ヒトツメは魔界へ行くことを決めた。
本当なら、なるべく帰りたくない場所だった。
だが、garbageのために必要なものを手に入れるには、魔界に行くしかない。
「……大丈夫だろう」
あれから大分、月日も経っている。
自分がここを離れたのはかなり前のことだ。
今さら顔を覚えている悪魔もそう多くはないだろう。
行くしかない。
ヒトツメとgarbageは、魔界行きの汽車に乗るために駅へ向かった。
「へぇ……ヒトツメの故郷か」
garbageはどこかワクワクしているようだった。
「何が面白いんだか」
「いや、未知の世界って感じで、なんか面白そうだろ」
「……そんな楽しいところじゃないぞ」
そうぼやきながら、ヒトツメは切符を買い、2人は改札を通る。
しばらくすると、一台の汽車がホームに滑り込んできた。
黒い光沢のある車体をした汽車だった。吸い込まれてしまいそうな。
煙突からは白ではなく、黒い煙がゆっくりと立ち上る。
、garbageが最も驚いたのは線路が宙に浮いていることだった。
「……え、これどうなってんだ?」
人間界じゃ絶対ありえない光景に目を見張るgarbage
「まぁ、人間界の技術で魔界には行けないからな」
2人は車内へ乗り込む。
中は薄暗く、座席は黒いベルベットのような質感の布で覆われていた。
乗客はまばらだったが、どの悪魔もじっとりとした視線を投げてくる。
garbageは気にしないフリをした。
2人は向かい合わせに座った。
「……にしてもさ」
garbageがふと思ったように口を開く。
「魔界って悪魔の世界なんだろ? なんで汽車で行くんだ? 飛んで行けばよくね?」
「飛ぶことでも行けるが……遠いんだよ」
ヒトツメは肩をすくめる。
「人間界と魔界はそこそこ距離がある。飛んで行こうとすると時間がかかるし、何より疲れる。汽車が一番楽だ」
「悪魔の口から、飛ぶのが疲れるとかあまり聞きたくないな…」
そんな会話をしているうちに、汽車はゆっくりと減速を始めた。
「着いたぞ」
「おお……!」
汽車の扉が開くと、冷たい風が吹き込んできた。
garbageは先に降り立ち、周囲を見渡す。
「……」
一瞬で分かった。
ここは、人間界とはまるで違う。
まず、空の色が赤黒い。
まるで永遠に続く夕焼けのようだが、どこか不吉な色合いだった。
空気も…なんか不思議だ。
道の材質も妙だ。
黒曜石のような光沢を放つ黒い石畳が広がっている。
歩くと硬質な音が響くが、時折、石畳の隙間から怪しげな紫の光が滲み出ている。
周囲にいる生物や植物も奇妙だった。
見たこともない建築様式の建物が立ち並び、そのどれもが歪んでいた。
「……すげぇ」
garbageは素直に感嘆した。
「どうした?」
「いや、想像以上に違うな……すげぇ」
「そんなに驚くことか」
「いや、人間界とはまるで別世界じゃん」
「そりゃそうだ。ここは人間が生きられる場所じゃない」
「……なるほどな」
garbageは好奇心を抑えられず、あちこちを見回す。
その様子を見ていたヒトツメは、ふっと息をついた。
「行くぞ。まずは、俺の知ってる奴を探す」
「どこ?」
「……昔の知り合いの店だ」
「ふーん……」
garbageはまだ興味津々の様子だったが、少しだけ慎重に歩き出した。
こうして2人は、魔界の街の中へと足を踏み入れていった。
「はぐれるなよ」
ヒトツメがそう釘を刺すと、garbageは「わかってるって」と軽く返しながらも、興味津々に辺りを見回していた。
建物、生物、空気の流れまで、すべてが未知のものだった。
そんな魔界をキョロキョロと観察しながら、garbageはヒトツメの後ろをついて歩く。
やがて、ある店の前で足を止めた。
扉を開けると、店内には薄暗い光が灯っていた。
どこからかかすかに硫黄のような匂いが漂っている。
カウンターの奥から、黒い兎のような悪魔が顔を出した。
「おっ、久しぶりだな!」
兎の悪魔は笑った。
「……ニホ、今もここで商売してたか」
「おうよ! それより、珍しいな、お前がこんなとこ来るなんて」
「必要なものがあってな」
ヒトツメは簡潔に用件を伝える。
「コイツの護身になるものは無いか」
そう言いながら、garbageを指さす。
ニホはgarbageをじろじろと眺めた。
「……なんだこいつ、変わったヤツだな」
「細かいことはいい」
「はいはい、商売だもんな」
ニホは顎を掻きながら少し考え込むと、店の奥へと消えた。
ガタガタ、ゴトンと物音が聞こえる。
しばらくして、さまざまな物を抱えて戻ってきた。
「よし、こんなのはどうだ?」
ニホは次々と紹介していく。
「これは瞬間防御の魔導具。発動すると一定時間だけ魔力の障壁を張るが、魔力消費がデカい」
「こっちは自動反撃の呪符。攻撃されると相手にダメージを跳ね返すが、効果が不安定」
「あと、こっちは影に潜れるマント。逃げるには最適だが、着ると冷たくて寒いらしい」
garbageは、説明を聞きながら適当に「へぇ」と相槌を打った。
魔界の道具については、何がいいのかさっぱり分からない。
「何か気になるものはあるか?」
ヒトツメが聞いたが、garbageは「うーん」と適当にあしらった。
だが、その時ふと視界の端に気になるものが映った。
「……これは?」
garbageは無造作に転がっていた物を手に取った。
それは、枯れ木のような物に、黒いヒルのようなものが引っ付いている物体だった。
ヒルはゆっくりと蠢いており、まるで何かを探しているように動いている。
「……」
garbageは興味深げに眺める。
すると、ニホが苦笑しながら言った。
「それは、あんまりオススメしないぞ」
「どうして?」
「寄生型のペットだよ。一度寄生したら外せないんだ」
「へぇ……」
「伸び縮みするから武器にもなるし、耐久性もある……けどな」
ニホは軽く溜息をついた。
「燃費が最悪なんだ」
「燃費?」
「ちょっと動かすだけで、とんでもない量のエネルギーを取られる。
魔力とか……あと、栄養だな」
「栄養……?」
「要するに、宿主の生命力を直接吸うってことだよ」
「……なるほどな」
「しかも神経と繋がるから、そいつが傷つけばお前も痛みを感じるし、ダメージを受ける」
ヒトツメが口を挟む。
「結構デメリットがデカいんだな」
「そういうこった。だから、ほとんど売れないんだよな……」
ニホは肩をすくめた。
だがgarbageは、そんな説明を聞きながら、考えていた。
(……俺には栄養は必要ないし、魔力も神経もない)
(……これ、もし無機物にも寄生できるなら……)
(相当、都合がいいんじゃないか?)
