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    kuuyumekaki

    ラギ監メインに書いてます。雑食です。

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    kuuyumekaki

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    注意書き
    軽い暴力表現があります。

    スラム育ち感を出したかったけれど力不足でした。

    #ラギ監
    lagiAuditor

    恐怖と好奇心のパラドックス「アンタって、売られたらいくらぐらいの価値があるんスかね」
     そう目の前の小さな体に告げれば一瞬で瞳を曇らせる。手を伸ばせば届くぐらいの距離にいるのに心はものすごい勢いで離れていっただろう。それでいい。


    人は自分の知らないものに出会った時にだいたい二つの感情を抱きやすいという。一つは恐怖。もう一つは好奇心だ。この二つは異なる性質なくせに隣に寄り添うように共存するのだ。
     目の前の女の子が現れたのは突然だった。異質な存在は瞬く間に学園中に知れ渡り学年も寮も違うオレの耳にまで届いた。それでも特に関わることはないだろうと思っていたのに、レオナさんのオーバーブロットの件で関わることになり、他人から顔見知り、そのまま気さくな先輩と彼女の中で変わっていったのだろう。会えば挨拶されるし立ち話ぐらいはするようになっていた。
     多分、穏やかな世界で温かい場所に生まれて優しい人たちに囲まれて生きてきた。環境がこんなにも人に影響を及ぼすのかと言わんばかりに彼女は真っすぐでお人好しで人を疑わない。だからあんなことしたオレ達にも平気で話しかける。事件が終われば反省する。反省したらもう同じことはしない。めでたしめでたしとでも思っているのか。そう簡単に人間が変わるはずがないのに。オレがスラム出身なことを知って一瞬眉を顰めたが恐らくそれは軽蔑ではなく憐憫、オレ自身にどうすることもできない環境を彼女は否定しなかった。あぁ、人間ができている。そう思った。そして怖かった。自分と正反対の綺麗な存在が笑いかけるのが、話しかけてくるのが、気にかけてくれるのが。怖いのに逃げられない。知りたくないのに知りたい。こんなことは初めてだった。

    「ラギー先輩! 見てください。サムさんのところでドーナツ三割引きです!」
    「マジ!? オレも急いで買ってくるッスよ」
    「へへ、先輩のも買ってきましたよ。はいどうぞ」
    「え? いや、でも……」
    「お代はいただきまーす」
    「あ、そこはとるんスね」
    「当り前じゃないですか。グリムの食欲のせいでピンチなんですから」
     しぶしぶ財布から出したマドルをしっかりと受け取った監督生くんはオレに紙袋を押し付けた。袋の中からふわりと香る甘い香りにまぁいいかと思えば用は済んだはずなのに彼女はその場から離れなかった。
    「どうしたんスか?」
    「あの、一緒に食べませんか? お茶飲みながら」
     はにかむように笑ってドーナツの紙袋を抱える監督生くんの頬がうっすら赤い。多分、ほんの少しオレに好意を抱いてくれている。同級生や他の先輩よりちょっとだけ、オレは気にられているらしい。それがどこまでの思いかは知らないが胸の奥がざわめく。
     その気持ちが嫌なわけじゃない。なのにざわめいてしまう理由がわからない。これ以上近づけさせるなと本能が告げるのだ。踏み込ませるなと。
    「今日は……バイトなんスよ」
    「そうですか。じゃあ……また今度」
    「しっかり稼がないとね。ばあちゃんに仕送りしたいし」
    「ラギー先輩みたいなお孫さんを持って、おばあさま幸せですね。本当にすごいことだと思います」
    「……。幸せね」
    「先輩?」
     きっと嫌味なんか一ミリも入っていない。真っすぐに本心を告げてくれている目をしているのにどうしてこんなに気に入らない?
    「あんなとこに生まれて、幸せだって本当に思ってんの?」
    「あ……」
    「毎年誕生日が来て、今年も一年生き延びられたって思うような環境が? 食うものに困って自分を売らなきゃいけねえかもって思わなきゃいけないような場所が?」
    「ごめんなさ……」
    「アンタって、売られたらいくらぐらいの価値があるんスかね」
     自分の育ってきた環境ではまず考えることもないようなことを聞かれて監督生くんは口を噤んだ。
    「魔法も使えないし、見た目も普通だけど異世界から来た珍しさでそこそこの値段がつくかもね。髪も目もまだ綺麗なままだし。臓器も全部揃ってるでしょ。目は片方五万マドル、手は三万マドル、髪は十センチで五百マドル。腎臓や肺はとんでもねぇ値段つくけどそれを売る時は無事に帰れないかもね。まぁ本当の本当に困ったら、そうやって生きていくのもありッスよ。死ぬこと以外大した問題じゃないんだから」
     じゃあねと踵を返す。ドーナツの礼も告げながら振り向くこともなく歩き出した。もしかしたら泣いているかもしれないと耳を立てて音を拾おうとしても鼻をすする音も、泣くのを堪える声も聞こえない。ただ一言だけ。

