ギャップに弱い鹿紫雲の宿鹿.
宿儺の長めの休暇に付き合う形で訪れた冬のヨーロッパ。オランダの研究所での有意義な研修を終えた鹿紫雲は宿儺と共に欧州各都市を周っていた。
冬のヨーロッパといえばクリスマスムード一色だ。主要な街だけでなく地方都市でもクリスマスに向けたマーケットが開かれている。宿儺はそれほど興味があるわけではなさそうだったが、流石に本場のドイツへ入国してからは、観光客らしく毎日のように二人でクリスマスマーケットへと足を運んでいた。
「おお〜、やっぱ賑わってるな」
今日、鹿紫雲と宿儺が訪れたのは古都ドレスデンのクリスマスマーケット。ドイツの中でも古い歴史を持つこの市は、中心地の広場全体に木製の屋台や観覧車、メリーゴーランドに巨大なクリスマスツリーがひしめき合うドレスデンの一大イベントだ。
「うわぁ、デケェ……」
「おい、阿呆面を晒してないでさっさと来い」
世界最大だというクリスマスピラミッドなるものを鹿紫雲が見上げていると、隣にいたはずの宿儺が数歩先で顔だけ振り返って待っている。
「もうちょっと伝統を楽しむとかしろよ」
「もう充分楽しんできただろうが」
「まあ、そりゃそうだけど」
欧州各都市を巡ってそろそろ半月。ドイツに入る前から数え切れないほどマーケットを訪れていて、それぞれ特色はあっても少し見飽きてくる気持ちは鹿紫雲も分からなくはない。ただ、胃袋に関してはまだ飽きは来ておらず、今日も景観を楽しみに来たというより腹を満たしに来た意味合いの方が大きいのだ。
「じゃあ、さっさと屋台決めようぜ」
「そのつもりだ」
鹿紫雲がニヤリとすると、宿儺も同じように口の端を上げた。
ドイツの食と言えば真っ先に思い浮かぶのがソーセージだろう。以前鹿紫雲も、宿儺が取り寄せた本場ヴルストのレシピを再現したというソーセージを口にしたことがあり、濃い味付けに一緒に買ったという直輸入のドイツビールの缶を開けまくってしまった。だた、宿儺は「美味いが本国のヴルストとは言い難い」と難しい顔をしていて、一体どれほどの違いがあるのかと酔っ払った頭で疑問に思ったものだ。
そして、実際現地で食べてみた時、宿儺の表情の意味を理解知ることになった。
今まで鹿紫雲が口にしてきた所謂ソーセージとはまさに別物。パリッとした皮、溢れる肉汁。複数のスパイスが混ざった肉は香りが良く、黒胡椒もよく効いているのか舌をピリリと刺激する。パンも一緒に提供されるから腹が膨れてしまうことは難点だと思ったが、淡白なパンはしっかりとした肉の味をちょうど良く中和してくれる。そして、少々口の水分が持っていかれたところでビールを一気に──。
と言いたいところだが、今は冬真っ盛り。日本とは違い常温でもビールを飲む文化があるとはいえ、真冬の屋外で提供されるアルコールは温かいグリューワインが主になるのだ。
冬に時期のヨーロッパでは定番の飲み物らしいグリューワインは、ヴルストと同様に一つのマーケットの中でたくさん屋台を構えている。それぞれの店によって使っているワインやスパイスの種類が違い、ドイツに入ってからもたくさん飲んできたが一つとして同じ味はない。そして、味と同じようにワインを飲むための器も、各屋台によって様々なのだ。
ヴルストを二種類にライべクーヘンというジャガイモをすりおろして作るパンケーキ、マッシュルーム炒めのガーリックソースを買って回った鹿紫雲が待ち合わせ場所へ向かうと、スタンディングテーブルを確保している宿儺の姿が目に入った。小さな円形のテーブルに乗っているのは温かいグリューワインが入ったカップが二つ。
カップは白がベースで底に向かってコロンと丸くなっているデザインだ。そして、暖を取るようにして宿儺はそのカップを両手で包み込んでいる。
