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    カキスグWEBオンリー掲載作品⑤

    #カキスグ

    kawaiiの教室エントランスロビーの空は灰色の雲が綿埃のように溜まり、海と空の境をくっきりと分けていた。陽光は少なく、時折上空では轟々と音を立て、突風が吹き荒れている。地下鉄の出入口と学園を繋ぐ通路に打ち寄せるのは、青黒く波高の高い波ばかりだ。荒波は青い防波壁にぶつかっては砕け散ることを繰り返す。一歩外に出れば、偉大な自然の動静がうねりを上げて、若い体躯を厳寒の奥底へと誘っていた。通学を余儀なくされる生徒たちは、制服の上に厚手の防寒着を羽織って我が身を守る。学内に至れば、皆がほっと息を付き、各々、それらを外す姿が日常になりつつあった。
     定期考査明け。この学園内では数日間の部活動停止期間が設けられていた。僅かな日数だが、勉学に精を出した学生たちを労う為だという。
     だからといって、リーグ部の部室が閑散としている訳ではなかった。
     テストの回答時間を惰眠に捧げた故に、他の学生と比べ、相対的に元気なカキツバタ。彼は平時と変わらず、心ゆくまでリーグ部の部室に入り浸るつもりでいた。背後には、バトルの腕前も、考査の結果も、優等生の名をほしいままにしているタロ。今日に限って彼女は、誰も来ない筈の部室で何やら用があるらしい。
     カキツバタは部長業の一環として部室の鍵を管理している。彼女の要望を受け、事前に鍵は引き渡してあった。用が済めば、彼女はなんの問題も起こさず、その鍵を自分の元に戻しに来るだろう。この時点で、既にカキツバタの仕事は終わっていたと言っていい。来るべき部活動停止期間の折りに、当初、カキツバタは定期考査中に会う頻度の減っていた恋人と触れ合いでもしよう、とふわふわの前髪を持つ頭で考えていた。いつも通りスマホロトムを持たない彼に直接会い、誘いをかければ、明確な理由も告げられぬまま、その日は会えない、とすげなく断られてしまったのだ。仕方がない。カキツバタは渋々、引き下がった。
     そして、今日がその約束を取り付けようとした日。詰まる所、今朝に至るまで特にしたいことも無かったので、今は彼女を見守りながら部室に居座っている。
     タロはテキパキと書類棚の整理に勤しんでいた。彼女の手が動けば、それに伴って雑物のぶつかり合う音が響く。一時、室内に響く雑音を背に、カキツバタがスマホロトムを手慰みに扱っていると、不意に機械音を立て、部室の自動ドアが開いた。
     現れたのはネリネだった。
    「ネリネは、来ました」
    「あ!! ネリネ先輩、お疲れ様です。お待ちしてました」
     部室にネリネの抑揚の少ない声が響き、背後のタロが弾かれたように声を上げた。軽快な足音が後方から前方に移動する。
    「タロも、ご苦労様。いえ、本日はタロ先輩、基、タロ先生が正しいのでしょうか」
    「そ、そんな!! お安い御用ですよ。ネリネ先輩は真摯にこの勉強会に取り組まれてますし」
    「そう。では、よろしく」
    「はい!! 喜んでシェアします!!」
     カキツバタは昼寝を邪魔されたチョロネコのようにちらりと様子を窺う。会話の端々から予想はできてはいたが、入口近くで、眉と口角を上げて心なしか柔和な表情のネリネと、辺りに花が舞いそうなほど上機嫌なタロが話していた。
     彼女たちはいくつかのやり取りをした後、めいめい、カキツバタのいる長机に近寄ってきた。タロはカキツバタの座る椅子から一つ空席を設けると、横並びに席に着く。ネリネはタロと向かい合わせの配置で椅子に腰掛けた。耳に入った話によると、今からタロが講師を勤める勉強会とやらが始まるらしい。カキツバタは特に興味もなかったので、ぼんやりと話を耳に入れるくらいにとどめておこうと思った。
    「よー。ネリネ」
     カキツバタはだらけた姿のまま、ネリネに挨拶する。
     彼女はこちらを伺いつつ、「お疲れ様」とだけ呟いた。続けて「タロ、そのお隣のカキツバタは」とタロに向かって尋ねた。
     カキツバタが答える間もなく、タロが口を開く。
    「これは三留、怠惰、厚顔……その他もろもろの観点で可愛いから対極に位置するカキツバタです。気にしないでください」
    「おぉい、タロ!?」
     カキツバタは唐突にタロの毒気に当てられ、思わず体が跳ねる。不本意ながら、全て事実でしかなかったが、思わぬ物言いに彼は肝を冷やした。タロのことだ。普段真面目な彼女が、こうも攻撃的であるということは、何か気を損ねることでもやってしまったらしい。今日は鍵を渡すことしか念頭になかったが、他に仕事を残してあったのだろうか。