    「また、間違えちゃったのかな」

     本当に消えそうな声がした。間違えた? 何を? オレへの対応ってこと? 安心してほしい。正解なんてない。アンタが何を言おうがこの胸のざわめきが消えるまでオレはアンタを踏み込ませることはない。聞こえなかったふりをして、そのままその場を立ち去った。

    ***
     ラギー先輩がわからない。あの事件以来顔を合わせれば挨拶をした。そのまま話すこともあった。ジャックと三人でお昼を食べたこともある。少しずつ、距離が近づいていると思っていた。
     人懐こい笑顔に惹かれた。でもあの事件の実行犯だし、実際時々鋭い目をすることがあって背筋が凍る時もある。怖い、怖いのに惹かれる。危ない気がしているのに知りたいのだ。だから話しかけるようにした。とりとめのない話でもなんでも。少しでも同じ空間に居て同じ時を過ごせばこの気持ちが何かわかる気がした。
     でもいつも私は何かを間違える。楽しく話せていると思っても私が何かのスイッチを押すとラギー先輩は途端に距離をとる。私が踏み込まないような内容の話をして離れていく。この前もそうだった。私がいくらで売れるかといきなり言われた時は驚いたけれど何となく本心で言っているわけでもない気がする。だって目を逸らすんだ。ラギー先輩が離れる時、決まって一度目を逸らして、で、温度のない目で私を見る。何でだろう。何がいけないんだろう。何を間違えているんだろう。答えはわからないまま、今日も私はラギー先輩に話しかける。

