる。
     幾度も、幾度も。網を躱しスピードを増すスレッタに舌打ちをしたくなる。昼の魔女に闇の中はどのように見えているのか、異様な嗅覚でスレッタはエランとの距離を近づけていく。
    「エランさんっ」
     尾羽を掠めた指先にひやりとして、外すべきでない箍を外して加速した。もういい。命だっていらない。森も、音も、希望も、光も。何もかもを置いていく。
    「ぼくには何もない! 家族も友だちも過去も未来も、希望だって! きみは何でも持っているじゃないか! もう、いいだろう!!」
     もう構うな。放っておいてくれ。希望に輝くような、未来を望むような。そんな目で、見るな──!
     エランの願いを、嵐の魔女は聞き入れない。
    「そんなのうそですっ! おかしいです!!」
     ごう、と一層強い風がエランの手足を絡め取ろうと動く。捕まってなるものか。その風を翼で強く叩き、霞む視界の中で前に出る。冷ややかな月の光が歪に膨らんだエランの影を照らし出す。辺りには草むらばかりで木々はまばらに生えるばかり。ああ、いつの間にか森から出てしまっていたのだ。
     ぐらぐらと頭が揺れる。吐き気と眩暈に気を抜けば地面に叩きつけられそうだ。それでも彼女に捕まるわけにはいけない。
    「ほん、っとうに鬱陶、しいな……!」
    「わっ……!」
     異形の翼をぐしゃりと羽ばたかせ、跳ねた影の飛沫で編んだ影は網の形も成せていなかった。それでも意表をついたのか魔女のバランスを崩すことに成功する。しめた──。さらに追撃を加えようとしたエランの黄緑が大きく見開かれた。
    「っ……! それ、でも……!」
     魔女はあろうことか、箒を蹴ってエランの元へと飛びついた。単身、生身のまま。
    「なっ──」
     避ければいいだけだった。それで、長い追いかけっこは終わったはずだ。けれど何故だか、それはできずにエランは少女に捕まった。
    「──っぐぅ……!」
     ふたりでゴロゴロと地面を転がって、あちこちを石や根っこにぶつけながら小さな窪みにはまり込んだ。草むらに手足を投げ出して、青臭い草の香りを肺いっぱいに吸い込んでようやく息をする。疲れた体には少女一人分の重石がずしりと重く感じた。先に動いたのはスレッタのほうだった。
    「いたた……あ、大丈夫ですか!? 怪我……」
    「……こっちの台詞だけど」
     箒から飛び移ってエランを草原へ落とした張本人の台詞にしては意地が悪い気がした。スレッタは悪びれず無邪気に笑う。
    「えへへ、ちょっとあちこち痛いですけど、軟膏はちゃんと持ってきましたから。それに」
     エランの上に乗ったまま足を開いて膝をつき、軽い身体でエランにしっかりと抱き着いた。
    「捕まえました。わたしの勝ち、です!」
     所詮少女の膂力なのだから、男の力なら振りほどけなくもないけれど。危うげな体勢で誇らしげに笑う少女になんだか毒気を抜かれてしまった。
     脱力した状態でなされるがまま、しがみついて離さないスレッタに尋ねた。
    「それで、勝者は何を望むの?」
     何も持たない敗者は勝者に何を差し出せばいいのだろう。言葉、命、心、服従。どんなに頭を捻っても価値のないものしか浮かばない。疑問とは裏腹にスレッタは迷うことなくさらりと答えた。
    「教えてください。エランさんのこと、全部」
    「全部って……」
     エランに誇れる過去も未来もない。持ち物も名前も顔も、身元さえ。教えるようなことは何も持っていない。言外に困惑を伝えるエランにスレッタは鼻がぶつかりそうなほどに顔を近づける。視界いっぱいに魔女のターコイズがつやつやと輝く。星の浮かぶ大海はすべてを呑み込む青空の色だった。
    「それで、わたしにもお祝いさせてください。エランさんの誕生日」
     醜さも空虚もエランのすべてを受け入れて、それでもあなたを祝いたい。
     少女の柔らかな指先が頬を撫でた。その感触の優しさに、眼差しの強さに、自分の今までの強情が馬鹿らしく、おかしくなった。
     あんなにつぶさに観察していたのに、自分はいったい何を見ていたのだろうか。嵐の夜にさみしそうに震えていた少女は同類ではなく、住む世界の違う交われない生き物でもなく。どこまでもひたむきにエランを見つめてくれるひとだったのだ。じりりと迫る眼差しがここちよくて、月の光の下、深い青の中に揺蕩う。