その光景につい口元が緩んでいき、鹿紫雲は少し立ち止まってから宿儺の元へ向かった。
「お待ちど〜」
「遅かったな」
「だってマッシュルーム美味そうだったからよ」
「まあいいが」
ドイツの食事はシンプルな分、素材が余程悪くなければ案外ハズレが少ない。それに空腹とマーケットの雰囲気が合わされば、食に煩い宿儺も大抵文句も言わず完食しているのだ。
鹿紫雲が買ってきた物を並べ終えると、宿儺は手元に置いていたカップの一つを鹿紫雲の方へ寄せた。
「じゃあ」
「ああ」
軽く掲げる程度に乾杯をして、カップへ口をつける。今日の一杯目はやや甘めでまろやか。シナモンの香りが蒸気と共にふわりと鼻を抜け、それからじんわり生姜の風味が口の中に広がっていく。甘い酒は普段ほとんど口にしないが、クリスマスマーケットを巡っているうち、どうも少しクセになってしまったような気がする。
とはいえ、まずは腹を満たすことが先決だ。早々にカップを置いていた宿儺は、マッシュルームを口に運びながら満更でもない顔をしている。遅れを取り戻そうと、鹿紫雲もケチャップを多めにしてもらったヴルストへ大口を開けてガブリと齧り付いていった。
大きなヴルストも、もちもちしたライべクーヘンも、酒のアテにピッタリだったマッシュルームもグリューワインと共に早々に平らげた二人は、炒りたての甘いアーモンド片手に再びマーケットの中を散策し始めた。
夜が深まるにつれて人口密度は増えていき、イートスペースもスタンディングテーブルすら満員の状態で必然的に歩きながらでも食べられる物しか選択肢に上がらなくなっていく。
「どうする?」
「まあ、無理してここで腹を満たさんでも、何か買って帰って適当に作ってもいいな」
普段なら宿泊は高級ホテル一択の宿儺だが、今回の休暇は趣向を変えたのかキッチン付きのコンドミニアムに泊まることが多かった(もちろん、どこも高級ではあったが)。
「あー……確かに」
今泊っているコンドミニアム周辺はスーパーも豊富で、この時間からでも何かしら食材を手に入れることは可能だろう。
ただ、鹿紫雲は個人的にやり残していることがあった。
「じゃあ、ワインもう一杯だけ飲んでから帰ろうぜ」
別に飲み足りないわけではない。酔うなら帰って暖房の利いた部屋でビールを飲んだ方が断然いい。
鹿紫雲が密かに楽しんでいること。それは、クリスマスマーケットでしか出会わない可愛くてメルヘンチックなカップでグリューワインを飲む宿儺の姿を眺めることだった。
「あっちの屋台。他んとこより賑わってるし、美味えんじゃねぇか?」
普段洗練された物しか持たない宿儺が、ここでは到底アルコールを飲むには似合わない陶器のカップを美味そうに傾け。時にカイロ代わりのように両手で包み込むこともある。
どうせならもっと面白いカップを持たせてみたい。そして、厳つい男と可愛い小物という組み合わせのギャップを一人で勝手に楽しみたいのだ。
「構わんが、酔って足元が覚束なくなったら置いて帰るぞ」
「二杯で酔わねえよ」
鹿紫雲は歩きながらきょろきょろと辺りを見渡した。広いマーケット内にグリューワインの屋台はいくつもあって、店ごとにカップのデザインは様々だ。
スタンダードなマグ型。雪だるまを模したくびれがあるタイプ。半透明のグラスタイプもあったが、あれは可愛いというよりスタイリッシュで鹿紫雲が求めているものではない。今のところ宿儺は店選びを鹿紫雲に任せているようだが、早く決めなければ宿儺が適当な屋台へ並んでしまうだろう。
その時、すれ違った人の手に握られている、サンタクロースが履いていそうな真っ赤ブーツの形をしたカップが鹿紫雲の目に入った。
あれがいい。絶対、あれがいい!