    「何? さっきの他己紹介に違った所……あった?」
    「……いえ、全て事実でござい……」
     彼女に追い打ちをかけられ、自慢の前髪も急な雨に見舞われた時のようにへなりと力なく垂れる。
     相も変わらず、座り続けていたが、隣で息をするだけでもタロは圧を放っている。ここは一旦退却だ。期間は彼女のほとぼりが冷めるまで。
    「あ~たく、なんだよお。こぉんなにご機嫌で過ごしてるオイラを、何も追いやるこたぁねえだろうに」
     カキツバタは諦めて、後ろ頭をかきつつ捨て台詞を吐いた。席を立ち、仕方がない、と頭の中にある空き教室のリストを捲ってゆく。
     気にするそぶりも見せず、タロはネリネに向き直った。
    「さぁ、先輩。勉強会を始めましょう!!」
    「タロ、今日は確か……」
    「なんですか……? あ!! そういえば、今日から……」
     一瞬、彼女たちの間に変な間が生まれる。
     ――ん? 今日からなんだってんだ?
     カキツバタは違和感を覚えた。途端に、響く電子音。勢いよく部室の扉が開いた。
    「タロ!! ネリネ!! ……遅くなってごめんな?」
     息を切らして部室に入ってきたのはリーグ部の部員で、カキツバタの恋人――スグリであった。
    「噂をすれば、スグリくん!! よかった。来てくれたんだね!!」
    「え、えっとな、帰りのホームルームで、先生の話が長くなっちまって……」
     細い足で、ぽてぽてと机の前に走り寄った彼は申し訳なさげに低頭し、ちらりとタロを窺っている。
    「ううん。大丈夫だよ。まだ始まってないし」
     花のように愛らしい笑顔になったタロは手のひらを前の席に向け、スグリに椅子に座るよう促している。カキツバタへの対応とは雲泥の差だった。
    「スグリ。ご苦労様。今日から貴方も参加」
    「うん、よろしくな。ネリネ」
     スグリはネリネの隣、カキツバタとはす向かいの席に着いた。
     部室から出ていくつもりであったカキツバタは、その場で足を止める。何の因果か、勉強会にはスグリも参加するらしい。定期考査明けの集い。学年がバラバラの部員。スグリとタロとネリネ。この不可解な状況にふつふつと興味が湧いてくる。
    「よう。スグリ様じゃねぇか、何してんだぃ?」
    「あ、えっと……俺はタロとネリネと用があって。というか、なんでカキツバタがここにいんだ? 今日は……部活は休みのはずだべ」
    「そりゃあ、オイラってば部長だからねぃ」
     とても嫌々ながら拝命した身とは思えない程、自分の地位を堂々と口にするカキツバタ。
     対して、スグリは緊張した面持ちだった。ちょっとした間の悪さに辟易しているのかもしれない。
     無理もない。先に予定が入っていた可能性もあるが、恋人の誘いを断って勉強会に参加をする。一見聞こえはいいものの、断られたカキツバタにとっては落胆の色を隠せなかったし、何よりメンバーは女子が二人。学園のアイドル兼優等生と生徒会長。彼女らは学園でも指折りの信頼できる人物といえど、存分に引っかかるものがある。
     カキツバタはとうに立ち退く気など失せていた。
    「気にしなくていいよ。スグリくん。いつものことだよ」
    「タロ……へへ、んだな」
     ぐっとこらえるように眉を寄せ、体を固くしたスグリに気付き、タロが仲裁に入る。タロの声に、スグリは硬い表情を崩した。
    「……なんだなんだ。ほら、オイラが居ないと部室が寂しいだろぃ?」
    「……」
    「……」
     沈黙で耳が痛い。思わず、口から乾いた笑いが漏れた。
    「な、なぁ。スグリよ」
    「…………助かったことは、あるけど」
     長い沈黙の末、目線を逸らしながら、スグリが助け船を出してきた。カキツバタは途端ににこやかになる。過去の話を持ち出されるのは悪い気がしない。覚えているということは、多かれ少なかれスグリには感謝の意があるということだ。勝手な解釈をして、カキツバタは再びその場に腰を下ろした。
    「まぁ、いいや。オイラ、気が変わった!! へっへっへ。オイラ、リーグ部の可愛くない代表をやってやるよお。全身くまなくとくとご覧あれ!!」
    「……つまり、何もしないと」
     ネリネは眉間に指を押し当てるような動きで、メガネの位置を正した。
    「カキツバタ、気が変わってよかったです」
     名前を呼ばれ、タロに目を向ける前に数枚の紙が目の前に差し出された。
     ――なんだコレ?
