魔法の指輪 記念日でも何でもない日に贈られた指輪は、プラチナで出来たシンプルなものだった。
なんの指輪か聞いたら、「深津さんの薬指の予約」とだけ返されて、それなら婚約指輪かと思ったけれど、デザインは完全に結婚指輪そのものだった。
「こんなの付けれないピョン」
「付けなくていいよ、オレがあげたいからあげるんです」
聞けば、オーダーメイドで作らせたという。ブランド名も終えてもらったが、ジュエリーに詳しくない深津にはピンと来なかった。
「オレと深津さんが繋がってる証が欲しくて勝手に作っちゃった。イヤでした?」
首を振る。
イヤなわけではない。もちろん。
付き合って10年近く経つ恋人からのプレゼントは、どんなものでも嬉しかった。
けれど、まさか指輪とは。
沢北はアメリカ、深津は日本に住んでいて、遠距離恋愛も5年以上が経ち、良い意味でも悪い意味でも余裕と安定が出てきた頃。
付き合った当初は独占欲も見せていた沢北が、今になってまた深津を縛ろうとするのは意外だった。
「結婚したいピョン?」
何気なく聞いてみたのに、声に出したら結構重い言葉だった。
「したいよ、もちろん。」
淡々と返す沢北は、けれど口元をきゅっと引いて、少し強張った表情だ。
「でも…」
「でもお互いの状況とタイミングによるでしょ、今すぐじゃないよ。いつかでいいし、しなくていい。それでも、持ってて欲しい。予約だから」
深津の言いかけた言葉を遮って、沢北はベルベットの指輪ケースを握ったままの深津を抱きしめた。
「オレだと思って大事にして」
腕の中で見上げた沢北の目尻が少し赤い。
泣きそうなのか、指輪を渡すだけで。
その思いに胸が熱くなって、深津まで泣きそうだった。
プロポーズじゃない、そんなに大々的じゃない。
それでも、沢北の気持ちが込められた宝物には違いなくて、深津は抱きしめられながら、絶対に大切にしようと、その時確かに心に誓った。
沢北と深津は、実はお揃いのものが多い。
普段使いの靴やジャケット、アクセサリーやヘアワックスまで。
友人達には驚かれることが多いが、沢北が深津になにかとプレゼントしようとするので、身の回りの物は自然と沢北関連のものが多くなった。
『似合うと思う』
というメッセージと共に高級ブランドのコートが贈られてきた冬もあった。
深津は物持ちがいいので一度買った衣類はずっと着続ける事が多いのだが、その前の冬にコートがくたびれていると溢したのを沢北が覚えていて、それでプレゼントしてくれたんだと思う。
本人は、特に何も言わなかったけれど。
それからずっと大事にしているコートは、高級ブランドではあるが深津好みのデザインで質も良い。気に入った深津は、それ以来そのブランドの商品をよくチェックするようになった。
翌年に出たコレクションの中に、沢北に似合いそうなシャツがあったから、勝手に買って送りつけたら、大袈裟なほど喜んでいたのを覚えている。
『深津さんもおそろいね』と色違いを買ってきて、なんでペアルックだよと思わないわけでもなかったが、世界的なスターである沢北と比べて、一般的な会社員である深津が着ていても特に驚かれないだろうシンプルなデザインだったので、深津の普段着の仲間入りとなった。
そうやって増えたものの中に、あの指輪がある。
沢北は、試合以外ではずっと付けているようだった。『私生活でも恋人の有無を聞かれなくて良い』と言っていたのは指輪を贈ってくれたあの日から数ヶ月後の電話でのこと。
雑誌やテレビで沢北を見かける時も、薬指にあの指輪が収まっていたから、まさしく恋人の存在を匂わせるのに一役買っているようだ。
深津はというと、あの指輪を付けることはほぼ無かった。
大事にして、と言われたから。
無くすのも嫌だし、あくまで沢北は「薬指の予約」と言っていたから、本番が来るまで大事にしておこうというのが深津の考えだ。
