四季兵助の四季は豆腐と共に巡っている。
春になれば「そろそろ暖かくなったとはいえまだ寒いこの季節にはあんかけ豆腐がおすすめだ」と言い、夏が訪れたら「暑いから豆腐の足が早い分、出来立ての豆腐が楽しめる! なんといっても冷奴が一番美味しい季節だね」と喜び、秋が来れば「落ち葉集めて燃やすついでの田楽豆腐を作ると味噌の香ばしい匂いも合わさってたまらないよなぁ!」と楽しみ、そうして冬が始まれば「湯豆腐が身に染みる!!」とハフハフと頬張る有様である。
五年間を共に過ごした季節の中で、兵助といえばめっぽうこの調子であった。常に豆腐と共に過ごす。四季の移ろいを豆腐で感じる。四季にかこつけて豆腐料理を、ついでに作るのを楽しんでいる。もちろん、兵助も兵助なりに「蕾が膨らんできたな」と草木の移ろいを感じ、「空が澄んで月が良く見える」と空の変化を把握して時にそれを楽しむ様子はあれど、それにしたって豆腐の時ほどの喜びや感動は薄い気はする。
とはいえそれも仕方ない。何せ豆腐小僧と呼ばれる兵助なのだ。呆れ、時に困ることは確かにあるが、実に兵助らしい楽しみを送っていると思う。嬉しそうに豆腐を勧める姿は愛らしいとも思う。……まぁ、限界を超える偏愛ぶりに、ものすごく困る時もあるけれど。
季節は冬の今、兵助は熱を通した豆腐ばかりを作っている。骨身に染みる寒さで、分厚い雲は陽光も通さずに雪が風に吹かれて花びらが散るように落ちてくる。量さえ考えてくれていたら、あの暖かな豆腐料理は実際にありがたいんだけどなぁ、と八左ヱ門は雪が鼻に落ちるのを感じながらそう思う。越冬の季節の生物委員会。節足動物に爬虫類の彼ら彼女たちは深い眠りに付いている。が、動物はそれだけではない。普段は大人しく躾の効いた犬が珍しく脱走を図ってしまったのも、この天気のせいなのだろうか。それとも数日前の狩りの血の匂いが、まだ尾を引いているのだろうか。
「犬は悦び、庭駆け回り、なんてなぁ……」
後者の可能性を鑑みて、八左ヱ門を除けば下級生しかいない他のメンバーには声を掛けてはいない。飼い慣らしたつもりの犬であれども、目的があればこそ存在する委員会、決してその犬たちは腹を見せて忠実に服従するだけではいてくれない時もある。柔らかな子供の骨に腹の臓腑は、ご馳走にもなるだろう。
「また改めて躾だなぁ……」
一度ため息を吐いて予想する疲労を覚悟しては、それを最後に振り払う。
夜半までには見つかるといいなぁ。
「おかえり」
部屋の前まで辿り着いた時、中からうっすらと灯る明かりにおや、と思い、もしやと戸を開ければ思った通りに兵助がいた。
「え? 来てたの? 寝てないの?」
「だって雪も降ってきたし、寒いし、もし夜中までに見つからなかったら明日先輩たちにも頼まないとーって言ってたから、心配だったんだ」
「え、それでわざわざ?」
「まぁ何も予定無かったし。でもこの時間に帰ってきたってことは無事に捕まえられたんだ?」
「うん、なんとか。子犬の時によく遊びに行ってた学園外れで無邪気に雪あそびしてたよ。可愛かった。はぁー、よかったー、何もなくて」
八左ヱ門の言葉を聞いた兵助が、殊更安心したように微笑んだ。その仕草一つで、兵助が抱えていた心配なるものをつぶさに感じられた気がして、雪に降られ芯まで冷えた八左ヱ門自身の身にも、ほのかな温かさが灯ったようだった。
「ほら、火鉢当たって。半纏も着て。なんか食べる? 高野豆腐戻してたから、焼く?」
「あ、それなら味噌ある」
「え! 前作った柚子味噌? あれ美味しかった。まだあったの?」
「うん。ちょっとだけど」
