まるのうちキラキラあかくろ 駅前の商業施設の自動ドアを出ると、ひやっと冷たい風が頬を撫でた。辺りはもうすっかり暗くて、エントランスの広場にはきらびやかなイルミネーションとクリスマスツリーがきらきら光っている。家族連れや寄り添うカップルがしきりに写真を撮っていた。室内では暑くて外していたマフラーを、もう一度しっかり巻き直す。
「寒いね」
ロングコートのポケットに手を入れて、赤司はぽつりとそう呟いた。その言葉と息が、ふわりと白い息になってきらめく街に溶けてゆく。
「そうですね」
俯いて、それだけ返す。巻き直したマフラーは、さっきまでいた映画館の匂いが映ったのか、ほんのり甘いキャラメルみたいな匂いがした。
寒い、と言いながら、街ゆく人は肩をすくめて早足気味に家路を急いでいたり、カップルたちは手を繋いでいちゃいちゃ歩いていたり。けれど二人はどちらもせず、とぼとぼとした歩みでツリーの前を横切った。
人の溢れる十二月の街は、どこもかしこも華やかだった。東京駅まで続く並木道は、シャンパンゴールドのイルミネーションに彩られている。ちらりと時計を見れば、時間はもうすぐ夜の八時になる頃だった。
「赤司君、新幹線の時間、大丈夫なんですか…?」
「言ってなかったか?今日は自由席を取ったから大丈夫だよ。最終まであと一時間半くらいはある」
「そうですか…」
そうか。そう聞いたような、聞いていなかったような。
まだ、最終の新幹線には間に合う。まだ大丈夫。けれど、最終に乗ったら、彼が向こうの自宅に着くのは日を跨ぐくらいの時間になってしまうかもしれない。たまの休みにわざわざ東京まで来てくれたのだから、早く帰ってゆっくり休んでもらいたい。もう少し早い時間に乗ってもらわないと。頭ではそう思うのに、足がなかなか前に進んでくれなかった。
ひんやりとした夜風が、剥き出しの頬をひゅうっと撫でる。手袋を忘れた手が冷たい。こんなに寒いのに、通りの所々ではクリスマスツリーやモニュメントが飾られていて、そのきらびやかさを纏いながらウェディングフォトの撮影がされていた。冬の夜の気温なんてなんのその、幸せそうな笑顔の男女のタキシードと真っ白なウェディングドレスが、シャンパンゴールドの光をきらきらと反射している。
「あれ、撮りたいの?」
「えっ」
「ずっと見てるから」
「いや、そういうわけでは…」
「それとも好みの女性だった?」
「なっ!そんなわけありません!」
「ふふっ」
「怒りますよ」
「ごめんね。冗談」
くすくすと笑う彼の唇から、白く息が漏れてゆく。
冗談にしたってひどい。自分の頭の中はこんなにも、赤司のことでいっぱいだというのに。
「黒子も撮りたいならいつか撮ろうか。ウェディングフォト」
「え?いや、ボクは別に…」
「そう?オレは撮りたい」
「はぁ…」
さらりと言う赤司に、何と返事をして良いのかもわからず口ごもる。ウェディングフォトって。ボクたちまだ高校生だし、男同士だし、そもそも結婚するんですか。突っ込みどころはたくさんあるけれど、どれも言えずに開いた唇を再度閉じる。ひゅう、と、白い息だけが漏れた。
どんなにゆっくり、のんびり歩いていたとしても、約一キロの通りはすぐに終わりが見えてくる。キラキラした並木道を通り越せば、東京駅の外観が見えてきた。そこでもまた、駅舎をバックにウェディングフォトを撮るカップルが並んでいる。
彼も、もし女性とお付き合いすることがあれば、あんなこともするのだろうか。ウェディングドレス姿の女性を抱き上げて、目を見合わせて幸せそうに笑う二人。いくら多様性を謳う世の中でも、男性同士で撮っているカップルは見当たらなかった。
横断歩道を渡れば、もうあっという間に駅は目の前だ。今度は一気に観光客のような人たちが増える。ライトアップされた夜の東京駅は、何にも負けない存在感があった。何度も見ている景色なのに、何度見ても、ぽっかりと寂しい気持ちに胸を抉られる。
「ここでいいよ」
「ホームまで行きますよ」
「ダメ。帰りが遅くなるし、そのまま新幹線に乗せたくなる」
