「幸せの泥濘」第二話セル・ウォーの隠し事。それはとある女を拾ってきて小間使いにしていること。ご兄弟方やお父様に知られたら、厄介なことになるに違いないと思ったセルは、女の存在をひた隠しにしていた。女にもなるべく部屋から出るなと言いつけ、女も一応それを守っているようだった。時々買い物にはでかけているみたいだが、まだ奇跡的に誰ともすれ違っていないらしい。しかし、往々にして隠し事というのはいずればれるわけで。セルの隠し事も例外なく、ばれる日が来るのであった。それが、今日。
何が起こったか説明しよう。まず、前提として。セルは毎日女からお弁当を持たされていた。栄養バランスがとれ、冷めても美味しい、食中毒にも気を付けた、なんの申し分もないお弁当。問題がひとつあるとすれば、毎回毎回可愛いハートマークが描かれていること。そぼろで、おかかで、海苔で、手を変え品を変えハートマークを描いてくるのだ。最初の二、三回はやめろと言ったが、「えぇ?可愛いじゃないですか~!!」と聞く耳を持たない女に根負けし、セルは毎日ハートマークの描かれた弁当を食べるのであった。
今日はデリザスタと任務に赴いていた。殲滅作業があらかた片付き、デリザスタは村から奪った食料を抱えてセルに声をかけた。
「そろそろ飯にしようぜ~」
「あ、はい、そうしましょうか」
セルはなんの気なしに弁当を取り出す。取り出したところでふと気づいた。いや、まずいのでは?このハートマークの描かれた弁当をデリザスタにみられるのはまずいのでは?とっさに弁当箱を隠そうとしたが、デリザスタは目ざとくそれを見つける。そしてにやにや笑いながら弁当を指さした。
「なにそれ、弁当?セル坊めっちゃ家庭的じゃん」
「えっと、これは、その……」
セルは観念したように、でもなるべくごまかしたいという気持ちを前面に押し出しながら慎重に言葉を選んだ。
「実は最近、小間使いを雇いまして……」
「ふーん、小間使いなぁ」
デリザスタはそのことにはたいして興味を示さなかった。よし、セルは心の中で拳を握る。これであとはうまくこの場を離れることができれば、弁当の中身さえ見られなければ。
「とりま弁当見してよ」
「えっ」
―幸せの泥濘 第二話―
「……えっ」
「いいじゃん、別に奪って食べたりしねぇからさ、ちょっと見してよ」
立場の弱いセルにとって、デリザスタの言うことは絶対だ。頼む、今日だけはハートマークを描かないでいてくれ、今日だけでいいから、そう願いながら、セルはしぶしぶ弁当箱のふたを開けた。そこに現れたのは、ピンク色のさくらでんぶで描かれた、ひときわ可愛らしいハートマークだった。絶望したようにため息をつくセルとは対照的に、大笑いするデリザスタ。
「えっ、なにこれっ、小間使いってかカノジョ?セル坊、カノジョできたん?」
「彼女じゃないです……。小間使いです……」
「てか新しく人雇ったんならオレらにも紹介しないとまずくね?なぁ?」
デリザスタはセルの肩に腕を乗せる。さっきまで興味なさげだったくせに、面白そうとみるや否やこれだ。しかし、セルに反論は許されず、ただ覚悟を決めることしかできなかった。
「申し訳ございません……。また後日きちんと挨拶させますので……」
「そーそー、待ってるぜ~」
「……というわけでこの城にはお父様とご兄弟方がいらっしゃるんだ」
「そうなんですね!」
セルは女にお父様がどれだけ素晴らしい方か、そしてご兄弟方がどれだけ恐ろしい存在か、とくと言い聞かせたが、いまいち伝わっていないようで、女はにこにこと笑っているだけだった。
「いいか、これからお前を連れて皆様に挨拶に行くが絶対に粗相をするなよ」
「わかってますって!」
「あと僕の彼女を名乗ったらその場で殺すからな!」
「大丈夫ですよぉ!」
セルは女を連れて城の廊下を歩いた。紹介するなら五男のドミナからかと考える。ヴァルキスに通っていて普段は不在のドミナだったが、幸か不幸か夏休み期間で城に戻ってきていた。部屋の中から気配がする、どうやら在室中のようだ。セルが扉をノックすると、「入っていいよ」と声がする。セルはどうかドミナの機嫌がいいようにと願いながらそっと扉を開けた。
「ドミナ様、失礼します」
「セルか、何の用だい?そちらの女性は?」
良かった、どうやらあまり不機嫌ではないようだ。セルが跪くと、女はきちんと正座をして背筋を立てた。
「はっ、実は最近小間使いを雇いまして、その紹介に参りました」
「ふぅん」
ドミナは女にそこまで興味を示していないようだった。それでいい、さっさと挨拶を済ませよう。