よしきた、と兵助が豆腐を前にした時の嬉しさを醸し出しながら、手を動かし進める。八左ヱ門も火鉢に手をかざしながら、兵助の様子を窺い見る。ずっと外にいた八左ヱ門自身の頬や鼻が赤い自覚はあるけれど、兵助もそうだった。外よりは暖かい部屋の中にいてもこうである。兵助は寒さに特別弱い訳ではないだろうけれど、とにかく全てにおいて顔に出やすい性質なのだ。兵助が感じている感覚的な自覚よりも分かりやすく、夏の熱さでは顔を真っ赤にしていたし、冬は寒さで赤ら顔になる。同じように怒れば険しくなるし、笑えば朗らかにほぐれていく。八左ヱ門も分かりやすいと言われる方だが、兵助の素直さとはまた質が違うだろう。
それに、兵助の方がずっと可愛い。
「はい、八左ヱ門! 焼けた!」
ぼうっと、いつの間にかただ見惚れていただけの八左ヱ門の前に、また一段と可愛い、と八左ヱ門が思う笑顔が表れた。殊更喜びと嬉しさに突き抜けたこの笑顔は、思うに『大好きな豆腐料理を作って、八左ヱ門に食べさせられる。今の八左ヱ門は特に疲れているだろうから、力になれて嬉しい!』に近い気がする。自惚れに近い想像は、けれどどうしても間違いと思えないのは、ありがとうと受け取った八左ヱ門が齧り付いておいしい! と言った時に、更に喜びに笑い、そうして頬をまた染めた兵助の姿があるからだ。
兵助の四季は豆腐と共に巡っている。それをしみじみと感じているのは、他ならぬ八左ヱ門が、四季の巡りに合わせてずっと兵助を見続けているから。春になって桜を見つつも、春風に荒らされながらあんかけ豆腐を差し出す兵助を見た。夏になって水浴びをしても真っ赤な顔のまま朝に作った冷奴を美味しそうに食べていた。秋が来て落ち葉集めを手伝いながら待ち遠しそうに豆腐を焼く兵助に笑った。そうして冬が始まり、外は雪が降る中、じんわり灯る火鉢の熱で兵助はまた豆腐をくれた。
今年も味わえたい四季の巡りの中、何気なく兵助との毎日を共に過ごす幸せがある。
「八左ヱ門、」
「ん?」
「雪、まだ付いてる」
「え? 付いてた? 溶けてなかった?」
「八左ヱ門の髪、ボサボサだからかなぁ。温度伝わらなくて溶けないのかな」
「え、悪口?」
「ううん。だって雪以外にもいつも色々引っ付いてるから」
「あー、虫とかな。え、悪口!?」
「春は、桜がたくさん巻き込まれてた。みんな教えなくって、八左ヱ門で花見してた。風呂で流れちゃって残念だって」
「えー、意地悪!」
「夏はさ、八左ヱ門、汗でビショビショになってて、暑い暑いって水で流してるから、あんまり引っ付いてはなかったけど、ずっと濡れ髪だった」
「だって暑いじゃん」
「秋はさ、木の実とか栗の実とかどんぐりとか、あとは楓もたくさんくっついてた」
「俺だって気づかなかったんだよ……」
「それで冬は、雪だ」
兵助の指が八左ヱ門の頭上を通る。繊細な指つきが八左ヱ門の髪の毛に触れて、そっと撫でたかと思うとすぐに離れる。さっきまでの豆腐と共にある笑顔とは違う、穏やかで微笑ましい笑みがそこにあって、指を手元に持ってきたかと思うと「あ、」とこぼす。
「溶けちゃった」
何が楽しいのか、でも兵助は笑った。
愛想ではない、何かが楽しいように、胸の中に点る温かさがじんわりと染み出すような柔らかな頬の赤みになって、それが八左ヱ門の向く。
「また季節が巡ったなぁ」
おや、と八左ヱ門は思う。
兵助の四季の情緒ときたらほとんど豆腐だけかと思っていたけれども、そうか、そうか、なーんだ。
なかなか、どうして自分だって、すっかり兵助の好い人だったと分かると、胸はすっかりと暖かくなってしまう。
とうに食べ終わっていた豆腐の竹串は火鉢の灰の中に置いて、敷いてくれていた布団に入れば、兵助もまたいそいそと続いてくる。
春だろうと、夏だろうと、秋だろうと、冬だろうと、布団の中の兵助は変わりはしないことを、八左ヱ門は知っている。