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    しおん

    🪄(ブラネロ|因縁|東と北)

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    しおん

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    現パロ⑧|ブのトラウマにうっかり触れたネが「きみが悪い」「おまえが悪い」と記憶がある人たちに怒られる話。

    ※①-⑦はpixivに纏めてます【https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20559014#1

    #ブラネロ
    branello

    他に行きたいところもないしⅧ どうやら本気で怒らせたらしい。
     あんなに入り浸っていたブラッドリーが、あれ以来ぱったり訪ねてこない。すっかり二人暮らしのようになっていたのに、出て行ったきり連絡も寄越してこないのだ。お陰でベッドは広く、家は海の底のように静まり返った。
     原因はちょっとした悪戯だった。その日の夜はバイト先のレストランが普段以上に混んでいて、とにかく忙しかった。忙しい上に嫌な客も多い大外れの日だ。あちこちのテーブルで聞こえるクレームの嵐。こちら側の不手際によるお叱りは一件のみで、その他は理不尽で過剰な要求ばかり。常連客が居心地悪そうに足早に退店するのが申し訳なかった。
     這々の体で帰宅すると、玄関まで迎えにきたブラッドリーが「大丈夫かよ」とやや案じるように浴室まで運んでくれた。そのお陰で、どうにか入浴までは済ませることができたのだった。
    「おい。髪乾かしてやるから、早く来いよ」
     湯船に浸かったまま眠っていないか様子を見にきたブラッドリーが、微睡んでいるネロを危なっかしそうに眺めて言い聞かせる。柔らかな膜のように全身を覆う倦怠感と眠気に負けそうになりつつも、わかった、と応じた。まだ若干不安げではあったが、ネロの返事を聞いたブラッドリーは「寝室まで来れるな?」と念を押して浴室を後にした。
     熱い湯で凝り固まった筋肉は幾らか解れたものの、そうなると今度は糸が切れたように体に力が入らなくなる。手も足も鉛のように重かったのに、今はどこか感覚のすべてが鈍くなっていて、現実味がない。半分、眠りかけているのだろう。
     ぎりぎり意識があるうちに、なんとか浴室を出て、普段の倍以上の時間を掛け寝巻きを身につけた。ガラリと洗面室の戸を開けて、よろめきながらもネロは廊下に出た。たまに壁に凭れつつ一歩、また一歩進んでいく。駄目だ。瞼が落ちてきた。寝室が遠すぎる。
     ネロは途中で体力の底がついて、居間の絨毯の上にぱたりと転がった。倒れ込んだ、と言うべきかもしれない。一度横になってしまうと、もう起き上がれる気がしなかった。面倒だ。もう今日はここでいい。寝室でブラッドリーがネロの髪を乾かすために待っていることをふと思い出す。まだ起きてるのかな。起きてるんだろうな、あいつのことだから。早く行ってやらなければと思うのに、体が思うように動かない。
     廊下を歩く音が聞こえてきた。ぎし、と年季の入った床が軋み、小さな振動が伝わってくる。いい加減、痺れを切らしたのだろう。ブラッドリーは長い脚でさっさとネロの横を通り過ぎ、浴室に向かった。あれ、と不思議に思ったが、そういえば電気をつけていない。まさかこんな暗がりにネロが転がっているとは思わなかったのだろう。
     浴室を確かめてきたらしいブラッドリーは、ばたばたと廊下を戻ってきて「ネロ!」と叫んだ。焦燥感に駆られたトーンで、ネロ、どこだ、と捜している。夜中に出していいボリュームではない声で何度も呼ばれて、なんだか可笑しくなってきた。少し踏ん張れば起き上がれる程度に回復してきたが、ちょっと驚かしてやろうかな、と思ってそのまま倒れたままでいたのだ。これがよくなかった。非常に。
     ぱち、と電気のつけられた居間は、そこにあるものの姿をくっきりと浮かび上がらせた。卓袱台やクッション、観葉植物。細々とした雑貨。絨毯の上に倒れているネロ。
    「……ネロ!」
     鼓膜が破れるかと思った。怒鳴り声とも悲鳴ともつかない声で叫ぶと、ブラッドリーはネロを抱き起こした。震える手で頬を撫でられたり、肩を揺さぶられたりする。
     想定外の反応だった。困惑して言葉を失っていると、ブラッドリーは徐々に呼吸が浅くなってきて、ついにはネロの胸元に縋りつくようにして動かなくなってしまった。ネロ。絞り出すように発せられた声に居た堪れなさを覚えつつ、恐る恐る口を開いた。
    「……な、なに?」
