わんだふるぱにっく!「わんっ、わんわん!」
「…?2号、どうしました…えっ!」
散歩から帰ってきたら、家の前に犬が倒れていました。
「だっ、大丈夫ですかっ!?」
慌てて駆け寄れば、その子は道の片隅に小さな身体を丸めて目を閉じて、寒そうにぷるぷると震えていた。どのくらいこの場にいたのだろう。今日は比較的暖かいものの、真冬の寒空の下に長時間いたとしたら、冷え切っていてもおかしくない。
そっと抱きかかえればほんわりと温かかった。低体温にはなっていなかったようで、ひとまずは安心したものの2号のリードを引いて急いで家の中に入る。
部屋の暖房とヒーターの電源も入れて、薄手の毛布で冷えてしまった犬の身体を包む。少しでも温まるように、黒子の膝の上に乗せて、毛布の中に手を入れてふわふわした身体を撫でた。2号も心配そうに寄り添っている。
しばらくそうしていたら、もふもふした犬はうすく目を開けて、きょろきょろとあたりを見回しているようだった。ぱたぱた、と尻尾が動く。その様子にほっと一安心して、黒子は犬に声をかけた。
「ここはボクの家ですよ。少しはあったまりましたか?」
黒子がそう言えば、犬は一度ぱちりとまばたきをした後、もぞもぞと毛布の中から出て直接黒子の膝の上に乗った。どうしたのかと思えば、ぐるぐる、と犬なのにまるで猫みたいに喉を鳴らして、黒子のおなかのあたりに身体を擦り付ける。まるで「ありがとう」と言っているみたいに。
か、か、かわいい。様子を見ていた2号もまた、混ぜて!といった感じで、わんっと黒子の膝の上に乗ってきた。両手に花、ならぬ、両手に犬。もふもふした小さな身体の背中を、毛並みに沿って撫でる。
膝の上の子は、珍しく赤い毛をしたポメラニアンだった。毛並みはつやつやで、綺麗にカットされている。首輪などはしていないけれど、いいおうちで大切に飼われている子だろう、というのは見た目からしてもすぐに分かった。
ということは、迷子犬だろうか。きっと飼い主が心配しているに違いない。
「もう少し温まったら、あとで交番に行きましょうね。責任持ってキミを飼い主さんのところへ連れて帰ります」
「…くぅーん…」
すりすり、と黒子のおなかに擦り寄っていたポメラニアンは、小さな足を一生懸命伸ばして、黒子の身体によじ登るように足をつく。甘えたような声を出して、つぶらな瞳が、じいっと黒子を見つめていた。
「抱っこですか?甘えん坊さんですね」
いつも2号を抱っこするみたいに、胸とおなかを支えるようにしてぎゅっと抱く。小さな身体はもう震えてはいなくて、さっきよりもあたたかくなっていた。元気になってよかった、と思っていたら、腕の中のポメラニアンが、はふはふと黒子の首筋あたりに鼻を寄せる。それから黒子の胸に足をついて、ぺろぺろと一生懸命に顎を舐めてきた。
「ふふっ、くすぐったいです」
2号も人懐っこくてかわいいけれど、この子もまた甘えん坊でかわいい。よしよし、と頭を撫でれば嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振っていた。黒子まで嬉しくなって、もふもふの毛に鼻をうずめる。シャンプーのような、香水にも似たような、華やかなで少し甘めの香りがわずかに広がった。
「…?」
ふと、不思議に思う。いくらいいおうちで大事に飼われているわんちゃん(という予想)とはいえ、犬からこんないい匂いがするだろうか。それに、この匂い、どこか覚えがある気がする。
腕の中のポメラニアンがじっと黒子を見つめるから、黒子も同じように見つめ返す。よーく見たら、光の加減で左右の目の色がほんの少しだけ違って見えた。左目のほうが、わずかに色素が薄く見える。