「…乗っちゃいましょうか?」
「乗ってくれるの?」
「…だめですね」
「だろう」
丸の内口のJR改札口に入り、新幹線乗り場の改札の隅っこの方でこそこそと別れを惜しむ。前回は黒子が乗るJR線まで赤司が送ってくれたので、今日は黒子のほうが新幹線乗り場まで見送ると決めていた。駅構内は人で溢れていたものの、この時間に新幹線を利用する人は多くないのか、新幹線改札口はそこまで混雑していない。
あっという間にもう八時半過ぎだ。そして、赤司も黒子も明日も朝から練習がある。この時間は、もうそんなに新幹線の本数は多くない。次を逃せばその次の発車は十分以上後だ。早く行って、乗ってもらって、休んでもらわないといけないのに。少しでも時間稼ぎをしようとしている自分に呆れてしまう。
「次は、黒子の誕生日に来るから」
「良いですよ、無理しなくても」
「無理じゃない。オレが会いたいんだ」
「ボクも会いたいですけど、そうじゃなくて…。たまにはボクが、京都に行ったって良いですし」
「それもだめ」
「えっ」
「道中何かあったらどうするんだ」
「何もありませんよ…いくつだと思ってるんですか」
「でも心配で気が気じゃないからダメだ。京都に行きたいならいつか東京から二人で行こう」
本気なのか冗談なのかよくわからない口ぶりに、黒子はふっと口元を緩める。人が少ないのを良いことに、赤司は黒子の手をそっと握った。赤司の手は、いつもぽかぽかとあたたかい。
「じゃあ、風邪引かないようにあったかくして」
「はい。赤司君も」
「あとでメールする。電話も」
「はい…ボクも」
ほんの一瞬、まばたきをするくらいの瞬間に、赤司の唇が黒子の額を掠めた。わずかに湿った唇の感触が、冷たくなった額に触れる。
はっと顔を上げれば、赤司は小さく笑って、黒子の頭を優しく撫でた。それからその手はするりと離れてゆく。
「またね」
そう言って、赤司は黒子に背を向けて歩き出した。
二人を隔てる距離を考えれば、頻繁に会えているほうだと思う。来月だってきっと会える。なのに、別れの瞬間はいつも言いようのない寂しさに襲われる。
あかしくん。呼び掛けたすぐ後に、赤司は改札へと入っていった。
「気をつけて帰って。家まで送れなくて悪いね」
「いえ…。赤司君も、気をつけて」
「ありがとう」
改札越しに手を振り合う。なかなかその場から離れない黒子に、「はやく帰りな」と赤司は苦笑しながら口を動かした。優しい笑顔の裏に、少しばかりの寂しさが滲んでいると、自惚れても良いだろうか。
やがて、赤司の背が完全に見えなくなって、黒子はふう、と小さく息を吐いた。改札前にほとんど人はいないし、影の薄い自分を認識する人はそうそういないから、この場で少しくらい立ち尽くしても許されるだろう。
また会えるから、寂しくないし、悲しくもない。そう言い聞かせていたら、コートのポケットの中に入れていた携帯が小さく震える。
メールの差出人は赤司だった。
『今日はありがとう。また会えるのを楽しみにしてる』
ほんの短いその文章に、ぎゅっと胸がつままれる。小さく唇を噛んで、自分が乗るJR線への乗り場を目指し歩き始めた。
ホームで電車を待つ間、ベンチに腰掛けながら、赤司に返事をしようと思って、でも何て返せば良いのかもわからずに、今日一日のことを思い返す。楽しかったことを思い返していたら、ふと画面がぼんやり滲んだ。目の奥がツンと痛くなって、慌ててぐっと力を入れる。
またすぐに会えるし、電話もメールも出来る。寂しくない、寂しくない。そう言い聞かせながら空を見上げる。冬の夜空は澄んでいて、月が綺麗に見えた。車窓からはさすがにこの月は見えないだろうか。京都に着いたら見えるだろうか。そんなことを考えながら鼻をすする。
分つ距離がもどかしい。時間にしてほんの二時間ちょっとしかないはずの距離だけど、やっぱり遠い。大人になったらそうも感じなくなるのだろうか。寂しい、寂しい、と駄々をこねている自分のことを、いつか笑い話に出来る日が来るのだろうか。それまで彼は、一緒にいてくれるのだろうか。
.
