嫌いの上塗り ぱっ、と夏の夜空に眩いばかりの大輪の花が咲く。
地が震えるような轟音と共にひとつ、またひとつと大きく花開くそれはその圧倒的な存在感を持って見る者の視線を惹き付けて止まない。
「………………」
チッ。
思わず口から零れそうになった舌打ちは、万が一にも隣にいる梅宮や他の誰の耳にも届かないようぎりぎりのところで心の内に閉じ込めた。
花火を見ると、どうしてもあの時のことを思い出す。
今からおよそ一ヶ月半程前。
深夜0時から始まり、日が昇り始めるより前に終着を迎えた、時間にしてたった数時間にしか満たない初夏の出来事。
それが未だ色濃く、そして薄れる兆しすらなく杉下の脳裏にこびりついたままでいる。
(…どうせ今、空を見上げながらマヌケ面でも晒してんだろ)
始まりを告げる眩いばかりの光を背に負って。
不意にこちらを振り向いて不敵に笑ってみせたあの時の顔なんて影も形もなくして、今はただ夏の夜を鮮やかに彩るだけのそれにぼうっと魅入っているのだろう。
きょろりと視線を巡らせて桜の姿を探す。
頭に思い浮かべたマヌケ面を実際にこの目で確かめて、たとえほんの一時、ほんの僅かだとしても溜飲を下げたかっただけだった。
だというのに、屋上の片隅に見つけた当の桜は断続的に打ち上がる花火に照らされ明滅を繰り返す世界の中でただじっと俯いて地面だけを見つめている。
その傍らには、獅子頭連副頭取である十亀の姿。
(ああ、くそ、本当に腹が立つ)
花火の音に紛れて何を話しているのかまでは聞こえない。
表情さえも白黒の前髪に隠れて窺えない。
ただ、桜の纏うその空気感はこれまでに何度か目にして肌で感じたことがあった。
「……チッ」
「杉下?何か言ったか?」
今度は隠しきれずに零れた舌打ちと共に杉下はのっそりと動き出す。
ゆらりゆらりと桜の方へと近づいていって、眼前に無防備に晒されたままの後頭部目掛けて拳を振り下ろす。
「っ!?いってぇな!いきなり何しやがる!」
ゴッと鈍い音が鳴り衝撃にまた一段深く沈んだ桜の頭が、まるでバネに押し出されたかのように勢いよく跳ね上がって真正面にいる杉下のことをキッと鋭く睨みつける。
「チビが余計チビになってるとうざってぇんだよ」
「ぁ!?んだそれ喧嘩なら買うぞテメェ!」
「ふん、性懲りもなく寝惚けたことしてるテメェが悪いんだろうが」
「誰がいつ寝惚けたってんだよいつも寝惚けてんのはテメェの方だろ!」
桜が纏っていた暗い気配がふっと霧散する。
桜のことは嫌いだ。
らしくもなく俯いて、どことなく翳りのある様子を見せる桜のことはもっと嫌いだ。
結局嫌いであることには変わりないのに、上塗りされた嫌いな部分を壊した先にあったいつも通りの"ムカつくチビ"の姿を見て、どこか安堵してしまった自分に杉下は心底辟易としてしまった。