しかも、ポメラニアンなんて文句なしにかわいいに決まっている。とってもかわいいはずなのに、なんだ、この顔立ちから滲み出る高貴さと、どこか気後れしてしまうような威圧感は。この雰囲気を、黒子は感じたことがある。でも、まさか。さすがに。
なのに、口から勝手に言葉が漏れた。
「…赤司、君?」
そう言えば、赤い毛に覆われた、ちょこんとした三角の耳がピクリと動く。琥珀色のような丸い両目に、黒子の姿が映っていた。
黒い小さな鼻はしっとり湿っていて、綺麗なピンク色したべろが口の隙間から見えた。長い毛に覆われた心臓が、トクトクと黒子の腕の中で脈打っている。めいっぱい足を伸ばしたポメラニアンが、黒子の唇をぺろっと舐めた。その仕草に誘われて、思わず黒子の方からも、その口にちゅっとキスをする。
かちり、と時計の針が鳴った。その瞬間に、ぼふん!っと腕の中が煙に包まれる。先程と同じ、甘い花のような香りがふわっと広がった。2号が、わんわんっと鳴いている。
「ありがとう、テツヤ」
「ギャッ!?」
気付けば、裸の男に抱き締められていた。
「赤司君!服!服を着てください!」
「ない」
「持ってきますから!それまではこれを!」
さっきまでポメラニアンが包まっていた毛布を裸の赤司に掛ける。ポップな星柄の描かれた水色の毛布だ。かわいいポメラニアンにはよく似合っていたけれど、青年の裸に被るには、ちぐはぐにもほどがある。
「それより先に。ありがとうテツヤ。お礼を言っても言い足りないよ」
「わかりました!わかりましたから!」
「寒いから、もう少しくっついていい?」
「服を着ろーー!!」
黒子の膝の上の体重は、つい先程の何十倍も重たい。ぐいぐいと抱きついてくる身体は赤毛に覆われた可愛らしいもふもふの身体ではない、がっしりした、しっかり人間の男の身体だ。
「赤司君…キミは一体…。ついに人間じゃなくなってしまったのですか…」
「わからないけど、本当に困っていたんだ。最近忙しくて少し疲れていて、気付いたらあんな姿になっていて。無意識にテツヤの匂いをたどってここまで来てしまった」
「はぁ…。もう大丈夫なんですか」
「ああ。テツヤがたくさん撫でてくれたから元気になった。テツヤは僕の王子様だね」
「はぁ……。(何を言っているんだこの人…?)」
強く抱き締められて息苦しいし暑苦しい。一体何が何だかよくわからない。夢かうつつかわからないけれど、目の前の赤い髪がまるで犬の尻尾のようにふわふわ揺れて嬉しそうにしていたから、まあいいか、と黒子も赤司の背中に腕を回した。毛布越しに撫でる背中は、広くてかたい、男の人の背中だ。
赤司は、まるで犬みたいに黒子の首筋に顔をうずめてすんすんと鼻を鳴らしている。さすがに人間の男の人にそうされるのは恥ずかしい、と思ったら、そのままそこにべろっと生ぬるい感触が触れた。驚いて慌てて身体を離したのに、その瞬間に、また同じ感触が唇に触れる。ざらついた、ぬるい舌。
「な、な、ッ…!」
「さっきも同じことしたよ」
「さっきとは全然違うでしょう!?」
「同じだよ。どちらも僕だ」
「そ、それは…」
「ねえ、テツヤ。キスしてよ。さっきみたいに」
じっと黒子を見つめる彼の瞳に、今度は慌てふためく黒子の姿が映っている。その顔が赤いように見えるのは、赤司の瞳の色のせいなのか、黒子の頬が熱いからなのか、もうよくわからない。
かわいらしいポメラニアンの正体は、とんでもないライオンのようだった。赤司の身体を覆っていた水色の毛布が、ずるりと肩から落ちてゆく。よく暖房を効かせた部屋は暑いくらいだった。ふと床を見れば、フローリングの木目にひとつ、犬のような、赤い毛が落ちていた。
20250123