時々、沢北が「指輪つけないの?」と聞いてくる事があったが、「無くしたくないから」と答えるとそれ以上聞いては来なかった。
外で付けることはなかったが、深津にとってあの指輪は沢北の一部のようなもので、時々箱から出して磨いたり、薬指につけて眺めたりして大事にしていた。
あの指輪があるだけで勇気をくれる。
どうしてもしんどい時や大事な仕事の前には、箱ごと鞄に入れて持って行くこともあった。
つけなくても側にあるというだけで、とてつもない安心感をもたらしてくれる、深津にとっては魔法のような指輪だった。
『沢北栄治 緊急帰国』というネットニュースの写真に、あの指輪が写っているのを見て安心する。
久しぶりの帰国だった。
来シーズンに日本のリーグに復帰か、とここ最近嗅ぎつけられている沢北は、極秘の帰国にも関わらずしっかりと撮られていて、難儀だな、と恋人なのに他人事のように思う。
本人からまだ何も聞いていないが、なにか考えている事はあるのだろう。
今回の帰国も直前に連絡があっただけで、何のためかは教えてくれなかった。
お互い大人で付き合いも長い。無理やり本人から聞き出すよりも、話してくれるのを待つのがここ数年の2人の暗黙の了解だった。
自宅のダイニングでコーヒーを啜りながらそんな事を思っていると、沢北から『起きた?』とメッセージが届いた。
一昨日の昼に着いた沢北は、まっすぐ深津の家に向かわず、丸一日なにか用事をこなしてから、都内のホテルに宿泊しているようだった。
『同じ日本にいるのに会えないの辛い』と深夜にメッセージが来ていたから、遅くまでかかっていたのだろう。
今日はもともと、深津と一緒に居る予定だった。
『デートしようよ、空けておいてね』と言われたので仕事は休みを取った。
どこに行くかは聞いていないが、最近は2人で会えても出かけること無く家に篭るばかりだったので、たまには良いなと深津も少し嬉しかった。
そう、少し浮かれているのだ。
「──もしもし?おはよう」
メッセージを打つのが手間で電話をかけたら、沢北は割とハッキリした声で出た。
「おはよう。早起きだピョン?」
「ううん、まだ若干時差ボケ」
「疲れてるなら無理しなくて良いピョン、日本で仕事したんだろ」
「仕事ってほどじゃないし、疲れてないよ。早く深津さんに会いたい」
素直な言葉もいつものことだ。深津はそれにハイハイ、と相槌を打つ。
「迎えに行くピョン、ホテルまで」
「えっほんと?」
「お疲れなエージ様のためピョン」
「うれしー!深津さんの運転好きなんだよね」
日本で出かける時はいつも深津が車を出しているが、その度に沢北は『オレの専属運転手にしてずっと囲いたい』と物騒なことを言う。
沢北曰く、『深津さんが運転する横顔がカッコよくて、ちょっかいをかけたいのにかけちゃいけないのがムズムズして、信号待ちになる度にいちゃつくのが楽しい』らしい。
「何時ピョン?」
「すぐでいいよ、着いたら教えて」
「分かったピョン」
「それから、今日は…大事な話もあるから」
大事な話、と頭の中で繰り返す。
きっと、来シーズンの話だろう。
沢北のことは沢北自身が決めるべきだと思っているのに、こうやってしっかり深津にも話そうとする。高校時代のクセが抜けないのか、大事な判断をする前は必ず深津に報告・相談するのが沢北の当たり前のようだった。
「ん、分かった」
沢北が妙に重々しい雰囲気を出すから、どんな話をされても別に反対なんかしないのにと思いながら電話を切る。
さて準備するか、と思い直して、ふと、あの指輪をつけて行こうかと思い立った。
いつも沢北が見つめる己の薬指にあの指輪があったら、ちょっとは喜ぶかもしれない。
アメリカでの修行を終えて、一つの新たな決断をする恋人が少しでも喜んでくれるなら。
そう思って、深津は久しぶりにあの指輪ケースを取り出した。
一日中つけて歩くなんて滅多にしない。
落とさないよう注意を払えばきっと大丈夫だと言い聞かせて、沢北と同じように深津も自分の左手薬指に嵌める。