    「……は?」
     一瞬ぽかんとしていたロゼの瞳は、即座に事態を把握したようだった。凝縮された激しい怒りに膚がびりびりする。
    「あの、わるか」
     悪かった、と言い終えるまで待ってもくれなかった。ブラッドリーは寝巻きの上にジャケットを羽織ると、最低限の荷物を持って出て行ってしまったのだった。
     不思議だ。なかなか寝付けなくて、ネロは天井の木目をぼんやりと眺める。ブラッドリー・ベインという男は騒々しくて我儘で、傍にいると楽しい反面どこかぞわぞわと不安がこみ上げて落ち着かなかった。
     以前のなだらかな暮らしが恋しい。そう思う瞬間も時折あったのに、いざ居なくなってしまうと、その居ない男が居た痕跡を見つけるたび立ち尽くしてしまう。どこか行ってしまうなら最初から他人の日常にこうも無遠慮に踏み込んでくるなよと思った。だけど、ブラッドリーは傷ついていた。ネロの思いつきの行動に酷く打ちのめされていて、それで居なくなってしまったのだ。せめて謝りたかった。ネロは思う。もう俺なんかのことは忘れていいから。
     占領されていたクッションのへこみ。いつの間にか持ち込まれていた歯ブラシや着替え。私物の数々。冷蔵庫に買いためておいた鶏肉。あいつが好きなコーヒー豆。
     ブロック塀と縁側のあいだにある小さなスペースを庭と呼んでいいのかわからないが、季節ごとにきゅうりや人参などを植えている一角に、野菜嫌いの癖にネロに代わってたまに水を遣っていた背中。キッチンで料理を作るネロを見つめる眼差し。この家にある自分以外の気配にしばらくは胸が痛むだろうが、いつか綺麗な思い出にしてしまえるまでは閉じ込めておく。振り返ったら少し寂しくなる。その程度に落ち着くまでは。
     広すぎるベッドの上で手を伸ばす。滑らかなシーツの上で空振り、何も掴めない。
     客用布団を敷いてやっても「俺は床で寝るのは慣れてねえ」と言うのでベッドを譲ろうとすると、「そうじゃねえだろうが」と不機嫌そうに腕を引かれて、ぎゅうぎゅう詰めになって眠った夜のことを覚えている。
     窮屈で仕方なかったが、それ以上にベッドの強度が心配だった。新品とはいえ、〈新生活応援セール〉と量販店で銘打たれていた値打ち品だ。学生や新社会人が使用する分には全く問題ない代物で、いい買い物をしたと満足していた。しかし、しかしである。シングルベッドに男二人が寝転んだ瞬間、嫌な軋み方をした。当然だ。一晩くらいはどうにかなるとしても、近いうちに壊れるだろう。
     次からは絶対布団で寝かせる、と心に固く誓ったものの、結局は流されて抱きしめられながら眠った。その次も、さらにその次の晩も。
     お値段以上、をキャッチコピーにしている会社の商品なだけあって、非常に頑丈なベッドだった。よく頑張ってくれたと思う。毎朝、目を醒ますとキスできそうな位置に美しい顔があることにも慣れたくらいだ。長いあいだ無茶をさせて悪かった。いよいよベッドがまずい音を立てるようになったので、ネロは腹を括った。
    「もう一緒には寝ないからな」
     きっぱり宣言すると、ブラッドリーはその場では片眉を上げただけで、何も言わなかった。少し意外だ。もっと何か言い張るかと思っていたので、肩透かしを食らった気分だった。大抵の言い合いでネロが丸め込まれるので、反発されないに越したことはないのだけど。
     それはさておき、このベッドの寿命はもう短い。寝ているときに崩壊しては危険なので、しばらくは布団で眠るべきだろう。近いうちに買いに行かなければ。面倒臭えなあ、とネロは呑気に考えていた。
     ところがネロがバイトに行ったその直後、ブラッドリーは洒落た家具屋に足を運び、勝手に新しくベッドを購入しているのだから開いた口が塞がらない。
     家に帰ってきたとき、変わり果てた寝室に目を疑った。やけに部屋が狭苦しく感じるのも無理はない。クイーンサイズのベッドが運び込まれていたのだ。恐る恐るマットレスに触れて頭を抱えた。これまで使っていたものとは額が違う。得意げにブラッドリーが顔を覗き込んでくる。
    「これで文句ねえだろ」
     ブラッドリーは渋い表情を浮かべているネロに気づくと、不服そうに眉をひそめた。が、気を取り直したように芝居掛かった仕草で両手を広げる。
    「布団なんざ引く場所ねえよ」
    「……わかったって……」ネロは溜息混じりに頷く。「こんないいベッドがあんのに、床で寝ろとは言えねえよ。これだけ広けりゃ肩も凝らないだろうし……」
    「決まりだな」
     何がそんなに嬉しいのか、ブラッドリーがくしゃっと笑った顔はあまりにも眩しかった。思わず手で遮りたくなるほど。記憶をなぞるたび、割れた硝子で指を切ったような、微かに熱く痛む感じがする。肋の奥の方で。