どうやら向こうの通りにあるらしい。同じ方向から同じカップを手にしている人がチラホラと歩いてくる。
「なあ、あっちも行ってみようぜ」
「ああ」
鹿紫雲の真意を知ってか知らずか、宿儺は人波をかき分けていく鹿紫雲の後ろを素直についてくる。途中違うグリューワインの屋台があったが、そこをスルーしても宿儺は何も言わなかった。
お目当ての店の前には少々列ができていたが、ドリンク類は基本注ぐだけで客捌きは早い。あっという間に順番が回ってきた鹿紫雲は、宿儺が何か言う前に数種類あるカップの中で真っ赤なサンタのブーツ型のカップを指定してグリューワインを二つ注文した。
隣の店との間にあるちょっとしたスペースで、他の客に紛れながら温かいワインを啜る。
「こっちのはなんかさっぱりしてるな」
「りんごが入っている。酒に弱い人間向けに飲みやすくしているのだろう」
「なるほどねぇ」
グリューワインというのは店によってスパイスの種類も違えば、オレンジジュースを入れたり、この店のようにりんごを使っていたりとレシピは千差万別だ。宿儺は基本的に強い酒を好むからわざわざ自分で作ることはないだろうが、単純にどんな配合なのか気になるらしく、どこのマーケットに行ってもグリューワインの飲み始めはいつもじっくり味わっている。
淡々とした表情で可愛らしいカップを傾けている宿儺の姿。それを目の前で眺めていると、つい頬が緩んでいってしまう。
「何をニヤついている」
「あ〜?別にニヤついてねぇよ?」
「全く誤魔化そうとしていない所が腹立たしい」
そうバッサリ言い捨てた宿儺は特に表情を変えずワインを飲んでいる。
ただ、数年も一緒にいると、なんとなく宿儺の心の内を想像できるようになるものだ。腹を立てているというよりも、呆れているが九割五分。そして残り五分は、理由を知りたいという好奇心があるような気がした。
これは自分の密かで些細な楽しみで、別にわざわざ教える必要はないとは思う。だが、サンタのブーツ型のカップという、とびきりの組み合わせを見つけたことで鹿紫雲の心はいつもより浮かれていた。
「可愛いなぁ、って」
ピッと人差し指をカップへ向けてそう告げる。すると、ほんの少しだけ瞳を大きくした宿儺は、すぐにため息混じりの嘲笑をこぼした。
「言っておくが、貴様も同じ物を持っているぞ」
「あんたが持ってるからいいんだよ」
「意味が分からん」
「いいよ、分かんなくても」
「まあ、酔っ払いの考えることなど分からんでも支障はないがな」
「こんなんで酔わねぇよ」
「どうだか」
もう少し馬鹿にされるかと思ったが、宿儺は呆れたような顔で真っ赤なブーツ型のカップを静かに傾けるだけだった。
晩酌用の買い出しについて適当に言葉を交わしながら、石畳の夜道を並んで歩く。
「ビール買おう。この前飲んだ瓶のやつ。あとサラミみたいやつも」
「ああいうのは肉屋で買った方が美味い。明日買ってやるから今日は違うものにしろ」
クリスマスマーケットの会場からスーパーまでは徒歩五分、そこからコンドミニアムまでは徒歩十五分。日本ならさっさとタクシーを捕まえるところだが、ここは異国の地で勝手が違うのだ。
「じゃあなんか味濃いやつでいいや。あ、ポテチにしよう。ベーコン味のポテチ」
「馬鹿舌は変わらんな」
「あれ美味かっただ、うおっ」
ガタついた石畳につま先が引っ掛かった。が、大きくバランスを崩す前に鹿紫雲の腕は大きな手に掴まれていた。
「……わりぃ」
「酔っ払いめ」
「酔ってねぇ」
つい口から反論が出てしまったが転げ掛かったことは事実だ。
酔ってないことを見せつけようと、鹿紫雲は姿勢を正そうとした。しかし、鹿紫雲の腕を掴んでいた宿儺の手が今度は鹿紫雲の手を掴み取ったと思えば、宿儺は何も言わないままズンズンと歩みを再開させた。
日本ではほとんどしない徒歩での移動はこっちに来てから日常になりつつある。だが、たまにこうして手を握って歩くことは、正直まだ慣れていない。
「ビール、買うからな」
「ソファで寝落ちても運ばんぞ」
「そこまで飲まねえよ」
「ハ。どうだか」
照れ隠しで口を開いたことはおそらくバレている。ただ、これ以上表に出さないよう、鹿紫雲は自分の手を掴む宿儺の手のひらを少しきつめに握った。