     一方何かに気づいたように目を見開いたスレッタは恥ずかし気に一度目を伏せて、期待を湛えておずおずとエランを見上げ直した。熱い息が唇にかかる。背に添えられた手のひらは位置が変わり、目の前で紅い睫毛がそっと伏せられる。その意味までわからないと言うつもりはない。それでも少しだけ、自分に問うた。何もない内を探してあっさりと答えにたどり着く。
     敗者は勝者の望むままに。それだけでなくきっと、そうしたいから。言葉の代わりに頬に手を添え、ゆっくりと影を重ねる。
     ──リィン、ゴーン、ガロラン。どこかで鐘が鳴っていた。


     一陣の風が吹く。生温い風に魔法の力を感じ、エランは身構えた。鐘の音が反響し、増幅し、その大きさに耳を塞ぐ前に腕の中にいたスレッタの姿を搔き消した。赤い頬も柔らかな髪も鮮やかな青も、魔法のように溶けていく。
    「──スレッタ・マーキュリー?」
     呼びかけるがすでにあの温もりは失われ、木の葉のそよぐ音だけが夜の森に響いている。
     うまく力の入らない体でよろりと立ち上がり、周りを見渡す。草原にエラン以外の影はない。影伝いに周囲を探っても小さな動物の動きを追いはすれど、彼女の姿は見つからない。
     夢、だったのだろうか。反射的に考えて、身体の疲労感に首を振る。確かに彼女はここにいたのだ。言葉も行動も温もりも、エランの中には存在しない種類のものだった。
     風は悲し気にそよぎ嵐の森へと戻っていく。誰かに呼ばれた気がした。
     少し考え、エランは誘いに従い森の中へと戻っていく。少し飛んですぐに異変に気が付いた。木の位置が随分と変わっている。
     探し回って見つけたスレッタの小屋もまた、以前とは正反対の位置に建っていた。やわらかに朝焼けの射す扉をくちばしでコンコンとノックする。……返事はない。逡巡の間に再び風が吹いた。小さな風はノブを回して小屋の戸を開く。スレッタが迎えているのだろうか? ──いや。
    「──エアリアル?」
     風が、聞こえない声で答えた気がした。導かれるがままに家の中に足を踏み入れ、中の状態を確認する。そこかしこに魔法の素材が収納されたダイニング、整頓してある客間、本のぎっしりと押し込まれた書斎。以前泊まったときとおおよそ変わりはない。風はエランの背を奥に押す。その先はたしか、スレッタの寝室のはずだが。
     ノックをする間もなく歓迎するように扉が開き、寝室に押し込まれたエランはたたらを踏んだ。タンスの上に積み重なった服はあまり見ないほうがいいだろう。朝焼けが差し込む窓辺、柔らかな羽毛をたくさん集めて敷き詰めた、上等に設えられた小さなベッドの上。
     そこに、宝物のように少女は眠っていた。
     大きな目は固く伏せられ、桃色の頬に先ほどこさえたはずの傷はない。小さく開いた唇に手をかざせば暖かな呼気が感じられ、先ほど背に回っていた両手は上下する胸の上で組まれている。赤く長い髪が白いシーツの上に散らばるさまは幸せな絵画のようだった。
    「……スレッタ・マーキュリー?」
     眠っている少女の肩に手を添えると、薄い肩がびくりと跳ねた。
    「うひゃっ……ぇ、エランさん!? すすすみません、わたし寝坊しちゃいましたか!?」
     飛び起きたスレッタは寝ぼけた目でエランの姿を映すと顔を真っ赤にしてあちらこちらに跳ねた髪を手で押さえた。
    「きみは……」
    「ご、ごめんなさいっ! すぐ出発の準備しますねっ!!」
     勢いのままベッドから飛び出すと服を掴んで脱衣所に駆け込んでいく。話についていけず、エランはその背中に声をかけた。
    「落ち着いて。出発って、どこに?」
     ぱちり、あの大きな青い目が不思議そうに瞬いた。
    「えっと、今日約束……してましたよね? 『星の穴』に行く」
     それは、大きなほころびだった。
     エランは気づく。彼女からは丸一日の記憶が失われていたらしかった。
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