     様子がおかしいとファウストに指摘された。曰く、表情が暗いとのこと。
     共通の知り合いには下手に誤魔化さない方がいいかもしれない。いずれは勘付かれるだろうし、それならいま白状しておくべきだろうか。理由はともかく、ブラッドリーとぎくしゃくしていることくらいは伝えておいた方が、後々の事故を防げるはずだ。
    「ちょっと怒らせちまってさ」
    「どうして?」
     誰を、ではなく、どうして、と来た。そのことに驚いていると、「クロエから連絡があった」とファウストは言った。
    「クロエは、オーエンと出かけた日に聞いたそうだ」
    「……オーエンはなんて言ってたって?」
    「『ブラッドリーが変』」ファウストはカフェオレに口をつけてから、労わるようにネロを見つめた。「きみには心当たりがあるように見える。……バイト先でも調子が悪いんだろう。クロエが心配していた」
     二人の問題ならあまり立ち入るべきではないかもしれないが、と躊躇いがちにファウストは呟き、口を噤んだ。講義の予習か復習か、鞄から取り出した教本をぱらりと捲り始める。生真面目な視線は小さな文字の羅列に落とされている。
     揉めているのは把握した。それ以上の詳しい経緯を話すかどうかは、きみに委ねる。そんな態度だった。ネロは説明するのも情けない事の顛末を、思いやりの深い友人に打ち明けることにした。恥を忍んで。
    「俺が、その……くだらねえ悪戯したのがきっかけでさ」
    「……悪戯?」
     眼鏡の奥で澄んだ紫の瞳が怪訝そうに細められる。
     ファウストはブラッドリーと決して不仲ではないが、相性がいいわけではない。複数人で集まることはあっても、二人で会うのは互いに御免だと思っている。そんなふうにいまいち親しくない割には為人を両者共にわかっているようで、悪戯程度で腹を立てるやつだろうか、と疑問に感じているようだった。
    「一体、何をしたんだ」
    「真っ暗なリビングで、こう……死んだふり?」
     場の空気が一気に下がった。ぱきぱきと目の前で友人が凍りつく音が聞こえてくる。
     そんな驚く? ネロは狼狽えて名前を呼んでみたり、腕をつついてみたりした。が、一切反応はない。大人しく雪解けを待つしかないようだ。暇潰しに冷蔵庫の中身を脳内で確かめ、今日の帰りに買い足しておきたいものをリストアップする。
     氷に覆われたかのように微動だにしなかったファウストの全身の硬直が、ようやく解けた。残っていたカフェオレを一気に飲み干したかと思うと、頭を抱えている。できれば僕はきみの肩を持ちたいと思っていたけど、と呟くのが聞こえてくる。苦い面持ちで項垂れているので心配していたら、ファウストは眉間に皺を寄せてネロを見据えた。
    「今回ばかりはきみが悪い」
     ファウストは溜息を零して言った。クロエに訊いても、オーエンに訊いても、同じことを言われるだろう、と。
     これに関しては全くその通りで、バイトの休憩中にクロエに話したら悲鳴染みた声を上げられた。激しく首を横に振り、「それはネロが駄目だよ!」と悲しげに眉を下げていた。クロエに事情を知らされたらしいオーエンからは電話が掛かってきて、「馬鹿なの」「おまえが悪い」と一方的に罵倒されて切られた。見事に味方がいない。
     さすがに自分でも趣味のいい悪戯ではなかったと反省しているので、非難轟々であるのはまあ当然の結果だとは思う。しかしその一方で若干、腑に落ちない。怒られるのは仕方ないとしても、反応がやや過剰に感じるのだ。居間でネロを抱き起こしたブラッドリーにせよ、悪戯の内容を聞いたファウストたちにせよ。
     自分が逆の立場なら、そりゃ心配させんなよと腹を立てるだろう。でも、こうも本気で怒りを覚えるだろうか? 夜中に家を飛び出すほどに? これくらいのことで、と開き直りたいわけではない。どうしてブラッドリーがあんなにも取り乱したのか知りたかった。