ピッタリとおさまった指輪は、ケースの中よりも輝いて見えた。
沢北は上機嫌だった。
会って早々、深津が指輪をしているのに気付いてからは「すごく似合ってるね、誰がくれたの?」なんて緩み切った顔で言うのだから、「こんなに大事にしてるのにもう忘れたのかピョン?」と返したら、「忘れるわけないよ」と熱烈にキスしてきた。
久しぶりの再会に深津も気分が高揚して、素直に首に手を回して応えたら、「このまま部屋に戻っちゃうかもしれない」と真面目な顔で言われて笑ってしまった。
デート、といっても当たり障りのないもので、ショッピングモールに行って洋服を買ったり、海辺のちょっと良いレストランで食事したり、その辺のカップル達と何も変わらないデートだった。
お揃いの指輪があるだけで、そんな当たり前のデートが光り輝くものになるなんて、深津は知らなかった。
もっと早く付けて見せればよかった、と思うくらいには、一つ年下の恋人は浮かれていて、その様子が可愛くて仕方なかった。
「夜は?ホテルに泊まるピョン?」
深津がハンドルを握ったまま助手席の沢北に問いかける。
コーヒーショップで買ったカフェモカを飲みながら、沢北はうーん、と声を上げた。
「ほんとは、もう一ヶ所行きたいところがあって…」
もう夜も更けた20時だ。遅めの昼ごはんはレストランで済ませたから、このままどこかで夕食を取ってそのままどちらかの部屋にでも行くのだろうと思っていた深津は、驚いて沢北を見返した。
「どこだ?閉店時間とかあるピョン?間に合わないかも」
「閉店時間とかは特に、ないんすけど…」
「24時間営業?今日中に行きたいピョン?」
「ってか、深津さんに見せたいっていうか…」
突然歯切れの悪くなった沢北に、深津は痺れを切らし、一度車を路肩に止めた。
しっかり体ごと向き直って沢北の目を見る。
「なんかあるピョン?言いたいこと」
長年の付き合いの勘だ。沢北が言葉に詰まるときは、深津に何か隠しているときと話しにくい時。
黙って待っていると、沢北が意を決して深津の目を見据えた。
「深津さんに、言っておかなきゃいけない事があって」
今朝言っていた大事な話というのはこれか、と合点する。
十中八九、日本に戻るかどうかの話だろうとは思うが、何をそんなに緊張した面持ちでいるのか分からない。
「早く言えピョン」
「はい、あの」
沢北がすうっと息を吸った。
「来シーズンから日本のチームでプレーします」
緊張した顔でそう言う沢北に、深津は頷いてみせる。
「そう思ってたピョン。どこのチームか決めたピョン?」
「それは今調整中で、昨日もその話で各チームの担当者と会ったりしてて…」
沢北なら引っ張りだこだろう。
深夜遅くまで連絡が無かったのにも納得がいった。どのチームも、アメリカで活躍した沢北栄治が欲しくてたまらないはずだ。
しかも、日本ではまだまだ知名度の低いバスケリーグ。そこに、顔も良ければ若くて知名度もある沢北ともなれば、喉から手が出るほど欲しいに違いない。
「でも、それはその、どうでもいいというか、オレは今まで通り頑張るだけっていうか、バスケ続けさせてもらえるから、そこに感謝しながら日本に戻れるのは嬉しいんすけど…」
けど…と顔を伏せた沢北に、深津はまだなにかあるのか?と不安になる。
まさか、日本に戻るから深津との関係を解消したいとか?今日はあんなに喜んでいたのに、もしや浮かれていたのは自分だけだったのか?とありもしない憶測が脳内で飛び交って、沢北の煮え切らない態度がさらに拍車をかけて深津を不安にさせた。
「深津さん、」
突然、名前を呼びながら手を握られた。
「オレが日本に戻ったら、その時は、一緒に…」
沢北の長い指が、絡めるように深津の指先を包んだ。
「一緒に…」
握られた指先が熱い。体温が伝わってくるような温度。その手は深津の薬指の指輪を…
ん?