    「ラギー先輩、何してるんですか?」
    「監督生くん」
     こんにちはと言えばこんにちはと返ってくる。植物園の隅っこで先輩は土いじりをしていた。どうやら薬草を採っているらしい。
    「先生から頼まれてバイトしてるんスよ」
    「授業で使うんですか」
    「多分ね」
     綺麗に薬草をざるの上に並べて、ラギー先輩は軍手を取ると丸めてポケットに突っ込む。どうやらちょうど作業が終わったらしい。私が先輩にこうして話しかけられるのはその前にどんな気まずい別れ方をしていても話しかければラギー先輩が何事もなかったかのように話してくれるからだ。
    「ラギー先輩、ご飯食べました?」
    「食べたッスよ、アンタは?」
    「ちょっと」
     ちゃんと食わねぇと倒れるッスよなんて、そういうことは言ってくれるのになぁ。なのにどうしていつも上手に過ごせないんだろう。
    「バイトばかりして、ラギー先輩も体壊さないようにしてくださいね」
    「わかってるって」
     シシシと笑う先輩に今日はもしかしたら楽しく話せる?と思うけどここで調子に乗っちゃだめなんだ。今日はこの辺にしなきゃと思うのに離れがたい。もう少しだけ隣にいたい。
    「先輩はバイトのない日は何してるんですか?」
    「勉強か、部活かレオナさんのお世話ッスね」
    「ふふ、お母さんですもんね」
    「嫌ッスよ、あんな息子」
     植物園の片隅で二人並んで静かに話す。穏やかでゆっくり流れる時間。いつもとは違う、そんな気がして私は隣に座る先輩を見た。ブルーグレーと目があって息を呑む。
    「ラギー先輩……」
    「さーて、そろそろ行くかな」
    「え」
     ラギー先輩は立ち上がるとパッパッと制服の土埃を払う。すっと見下ろす目はまだ普段のままだけど少しずつ温度が下がっていく気がした。
    「先輩……あの」
    「ん?」
    「今度、もしよかったら町の方へ行きませんか?」
    「町?」
    「はい。まだ行ったことないんですけど先輩はあります?」
    「何回かは。滅多に行かねぇけど。何でオレなんスか?」
     ごもっともな質問に一瞬言葉が詰まるがここは引けない。せっかくのチャンス、逃すわけにはいかないから。
    「値切りの技術を伝授していただきたく。……いつも金欠なので」
    「まぁそれはオレが適任ッスね」
     意外な回答に目を見開いた。どうやらこれは間違えていなかったようだ。いまいちポイントが掴めないけれどこれならもしかしたら二人でお出かけもできるかもしれない。
    「あと先輩と楽しいことしたいです。町なら……」
     話していて気が付いてしまう。ラギー先輩がまた表情を曇らせていることに。何かを耐えるように眉間に皺を寄せていた。
    「先輩?」
    「楽しいこと?」
    「え、あの……」
     町でふらふらお店を見て回ったり、美味しそうなものを買い食いしたり。学生らしいそれらをしてみたかった。学校の外での先輩はどう見えるのかそれが知りたかった。ただそれだけだったのに。じりじりと距離を詰める先輩に思わず後ずさりをした。一歩下がれば先輩が一歩こちらへ近づく。お互いに何も言わない、なのに鋭い視線で喉元を掴まれているようなそんな感覚に汗が出る。
    「ねぇ監督生くん」
     ようやくラギー先輩が口を開いた時には植物園の壁に背が当たっていた。横へ移動しようとした時には先輩が手をついていてどうすることもできない。こんなシチュエーション、普通だったらドキドキしてしまうだろうに私は違う緊張を味わっていた。
    「オレの住んでいたところで女の人が楽しいことをしようって言うと、所謂そういうことなんスよ」
     先輩が言うそういうことがすぐに理解できず頭をフル回転させているとさらに距離を詰められる。私の足の間に自分の足を入れて少しだけかがむような姿勢をとるラギー先輩はいつもより目を細めて私を見ていた。先輩の足が私の太ももを擦るように動いて初めて顔に熱が集まる。壁についていた手がいつの間にか私の髪を掬ってそのまま頬に触れる。
    「オレと楽しいこと、するの?」
    「っ……」
     先輩の少しかさついた指が私の唇をなぞる。また、間違えた? いつもと違う展開に見えて、いつもと同じだ。これは、私を突き離そうとしている。私が先輩から逃げるように、拒絶するように。遠ざけるためのそれだ。
    「……先輩は、そんなことしません」
    「オレが?」
     ぴくりと不快そうに眉を動かし、少し苛ついたのか私に触れている指に力が入る。
    「そういうこと言うと、勘違いされることがあるから気をつけろってことでしょう。ラギー先輩は、誰とでもそういうことをしないですよね」
    「何がわかるんスか。アンタにオレの何がわかるって言うの。別に誰とでもできるんスよ。男は」
    「できません、ラギー先輩は」
    「何で」
    「信じてるんで」
     ラギー先輩はしない。別に何の根拠もないけれど、多分先輩は好きでもない人にそういうことはしないと思った。スラム出身だから、ハイエナだから、事あるごとにそう言うけれど私は知っている。置いて行かれないように一生懸命勉強していることも、本気で部活もやっていることも、バイトをしてスラムのみんなに仕送りをしていることも、困っている後輩を見たら文句を言いながらも手助けしていることも知っている。そんな人が、ひどいことをするわけがない。
    「信じる? ふはっ、アンタ何言ってんスか。オレが何したか、もう忘れたんスか? 何人傷つけたと思ってんの。……そんな簡単に信じるなよ」
     眉を下げて意地悪く笑ったかと思えばすぐに真顔になって初めて聞く低い声が耳を突き刺す、と同時に視界が暗くなった。