    「その日、疲れて帰ってきたんだろ?」カインは普段通りのさっぱりとした態度で、顎に人差し指を当てる。「もしかしたらネロが自分で思う以上に、顔色が悪かったのかもな。だから床に倒れてるのを見つけて、焦ったんじゃないか?」
    「うーん……それにしては、なんつうかさ……」
    「大袈裟?」
    「うん……」
     一般教養の講義の受講後、中庭のベンチでカインにぼやいた。
     昼休みなので、外にいる学生は比較的少ない。天気がいい日はもう少し賑やかだが、今日は朝から重たげな雲が垂れ込めていて静かだった。食堂やカフェテリアはいつも以上に混雑していることだろう。
     購買部で買った惣菜パンを齧るカインに、ネロは持参した手作りの弁当の蓋に幾つかおかずを載せて渡した。あいつが気まぐれに水遣りをして育った野菜も、あいつのために用意していた肉も。何も知らないカインは嬉しそうに受け取ってくれるので気が楽だった。
    「めずらしいな、ネロが弁当にフライドチキン入れるなんて」
    「……期限が切れそうだったんだ」ネロはなんてことないように笑った。「俺一人じゃ食べ切れないし、あんたが居てよかったよ」
    「あはは。俺はネロの作る料理が好きだから、寧ろ得した気分だけどな」
    「どーも」
     人懐っこく社交的なカインは、大学内にも外部にも友人や知人がたくさんいる。有名人であるブラッドリーのことは当然知っていたが、なかなか会う機会には恵まれなかったらしい。カインは誘われたら割とどんな集まりにでも顔を出すけど、ブラッドリーはその日の気分次第なところがあるので、微妙に噛み合わなかったのだろう。
     だからネロが数合わせで参加した合コンでブラッドリーと親しくなったと話したときは、心底羨ましそうだった。面白そうなやつだから話してみたいそうだ。社交性のあるやつはすごい。
     ファウストやバイト仲間のクロエ、ブラッドリー、ブラッドリーの腐れ縁であるオーエンを家に招いた日は、残念ながらカインの都合がつかなかった。悔しそうに埋まっているスケジュール帳を眺め、カインは言った。「次は絶対に行くから、また誘ってくれ」と、力強く。
     カインには申し訳ないが、次はもうないだろう。あれっきりブラッドリーはネロの家に帰ってこない。謝罪のメッセージに返信はなく、電話にも出てもらえなかった。もう話もしたくないほど嫌われてしまったらしい。
     部屋中に散らばっていたブラッドリーの私物はこつこつと拾い集め、いつでも運び出せるように纏めている。自分の代わりに返してくれないかとオーエンを呼び出したら、思いきり睨まれた。おまえって本当に馬鹿。面倒事を押しつける代わりにパンケーキを奢ったのに、またしても罵倒されるだけで終わった。
     住所さえわかれば段ボールに詰めて送るのだが、ブラッドリーがネロの家に来てばかりだったので、ネロはブラッドリーがどこに住んでいるのか把握していないのだ。取りに来る気配もないし、正直なところ途方に暮れている。こっちで勝手に処分しろということならそう指示してもらえないと、さすがにネロには手出ししようがない。
    「なあ、ネロ。今日はバイトか?」
    「ん? いや、休みだけど」
     ぺろっとフライドチキンを胃に収めたカインは、ネロの差し出したウェットティッシュで指先を拭ってから片目を瞑った。
    「だったら、飲みに行こうぜ。あ、ファウストも予定が合いそうなら誘ってみるか」カインはそう言うや否や、スマートフォンを取り出し瞬く間にメッセージを送信している。「あんたは何度も謝ろうとしたんだし、やるべきことはやったよ。あとは向こうが決めることだろ。とりあえず気分転換しようぜ」
     飲みに行く気分ではなかったが、気遣いはありがたかった。ネロが小さく笑って「ありがとな」と言うと、カインはにっと笑い返して背中を優しく叩いてきた。

