【最赤】カフェデート2本最赤カフェデートその①
すうっと息を吸い込む。アールグレイの良い香りだ。気持ちが宙を浮く。
こぢんまりとした店内でこのテーブル席からでもカウンターの店主の手元が見え隠れし、ときどき金属やガラス製の音がする。こういう雰囲気は好きだ。何度かお湯を別の容器に移し替える様子の後、茶葉の匂いが立ち始めたので、僕はテーブルに両手を置いて、そっと目を閉じてそれを楽しんでいた。彼女を待っている間スマホをいじっているのもなんだし、持っている小説は読み出したら途中で名残惜しくなりそうだから、今は鞄にしまったままだ。
カラカラ、と店内奥の引き戸があく。赤松さんだった。
「お待たせ。…ふふ」
彼女がさっきまで掛けていた席につき、僕の顔をじっと見た。
「な、なに?」
「最原くん、なんかにこにこしてる」
「えっそう?」
「最原くんがさ、そういう顔するの珍しいよね」
なんだか1人でにやけていたらしく、恥ずかしくなって僕は彼女から顔を逸らした。もう帽子を被らなくなって数ヶ月経つけれど、こういう時ばかりは恋しくなる。
「にしてもさ、いい匂いだよね〜、紅茶頼んだんだね」
「あっそうだ、それだよ」
「ん?」
「たぶん顔が…崩れてた、理由」
「崩れてたってなに?ふふふ、なんか面白いね。崩れてなんかないよ、いつも通り綺麗な顔してるよ」
「き、綺麗?」
思いがけぬ言葉に頬が少し熱くなる。
「あっごめん!男の子に対して使う表現じゃなかったよね」
赤松さんが慌てて口に手を遣る。心なしか頬が染まって見えるのは、彼女が化粧室に行っていた間メイクを直したからだろうか。
「えっ…いや、べつに、嬉しい、けど…」
彼女の方が綺麗だと思うけれど…男性から女性に対してそれを言うのは別物なので、僕は黙って俯いた。紅茶を頼んだ理由も、東条さんに淹れてもらった時に赤松さんから「最原くんって、紅茶似合うよね」と言われたのがきっかけだったけれど、それも黙っておいた。僕は本当はコーヒー派だ。
「あ、赤松さんの分はたぶんこの後だね。注文した時に不在だったから、戻ってきた時に淹れたてになるようにしてくれてるのかも」
僕はざわつく胸をごまかすように、カウンターに目を向けてそれっぽい推測を口にした。
「そっか、楽しみだなあ」
「赤松さんコーヒー飲むんだね。ちょっと意外だったな」
「あはは、ブラックは飲めないよ。ただ、ウィーンに行った時にたっぷりクリームがのったコーヒーを飲んだんだけど、まろやかで甘くて美味しくってさ」
「本場のウィンナーコーヒーだね。マイルドってことは…フランツィスカーナーかな?」
「よく知ってるね」
「ううん、東条さんが教えてくれたんだ。本場には色々種類があるって」
「最原くんってけっこう、東条さんと一緒にいるよね」
「え?」
「え、あ、ううん。そうそう、あれを飲んだ日から時々恋しくなって飲むんだ、ウィンナーコーヒー。あっちのとはまた違うんだけどね」
彼女の口から当たり前のように海外の話が出てくる。あちこちで演奏しているんだろうなあ。こういう時、僕の目の前にいることが奇跡みたいに、特別な人なんだなと実感する。
最赤カフェデートその②
なるべくフォークをお皿にぶつけないように、余計な音を立てないように、ひと口、またひと口。フォークで切り分けたショートケーキを口の中へ運ぶ。ピアニッシモのように優しいふわふわのスポンジになめらかな生クリームが撫でつけられていて、口の中で穏やかな旋律のようにとけ合う。その間に挟まったイチゴの酸味がスタッカートのようにアクセントをつけて、コクが舌の上で踊る。まさに至福だった。
うっとりと閉じていた目を開ける。目の前には彼。最原くんが私の顔を見て、なぜだかその綺麗な顔を綻ばせている。
「なんか、笑ってる」
その理由が返ってくることを期待して、私はたった今目にした彼を、そのまま言葉にした。
「あ、ううん…赤松さんは本当に美味しそうに食べるなあって」
「そ、そう?でも美味しいよねここ!」
「そうだね」
彼が目を細める。最原くんも嬉しそうでよかった。こういう時、お互いのものを交換して美味しさをシェアするのが好きなんだけど…流石に「ちょっとちょうだい」なんて気軽に言えるような関係じゃないから、今は最原くんの笑顔だけでいい。
でも、美味しそうに、って…。食べるペースが早かったのかな。だとしたらちょっと恥ずかしい。手触りのいい木製のテーブルに並ぶふたつのお皿を見比べる。たしかに、私の方が減っている…。彼はチーズケーキの欠片を上品に口に運び、そのなめらかな頬の輪郭を崩すことなく口の中で溶かしている。彼がたった今口に運んだそれと、私の握るフォークに刺さった欠片。見比べて、ふと気づく。
(あれ、最原くん私より口小さくない?)
はっとして、途端に顔が熱くなる。
口に運ぼうとしたそれをそっとお皿の上に戻して、半分に切り分けて、また口へ運ぶ。最原くんの真似をして、はむ、と小さな口でそれを迎え入れた。小動物みたいなイメージだ。
「ふふ」
今度は最原くんが声を漏らして微笑んでいた。
「あ…!今私を見て笑ったね!」
「わ、笑ってないよ」
彼がごまかすように口元に手を添えて顔をそらす。どういう意味で笑われているかなんて分かる。恥ずかしい。
「笑ったよ〜!」
でも不思議と嬉しさもあって。最原くんの自然な笑顔を見られたから。なんだか心が躍っているままに、彼に戯れるようにつっかかる。
「ご、ごめん、僕がペースを乱すようなことを言っちゃったから…」
「そうじゃないんだよ〜!」