私を呼ぶ声波間をたゆたう意識が、ぎい、ぎい、と音を立てて引き戻されていく。
呼吸をひとつする度に、指先に感覚が宿る。
どこかで雨の音がする。そして、火の爆ぜる音。
ぎい、ぎい、ぎい……
気づけば、私はロッキングチェアーに揺られていた。傍らには暖炉があり、薪がバチバチと音を立てながら火を踊らせている。
夢うつつで聞いた音はこの音だったらしい。室内は薄暗く、暖炉の灯り以外、頼れるものは無かった。
視線の先には窓があるが、木が打ち付けてあって何の灯りも見えない。ただ、雨が窓を叩くその音だけが聞こえてくる。
まるで、この部屋全体が暗闇に飲まれているようだ。
「やっと起きたのか」
声のした方に視線を下げると、声の主は傍らにしゃがみこみ、赤い瞳でこちらを見上げていた。
その人物は、髪も肌も白く、身に纏う黒い服がより、彼の白さをより際立たせている。美しい人だ。
男の姿を目にした時から、無性に悲しい想いを感じた。理由も分からず叫び声を上げたいと一瞬感じたが、しかし、何を嘆くというのだろうか。
ズキリ、と頭痛がした。
「おはよう、ルカ」
「君は……?」
白い男はぎこちない笑顔で朝の挨拶をした。今は、朝、なのだろうか。一筋の光も入らないこの暗闇では、何も情報が入ってこない。
「ぼんやりしているな?まだ目が覚めていないのか?」
何もわからなくて戸惑う。男の様子からして、初めましてでは無いらしい。だが、私は彼のことを覚えていない。それどころか、何故ここにいるのかも、分からなかった。屋敷の一間ではあるらしいが、見覚えがない。
いや、でもしかし、完全に「見知らぬ場所」と言いきれないどうにも形容しがたい感覚が残っている。懐かしいような……でもどこか、不安が募る。心が押し潰されるような、閉塞感。
この場所、目の前の男は、自分とは無関係でない何かがあると感じる。
「……その様子からして、また忘れてしまったのか?」
ズキリ、また頭痛がした。
「まあ、それももう慣れた。また僕が思い出させれば良いだけだ」
肘掛に置いていた手をギュッと握られる。男の手はひんやりとしていて、体がビクリと跳ねた。
そして、男は目の前にあった、一冊の本を手に取って開いた。
「今から話すのは、僕……アンドルー・クレスとルカ・バルサー、あんたの物語だ」
「私と、君の?」
男は……アンドルーはまたぎこちない笑顔を向けた。それから、睦言のように甘さを伴った声で言った。
「僕は、何度忘れられようとも、ルカの手を離さない。だから、あんたもこの手をずっと離さないでくれ」
戸惑いながらも手を握り返した。
「よく、わからないが君の手を離してはいけないことだけは……わかる気がする」
そう告げると、アンドルーは今度は温もりを含んだ笑顔を向けた。
「そうか。だったら、しっかりと思い出してくれよ。もしも、思い出せなかったら……」
アンドルーは双眸をすっと細めて、あやしく微笑んだ。不思議な色をたたえる、赤い瞳をこちらに向ける。
「僕が……あんたを……」
言葉を待ったが、アンドルーはその続きを言わなかった。代わりにははっと笑った。それから、耳元で「怖がることは何も無い」と囁いた。その声の甘さに胸がツキンと傷んだ。
アンドルーに全てを委ねたくなった。
そして、アンドルーは本に……ノートに書かれたものを読み始めた。
それは、「私」が書いた日記だった。