痼り(脹虎)『とりあえず俺の……兄貴ってことで……』
何も知らない人たちに脹相のことを説明するならこう言うのが手っ取り早いと思った。だが、いつしかもやもやとしたものになり、悠仁の中で痼しこりのように残ってしまっている。
「なーんか違うんだよなー」
広くて丸いベッドの上に腰を下ろしながら足を泳がせていると脹相がきょとんとした顔で見てきた。正直な話、自分の着ていたパーカーをベッドの下に落とす姿に”兄貴”と胸を張って言えるだろうか。血の繋がった兄弟であるならこれからいやらしいことを始めようとしているのは大問題なのでは、と思う。
「悠仁? どうした。何が違うんだ」
いつになく神妙な面持ちの悠仁が心配になったのか、脹相が八の字に眉を寄せていく。
「あのさ、俺って」
「うん?」
「脹相の弟?ってことになってんじゃん。正直良く分かってないんだけどさ」
「ああ、悠仁は俺の自慢の弟だ」
そう言って眉間から右瞼にかけて存在する傷跡に唇を押し当てる。悠仁は擽ったそうに身じろいで脹相の肩を掴んだ。
「っ…、でも俺たちやることやってるだろ?」
「? そうだな」
「ふつー兄弟ってこういうことしねぇんじゃねぇかな」
事に及ぶ前にはっきりと伝えれば今度はズボンを脱がしに掛っていた脹相が血相を変えた。今頃気が付いたとでもいうのだろうか、目を見開き、滝のように汗を吹き出している。心なしか、鼻の線がぐにゃりと歪んで見えた。
「しないのか……?」
やっとのことで発した声は情けないものだった。脹相と向かい合うようにベッドに乗る悠仁は顎に手を当ててうーん、と唸った。
「少なくとも俺は聞いたことない。つか、そんなこと言ったら他の弟たちにもこういうことしてたんかって思っちゃうんだけど」
「壊相と血塗にはこんなことしていないぞ! 悠仁だけだ! 信じてくれ!!」
狼狽えた様子で悠仁の肩を掴みぶんぶんと前後に揺らす。80kgはある悠仁をフルスイングしてしまうような男に敵うはずがなく、悠仁は揺さ振られながら分かったから落ち着け!とひと先ず宥めた。
「こんな汗かかなくても」
用意していたタオルで血汗を拭いてやる。まるでフルマラソンでもしてきたかのような、尋常じゃないくらい呼吸が乱れていた。
「……ほ、他の弟たちにも、…ハァ……同じ…ような、こと…していると疑われ、たら…っ、そうなる……」
「いや、疑ったっつーか…実際どう思ってんのか気になったんよ」
拭う手を下ろせばシーツの皺辺りに視線を落とした。脹相が追い掛けるように悠仁の顔を覗き込むと恥ずかしさで揺れるその瞳に吸い込まれていく。
「脹相は、俺のこと好き?」
「あ、当たり前だろう!」
「それって俺が弟だからじゃなくて?」
「……いや、…それは違う」
弟たちを愛しいと思うことはあっても、その先のどろどろとした感情が芽生えることはなかった。独占欲と支配欲。悠仁を自分のモノにしたいという気持ちが渦巻いて、受け入れてくれるたびに欲張りになっていく。
弟としての”好き”と違うということは自覚していた。
悠仁は手の甲で口元を覆い隠すと脹相から視線を逸らした。
「そっか……。俺もさ、皆に脹相のこと兄貴って言ってるけど、キスしたりこういうことすんのはやっぱ違うと思ってんだよね。好きだから抱かれてるし、好きじゃなかったらこんなこと聞かないし」
底知れぬ罪悪感に押し潰されそうになっていた悠仁を支えてくれたのが脹相だった。
どんなに素っ気ない態度を取られようが、弟が苦しんでいるとあれば、見過ごすわけにはいかないと片時も離れなかった。
そんな男を好きにならないはずがない。
「はー……よかったー……」
脱力感に襲われてぐにゃりとベッドに倒れ込む。肉体関係を持ってから”弟”という肩書きがずっと引っかかっていた。特別であると同時に分け隔てなく平等に扱われていると感じてしまった――この痼りはそれが原因で出来たものだった。
「悠仁」
そう呼ばれて目線だけを動かせば脹相が上に覆い被さってきた。へ、と頓狂な声を洩らすも指先を絡め取られてシーツに縫いつけられていく。
確かにソウイウことをする為にベッドにいるわけだが、あまりにも急だと思うし、何より今は余韻に浸っていたい。だが気持ちとは裏腹に心臓はドクドク、と期待するように激しく脈を打つ。薄らと唇を開いた瞬間、それを待っていたと言わんばかりに唇で塞がれてしまった。
ただ触れるだけではない、酸素を奪うような口付けだった。
「ふ…ぁ……」
頭がくらくらしてくるうえに全身がぴりぴりと痺れてくる。口の中に分厚い舌が滑り込んでくると目尻に涙を浮かべて身悶えるようにつま先でシーツを引っ掻く。ああ、ずるい。これ以上されたら頭がどろどろに溶けてしまいそうだ。服越しでも分かるほどに膨張したそれを下腹部に押し付けられるたびに疼いてくる。
「ちょ…、そぉ…っ」
息継ぎの合間に名前を呼ぶと何時も以上に余裕がなさそうな脹相と目が合う。悠仁はぜえぜえ、と肩で息をするなり軽く頭突きを食らわせた。軽くとはいえど、脹相が怯むほどには悠仁の頭突きはなかなかパワフルだ。
「っ、がっつきすぎ!」
悠仁が顔を真っ赤にして訴え掛ける。堪らず額を押さえている脹相は桁違いの膂力だの、正に鬼神だの、褒め言葉として受け取っていいのかも分からない言葉を並べていた。
「……真面目にやってくんねぇかな…っ」
「はっ……す、すまない!悠仁があまりにも可愛いことを言うから歯止めが効かなくてだな!」
先ほどと同様に脹相の感情の昂りによって形が変わるそれはだらだらと血を垂らしていた。普段からぼんやりとしている脹相だからこそ、この体の構造は分かりやすくてありがたいが、何も知らない側からすればハラハラする要素だろう。
だが、悠仁はこの男を知り尽くしている。
血が溢れ出ていようとも戸惑うことも躊躇うこともなくゴシゴシ、と手で拭いてあげていた。
「それも、脹相が俺のこと好きだからってことで受け取っていいの? 違うならちゃんと言えよ、勘違いしたくない」
もし思い違いだったら、と不安そうに目を合わせる悠仁に、脹相は吹き零れるような笑みを浮かべた。
「オマエはいつだってお兄ちゃんの心を揺す振ってくれるな」
「は?」
「悠仁の言葉を借りるとするなら、好きじゃなかったらこんなことしない」
“好き“という枠はとっくに超えてしまっているのだから。
「……どうだか。今さっき自覚した、みたいな反応だったし」
「あれは……」
「やだよ、俺。ちゃんと同じでいてくれなきゃ。ワガママだとしてもお前に愛されたいんだよ」
曖昧な関係が続いていたことがそれなりに不満だったらしく、どこか拗ねたようにこちらを睨んでくる。
まったく、この子は。血液のようにどろどろとしたこの感情を抑え込むのに必死だというのにどこまでも好きにさせてくれる。もう後戻りは出来ないだろう。幾度となく体を重ねている時点でするつもりもさらさらないが。
目の前の少し腫れた唇に噛みつけば脹相は吐息交じりに囁いた。
「愛しているよ悠仁」
(独り占めしたいくらいに、)
END