     机を滑って現れたそれらに目をやれば、視線の先でタロの白くて細い爪先が紙面の上を踊る。
    「……この書類は、リーグ部で来月に使用する備品の発注依頼書。こっちは昨日時点での備品の在庫表。棚卸しを終えて、私が作成しておいたから。前月までの提出済み書類なら、後ろの棚に今年度用のファイルが置いてあるよ。分からなければ参考にして」
    「タロ、サン……」
    「ここにいるなら、部活動停止期間中に増えた仕事、貰って。くれぐれも静かにしててよね」
     カキツバタの体が震えだす。
     ――このオイラに事務作業を?
    「……さぁ!! スグリくんも揃いましたし、改めて〝可愛い〟の講義の開始ですよ~」
     タロの声が響く。それは勉強会の始まりのチャイムだった。
     
     カキツバタは腹を空かせ、仕方なく山から下りてきたリングマの如く、前年度のファイルを漁っていた。タロの整理した棚には背表紙にラベリングの施されたファイルが、年度順に所せましと並んでいる。過去の実務の記録に目を走らせる。今までまじまじと見る機会など無かった。一、二年の頃は当たり前に上級生の部員が行っていたし、現在は運営、管理側に席を置くカキツバタといえど、彼が率先して仕事を預かることなど決して無かったからだ。
     カキツバタは右端に前年度のリングファイルを見つけ、それを手に取る。
     遠くから聞こえる勉強会のテーマは、可愛いの定義について。講義は討論形式で進んでいった。
     タロ曰く、可愛いの定義は、かなり広義的なものらしい。
     
    「…………つまり、〝可愛い〟は対象そのものの性質ではないと」
    「はい!! 小さいものだけではなくてですね。それを目にしたとき、自分のハートに可愛いの矢がどすっと刺されば、それは可愛いと言えます」
    「では、以前の問い。ピンクは可愛いの意味とは、ピンク色自体が可愛いということではなく、タロがピンク色を可愛いと思って初めて付与される要素……タロなりの自己解釈ということ」
    「言われてみればそうですね。ただ、ピンク色って可愛いって人に思われやすい……えっと、好まれやすい色だと思っていまして……。例えば、お店で売っている女の子向けのリボンとかピン、雑貨類はピンク色が多いですよね」
    「確かに。誰もが可愛いを彷彿とさせる色で、購入者の購買意欲を促進している?」
    「そうなりますよね。口には出さなくとも、心の中で、可愛い~!! って感激してから、そのまま商品を持って、レジへ直行!! なんてことは、誰しも一度は経験のあることかと」
    「なるほど。可愛いは人を引き付ける魅力。だから、大きなものも、小さなものも、当人が可愛いと思えば、可愛いと言える。可愛いは……奥深い」
    「魅力!! そう、可愛いの魅力を感じるんです!! では、実践しましょう。ネリネ先輩。最近、先輩は可愛いの魅力を感じたものって何かありますか?」
     淀みなく進み、白熱してきた可愛いの講義とやらを耳に入れつつ、カキツバタは席に着いた。やる気はない。こういう事はポーズとしてやる気を見せることが重要なのだ。彼は手の中でシャーペンをくるりと回す。
     先ほどから、講義を聞き入っているのかスグリは一切口を開きやしない。もはや、タロとネリネの可愛い対談となっていた。
     カキツバタはちらりとスグリに目をやった。
     納得だ。彼はタロとネリネを交互に見遣っている。しかし、あくまでも声に反応して、その方向を向くことだけが取柄の機械の様だ。スグリの重そうな瞼は、今にも上と下がくっつきそうである。
     ――スグリぃ、もう眠くなってやがるじゃねぇか。
     タロの深い深い可愛いの講義に挑むには、彼にはまだ早かったらしい。どういう風の吹きまわしで、スグリはこの勉強会に参加したのだろう。はたして、可愛いを理解する必要があるのだろうか。