     食べられる。

     直前に見た先輩の目に映る自分は捕食者に標的にされた被食者だった。食べられる側の生き物は本当の本当に動くことなんて、逃げることなんてできないんだと瞬時に認識させられる。
    「んっ! ……っは、せんぱっ……」
     唇が潰されてしまいそうなぐらいの強さで触れ合う。顔を背けようとしてもいつの間にか掴まれた顎がそれを許さない。何度も何度も角度を変えて押し付けられて呼吸の仕方がわからなくなった。ぐっと押し返してもびくともしない。それどころかつんつんと舌で唇をつつかれて私は強く閉じていた目を開ける。
     ブルーグレーが揺れていた。食べているのは先輩なのに、どうしてそんなに苦しそうなの。名前を呼ぼうと唇を開けばするりと入り込んだ舌に声を絡めとられる。
    「んん……ふ……」
    「っは……ぁ……」
     誰もいない静かな植物園に響く音が今まで聞いたことのない水音な気がしていたたまれなくなった。いつの間にか先輩を押し返そうとしていた手は先輩のシャツを掴むことしかできなくなっていてその手もずりずりと下へと落ちていく。酸素が少ないせいか頭がぼうっとしてしまう。私の抵抗が少なくなったのを感じたのか、ラギー先輩はゆっくりと唇を解放してくれた。
    「……ざまあみろ。おまぬけさん」
     ぺろりと舌なめずりをするラギー先輩は柔らかい口調なのに泣きそうな顔をしている。何て言っていいのかわからなくて黙っていると先輩はくるりと私に背を向けた。
    「これに懲りたら他人を簡単に信用しないことッスね」
     そう言って地面に置いてあった薬草の乗ったざるを掴むと先輩は足早に去っていった。私は壁にもたれかかるようにずりずりとその場に座り込む。先輩が振り向かなくて良かった。こんなに赤くなった顔を見られなくて良かった。ドキドキとうるさい鼓動が聞こえなくて良かった。
     ラギー先輩は何もわかっていない。こんなことされたって、悲しいとも怖いとも思っていないこと。ただただ先輩が好きなんだってわかってしまっただけなのに。


    ***
     植物園で監督生くんに無理やりキスしてから一週間。一度も顔を見ていなかった。たまたま会わなかったと言えばそれまでだが恐らく何となくだけどお互い会わないルートを通っているんだろうなと思う。
     オレだってあんなことするつもりはなかった。でもあんなに真っすぐに信じるなんて言うからイライラした。きっと誰でも簡単に信じるんだろう。オレとあの子は本当に別世界の生き物なんだって思い知らされた。綺麗で、真っすぐで、オレが持たない全てを持っている。怖くて得体の知れない生き物だ。こんなオレを信用して逃げることもしないなんてたまらなかった。怖がってくれ、逃げてくれ、そうじゃなきゃアンタも少しはオレと同じだって思わせてくれよ。
     
