webオンリー用進捗②.
軽くシャワーを浴び部屋着に着替えて戻ると、キッチンの作業台の上は調理し終えた食材が乗る小皿がいくつも並んでいた。
「なんか運ぶけど」
「余計なことせんでいい。座って待ってろ」
「はいはい」
言われた通りダイニングに座った鹿紫雲はぼんやりとカウンター越しに宿儺を眺めた。
宿儺は食事に対してのこだわりが強い。これまで連れて行かれたレストランや料亭を思い出すと当然だが、自炊の時も一切手を抜かないのだ。
普段の食材から決まった高級スーパーや百貨店の食品売り場でしか購入しないし、頻繁にお取り寄せもしているから専用の冷凍庫もある。調味料も鹿紫雲が聞いたことのないスパイスやハーブが背の高い調味料棚に揃っているし、一体どう使い分けているのか不明なくらい包丁が何本もあったり、よく見る鍋やフライパンの他に何段も重なる蒸篭やオーブン用のグリルパンなど多岐にわたっている。
とはいえ、経営者である宿儺はなにかと多忙だ。朝は早いし、夜は遅い。毎日自炊なんて当たり前だが無理な話で、ゆっくりキッチンに立つのは休日くらいだ。
宿儺の予定など鹿紫雲の知るところではないが、昨晩の羽目の外し方といい、この時間にのんびりと料理をしているところといい、おそらく今日は久々の休みなのだろう。
宿儺が慣れた様子で卵を数個片手でボウルへ割り入れた。塩とコショウを入れてから、わざわざ泡立て器で溶きほぐしている。それから牛乳も追加して、さらに混ぜ合わせたところで小さめのフライパンを火にかけた。フライパンにバターが落とされて、じわじわと溶けていく気配が香りとともにダイニングにも漂ってくる。しっかり溶いた卵液がフライパンに流れ落ちていくと、じゅわ、と微かな音が鹿紫雲の耳に届いた。
「オムレツ?」
「スクランブルエッグだ」
「へー」
確かにオムレツの時よりも宿儺の手元はゆっくりと動いている。火加減もかなり弱火なのだろう。卵を焼いているというよりも、なめらかなソースを温めているような手つきで宿儺は木べらを静かに動かし続けていて、朝でも昼でもないこの曖昧な時間帯によく似合っているように感じる。しばらくして、さっき使った泡立て器に持ち替えた宿儺は、火を止めて仕上げをするように丁寧にフライパンの中をかき混ぜた。
用意していた大きめの皿にスクランブルエッグを乗せた宿儺が、すでに出来上がっていた小皿のおかずを次々と盛り付けていく。トースターもちょうどタイマーが止まり、小気味いい音が宿儺の背後で鳴った。
鹿紫雲が席で待っていると、二人分の皿を持った宿儺がカウンターを回ってダイニングテーブルの方へとやってきた。音もなく目の前に置かれた皿を見た鹿紫雲は思わず「おぉ」と小さく声をこぼしていた。
こんがりと焼かれた厚切りのベーコン、所々皮が弾けて肉汁を溢れさせているソーセージ。スライスされたトマトは生でなくしっかり焼き目がついていて、マッシュルームも同じようにソテーされているようだ。それから、つまみ食いしそこねたベイクドビーンズに、ついさっき完成したばかりのとろとろのスクランブルエッグが皿の縁ギリギリまで盛られている。
再びキッチンへ戻った宿儺は、今度は皿を立てておくようなラックに乗せられたトーストとカトラリーを手にしていた。
「こんなのも持ってたのかよ」
「昔、イギリスへ行った時にアンティークショップで見つけて興味本位で買った」
「こだわるねぇ」
古い洋画か何かで見たことがあるような気もするが、実物を見るのは初めてだ。薄めのトーストが挟まるアンティークらしい少しくすんだ銀色のラックを鹿紫雲がまじまじ眺めていると、宿儺がティーポットと二人分のカップとソーサーを持ってきた。
「まだ食うなよ。紅茶の蒸らしがある」
「へーい」
ティーポットの横に置かれた砂時計は半分ほど砂が下へ落ちているが、残り僅かな蒸らし時間の間も宿儺はてきぱきと動いてダイニングテーブルの上を埋めていく。紅茶用のミルクと角砂糖。使いやすいようにカットされたバターが乗った皿に数種類のジャム。ウォーターピッチャーとオレンジジュースの瓶。
「豪華だなぁ」
「時間も時間だからな」
そう言ってエプロンを外した宿儺がようやく席につく。やっと食べられるかと思ったが砂はまだ落ちている途中で、残りの数十秒間、鹿紫雲はじっとそれを見つめる宿儺につられるように黙って砂時計を眺めた。
砂が落ちきったところで宿儺が手際よくカップに紅茶を注ぎ、鹿紫雲の方へソーサーごと寄せる。
「最初はストレートで飲め。二杯目以降は好きにすればいいが、ミルクと砂糖は多めが美味い」
「わかった」
こうして宿儺が飲み方や食い方を指示してくるのはよくあることで、実際言う通りの方法で味わうと美味い。鹿紫雲も好みくらいはあるがこだわりが強いわけではないので、食に関しては基本的に宿儺の言うことは聞くようにしている。
ただ、それにしても今日は至れり尽くせりだなと、自分の分の紅茶を注ぐ宿儺を鹿紫雲はぼんやり眺めた。
「もういいぞ」
「ん。じゃあ、いただきます」
鹿紫雲がパンッと軽く手を合わせると、宿儺も小さく口を動かした。