     飲み過ぎてるな、と頭の片隅では冷静に思う。だけどもう手遅れだった。全身に酔いが回って、ふわふわと気分がいい。無意識のうちに手に握ったジョッキを呷ってしまう。「もう止めておきなさい」とファウストについに取り上げられてしまった。
     空っぽになった手が寂しくて、隣で上機嫌に酔っているカインの手を握る。カインはよくわかっていない顔で笑い、握り返してきた。放されなかったことにほっとする。本当はこの手ではなくて、別の手が欲しかった。だけど誰のだったか思い出せない。
     いつの間にか店の外にいて、いつの間に会計を済ませていたんだろうとネロは思う。ファウストが立て替えてくれたんだろうか。幾らだったか訊ねようとして口を閉じる。通話中だったのだ。「いいから早く来い」「わざわざおまえのマンションが近い店を指定したんだ」と、ファウストが強気に迫っている。「きみが居なくても彼は生きていけるってことを忘れるな」と言い捨てると、疲れたように息を吐き、スマートフォンを仕舞っていた。
     そういえば確かに、変だなとは思った。ファウストが店を選んだことも、その最寄駅が大学からもそれぞれの家からも微妙に距離があることも。カインも不思議そうだったが、「ここに行ってみたい」とファウストが頑として主張するので、まあいいかと足を伸ばしてみたのだ。
     ファウストはどうしてこの店を選んだのだろう。誰と何を言い合っていたのだろう。夜風が火照った頬を撫でていく。さほど強い風でもないのに、足が縺れてたたらを踏む。カインが繋いだままの手をそっと引いて、不安定に揺らいだネロの体を支えた。
    「悪いな、あんたも結構酔ってんのに」
    「はは、いいって。安心して凭れてくれ」カインは悪戯っぽく笑い、ネロの耳に触れた。「真っ赤だ。今日は随分飲んでたもんな」
    「そうだな……ちょっと飲み過ぎたかも」
     先ほどまでジョッキを手にしていた指先はキンと冷たかった。熱を散らしてほしくて、そのまま触ってて、と頼む。カインは片方の手は繋いだまま、あっさり了承してくれた。ひんやりとして気持ちいい。目を瞑ると一気に眠くなってきた。
    「あれ、ネロ? 大丈夫か?」
     うん、と返事をしたような、していないような。押し寄せる睡魔は強力で、ネロはもう瞼を押し上げる気力も絞り出せない。
     うとうとしているうち、手が離されてしまった。あ、と残念に思う間もなく地面から足が浮く。抱き上げられている。ぼんやりそう思う。カインはネロを易々と抱えながら、ファウストと話していた。まだ電車もあるしネロを送ると言うカインに対し、もう少し待ってくれとファウストが押し留めている。
    「もう少しって?」困惑したようなカインの声が耳をさらりと通り抜けていく。「誰か待ってるのか? さっき、電話してたよな。喧嘩してるように聞こえたけど」
     ファウストは困り果てたように曖昧なことをぼそぼそと呟いていたが、不意に口を噤んだ。
    「遅い」
    「煩えな」
     馴染みのある低い声が鼓膜を揺らした。聞き間違いか? それとも夢をみているのだろうか。目を瞑ったまま、寝言のように「ブラッド」と呼んだ。返事はない。やっぱり幻聴か、とさほど気落ちすることなくカインに寄り掛かる。このままカインの言葉に甘えて、家まで送り届けてもらおう。
    「それで、どうするんだ」
     ファウストが訊ねると、舌打ちが聞こえた。不機嫌そうな足音が近づいてきたかと思うと、カインから引き剥がされた。強引な動作に全身がぐらりと揺れて眩暈がする。
    「連れて帰る」
     ネロの頬に触れながら、そいつは答えた。
    「世話掛けたな」
     呆れたような溜息の後、ファウストは呟いた。
    「そんなに会いたかったなら、意地を張ってないで会いに行ってやればよかったのに」疲労と慈しみの滲むトーンで、ファウストは続けた。「ネロはもう、きみを手放す準備までしていた。危なかったよ」
     ふんと鼻を鳴らした男は、こいつは昔から薄情なんだよ、と拗ねたように言い返した。
    「きみのためだろう」
    「俺のためっつうならよぉ」男はネロをそっと抱え直しながら声を尖らせる。「ンな簡単に諦めんじゃねえよ」
     ネロはもうほとんど眠ってしまっていたので、声は出せなかったが思った。ごめん。あんたにずっと言いたかった。
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    44_mhyk

