縋る(脹虎/原作軸) 明日にでも死んでいいと思ってる。頭上でチカチカ、と灯りが点滅する中、未開封の惣菜パンを見つめながらボヤくと隣に座っていた脹相が悲しそうな、それでいて怒ったような、何とも形容し難い表情を浮かべた。
変な男だ。出会って間もないというのに引き留めようとしてくる。
「そんなこと、言うな」
「言うよ、俺は宿儺の器で、大勢の人間を殺したんだ」
「あれは悠仁の意思じゃないだろう」
「それでも…、抑えることが出来なかった」
脹相との戦いの後、気が付けば、見覚えのある場所が跡形も無く破壊されていた。夥しい血の跡。肉の塊。呻き声。奥深くに隠されていた記憶がカメラフィルムのように引っ張り出されていく。
俺が、殺ったんだーー多くの人間を手に掛けたのだと分かった瞬間、酸味だけの胃液が迫り上がってぶちまけた。
「好き勝手にされたんだ」
「……俺は誰も救えなかった」
「ナナミンの分まで苦しむって決めたのに」
「どうして俺はまだ生きてるんだって、ッ……」
コップに注いだ水が溢れ出るみたいに言葉を連ねれば悠仁は息苦しさから胸を押さえつけた。喉の奥からヒュッと空気が漏れ、嫌な汗が肌に滲んでいく。すかさず脹相が悠仁、と手を伸ばしてきたが反射的に振り払ってしまった。
「……ぁ、わりっ…俺…」
無意識とはいえ申し訳なさそうに悠仁が眉を下げると脹相は静かに首を横に振った。
ここ何日か呪霊狩りで食事も睡眠もまともに摂っていない為に活動限界を迎えていることは気付いていた。いくら丈夫でも、肉体的にも精神的にも不安定な時期。出来ることならゆっくり休んでほしいが、それを良しとしないのが虎杖悠仁という男だ。
「俺も似たようなものだ」
手のひらを眺めながらそう呟く。
「好き勝手にされた。加茂憲倫――憎くも自分の親に、な。俺も弟たちもただの手駒に過ぎなかったんだ。壊相が警戒していたように奴の企みにいち早く気付けていれば、大勢の人間を殺すことはなかった。……赦されないことだ」
目の前の命より弟たちの仇を討つことで頭がいっぱいだったのだ。
運命の糸を手繰り寄せるように歩き続けて、目の前に現れた男の姿を捉える。心臓の鼓動がドクドクと速まるのを感じながらも憎しみを込めて両手を合わせた。
まさかその男が血のつながった弟であることも知らずに。
「今更悔やんでも亡くしてしまった者が戻ってくることはない。だから、出来るかぎりのことをやっている悠仁がとても誇らしい」
悠仁は罪を償おうと命を燃やしている。渋谷のときのようにいつ宿儺に乗っ取られ、いつ誰かを傷つけるか分からないからと独りになりたがるところも、この子は本当に優しくて、繊細で、甘え下手でーーひと月経っていなくともこれまでの言動や態度から痛いほどに伝わってくる。
もっと早く気付いていたら、悠仁が弟だと感じ取っていたら”人”として苦しまずにいられただろうか。
悲しさで顔を歪めればでもな、と喉の奥から振り絞るような声を漏らした。
「悠仁に生きててほしいと思う者がいることも忘れないでくれ」
悠仁は持っていた惣菜パンを地面に落とすや否や声がしたほうに顔を向けた。何を考えているのかも分からないような男の情けない表情が視界に飛び込む。次第に唇を震わせていくと大きな目が透明な膜に覆われていった。
「……っ、だからお前は、俺の傍から離れようとしねぇの?」
そう問い掛けてみれば脹相はああ、と正直に答えた。
「なんで……っ、…俺……お前に酷いこと言ってばっかで……お前の弟だって、俺が……ッ」
脹相が大切にしていたものをこの手で壊してしまった。
善であれ悪であれ、自分にとっての大切な人が存在するように、彼らにもまた大切な存在がいるということを、怒りと悲しみに満ちた脹相と対峙して思い知らされた。
『あの世で弟たちに詫びろ』
あれは兄として当然の行いだった。
だからこそ弟を殺した自分が優しくされるのは違う。
「俺の……せいで……」
罪悪感が押し寄せてぼろぼろと溢れる涙を必死に拭う。と、互いの距離を縮めるように脹相の腕が体に絡みついた。あまりにも唐突な行動に戸惑いつつ、抵抗する気力はなく、いとも簡単に腕の中に閉じ込められていく。
「もういい、…もう、いいんだ悠仁。オマエのせいじゃない、誰も責めたりはしない。生き残る為にはそうする他なかった。……弟たちもきっと分かってくれる。オマエはどうしてそう言い切れるんだって思うかもしれないが」
脹相は今にも壊れてしまいそうな悠仁の背中を優しく擦りながら安心させるためにふと笑みを浮かべみせた。
「俺は、お兄ちゃんだ。オマエたちのことなら何でも分かる」
二人の間を隔てていた何重もの壁がガラガラと崩れ落ちる音が脳に響いた。
悠仁が瓦礫の山を登れば受け止めようと両手を広げた脹相が立っている、そんな場景。やはり、変な男だ。出会って間もないうえに、本当に血の繋がりのある兄弟なのかも確証に至っていないのにここまで自信に溢れているなんて。
脹相に縋りつく権利はない。なのに、爪を立てるようにその背中に手を回した悠仁は脹相の肩に顔を埋めた。
「ごめん、…ごめん、……俺、ほんとはまだ……っ」
部品でも、まだ、足掻きたい。生きたい。
瓦礫の山から飛び降りた悠仁が脹相に抱き着く。すると、その後ろに見覚えのある二つの影があった。ずっと傍で見守っていたのだろうか。怨むどころか、何処か安心したように微笑んでいる。
弟たちもきっと分かってくれる――その通りだった。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を向け嗚咽を垂れ流すまいと下唇を噛み締める悠仁に、二人は顔を見合わせてから頭に向かって手を伸ばした。ポン、と一瞬触れられたような気がしたが、くすんだピンク色の頭に乗せられた大きな手は脹相のものだった。
瓦礫の山もなければ肩越しに見えていた二つの影もいない。
とうとう幻覚まで見るようになってしまったのかと嘆きたくなる半面、救われたような、不思議な感覚が内に広がっていった。
「ああ、分かってる。生きよう悠仁。何があってもお兄ちゃんは悠仁の味方だからな」
まるで映画に出てくる主人公みたいな口振りに脹相ならやり兼ねないな、と思いながらも悠仁は脹相に縋り付いて瞼を下ろす。
(お前が生きろっていうなら、)
縋る