     彼女に気づかれたら面倒かもしれない。足先でスグリのシューズを突こうかと考え、カキツバタは足をあげようと力を入れた。が、その足はスグリを突くことはなかった。
     スグリの蜜色の瞳がゆっくりと閉じていった。穏やかな寝入りだった。チャンピオン時代の剣呑な眼差しは鳴りを潜め、代わりにムンナの瞳のような穏和さが滲んでいた。
     カキツバタは肘をつき、眺めだす。もう少しこの姿を見ていたいと思った。
     タロの講義は続いていく。スグリの寝物語として。
    「…………さっきは物で例えちゃいましたけど、ポケモンたちの場合だと、その子たちがそもそも可愛い存在ですし、可愛いが可愛いを生み出すこともあるんですよ~」
    「……可愛いが可愛いを生み出す? 例えば?」
    「お気に入りの子が木陰でお昼寝している時の寝顔だったり、お腹いっぱいになって、まあるくなったお腹を満足げに撫でる仕草だったり、テラスタルして大きなハートを付けた姿だったり……」
     ネリネが瞳を閉じて、何やら想像する仕草をしている。その横で、スグリはゆっくりとお船を漕いでいる。ぱっと見、同じ姿だからだろうか。タロはスグリに何も言わなかった。タロもタロで、講義中は可愛いという学問に精を入れているらしい。かなり盲目的になっているのだろう。
     カキツバタは当たり前だが、スグリの授業を受ける姿は見たことがなかった。タロやネリネに違わず、彼も真面目な質だ。己と違って毎日の授業に欠かさずに出席していることだろう。棚に並べられたファイルと同じだ。今までまじまじと見る機会など無かった。いや、カキツバタは思い返す。短い期間だが、一時だけあった。スグリのチャンピオン時代だ。しかし、この長机に彼が座るようになったときは、その姿を正面切って見る気も起きやなかった。
     眼前の彼に目をやれば、チーゴの実のように苦いそれらの記憶は、たちまちのうちに印象を変える。
     もはや、自分に大変な仕打ちを強いている彼女が傾倒する学問に同感だ。
     ――可愛いなぁ。オイラの恋人。
     なんて良い眺めかな、役得だ、役得。
     棚から引っ張り出した過去の書類も放置して、目の前の在庫表を見る振りをして、ペンを無意味に動かしつつ、カキツバタはこっそりとスグリを見つめ続けた。
     このときめく瞬間さえ、タロの授業はスグリを夢の中に置いてけぼりにして続いてゆく。
    「可愛いが新たな可愛いを作り出している……というよりは、タロ好みの可愛いさを倍加させている」
    「そうです!! 可愛いは思いのまま、人によって無限大に作られてしまうんですよ~」
    「タロは……可愛いを見つける天才」
    「はい!! えへへ」
     控えめに拍手をするネリネ。両手を合わせて、満足げなタロ。
     始終、講義を聞いていたカキツバタはつい口を出したくなってしまった。
    「天才のタロ先輩や~い。オイラも~一個くらいは~可愛いところが~あると思いま~す!!」
    「あら、風の音でしょうか」
     途端に、教室の空気が凍り付いた。カキツバタは彼女の横顔を見上げる。普段、彼女の輝きに満ち溢れた丸い瞳は、険しげに細くなっていた。カキツバタを見下す翡翠の瞳。まるでそれは夜半の湖水のように黒々とした影に覆われていた。
    「……ハイ、塩~。なんざ通り越して、もはや『どくづき』じゃねぇか」
    「早く手を動かして。『どくづき』じゃない。『じごくづき』」
    「うぉ!? なぁ、オイラ、お喋りもさせてもらえねぇの?」
    「今のはカキツバタが悪い」
    「ネリネさまぁ」
     袋叩きに遭い、カキツバタは愛しのスグリに視線を戻す。
     カキツバタははっと息を飲んだ。隣に座っているネリネが寝ているスグリをまじまじと覗き込んでいたのだ。
     ――ネリネ、やっと気が付いたか。ソイツ、だいぶ前から寝てるぞ。
    「……タ、タロ、タロ。こ、これは?」
    「ネリネ先輩? なんです……あぁ!?」