     オレと同じ、汚い人間なんだって。

    「……ん?」
     ほんの一瞬だった。似たような背格好の人間が魔法薬学室の建物の裏へと曲がっていったのが見えた。見えたからなんだ。別に何の関係もない……はずなのに足が自然とそちらへ向いてしまう。
    「まぁそろそろ……声かけるか」
     どうでもいい独り言を呟いてオレは後を追う。音を立てないよう静かに近づけばそこには監督生くんと見たことのない生徒がいた。
    (誰だ? 一年か)
     きっと呼び出されたのだろう。監督生くんは律儀に挨拶をしていて相手も嬉しそうに笑っている。チリッと心のどこかが焼けた気がした。監督生くんが髪を耳にかけて相手に話を促せば名前やクラス、寮までご丁寧に説明をした後、回りくどく彼女への思いを伝えていた。他人の告白に何て毛ほどの興味もねぇけど出ていく理由も持ってない。彼女が断るのを待つかと壁にもたれて聞いていると少しずつ二人の声が大きくなっていった。
    「あの、私あなたとお付き合いはできませんってば」
    「どうして? これでも僕は成績もトップクラスだし次期寮長候補だよ。君を守ることもできる。何が気に入らないの?」
    「気に入らないとかではなく。あの、私にはもったいないので他の女性をお探しください」
    「この僕を拒否するのか?」
    「ひっ」
     雲行きが怪しいと覗き込めば監督生くんに男がナイフを突きつけていた。ゆっくりと後ずさりとする彼女を同じ速度で追い詰める。きょろきょろと周りを見ているがこんなところ、なかなか人はこない。それをわかっていて相手もここを選んだんだろう。
    「もう一回聞くよ。僕の恋人になってほしい」
    「こ、こんな風に脅して付き合うことに意味がありますか?」
    「あぁもちろん。だって僕は君がほしいんだから」
     ナイフを持っていない手で監督生くんの頬に手を伸ばしたのを見た瞬間。自分でも驚くぐらいに体が勝手に動き出していた。出ていくつもりはなかったのに。
    「お前……!」
    「おやまぁ可愛い子猫ちゃん。こんなところで何してるんスか?」
    「ラギー先輩!」
     眉をハの字にしてこちらを見た監督生くんの目は潤んでいて恐怖がストレートに伝わった。そりゃそうか、ナイフを持った相手なんて出会ったこともなかったんだろう。
    「何だよお前、邪魔するな!」
     ナイフを構えてこちらへターゲットを素早く変えたことは褒めてやりたいと思う。こういう時は迷ったほうが負け。一瞬の迷いで負けが決まるということは知っているらしい。でもそれだけじゃ勝てない。
    「……なんだ!? 体が動かない」
    「シシシ、どうしたんスか? ナイフ持ったまま固まっちゃって」
     スッと右手を横に伸ばすと相手も同じポーズになる。本当に便利なユニーク魔法を持ったものだ。口角を上げて相手を見つめながら手の中でナイフを素早く回転させ刃を下向きにする動きをすれば相手はこちらの意図がわかったのかどんどん顔が青ざめていった。それがすぐに思いつくのにこうして負けてんだ。こういう時に勝てる奴ってのは相手を殺せる覚悟があるか否か、それだけだ。
    「ラギー先輩、あの……」
     きっとこれからすることを見たら、彼女はもうこっちを見てくれないだろう。同じ世界で笑ってはくれないはずだ。元々そうだった、彼女とオレは違う世界の違う生き物だ。まるで自分がただの学生になったかのような気持ちにさせてくれたがあくまでもそれは夢物語なのだ。
    「もうこの子に近づくな」
    「や、やめっ」
     勢いよく伸ばした右手を右足にぶつけた。オレの足は軽く刺激があるだけだが相手の足には深々とナイフが突き刺さっている。痛みに苦しむ呻き声が響き、制服が黒ずんでいくのが見てわかる。咄嗟に抜いたりしないところを見ると苦しんでいるがまだ頭は動いているようだ。止血魔法ぐらい使えるだろう。監督生くんのほうへ目をやれば口元を手で押さえて目を見開いている。いつもより白くなった顔にじわりと汗が滲んでいた。目の前で人が傷つけられたショックなのか、瞬きをすることも忘れているようだ。いつまでもここにいるのはよろしくないとこの場を離れる為に彼女の方へ歩き出すとそれに気づいたのか監督生くんはこちらに走ってきてオレの手を掴むとその場から逃げるように駆けだした。予想外の動きに思わず声を上げる。
    「ちょっ、ちょっと!」
     びっくりするぐらい冷たくなった手はじんわりと汗をかいていて彼女の心が手に取るようにわかる。その原因を作ったオレの手をとるとはどういうことなのか。ただ黙って走っていた彼女についていくとだいぶ遠ざかったところで漸く叫ぶように口を開いた。
    「ラギー先輩、早く! どうしよう、ラギー先輩の名前を呼んじゃった。あの人にバレちゃった。どうしよう」
    「待って待ってストップ」
    「先輩がやったってバレちゃう。どうしよう、私の、私のせいなのに」
     ぐっと腕を引いて彼女を引き寄せる。いとも簡単に自分の腕の中に収まった監督生くんは泣いていた。あんなことをしても、ひどいことを言ってもただの一度も泣いたことなんてなかったのに。
