そんな顔するお前が悪い 桜遥と杉下京太郎は付き合っている。
それは少なくともクラスでは公認の事実で、杉下から桜へ逢瀬の約束を取り付けているのを教室で目にするのは一度や二度ではなかった。
だがその一方で。
「ねぇ、桜ちゃんから杉ちゃんに何かアクション起こすことってあるの?」
「アクション?」
桐生の質問の意味がわからなかったのか桜はキョトンとした顔をしている。
「桜ちゃんと杉ちゃんって恋人同士でしょ?杉ちゃんから桜ちゃんにデートのお誘いしたり家に行く約束したりしてるのはよく見るけど、桜ちゃんからは見たことないなーって思って。どうなの?」
「はっ…!?いや、そもそもそんなの見せるもんじゃねぇし…!」
「うん、まあそうかもだけど、それは一旦おいといてどうなの実際は?」
桐生が少し詳しく言い直すと意味を理解したらしい桜が瞬時に顔を赤く染める。
真っ赤な顔でボソボソと話す姿に、ああ、自分から声かけたことないんだろうな、と察したものの桐生は敢えて追求の手は緩めなかった。
「…ぅ…な、い…どうやったらいいかわかんねぇし…」
「あ、誘いたいとは思ってるんだ」
「さ!?別にそんなんじゃ…!!」
素直なのか素直じゃないのかわかんないなぁ、と思いつつ桐生の胸の内ではむくむくと好奇心が沸いてきていた。
桜ちゃんからお誘いされたときの杉ちゃん、どんな反応するのかすごく見てみたい。
やってみたいとは思ってるみたいだし、背中押してあげよーっと。
「桜ちゃんからお誘いされたら杉ちゃん、すごく喜ぶと思うけどなぁ。桜ちゃん杉ちゃんのこと好きでしょ?喜ばせたくない?たった一言でいいんだよ?俺の家遊びに来ないかーってさ」
「ぅ…」
「杉ちゃんだっていつもだいたい一言でしょ?この日空けとけとか今日お前の家行くからとか。そんなんでいいんだよ、言う前は緊張するだろうけど思いきって言っちゃえば一瞬だよ」
「でも、もし断られたら…」
「いやー、ないでしょ。だって杉ちゃん桜ちゃんのことすごく大切にしてるもん。よっぽど大事な予定ない限り大丈夫だよ。それに杉ちゃんはいつも桜ちゃんの都合なんてお構いなしなんだから、桜ちゃんも遠慮する必要ないよ」
「何でお前にそんなことわかるんだよ…!」
「杉ちゃんあんまり喋んないけど結構表情豊かだからね。あと桜ちゃんを見る目がすごく優しいの、気づいてない?」
「そんなん知らねぇよ…!!」
恥ずかしさに耐えかねたのか桜が机に突っ伏した。
もう一押し、と桐生が口を開きかけたところで教室の扉の方からぬっと大きな影が差し込んできたのが見えて、桐生は桜の肩を軽く叩きながら声をかける。
「あ、桜ちゃん杉ちゃん来たよ!」
「あ!?」
「ほらほら善は急げだよ、行っといで~」
「ちょ、引っ張るな…!」
桜の腕を引っ張って席を立たせ杉下の方へ押し出すと、まだ僅かに赤みの残る頬で戸惑ったように桐生の方を振り返る桜に頑張って、とガッツポーズを送る。
すると桜は少し視線を彷徨わせたあと覚悟を決めたのか杉下の方へ向かって歩き出しながら、「おい杉下ぁ!」と声をかけた。
まるで喧嘩を売りに行くかのようなその声かけに案の定杉下も眉間に皺を寄せて「?」と低く唸っている。
「喧嘩始まりそうな勢いだね」
「俺のせい?黙って見てたすおちゃんも同罪でしょ」
「いや、ホントにヤバいですよ!一触即発って感じですけど…!」
いつの間にか杉下の正面に立ち塞がりお互いに睨みあっている桜と杉下の様子を、先程の桜と桐生の話を黙って聞いていたらしい蘇枋と楡井と共に見守る。
「ぇ…っと、その…」
「チッ…何だ、早く言え」
「せ、急かすなよ、ちょっと待て…ちゃんと言うから…」
覚悟を決めて行った筈だが杉下と向かい合うとやはり恥ずかしさや照れくささから桜は二の句が継げないでいるようだった。
「…遅ぇ、また後で聞いてやる」
「あ、ちょっ…!待てよ!」
痺れを切らしたのか桜の横を通り過ぎようとする杉下の制服の裾を桜が掴んで引き留める。
引き留められるとは思っていなかったらしい杉下が少し驚いた顔で桜を振り返るのと、桜が漸く続きの言葉を発したのがほとんど同時だった。
「その、きょ、今日…俺の家、来ない、か…?」