    「これは、きっと、可愛い……」
     ネリネは声を潜めながら言った。
     タロも同じく長机から身を乗り出して、ネリネと小声で話しだす。
    「そ、そうですよ。これです!! ネリネ先輩、分かりました?」
    「ネリネは理解。これが可愛い。正しくは、可愛いが可愛いを生み出す実例。……!? つまり、スグリは可愛い……」
     ――ネリネもついに識っちまったかぁ。スグリは可愛い。そうだ。スグリの寝顔は可愛いんだよ。
     ネリネが可愛さを理解した頃、その対象となったスグリは六つの瞳に見据えられていることに気づいていないらしかった。今まで熱弁をふるう彼女たちの声量に消されていたスグリの微かな寝息が聞こえてくる。よほど、安らかに眠っているようだ。
     皆でほーっと見守っていれば「あっ、ロトム!! 写真取るよ!!」と声高に言い、タロがスマホロトムを起動させた。
     すると、びくっと揺れるスグリの肩。
    「……ん。わ、わやじゃ…… ここ、どこ」
     スグリが顔を上げる。
     タロはほんの一瞬だけ眉を潜めた。声を張り上げてしまった自身の失態を悔いているように見えた。しかし、直ぐに表情の柔らかいタロに戻り、彼女はスグリに声を掛ける。
    「あ、スグリ君。大丈夫? ちょっと講義が難しかったかな?」
    「タロ……う、うん。とちゅうからわかんなくなって。あ、でもな、ピンクはおれも、めんこいとおもう。タロのかみのけも、そうだべな」
    「……へ!? あ、ありがとう。この色ね、気に入ってるんだ」
     なぜか、スグリはまだピンクの事例を行ったり来たりしているらしい。
     珍しくタロが素直に受け取って照れている。
    「赤面するタロも可愛い……可愛いが可愛いを生み出している……」
     ネリネが眼鏡の位置を正す。すると、スグリが徐にネリネの方を向いた。
    「ネリネはな、ポケモンたちにはなしかけるようす。おれはめんこいとおもってんだ」
    「スグリ……ネリネは感謝感激」
     眼鏡を外して、高速で拭いてかけなおし、スグリを見つめる彼女はかなり外から見ていて滑稽だった。
    「みんな、めんこいとこ、あんべ……にへへ」
     ふにゃりと微笑むスグリ。それは流石に人たらしレベルだ。カキツバタは腹の虫が騒ぎ出すのを感じた。意識に反応して、不意に指先に力が入る。パキっと硬質な音を立てて、カキツバタは手慰みに持っていたシャーペンの芯が折れた。
     気が付けば、カキツバタはスグリに問いかけていた。
    「オイラは?」
    「……なんのことだべ?」
    「オイラのめんこいところだよお。なぁ、一つくらい、あんだろぃ?」
     スグリがゆっくりと瞳を閉じる。首を傾げ、悩んでいるようだった。
    「こら!! カキツバタ、スグリ君にちょっかいかけないで」
    「スグリ。無理に言わなくてもいい」
     すると、スグリが顔をあげる。また瞼が重そうだ。
     ――ん? スグリ。オマエ、もしかして。
    「…………おれ、まだカキツバタみたいに……かわいいってことばさ、うまく言い表せねっから、もう、少し待ってくんね……?? 今、勉強してっか…………??」
     ら、呼吸音にすらかき消されそうな程の小さな声で、彼は言い切ったのか淀んだのか微妙な声を出す。スグリが目を見開いた。一瞬で顔が真っ赤に変わる。
     スグリの姿は、初めて鏡を見たベビィポケモンが、うっかり自分自身に驚き、毛を逆立てる様に似ていた。
     皆が皆、示し合わせたかのようにピタリと停止する。多分、全員が彼の状況を理解した。彼は一瞬で深い眠りに落ち、ゆらゆら浅い眠りを彷徨っていたらしい。呼応する彼の言葉に筋が通っていたからだろう。誰も気が付きやしなかったのだ。
    「な、なぁ、スグリ。オマエ、もしやオイラの為に……」