    SPOILERイベスト読了!ブラネロ妄想込み感想!最高でした。スカーフのエピソードからの今回の…クロエの大きな一歩、そしてクロエを見守り、そっと支えるラスティカの気配。優しくて繊細なヒースと、元気で前向きなルチルがクロエに寄り添うような、素敵なお話でした。

    そして何より、特筆したいのはリケの腕を振り解けないボスですよね…なんだかんだ言いつつ、ちっちゃいの、に甘いボスとても好きです。
    リケが、お勤めを最後まで果たさせるために、なのかもしれませんがブラと最後まで一緒にいたみたいなのがとてもニコニコしました。
    「帰ったらネロにもチョコをあげるんです!」と目をキラキラさせて言っているリケを眩しそうにみて、無造作に頭を撫でて「そうかよ」ってほんの少し柔らかい微笑みを浮かべるブラ。
    そんな表情をみて少し考えてから、きらきら真っ直ぐな目でリケが「ブラッドリーも一緒に渡しましょう!」て言うよね…どきっとしつつ、なんで俺様が、っていうブラに「きっとネロも喜びます。日頃たくさんおいしいものを作ってもらっているのだから、お祭りの夜くらい感謝を伝えてもいいでしょう?」って正論を突きつけるリケいませんか?
    ボス、リケの言葉に背中を押されて、深夜、ネロの部屋に 523

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    MEMOネの裏切りと、フィが彼に与えた『制裁』と魔法舎に来てからの『赦し』それによる苦しみについて(妄想走り書き、ブラネロ仕様)「ありがとう、君の手引きのおかげでようやく彼をとらえられそうだよ」
     フィガロがうっそりと笑う。柔和な微笑みの、目の奥が笑っていない。無表情でにらみつけられるよりよほど怖い。
     ネロは震えた。震えは、眼前の男への恐怖でもあり、また、己のしでかしたことへの恐怖でもあった。
     限界だった、もう死の気配に震えながら彼を見つめるのは。
     それから逃げることを許されないのは。
     だから手を取った。簡単な話だ。もう限界を超えていたネロの意識は、彼が……ブラッドリーが、生きてさえいればいい、という極論をはじき出した。
     たとえそれが彼の生きがいと言ってもいい、自由と暴力を奪おうとも。
     ただ、生きてさえいてくれればと。
     それは、ただの自己満足で、自己防衛だった。そのことに、ここまできてしまってから気が付いてしまった。
     ああ、もう、だめだ。
     これで楽になれる、自由になれるとかろうじて割れずに保たれていた何かが、パキンと音をたてた。
    「何か、お礼がしたいなあ。何か希望はない?」
    「希望……、ははっ! 罠にかけなきゃあいつ一人捕らえられないようなあんたに、何を望むって?」
     怖い。
     唇がカタカタと 1668