    「監督生くん」
    「ごめんなさい、ラギー先輩、ごめんなさい。私がちゃんと説明しますから、先輩は正当防衛で…何も悪くないから」
    「どうせアイツ、黙ってるッスよ」
    「え?」
    「誰に何て言うの。女の子を無理やり振り向かせようと刃物で脅してたって? しかも自分で自分を刺したんスよ。オレがやったって誰か見てた?」
    「えっと…」
    「アンタ以外いないのにオレがあいつを刺したなんて誰も思わないッス」
     そう説明すれば少し落ち着いたのか深いため息をついた。顔を手で覆いしゃがみ込む。やっと恐怖が追いついたのか少しだけ肩を震わせていた。メインストリートの近くまで走ってきたから何人か他の生徒もいて安心したのかもしれない。オレは監督生くんの隣にしゃがむと無意識に手を伸ばしていた。触れるギリギリのところで我に返る。手を引っ込めようとした瞬間に下を向いていた彼女がこちらに顔を向けてばっちりと見られてしまった。
    「あ」
    「だ、大丈夫ッスか?」
    「はい」
     ふにゃりと柔らかく笑った顔を見てうるさいぐらいに心臓が鳴った。自分みたいに大きな耳がなくても彼女に聞こえてしまうんじゃないかってぐらいに騒がしい音に思わず立ち上がって距離をとる。なのにオレに合わせたのか監督生くんまで立ったもんだから距離がまた縮まって馬鹿みたいに目を泳がせてしまった。
    「とにかく、アンタはもう一人で行動するの控えたほうがいいッスよ。他人を簡単に信用するなって言ったのもう忘れたんスか!?」
    「先輩があんなこと……するから、何言われたかはあまり覚えてません」
    「っ」
     しまった、墓穴を掘った。目どころか顔を背けて息を整える。そよそよと穏やかに木や花が揺れていて自分とは違う世界にいるようだった。何て言おうかうまい言葉を探していると監督生くんが声を出す。
    「先輩、本当にご迷惑をおかけしました。先輩が何か言われたり、困るようなことがあったら嫌だったんです」
    「……アンタのことだからあんなことしたオレを軽蔑すると思った」
     正直他にも方法はあった。ユニーク魔法でナイフをどこかへ放り投げてもよかったし、ナイフぐらいなら簡単な魔法を使ってもよかった。相手の攻撃を避けつつ彼女を連れて逃げることもできた。でもあの方法を選んだのは二度と彼女に近づけないためにあいつの心をへし折ってやりたかったからだ。生半可なことでは付きまとうかもしれない、そう思ったら徹底的に潰してやりたかった。そして同時に彼女に自分という人間をとことん見せたかったのかもしれない。それでもアンタはオレを受け入れるのか、試したかったのかもしれない。
    「何で軽蔑するんですか?」
    「は? 何でって。あんなことしたんスよ。怖くないの?」
    「だって正当防衛じゃないですか。もちろんあの、刺された瞬間を見たのはちょっと夢に出そうですけど……。ここあちこちで年中喧嘩してるし、少しだけ見慣れたというか。正直ラギー先輩が不利になるようなことがなくてよかったってしか思ってないです、今」
    「アンタのことだから相手のケガ、気にするかと思った」
    「多少はありますけど……そもそも私が刺されていたかもしれない。私はラギー先輩が巻き込まれるほうが嫌です。私、多分先輩が思うほど優しくもないし、純粋でもないです。死ぬこと以外大したことないって先輩も言ってたじゃないですか。あの人死にはしないでしょう?」
     コトン。どこからか音がした。腑に落ちたとはこのことか。真っすぐに言ったセリフが、多分オレがずっとずっと欲しかったものでオレは何も言えずに彼女をただただ見つめるしかできなかった。
    「ラギー先輩?」
    「ねぇ、監督生くん」
    「はい」
    「町、行きましょうか」
    「え」
     突然こんなことを言いだしたオレに戸惑いが隠せないのか首をかしげて目をぱちぱちとさせている。一度納得しちまったらもう制御がきかない。たまらなくドキドキしてしまう。
    「楽しいことするんでしょう?」
     オレの言葉にぼっと顔を赤らめて一歩、二歩と後ろに下がる彼女が愛おしい。せっかく踏み込ませないようにしていたのに、それを乗り越えてきたのはそっちのほうだ。綺麗で、真っすぐでオレとは全く違う生き物だから遠ざけていたのに。誰にでも無限に優しいわけじゃない、彼女もエゴを持つ人なのだと気づいてしまったらもう駄目だった。それが自分の為ならなおさら。
    「アンタの言う、楽しいこと、オレにちゃんと教えてよ」
     知らないから、怖い。怖いから知りたくなかった。でも。飛び込んできたのはアンタのほうだ。オレはそれを受け止めただけ。だけど一度この腕に閉じ込めればもう二度と離さない。それだけは覚悟してほしい。
     オレが知らないこと、わからないこと、アンタが全部オレに教えて。
     オレから恐怖を取り除いて、アンタの全てに塗り替えて。
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