    「あ、あれ、夢じゃな……いべ。 えっと、違う……いや、違く、なくって……見っ見んな……!! てか、なんでカキツバタがここにいんだべ――!?」
     スグリは叫んだ。こちらを一目見て睨みつけるスグリ。彼は涙目になって、どうしようもなくなって、本当にいじらしい姿で両腕で頭を抱え込み、机に突っ伏してしまった。眩しいほどの白い塊が目の前に座している。
    「……うぅぅ」
     ちらりと見えた彼のノートには何も書かれてはいなかった。だが、近いうちに、悩みながらもカキツバタに対し、気持ちを綴る彼がいた……のかもしれない。
     カキツバタは静かに席を立ち、座ったままのスグリの背後に回り込む。
    「なぁ、スグリよぃ」
     ツンツンと指でスグリの腕や頭を突く。
    「なぁ、オイラの可愛いところ、探そうとしてくれたんだろ?? そうだよなぁ、だよなぁ、なぁ??」
     締まりの無い顔で、言葉通りの意味で丸くなった彼に話しかける。
    「し、知らねっ!? ホント、うっざい!!」
    「カキツバタ、スグリ君をからかうの。本当に良くないと思います!!」
    「スグリ、頭が混乱している。今日はテスト明け。疲れているのは仕方ない」
     タロがこちらに向かって、両腕を胸の前で交差させる。タロお得意の技だ。
     ネリネはスグリの優しく肩を叩いている。
     二人は二人で、悪い先輩から、からかわれる可愛い後輩を守っていることだろう。
     しかし、カキツバタとスグリの関係からすれば、これは珍しい、スグリのデレた姿だったのだ。これが、からかわずにいられる訳ないだろう。健気に恋人のために努力をする。こんなにも可愛らしい姿を。カキツバタは頬が緩みっぱなしで、スグリにすがりついていた。
    「カキツバタ!! もう許さない!! 退場!!」
    「はい?」
     スグリを机から引きはなそうと、薄い腹に手を回して抱えあげようとしていれば、痺れを切らしたタロから見えないレッドカードを突きつけられた。
    「ネリネも、賛成の意を表明」
     すかさずネリネも続く。
    「い、いやいやいやいや。今良いところなんだって。タロさんよぉ、せめて、五分でいい!! 今からスグリを、貸してくれぃ!!」
    「発注依頼書にいいところ? そんな山は無いったら!! スグリ君を手伝わせようったって、そうは行かないんだからね!!」
    「そっちじゃねぇよ!?」
     怒りに塗れた彼女に聞く耳などないようだ。言い逃れをしようとしたのは事実だ。しかしながら、あまりの見当違いに思わずカキツバタも突っ込まざる負えない。
    「致し方ありません。手短に」
    「はい?」
     ネリネが宙に向かってボールを放る。
    「ランクルス……お手柔らかに『サイコキネシス』」
    「待て待て。話せば分かる。オイラだって、可愛いを浴びたいんで……ネリネさま、降ろしてく……うぉ!!」
     彼女のランクルスによって見えない力に体が抱えられる。
     ネリネは容赦しなかった。
     背中に風を感じた瞬間、カキツバタは一人、廊下にまろびでていた。
     聞きなれた機械音を立て、目の前で扉が閉まる。
     体に痛みはない。急いで体を起こし、扉を開けようと体を近づけるも、全くもって開く様子がない。手でこじ開けようとしても扉はガタガタと鳴るだけだった。内鍵を掛けられ、念には念を入れよ、と扉の開閉のスイッチまで切られてしまったらしい。
     タロは本当にしっかり者だ。今日ばかりは抜け目が欲しかったのだが。
     カキツバタは情けなく、押し出された先の廊下で凭れた扉を前に叫んだ。
    「オイラの可愛いスグリ~!?」
     扉は終ぞ、開くことはなかった。
     
     
     
     部室を強引に追い出されてから、一時間程が経つ。カキツバタはスグリの部屋の前で、彼の帰りを待ち望んでいた。
