「江湖に、我らの名を知る者はもういない」夜は静か、遠く氷雪に閉ざされた山の上。
風の音も凍るような静寂の中、二人の男が焚火も灯さず、肩を寄せ合って座っていた。
「……成嶺の命日だな」
老温がぽつりと呟く。
阿絮は目を閉じ、肩を小さく震わせると、掌の中の盃を口に運んだ。
「百年……あの小僧も、すっかり江湖の記憶から消えたな」
「……俺たちの名前もな」
かつて恐れられ、英雄視された温客行と周子舒の名も、それを憶えている者も、もう江湖にはいない。
友も、宿敵も、弟子も、誰も。
それでも二人は、こうして年に一度、静かに花火を上げる。
あの夜、四季山荘で成嶺が見上げた、花火の記憶を辿るために。
老温が懐から取り出した火打ち石を擦る。
夜空に、一筋の光が弧を描いて打ち上がった。
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