garbageはヒトツメを見た。
「これ、ちょっと試してみていいか?」
ヒトツメはじっとgarbageを見つめた後、軽く溜息をついた。
「……好きにしろ」
「おっ、本気か?外せないんだぞ」
ニホがニヤリと笑う。
garbageは改めて、その寄生型ペットを見つめた。
果たして、無機物の自分に寄生することができるのか。
garbageは、ゆっくりとそれに手を伸ばし蓋を開けた——。
garbageは手の中の黒い生物を見つめ、少し考えた。
寄生の方法や条件が分からない。
「とりあえず、飲み込んでみるか」
ヒトツメが何か言いかけたが、garbageは気にせず、生物を口のない顔の隙間へと押し込んだ。
噛まないように、ゆっくりと、喉へ落とすように。
いや、正確には喉ではない。
garbageの体は無機物でできており、内部は空洞だ。
そのため、生物はどこにも消化されることなく、ただ体の中に落ちていった。
蠢く。
這いずる。
体内に、何かが入り込んでうごめく感覚があった。
寒気にも似た違和感が、胸の奥から広がる。
「……」
garbageはしばらく沈黙し、そのまま立ち尽くしていた。
すると、ニホがにやりと笑い、興味深そうに言った。
「よし、出してみな。」
garbageは黙って頷くと、グローブを外し、手を空にかざした。
その途端球体関節の手のひらが突き破られた。
先ほど飲み込んだ黒い生物が、garbageの手のひらを突き破って飛び出してきたのだ。
まるで空気に馴染もうとしているかのように蠢く。
garbageの手のひらには穴が空いている。
しかし——
「痛くねぇな」
じっと破損した手を見つめる。
痛みはない。
完全にどうやって「出した」のか自分でも分からなかった。
ただ感覚だった。
すると、突如として黒い生物が暴れだし、garbageの手から離れて体内へ戻ってしまった。
garbageは困惑する。
「おいおい、せっかく出したのに戻ってんじゃねぇか」
ニホはくくくっと笑った。
「そいつ、腹が減ってるんだよ。」
「は?」
「それから水分不足だとさ。大層ご立腹だ」
「……なるほど」
ニホは肩をすくめながら続けた。
「まぁ、少なくとも食料と水分さえあれば、お前のために働く気はあるようだ。良かったな」
garbageはしばらく考えた後、ニヤリと口元を吊り上げた。
「……面白い」
新たな力を得たことが、少し嬉しかった。
未知の能力に、心がわずかに高揚する。
手のひらを握りしめながら、garbageはヒトツメを振り返りこう言った。
「これなら、次は天使も倒せるかな?」
——その瞬間。
ニホの表情が、わずかに曇った。
「……天使と戦ってるのか」
garbageの言葉を繰り返しながら、ニホは微妙な顔をする。
「まぁ……ご苦労なこった。俺たちにとっちゃ有難い話だが」
そう言いながらも、嬉しそうではなかった。
garbageは首を傾げる。
「お前、天使嫌いじゃねぇの?」
「嫌いさ」
ニホは短く答えた。
「憎いくらいにな」
だが、その顔にはどこか迷いがあった。
……でもよ、と続ける。
「天使も……嫌いだけどさ、憎いけど」
ニホは空を見上げるように天井を仰ぐ。
「きっと、何かきっかけがあれば仲良くなれると思うんだよ。」
「……」
「だって、大昔はそうだったんだから」
その言葉にヒトツメは何も言えなかった。
ニホは語り続ける。
「俺は人間が好きだ、食べるのも眺めるのもな」
「いつか人間界に行きたいが…やっと手に入れたこの店を放っていけないから」
「無意味な戦争が終わってくれりゃあ…きっと叶うんだろうな」
garbageとヒトツメが、無言でニホを見つめる。
ニホは小さく悲しそうに笑った。
「……俺が戦争を終わらせるよ」
garbageは静かにそう言った。
ニホは一瞬、驚いたようにgarbageを見た。
しかし、すぐに口元を歪めて笑い——
「おお、そいつは期待してるぜ!」
まるで本気にしていないような軽い口調だったが、どこかその声は明るくなっていた。
また来いよーと手を振るニホを背に、店を後にする二人。
魔界の道を歩きながら、garbageはヒトツメをちらりと見て、何気なく尋ねた。
「次はどこへ行く?」
ヒトツメは少し考え込んだ。
「……1度、家にあるものを取りに帰りたい」
しかし、その声は暗かった。
何かを抱え込んだような、重たい響きだった。
garbageはヒトツメの横顔をじっと見つめたが、それ以上は何も言わず、ただ彼について行くことにした。