     授業も部活もない平日の午後。暇を持て余しているのか、一年生の部員たちは代わる代わるカキツバタのそばに近寄ってきた。挨拶だけにとどめるものもいれば、そのまま、談笑に付き合ってくれる部員もいる。
     しばし数人でスグリの部屋の前にたむろしていると、廊下の先にスグリの姿を認めた。
    「おーい!! 元チャンピオン、待ちくたびれたぜぃ!!」
    「わぎゃー!! カキツバタ!!」
     スグリは居心地が悪そうにその場に留まった。
     先程までの事情を知らない部員たちは、めいめい、気軽にスグリに話しかけた後、カキツバタに挨拶をして離れていった。カキツバタは、彼らに礼を言い、手を振って見送った。
    「さっ、早く部屋に入れてくれぃ。さっきの話の続き、しようや」
     一人になり、再び声をかければ、スグリは渋々とでも言いたいのか、ゆっくりとした歩みでカキツバタの前に立つ。そして、部屋の鍵を開けた。横目で見たスグリの顔は赤みが差し、口許はきつく結ばれていた。
     
     二人してスグリの部屋に入った。
     彼の部屋はチャンピオン時代のように、ごみが散乱し、荒れ果てた状態から脱していた。無造作に放られていた書類もまとめられ、今は机の上に検索用のノートパソコンが置いてあるだけである。壁にはポケモンを模したお面がきちんと飾られていた。
     カキツバタは気まぐれに部屋の清掃を手伝うこともあった。たまたま、彼の部屋を訪れた時、彼が浴室にいる間に、机の上の書類を整理したり、コップを洗ったり、あくまでもカキツバタにとっては一種の暇つぶしに過ぎなかった。
     しかし、まちがい探しのように、部屋の一部が整った様を見つけては、いつもスグリははにかみながら、カキツバタに向かって礼を言った。数分の手間で喜んでもらえるのは彼としても願ってもないことだった。
     緑の葉が生え揃った観葉植物の前で、後ろからスグリを抱きしめる。
     スグリの項から発される彼の匂いが鼻腔を満たして、並々ならぬ安心が押し寄せた。
    「わやじゃ。急に抱き着くんじゃねっ!!」
    「ハイ、塩~。オイラ、今までオマエさんの邪魔をせずに待ってたんだぜぃ。これくらいいいだろぃ?」
    「うぅぅ。確かにテスト期間だから、会えなかったけど」
     彼の小さくて、温い体から自ずと余分な力が抜けていった。差し出されて、渋々受け取った温もり。そこで初めて自分の欲を理解したのか、スグリは否定はせずに受け入れることにしたらしい。
     カキツバタがここに来た理由は、スグリに会うこと。それとは別に、今日の出来事を問いただすためだ。腕の中の彼に尋ねてみる。
    「さぁ、元チャンピオン様よ。早速、タロ主催。可愛いの講義とやらの成果をお聞きしたいんだが」
    「う、うるせ。結局よく分かんなかったべ」
    「なんだよお。じゃあ、勉強会とやらの時の言葉はなんだっていうんだ。今更恥ずかしがってんじゃねーよお」
     わざと間延びした声でからかう。
    「ちっちがう!! 今、悩んでんだ。すぐに分かったら苦労はしねぇ」
    「まぁそうだねぇい」
     彼は耳まで赤く染めていた。すぐに恥ずかしがるスグリのいじらしさに、カキツバタは彼を抱く腕に力をいれた。
    「その、カキツバタの可愛いところ、わっかんね。だって、カキツバタは可愛いよりかっこいいべな…………ハルトとおんなじ」
     カキツバタの回した腕をそのままに、スグリは自分の前髪を弄りながら言う。
    「ふーん」
     ――かっこいいねぇ。オイラと……キョーダイが。
    「スグリぃ、嬉しいがよ。他の男の名前を出すなよぉ。オイラ、嫉妬しちゃうね」
     最後の言葉は聞き捨てならなかった。ハルトには恩があるが、それとこれとは別問題なのだ。今日の授業だってそうだ。無意識と言えども、過剰なほどにタロやネリネに愛想を振り撒いていた。こんな恋人の様子を見て、人並みに嫉妬せずにはいられない。