「初めまして、ドミナ様!セル様のカノジむぐっ」
セルは手で女の口を塞ぐ。ぎろりと女を睨みつけて黙らせた。女は不満げだったが、すぐにしゃんとドミナに向かい直す。
「不束者ですがよろしくお願い致します!」
女は三つ指をついて、綺麗な仕草でお辞儀をした。ドミナは冷たい視線でセルを一瞥する。
「小間使いを雇えるなんてずいぶんな立場になったものだね」
「めっそうもございません、ただ少し家事を手伝わせているだけです」
セルがドミナの機嫌を損ねないように慎重に言葉を選んでいる時も、女は悠々としていた。恐怖という感情がないのかこいつ、とセルは呆れる。
「それでは失礼致します」
セルはドミナから逃げるように立ち上がり、女に手招きすると部屋をでた。
はぁ、どっとストレスがたまった、とセルはため息をつく。次は四男のデリザスタか、一番厄介な人の番が来たぞ、と身構えながらデリザスタの部屋の戸を叩く。
「デリザスタ様、失礼します」
「失礼します!」
セルが扉を開けると、デリザスタはほろ酔い上機嫌で椅子に腰かけていた。
「ヤァヤァ、そう固くならないでよカノジョちゃん」
びしっと美しいお辞儀をした女は、デリザスタはそう声をかけられても背筋をのばして立っていた。女は案外礼儀正しいというか、きちんと躾をされてきたんだろうなぁと思わせるところがあった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。こちらは僕の小間使」
「私はセル様のカノジョで」
「殺すぞ!!!!!!」
女に掴みかかるセル、「やめてくださ~い!」と言いながらも楽しそうな女、二人を眺めてにやにやしているデリザスタ。
「楽しそうでいいじゃん、仲良くやれよ~?」
「はい!それではこいつシバくんで失礼します!」
セルは女の首根っこを掴むと、ずるずると部屋からひっぱりだした。
「繰り返せ、『私はセル様の小間使いです』」
「私はセル様の小間使いです……」
三男、エピデムの部屋の前で、セルは女に教え込む。女は唇を尖らせながらもしぶしぶ言われた言葉を繰り返した。
「わかったな?お前は僕の小間使いだ」
「やん、『僕の』なんて照れちゃいます!!」
「うるさい!とにかく次からはちゃんと小間使いって名乗れよ!」
「はい、かしこまりました!」
セルはエピデムの部屋の扉をノックすると、どうぞ、という声を待って部屋に入った。エピデムはプリンと自身の研究以外に対して興味を示さない。女のこともたいして気にも留めないだろう。さっと挨拶を済ませてさっと帰ろう。
「どうかしましたか、セル」
「この度新しく小間使いを雇いましたので、ご挨拶させに伺いました」
「はじめまして、セル様の小間使いをしております。よろしくお願い致します」
なんだ、やればできるじゃないか、とセルが思った次の瞬間。
「後のセル様のカノジョです」
「黙ってくれ、頼むから」
「楽しそうでいいですね」
興味なさげに適当を言うエピデムに、楽しくはないです、と返すセル。セルは女の手首を掴むと強引に部屋からひきずりだした。
「お前ぇ……!」
声にならない怒りで女の胸倉を掴むセルに、女は両手を挙げて降参を示す。
「きゃあ!そんなに怒らないでくださいよぅ!」
無駄だ、この女にどれだけ怒っても無駄なのだ。セルは深呼吸をして自分を落ち着かせる。次だ次、次は次男であるファーミンだ。これもデリザスタに次いで厄介かもしれない。人のものならなんでも欲しがる男だ。きっと女のことも欲しがるに違いない。まあ別に渡してもいいんだが、こんな女。それで自分の命が助かるんだったらこの女が奪われたって……、でも。
「……渡したくないな」
「……セル様?」
ふと漏れ出た本音に、セルは自身の口を抑える。渡したくない、この女を?セルは戸惑いを隠せないまま、ファーミンの部屋の戸を叩いた。
「何?その女だれ?」
「これは僕の」
「カノジョ」
「彼女ッ……じゃないです、小間使いです」
女が言葉をかぶせてきたせいで思わず彼女と言ってしまった。セルは女に肘打ちすると、慌てて訂正する。
「へぇ、セル、彼女できたんだ」
「はい、よろしくお願い致します!」
「ただの小間使いです」
下手に彼女だのなんだの言ったら、余計に「欲しがられる」かもしれない。セルは冷や汗だらだらだった。ファーミンは女に近づき、至近距離でまじまじと女を見る。女はその視線にもびくともせず、ただにこやかにほほ笑んでいた。
「これはいらない」
ファーミンの言葉に、セルは面食らう。あのなんでも欲しがるファーミンが、いらない?