わあ、桜ちゃん顔真っ赤。
さて、杉ちゃんの反応は_...。
と、杉下の方へ視線を向けて間もなく桐生の耳は「ゔっ!?」という桜の悲鳴を捉えた。
「ええ何で!!?」
「わあ、アイアンクローだ」
蘇枋の言葉通り杉下は桜の顔面をその大きな手で鷲掴み覆い隠していた。
「いだだだだだテメェふざけんなよ杉下ぁ!!」
「ふん」
もはや恥ずかしさか照れか怒りか、何で顔を赤くしているのかわからない桜が叫ぶ。
突然桜に技を仕掛けた杉下は一度鼻を鳴らしてパッと手を離すと自身の席に向かいそのままいつものように机に伏せてすぐ寝入ってしまった。
「何なんだよアイツ!人がせっかく…!!」
「まあまあ桜ちゃん、ナイスファイト~」
「そもそもテメェのせいなんだよ桐生!」
うがぁっ!と怒りながら戻ってくる桜に労いの言葉をかけると怒りの矛先がこちらを向いた。
アイアンクローは予想外だったけど、でもたぶん効果は抜群だったよ桜ちゃん。
顔こそ見えなかったものの、桐生の目は杉下の耳が赤く染まっていたのを見逃してはいなかった。
***
放課後。
桜はまだ怒っていた。
何なんだ、アイツ!
せっかく俺が勇気だして声かけたのにいきなりあんな技かけてきやがって!
しかも技から解放された後に見た杉下が妙に満足げな顔をしていたのも気に食わない!
そもそもは桐生のせいだ。
アイツがあんなこと言って唆すから!
本当に俺のこと大切にしてたり、俺に誘われて喜んだりするやつならあんな技仕掛けるわけないだろ!!
怒りが冷めやらぬままズカズカと足音荒く外階段を上り、自宅に入る。
…そういや返事聞いてねぇけどアイツ来るのかな。来たら絶対文句言ってやる。
そう心に決めて待つことおよそ30分。
ギシギシと外階段の軋む音が聞こえてきた。
来た!!
開口一番文句を言ってやろうと玄関に向かい仁王立ちで待つ。
やがて桜の家の前まで足音が近づいてきて、控えめなノックのあと扉が開かれた。
「よお杉下、さっきはよくもやってくれたな!」
「は?何だいきなり」
「何だじゃねぇよ!思いっきりアイアンクローかましてきただろ!俺まだ許してねぇからな!!」
「ああ、あれか」
先程心に決めた通り、桜は杉下の姿を確認するなりすぐに文句を飛ばした。
最初面食らったような顔をした杉下も桜が怒る理由に合点がいったのか納得したような声をあげる。
「あれかじゃねぇ!普通に痛かったんだぞどんどん締め上げて来やがって!顔全部覆われて苦しいし!」
「あれはお前が悪い」
「ぁん!!?何でだよ100%お前が悪いだろ!」
ギャンギャンと吠える桜を面倒くさそうな顔で見る杉下にまた沸々と怒りが沸いてくる。
さらに言い募ろうと桜が口を開きかけたところで杉下が口を開いた。
「お前がクラスの奴らの前であんなかわいい顔するから悪い」
「…は…?」
「テメェは普段からすぐ赤くなるしそれだけならまだ仕方なく許せるが今日のあの顔はダメだ、あれは俺の前だけにしろ」
「ど、ぇ…?何…?は?」
「お前から声かけてくるとは思ってなかった。だからそれは嬉しかった。でもアイツらの前であんな顔するのは許せなかった。だから隠した。それだけだ。謝らねぇぞ」
あんな顔って…かわいい顔って何だよそんなのしてねぇよ
赤くなってたのは仕方なく許せる?
赤くなってる自覚はあったがそれ以外に何かあるか?
ていうか仕方なく許せるってなんだ、お前に許してもらうもんでもねぇだろ
隠すって何だ、そんなに見られるとマズい顔をしてたのか
でもそうか
嬉しかったのか
「…嬉しかったなら良かった」
「は?」
「な、何でもねぇ!!」
無意識に溢れ落ちた言葉に気づいて慌てて首と手を振って誤魔化す。
また顔が真っ赤になっているだろうな、とぼんやり思っていると、いつの間にかきちんと玄関の扉を閉めて部屋に上がり込んだ杉下が至近距離まで近づいてきていて、その影が桜の上からぬっと差してくる。
その距離の近さに驚いた桜は思わず動きを止めて杉下を見上げた。
「…杉下…?」
「…今ちょうどその時と同じような顔してる」
「は?だからどんな顔…っ!」
後に続く筈だった言葉は杉下の口の中に呑み込まれた。