     カキツバタはおもむろに、スグリの体に回した腕を解く。スグリの自由身勝手で生意気な言葉を吐く唇にキスの一つでもしてやろうと、赤く湿ったそこに顔を近づけた。
     刹那、鼻先に冷たいものが滑る感触。
     はて、と顔を離せば、それは書類の入った透明のファイルケースだった。スグリは手に持っていたノート類を使い、カキツバタの嫉妬を拒んでいた。
    「わや。え、えっと、カキツバタ。その、部長の仕事はちゃんとやった方がいいべ」
     彼はそう言いながら、一枚のファイルを差し出す。
     クリアファイルに挟まっているのは、見覚えのある書類。部室で一向に進まなかった備品発注依頼。原因は、スグリの寝顔が可愛すぎたせい。否、カキツバタがスグリの一挙手一投足に見入っていたせいともいえる。
     忌々しい目付きで透明なそれを受け取り、くるりと丸める。カキツバタは細目のメガホン型にしたファイルで肩をトントンと叩きながら、大きなため息をついた。
     この傾向はよろしくない。非常によろしくない。
    「スグリよ。今日の分は仕方ねぇ。オイラがやっとくけどよお。さしずめ、この仕事は、オイラがしなかったから、オマエさんがやりましたってことにしとけ」
    「は? 何でだべ」
    「元チャンピオンの人がいい所は大変美徳ですがねぃ。ずっとオマエさんを通して、こう、仕事がくるとオイラも参っちまう」
    「それ、元はと言えば部長の仕事だから、カキツバタの仕事」
    「そうはいってもよお。オマエさんに、可愛いの理解が難しいように、仕事にも得手、不得手がある。オイラ、勉強がてんでダメなんだよお。だから、毎日、毎日、部室に居て、部の平和を守ってるしねぃ。他に適材が居るなら、しなくていいことはできるだけやらない主義なの」
    「うぅ。カキツバタはやりたくないだけだべ?」
     ――うっ、バレたか。
    「ち、違う。信頼よぉ。人類、皆キョーダイ助け合いだぜ」
     スグリは顎に手を当て、おずおずとした口調で切り出した。
    「……でも、いざというときのために、カキツバタにも仕事は覚えてもらわねぇと。……預かってきたから一緒にやろう?」
    「お?」
    「俺、手伝うから。タロたちの負担さ、ならないように。カキツバタはその、俺と一緒なら……やってくれんべ?」
    「………はぁ。元チャンピオン様は、自惚れも甚だしいねぃ」
     カキツバタは力なく答えた。恋人の行為を無下にできない。いくら自分のスタンスを守らねばと思っても、スグリの手に掛かれば。彼が黒いものを白と呼べば、さながらそのものは白に変わるのだ。もちろんカキツバタの中での心象のみなのだが。
    「な!? うぅぅ。でも、違わない、べな……?」
    「へーへー。はぁ。オイラ、オマエさんから頼まれたら弱くなっちまったな。あーあー、絶対にばれちゃならねぇや」
    「カキツバタ……」
     彼のひなかの水面のように揺蕩う金の瞳を覗き込んだ。素直に弱みを見せることが癪で、カキツバタは抱きしめている恋人を茶化し始める。
    「これ、終わらせたらよお。たっぷりご褒美くれるよな? ……元チャンピオン様」
    「はぁ!? そんな条件飲めるわけねぇべ!!」
    「おーそうかい」
    「だから離し……ぎゃっ!?」
     力の抜いたスグリの体。タンクトップの裾から一気に胸元まで手を入れて、手のひらで腹を撫でつけた。
    「前借OKだなんて、気前がいいじゃないのぉ。スグリくんのすけべ♡」
    「わぎゃー!! 指摘してんのはそこじゃねー!!」
     真っ赤な顔をしてポカポカと拳を振るい、必死に肩を押してくるスグリを押さえ込む。彼の額に寄せた唇は、何にも邪魔されず、そこに触れることができた。
     
     ――可愛いは最強なんですよ!!
     心の中でタロが叫んでいた。
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