その5 それから一年半が経ち、身長が少し伸びたイチヤは深夜バスに揺られながら、エレキギターの入ったケースと共にハイカラシティへと辿り着いた。
首都圏の中でも、流行の最先端を行く町。その広場は、高層ビル群のオアシスの様に開けた場所だ。派手さの中に、洗練されたデザインが落とし込められた店が建ち並び、最新のブランド服が並ぶディスプレイと蛍光色の看板が目を惹く。建物に設置された大型デジタルサイネージには、アイドルや食品の広告が出力される。
どこからともなく流行の音楽が流れ、多種多様の色が散りばめられる中で、雑多な声と足音が混じり合う。
何から何まで、バンカラとまるで違う。
別の世界に迷い込んだような感覚に、イチヤは一瞬凄んでしまうが気合いを入れ直す。
イッカンにもう一度会う。そして、もう一度バンドに誘う。
たとえ今は会えなくても、音楽を通していつか会える。
そう自分に言い聞かせ、前へと一歩踏み出した。
「イッカン? そんなやつ知らないな」
「そんな特徴のイカの知り合いにいる?」「いなーい」
「他を当たってくれ」
「見た事あるような……ないような」
「ごめん! ちょっと急いでて!」
2時間ほど聞いて回ったが、手掛かりなし。
CDショップやカラオケ店など、音楽関連の場所も見て回ったが、見当たらなかった。
疲れはじめたイチヤは大通りから一本逸れ、人が疎らな道へ歩き出した。
一昔前の流行の残り香と、蓄積された渋みが醸し出す落ち着いた雰囲気と静けさ。ここもまたバンカラとは違い、どこかハイカラな空気を感じる。
「どうしよ……」
大きく息を吐いたイチヤは、立ち止まった。
アパートに行くか。それとも夕方まで粘るか。
正直、粘りたい。けれど、まだハイカラシティの立地をよく理解していない。携帯端末の地図アプリを見ても、町並みを覚えていなければ結局迷ってしまう。治安良さそうだけれど、油断は出来ない。今日は諦めて、段ボールの片付けをしようか。
とりあえず一度来た道を戻ろう、と顔を上げたイチヤは、視線の先に興味惹かれる店を見つける。
そこは古びた楽器屋だ。
高い建物によって薄暗くなったガラス張りのディスプレイには、手入れの行き届いたアコースティックギターが飾られている。ディスプレイ越しに覗いてみると、店内は金管、木管楽器やエレキギターだけでなく、各手入れ用品や楽譜、譜面台、CDやレコードなどの品揃えも充実している。レジカウンター横では、イソギンチャクの初老の店主とトランペットを持つ若いウニが会話をしていた。
ここ良いな。イチヤはそう思い、出入り口へ足を運ぼうとした。
カラン、とガラスの扉に括り付けれたらドアベルの音が聞こえてくる。
「あっ」
「えっ」
2人は思わず顔を見合わせた。
片や絶句し顔を引きつらせ、片や目を輝かせ喜びに満ちる。
雑多な店内から出て行くタイミングと覗き込むタイミングが重なり、互いの存在に気付けず、鉢合わせした。
イッカンは一歩横にずれ、イチヤは前進した。
次の瞬間。
「まて!!!」
「こっち来んな!!」
踵を返し走り出したイッカンをイチヤは追いかける。
「逃げるな!!」
「追いかけてくんな!!」
人を掻き分け、2人は走る。
通行人達は驚き、窃盗でもあったのかと一瞬身構える。
「約束守れよ! バカー!」
「うるせぇ! 時間がねーんだよ!」
「ウソつくなー!!!」
なんだ。ただの兄弟喧嘩か。
通行人達は安心して、何事もなかったように再び歩き始める。
400mほど追いかけっこが続いた頃だろうか。全速力で走り続け、疲れが見え始めたイッカンは、どれほどイチヤと距離が空いているか確認しようと後ろを見た。
イチヤもまた、ギターケースを背負っている為に普段よりも体力が削れ、疲れ始めている様子だ。
その時だった。
「あっ!?!」
「えっ」
歩いているだけなら、気づかない程のアスファルトとコンクリートの僅かな段差。
勢いがついた足はその段差に滑り、イチヤはバランスを崩した。足は空回りし、エレキギターが収められたケースの重みと疲労から、受け身が取れない。
イッカンが振り向いた時には、既に手遅れだった。
「いっ!?」
壮大な転倒。運悪く顔面が地面に激突した。エレキギターのヘッドにあたるケースの細長い部分が勢いよくゴンと音を立てて後頭部にあたり、さらにダメージが加わった。
「お、おい」
さすがにこの状態を放置するわけにはいかず、動かなくなったイチヤにイッカンは恐る恐る近づいた。
「立てるか?」
「……いたい」
ぼそりと呟き、起き上がったイチヤは顔に手を当てる。その時、鼻の下が濡れている事に気づいた。
「あ、あれ……?」
顔から手を離し確認してみれば、大量の血が付着している。左の鼻の穴から一筋の血が流れ落ち、服やアスファルトに血痕を残す。
「派手にいったな……」
膝を曲げたイッカンは、つい先ほど楽器店で買った商品の入っているビニール袋に手を入れる。楽器の手入れ用クロスの封を開けた。
「それ」
「高いもんじゃない。いいから、大人しくしてろ」
言いかけるイチヤの鼻に、イッカンはクロスを押し当てた。
派手に血が流れた鼻に目が行きがちだが、イチヤの額や手の平も擦りむいて血が滲んでいる。
こんな事になるとは予想できるはずが無く、反射的に逃げてしまっていたイッカンは罪悪感が湧いた。
「近くにコンビニあるから、そこまで我慢できるか?」
「うん……」
じわじわと現れ始めた痛みと恥ずかしさに、目が潤むイチヤは小さく頷いた。
すれ違う人たちの目線が痛く、イッカンがため息を着いた。
そうして5分もしない内に、2人は少し古さのあるコンビニ到着した。4個入りのポケットティッシュ、傷あてのパット、絆創膏、缶のブラックコーヒーとカフェラテをイッカンは急いで買い、店先に設置されたベンチに座るイチヤの手当てをした。
走り疲れた2人は、そのままベンチに座って休憩をする。
「……追っかけてごめん」
「こっちも逃げて悪かった」
意気消沈するイチヤに対し、どう接すれば良いのか分からずイッカンが目を逸らした。
「金払う」
余ったティッシュや絆創膏の入ったビニール袋を持って、イチヤは言った。
「詫びだ。いらねーよ」
「怪我は俺の不注意だから、払う!」
「いらねーって」
「ぜったい払う!」
「変なところで意地はり出すな!」
口論の末に、カフェオレ代だけイッカンは貰った。