「えっ」
「え?」
大きな声を出したのは深津で、それに応えたのは沢北の気の抜けた声だった。
「無い…ピョン」
する、と沢北の手から自分の指を解放して、確かめるように右手薬指を撫でる。
「無いピョン!指輪!」
車内に響く深津の怒号にも似た声。
それまでの雰囲気とは一変、一瞬で青ざめた深津は何もかも無視して荷物をひっくり返し、本来あるはずのプラチナの指輪を探し始めた。
───どこを探してもなかった。
深津本人が覚えているのは夕方に店を出る時、ちゃんとあるなと自分で確認したところまでらしい。
その後、トイレに行った時も車に乗り込む時も、意識の外にあって付けていたのか全く覚えていないとの事。
「深津さん、そんなに落ち込まないで。」
あの後、発狂しそうな勢いで荷物を全部出しても見つからず、落ち込んで運転どころではなくなった深津と運転を代わり、どうにか深津の自宅まで戻ってきた。
「また買えば良いんだよ、指輪なんて。あれよりもっと良い指輪、今なら贈ってあげられるし」
膝を抱えて俯く深津に、沢北はそう呼びかけるが深津は首を振るだけだった。
「あれがいい」
それだけ言って、また俯く。
もう帰ってきてから2時間は経過しているのに、ずっとこの調子だった。
正直沢北にとって、深津とお揃いの指輪があるという事が大事なので、その指輪が別のものになっても何も思わなかった。
あの指輪を買った当時より、もっとずっと収入も増えた今の方が、豪華なダイヤのついたものをプレゼントできるし、深津があの指輪をつけている場面をあまり見なかったから、てっきりそんなに気に入ってないのかと思っていたのだが。
まさか、ここまで落ち込むほど大切にしてくれていたとは。
背中をさすりながら、沢北は打開策が見えないな、と遠い目をする。
「ねえ、あれがいいならオレが付けてるのをあげようか?そしたら同じやつだよ」
「それじゃ意味ないピョン…」
弱々しい声が悲しそうで、沢北の心も痛む。
「あんなに大事にしてたのに」
ずび、と鼻を啜る音までしてきて、滅多に泣かない深津が泣くほどなのかと沢北は目を見張った。
「しんどい時も、あの指輪があるから頑張れたのに」
もはや沢北に向けて言っているようには聞こえなかった。ほぼ、深津自身の懺悔だった。
「さわ、沢北が、オレだと思って大事にしてって、くれたのに…」
あの時、言った言葉まで覚えているのか。
声が詰まって、半分泣きながらそう言う深津がたまらなくなって、沢北はいつもより小さく見えるその背中を抱きしめた。
「そこまで泣いてくれるならあの指輪も本望だよ。大事にしてくれたでしょ」
「もう戻ってこなかったらどうするピョン」
深津が涙目で沢北を見上げた。
「沢北も、もう戻ってこないピョン…?」
眉根を寄せて涙を堪える深津のその顔に、沢北は本当に胸が苦しくなった、そんなことを考えていたのか、この人は。
「そんなことないよ、来年こっち戻ってくるって言ったでしょ」
「でも、あの指輪がないのに…」
「俺の恋人は指輪じゃなくて深津さんだよ、忘れたの?」
勇気づけたくて必死にそんな言葉をかけるが、深津はもうどうやっても落ち込みモードから戻ってこれなさそうだった。
今日行ったショッピングモールにも電話した。途中立ち寄ったレストランや、コーヒーを買うために降りたコーヒーショップまで電話をかけて指輪が届いていないか聞いたが、答えはどれも「指輪の忘れ物はまだ届いていない」だった。
予定では、今頃深津と最終目的地に到着した頃だったのに。
深津を慰めながら、予定は変更せざるを得ないなと沢北は考えた。
「もう、今日は寝ようよ。明日ちゃんと探そう」
「寝たくないピョン」
「そんなこと言わないでさ、今日探せるところは全部探したし、明日また明るくなってからにしよ」
