一枚の解釈 引き込まれる。
鳥肌が立つほど、そう強く。
ある絵画だけ……その一枚だけ、私は力強さを感じた。
タイトルは〈一天(いってん)〉
絵の解説にはその言葉の意味が書かれていた。
〈一天(いってん)― 空全体、空一面〉
短くシンプルな言葉で書かれたそれは、色々と解釈が取れる言葉。抽象的なようにも感じるその言葉にふさわしい絵画が私の目線の先にあった。
その絵は鮮やかな青から燃え上がるような赤になるようなグラデーションで〈空〉というものが描かれており、絵の中央には小さな鳥の影がぽつりとあった。
絵画自体、私は見る機会なんてそこまで多いわけじゃない。
むしろ、今ここにいる理由なんて高校の課外授業で来ているというだけ。それくらい、私は〈美術〉というものに触れる機会なんてなかった。
だから、この作品を描いた人物が著名なのかもわからないし……この作品が有名なのかもわからない。どんな技法が使われて、どういう風に凄いか……なんてものもわからない。
でも、この作品は引き付ける力があると錯覚するほど……作者は渾身を込めて描いたというのはわかる。
自分の目の色のような青は昔から嫌いだった。
見上げればある色は、常に劣等感が増すような感じがしたから……。
だけど、この描かれている青は実物とは違う。
海の青さとも違う。この絵の中特有の青さ。
雄大で、どことなく虚空なもの。
綺麗と寂しいが交じり合ったような……一言で言い表せないほどの何かがこの絵にはある気がした。
◇
「その絵、興味があるのか?」
「⁉」
突然背後から声をかけられたので、思わず飛び上がって数歩その場を離れるように駆けだす。
しかし、この場所が美術館で走ること自体迷惑だと学校で注意を受けたことを思い出し、かろうじてその場にとどまった。
「……そこまで驚くとは思わなかった。すまない」
振り返ると声の主らしき人物が立って、そう謝罪した。
背がすらっと高く、整った顔立ちの男。髪色は明るい茶色とオレンジが混じったような色で青色のメッシュ、服装は大きめの襟シャツに黒ズボンといったシンプルな服。
そして一番目を引くのが、左右の目の色が違うこと。いわゆるオッドアイと呼ばれるものかもしれない。
「えっと……その、何か?」
私は目を泳がせながら恐る恐るそう聞いた。
「いや、他の客はもっと派手なものを見ているのにも関わらず、君はその小さい絵画を見ているから気になって声をかけた。数分も見ていたようだったから、何かあったのかと感じてな」
「え、そんなに……?」
耳が熱くなっていくのを感じる。
人に言われるまで見ていたなんて恥ずかしい……。
「す、すみません。通行の邪魔でしたよね……立ち止まってしまって。すぐに行きます……」
「違う」
私がすぐに行こうとしたとき、間髪入れずに彼はそういった。
不機嫌そうな表情で見下ろされているので少し怖い……意思疎通がうまくとれなかったから、機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
「僕が聞きたいのはその絵を見て、どう感じたか……という点だ」
「どう……?」
男の質問に対し、私は首を傾げた。
――もしかしてスタッフさんとかかな……? 美術館の学芸員さんとか……?
美術館は相当興味がなければ来る人は限られる場所。
私も今こうやって来ているのは高校の課外授業で来ている。一定の区画ごとに自由行動で時間が経ったら次へ行く、という方式で見ていた。
「……」
彼は言葉を待つように腕を組んで立っていた。
怖い……。怖いけれど、最近似た空気を持つ人と会ったおかげか、以前ほどびくびくしなくなった気もする。
――相手は怖がらせたいわけじゃない。ただ、聞いているだけ……。
「えっと……あくまでも私の感想ですけれど……」
恐怖を抑えつけながら私は言葉を続けた。
「素敵な絵だと……思いました。私は絵について知識とかはないんですけれど……全ての色の〈空〉を描いて……その中央に飛び立っている鳥がまるでずっと飛び続けている渡り鳥のようで……孤独に飛んでいるようにも見えるさまはとても美しいと……」
そこまで言ったときにはっとなり、
「ご、ごめんなさい! もう少しうまく伝えられればいいんですけれど……」
と咄嗟に付け加えた。
長く話しすぎたのかもしれない……。
誰かに説明をしたりするのは苦手意識がある……。
しかし、相手の男はこちらを見ながら何度か頷いていた。
「なるほど……ありがとう。実にいい話を聞けた」
納得するように彼はそう返した。
心なしか少し表情が柔らかくなった気がする。
「いえ、私の言葉が役に立ったのならよかったです」
どうにか答えは間違わなかったようだと内心ほっとする。
「ところで君、どこかの学校から来たのか? 似たような服装の人が出入りしているのを見かけるが……」
「は、はい。授業の一環で今日はこの美術館に来てるんです」
「ふむ……そうか」
彼はそう考え込んだ後、
「君、後で教員とバックヤードに来るといい。授業の一環なのであれば、それが終わってからで構わない。これを渡しておこう」
と入館証のようなものを渡された。
――やっぱり関係者の人だったんだ……。
そう思いながら半ば無意識に入館証を受け取る。
「あ、あの!」
そう言いかけた時、先ほどまで話していた男は消えていた。
一瞬幽霊かとも思ったけれど、入館証は本物っぽい。
――なんだったんだろう、あの人。
頭をかしげながらふと腕時計を見るとそろそろ別の展示場所へ移動する時間が迫っていた。
「急がなきゃ」
そう独り言をつぶやきながら早足で移動を始めた。