「なんか不気味だから、いらない」
「うふふ、よく言われます」
不気味、この女はたしかによくわからないことが多いが不気味だろうか。でも、助かった。ファーミンの気が変わる前にとセルは女とお辞儀をし、ファーミンの部屋を後にした。
「お前は本当に命知らずだな……」
「……一度死んだようなものですからねぇ」
いつもへらへらと笑っている女が、珍しく表情を曇らせた。そのことを問う前に、廊下を前から歩いてきた長男ドゥウムが視界に入った。
「ドゥウム様」
セルは名を呼びかけ膝をつく。女も同じように跪いた。
「……セルか。それと……?」
「はっ、この女は先日小間使いとして雇いまして、今ちょうどご挨拶に伺うところでした」
「はじめまして、ドゥウム様。セル様の小間づか、やだ間違えちゃいました!彼女です!」
「なにも間違ってない、この女は僕の小間使いです」
なんども同じやりとりをしているから女の方も混乱してきていたらしい。
「そうか、セルにも春が来たか」
「春というか、嵐です」
ドゥウムから感情は読み取れない。ただ静かに、仲良くな、とだけ言って廊下を歩き去って行った。
そしていよいよ、セルの敬愛するお父様、イノセント・ゼロのもとへ行く番が来てしまった。セルは痛む胃を抑えながら、お父様に跪く。女も、さっきと同じ通りきちんと正座をして姿勢を正した。
「お父様、こちらは最近雇った僕の小間使いです。一度ご紹介をと思って参りました」
「はじめまして、イノセント・ゼロ様。私、セル様の小間使いをしております。名乗るほどの名はございません。何卒よろしくお願い申し上げます。」
もう女を黙らせる用意をしていたセルは女の一言一句を聞いていたが、思わず首をかしげる。なにも問題がない。心配していたお父様の反応も特に悪いものではなく。
「そうか、よろしく」
とだけ言ってイノセント・ゼロはいつも通りだった。
「……では、失礼致します」
「失礼致します」
セルと女は深々とお辞儀をすると、イノセント・ゼロの部屋を去った。セルと女は話しながら廊下を歩いていた。
「お前、なんだあの、お父様に対する態度」
「すみません、なにか問題ありましたか?」
「いや、まったく問題がなかったから」
ああ、と女は納得いったようにほほ笑んだ。
「だってあのお方の前でふざけたら、セル様の立場が本当に危ないでしょう?」
ほう、つまりお前はご兄弟方の前ではふざけて大丈夫と判断してふざけてたんだな?僕の胃がどれだけ痛んだと思ってる、とセルは青筋を立てた。しかし、逆に考えれば女のおふざけは本当に特に問題なかったわけで。この女、そういう絶妙なバランスを見極めるのが上手いのかもしれない。
「お前、もしかして僕が思っているよりバカじゃないのか?」
「さあ、どうでしょう?」
問いかけに問いかけで返した女は、くるりと回ってセルの方を向いた。
「セル様、帰ったらお夕飯の支度をしましょう。今日はお家でごはん食べられるんですか?」
「ああ、今日はもう仕事は終わりだ」
「まあ、嬉しい!セル様とお夕飯が食べられることなんてめったにありませんから」
女は嬉しそうにセルの手を取って歩きはじめた。セルはその手を振り払おうとしたが、女の幸せそうな笑顔をみてなんとなくされるがままになっていた。
「今日のごはんはハンバーグですよ!」
少し早足になる女に合わせて、セルも歩調を速めた。