深津が顔を上げた。
「一緒に寝たい」
膝に擦り付けて赤くなった額がかわいそうで可愛い。
「もちろん」
きゅ、と沢北のシャツを掴んで甘える深津をそのまま抱えて、ベッドまで運んだ。横になっても深津は離れようとしなくて、その重さを嬉しく思いながらどうにか片手で布団を手繰り寄せる。
「指輪、大事にしてくれてありがとう」
耳元で囁くと、深津が小さく身じろぎして沢北の首元にさらに埋もれようとする。
「無くしてごめん」
小さく小さく返された言葉に、沢北も泣きそうになる。
指輪よりもなによりも、この人自身の方がずっと大事なのに。
長い付き合いで、それがまだ伝わっていないような気がする。沢北の最愛の人が深津だと、それをわかって欲しくてあげた指輪なのに、指輪そのものを大事にするようになってしまった。
そんなところも好きだ。
でも、わかってないね、深津さん。
一番大事なのは深津さん自身なんだよ。
翌朝。隣にはまだ眠っている深津。
昨夜はやはり寝つきが悪かったようで、ずっと横でもぞもぞしていた。起きたらきっとまた、ごめんから始まりそうだなあ、とまだ眠い頭で考えた。
指輪なんて何個もあげられるから、そんなに気を落とさないでほしい、とどうやって伝えようかと思いつつ欠伸をしていると、ふと、そういえば、と思い当たった。
「車の中、探してないな…」
ぽつりと呟いたが、それはまさに天啓ともいえるひらめきだった。
一度思いつくと居ても立っても居られない。寝巻きのままだが、まだ早い時間だしマンションの駐車場に行くくらいだから変装も必要ない。
深津の車のキーと家の鍵だけ持って、つっかけスリッパで外に出た。
朝早い時間帯、駐車場にはまだ誰もいなくて、これ幸いとばかりに車のドアを全開にして、フロントシートの下に屈みこんだ。
後部座席の下を覗き込む。流石に無いか、と諦めかけて反対側の運転席の下を覗いたところ、きらりと光る何かがあった。
「あっ!」
銀色の光を放つそれは確かにあのお揃いの指輪で、やっぱり車にあったかと手を伸ばす。
が、届かない。
「沢北!」
遠くから沢北の名前を呼ぶ声がして、反射的に頭を上げたらそのままシートにぶつけた。
いてて、とぶつけた箇所を撫でながら車から顔を出す。
「深津さん!」
小走りで駆けてくるのは、寝起きで頭もボサボサのまま、揃いの寝巻き姿の深津だ。
「沢北、なにやってるピョン、なんで何も言わずにいなくなる」
ちょっと怒ったような顔をしているから、やっぱり何も言わずに探しにきたのはまずかったかなと思いつつ、それでも探し物がすぐ目の前にある事に興奮して、沢北は言葉を続けた。
「ありましたよ!ほら、ここ!指輪!シートの下に入り込んじゃってて」
「えっ、あったピョン?」
「うん!でも待って、指が入らない」
ぐぐぐ、と無理やり手を突っ込んで掴もうとするが、あと少しのところでかすめて届かない。
「俺がやるピョン、指を怪我でもしたら…」
「だいじょーぶ、もうすぐ届きそう」
腕を伸ばして指先に力を込めて、あと少し、と伸ばす。
すると、冷たい感触と共に指輪が沢北の手に落ちてきた。
「取れた!」
指輪を持って深津を振り返ると、また深津が泣きそうな顔をしている。構わず、その手を取って指輪をはめてあげた。
「戻ってきたね、良かった」
そう言って手を握る。一晩、深津の元を離れた指輪がしっかりとあるべき場所に収まっている。
てっきり喜んでくれると思ったのに、深津は何も言わないままだ。沢北は深津の顔を覗き込んだ。
「ごめん」
また深津がそう言うから、沢北は苦笑しながら抱きしめる。
「もうごめんは無しだよ、戻ってきたでしょ」
「うん、ありがとピョン。良かった」
「この指輪は魔法の指輪だから、また深津さんのところに帰ってくるよ」
「魔法の指輪?」