「黒子」
「赤司君。お疲れさまです」
今年もまた、きらびやかな季節がやってきた。去年とはまた違うツリーの装飾をぼんやりと眺めていたら、名前を呼ばれて顔を上げる。スーツにチェスターコートを羽織った赤司は、白い息を弾ませて足早に駆けてくる。
「待たせてごめん。中で待っていてくれれば良かったのに」
「いえ、ボクも今来たばかりです。ツリー見てるのも楽しくて」
きらめいた景色の中で、いろんな人が、みんな笑顔で楽しそうに写真を撮っている。その様子を見ているとこっちまで嬉しくなった。それに、待ち人を待つ時間も楽しい。きっと彼は、今みたいなこんな顔で、慌てて来てくれるだろうなって想像していたから。
「それなら良いけど…手、冷たくなってる」
赤司が黒子の手をそっと引いて、ぎゅっと握り締めた。急いで来たせいか、彼の手はやっぱり温かい。冷たかった手が、ゆっくりと熱を持ってゆく。
「手袋は?」
「一応持ってますよ。でもここに着いて外しました」
「それは…」
握られた手が一度ゆるく解かれて、それからまた強く繋がる。指の間に指が絡んで、手のひらがぴったりと合わさった。
「こういうことで、合ってる?」
「ふふ」
重なった手を握り返す。親指の腹ですり、と手の甲を撫でると、赤司の手も少しかさついていた。
今月の赤司の誕生日も、クリスマスも、家で二人きりで過ごすことに決めている。だから今日はなんでもない日だけれど、仕事終わりに夜に待ち合わせをして、いつもより少しだけ良いお店でディナーだ。赤司おすすめのお店が東京駅近くにあるらしい。東京駅で待ち合わせても良かったけれど、今日は昨日より暖かいし、イルミネーションを見ながら一駅分歩いて行ってみたい、と言ったのは黒子だ。
手を繋いだまま、人の溢れるきらめく街並みを歩き出す。
「こうして歩いてると、高校生の頃を思い出します」
東京駅までの華やぐオフィス街の並木道は、今年もシャンパンゴールドの装飾に彩られていた。周りはあちらこちらで写真を撮っているし、至るところでウェディングフォトの撮影も行われている。
「覚えてますか?東京駅まで歩いて、赤司君のこと見送ったの」
「忘れるわけないだろう。あの時は別れるのが寂しすぎて、どうやったら黒子を京都まで連れて帰れるか本気で考えてた」
「え?全然、寂しくも何ともなさそうな爽やか〜な顔で、『また会おう』って言ってましたよ」
「取り繕ってただけだろう。でも黒子も寂しそうな顔してくれてたから、それは嬉しかったな」
「それは…そりゃあ、さみしいでしょう。またしばらく会えないって考えたら」
「寂しそうな顔が嬉しかったし、可愛かったから、その日の晩はその顔を思い出して一人で…」
「………」
「痛い、爪立てないで」
繋いだままの手にぎゅむぎゅむと爪を立てたら、痛い痛いと赤司は苦笑した。
高校生の頃、二人でこの道を何度か歩いたけれど、でもその時はやっぱり少し寂しかった気がする。イルミネーションの波に呑まれる街並みがきらびやかでも、ライトアップされた東京駅が綺麗でも、その先の別れを考えると切ない気持ちになった。どんなに寒くてものんびりと歩きたくなったし、一度手を繋いでしまったら離すのが惜しくなった。
ふと、隣の赤司を横目で見つめる。
結局、お互い高校から比べてさほど身長は伸びなかったけれど、このくらいの距離がちょうどいい。昔から綺麗な人だったけれど、それに加えて、精悍さと色っぽさが増した。形のいい耳たぶが、冬の空気の冷たさでほんのり赤くなっている。
「どうかした?」
「いえ。爪立ててごめんなさい」
「いいよ。あとでキスしてくれたら許してあげる」
そんなことばっかり言ってる、この口は。
すりすりと撫でた薬指の付け根に、こつりとリングが当たる。黒子がつけているものと対になるリングだ。この通りで何組も撮っているウェディングフォトも、黒子たちも本当に撮ってしまった。データがおそらく来週くらいには届く。スマートフォンの中にはいくつか既に写真が入っていた。二人で撮った、特別な写真。
見上げた夜空には、半分に欠けた月がぽっかりと浮かんでいた。あの時、赤司と別れて東京駅のホームから見た月も綺麗だったけれど、あの時よりも今のほうが、ずっと綺麗に見える。
「おなか空きましたねぇ」
「あと少しで着くよ」
路の真ん中に置かれた大きなツリーを通り越し、少しだけ歩く速度を速める。東京駅まで、もう少し。