深津が顔を上げた。涙で潤んだ瞳がキラキラと輝いている。握りしめた薬指の指輪も。
うん、と頷いてにこりと笑って見せたら、やっと深津も笑ってくれて、その顔が見たかったと嬉しくなる。
「オレも必ず戻ってくる」
昨夜の深津の言葉がずっと引っかかっていた沢北は、その言葉を深津に贈って、さらに腕に込めた。
深津も沢北の背中にしがみついてくる。
──あの事を言うなら、今しかないかもしれない。
「深津さん、あのね。昨日、言いたかった事」
深津が首を傾げてきょとんとした。昨日言いかけた話の最中、深津の指輪がないことに気づいたから、すっかり流れてしまったこと。
「オレ、来年日本に戻るんだけど」
「聞いたピョン」
「うん、それでね。その時はね、公表したいなと思ってて」
「公表」
オウム返しの言葉に頷く。深津は嫌がるだろうか、それとも…。考え抜いて話そうとした事だ、と沢北は決意を固めたはずだろと自分を叱咤する。
「深津さんが、オレのパートナーだって」
真っ黒な瞳が見開かれた。驚いて、口が半開きになっている。想像した反応ではある。が、やはり性急すぎたかと少し不安になった。
「それで、昨日帰国してすぐいろんな人に会ってたのは、そのためで。パートナーが同性っていうのを公表しても良いって言ってくれるチームじゃないと入らないって、それが第一条件って伝えた」
ぎゅ、と力を込めて深津の手を握る。沢北の手のひらは、緊張で汗ばんでいた。
「もし、深津さんが許してくれるなら、公表させてほしい。オレの大事なパートナーは深津一成さんって」
目を見つめて、何度も頭の中で練習した言葉を伝えた。どう思うのか、帰国してからも不安だった。深津が嫌だと言うならしないと決めていた。それでも、沢北自身がいま思っている事を彼に伝えたい気持ちが強い。
「深津さんは、どう思う…?」
おそるおそる聞いたら、固まっていた深津の顔がフッと緩み、口角が上がって笑顔になる。
「これに、"本番"が来たピョン…?」
これ、と言って持ち上げた薬指の指輪にちゅっとキスを落とす。
その行動の意味を理解した瞬間、沢北は感極まって、深津の顎を掬い上げてキスを落としていた。
「うれしい、深津さん。良いって事?」
「お前が決めた事なら反対しないピョン」
「ほんと?ありがとう。ずっとずっと自慢したかったんだ、オレの彼氏は最高ですって」
「ふふ、なんだそれ。大袈裟ピョン」
誰もいない駐車場なのを良いことに、ちゅっちゅと顔中にキスをしてじゃれていると、深津が照れながらも応えてくれる。
その優しさが好きだった。沢北を甘やかして、大事にしてくれる深津が大好きだ。
が、耐えられなくなった沢北の手が深津の体を撫でまわし始めると、流石に深津からストップがかかる。
「ん、待て。ここじゃ無理。部屋戻るピョン」
「うん、部屋なら良い?」
「良いけど、お前どっか行きたいとこあったんじゃないのか」
「あ」
昨日、帰りがけの車内でまだ行きたい場所があると言いかけていたのを思い出した。
ちゃんと深津が覚えていてくれて嬉しくなる。
関係の公表もOK貰ったし、と沢北は良い気分になってにやりと笑った。
「実はね、深津さん」
まだ何かあるのか?と怪訝な顔をする深津に、沢北は満面の笑みで言い放つ。
これもずっと、頭の中で練習した事。
「日本に家買った!深津さんと住む家!」
えっ、とさらに驚いた顔をする深津に、1番したかったサプライズ成功だと嬉しくなる。
今日はその場所に行こう。
勝手に決めて怒るかな?だけど、深津さんが好きそうな家にしたんですよ。
気に入らないならリフォームすれば良い、それもダメなら別の家を買えば良い。
沢北栄治のパートナーとして、お揃いの指輪をして、同じ家に帰ろう。
ずっと言いたかった事。
「深津さん結婚して!」