「……これはオレが悪いのか……?」
ポツリと呟かれた声は不機嫌なもの。あいにくと顔はぼやけて見えないのでガンガディアは相手――大魔道士マトリフの心身の状態をその声色のみで判断するしかない。
ほんの少しだけ痛む顔はそのままにガンガディアはむしろ自分の痛みなどよりもよほど気にするべき相手の様子に、困惑した別の感情的な意味を持って眉間に皺を寄せた。
マトリフの手にはガンガディアのかけていた眼鏡がある。ガンガディアにとっては小さいがマトリフにとってはけっこうな大きさの眼鏡。ただし、それはレンズが割れてしまっていた。つい先程のことだ。マトリフの放ったバギマがガンガディアの顔面に見事にクリティカルヒットした。故の眼鏡の末路である。
眼鏡の破損とは相反してガンガディアの怪我は大した事はない。さすがデストロール。眼鏡と違って頑丈である。
「いや、やっぱりお前が悪い。アイツがいる前でキスしてきたお前が悪い」
アイツ――マトリフの愛弟子であるポップだ。彼はよくマトリフの住処である海沿いの洞窟へと訪ねてくる。今はガンガディアも共に暮らしており三人は頻繁に顔を合わせていた。先程までもポップは二人と一緒に此処にいた。ガンガディアがマトリフに前触れもなく突然キスをするまでは。
急用ができたとかお邪魔しましたとか馬に蹴られたくないとか矢継ぎ早にのたまって顔を真っ赤にして走り去ってしまってルーラの魔法力を感じて、逃げ足の速さはさすがの一言に尽きた。
「すまない」
「完全にバレたな。さすがに誤魔化せねえか。……珍しいじゃねえか。お前があんな……」
まるで周りを気にせず、マトリフしか見えていなかったかのようなキスを、第三者がいるにも関わらず仕掛けてきたガンガディア。
常に理性的であろうとするガンガディアにしては珍しい。尤も二人きりの時にはその限りではなくキスすること自体は珍しくはないのでマトリフは続く言葉を呑み込んだ。キス以上のこともする間柄なのだ。公言してはいないが。
「そうでもない。私は常に君に触れたいと思っているのだよ。……だが確かに配慮が欠けてしまっていた。君は嫌だったのだろう。本当にすまなかった。二代目にも驚かせてしまったことを謝らなくてはな」
ガンガディアは俯いて項垂れながらそう言った。同時に特徴的な長い耳がへたりと垂れ下がる。反省しているのだろう。
うぐっ、とマトリフは息を詰めて、そして顔を顰めた。ガンガディアには見えていないが、それはなんとも複雑そうな表情だ。
マトリフの脳裏にギャップ萌えというワードが一瞬浮かんだがそれを即座に消滅させた。
「……嫌とかじゃなくて……あ〜~っ!!」
「どうしたね? 大魔道士」
「……っ、別にキスされたことが嫌だったわけじゃねえからな! 面倒くせえ勘違いすんじゃねえぞ!」
しばしの沈黙。
ガンガディアがその言葉の意味を察した瞬間、しょぼくれて力無く垂れていた長い耳の尖った先端がピンッと勢いよく上に跳ね上がった。金属製の二つのピアスが擦れる音がした。
しかしガンガディアが顔を上げた時には、すでにマトリフの姿は消えていた。寸前で耳に届いたのはリリルーラの呪文。おそらく愛弟子の所へと向かったのだろう。
行使された魔法力の名残だけを感じ取ってガンガディアはその場に立ち尽くしていた。
しばらく逡巡してから、スペアの眼鏡を取りに行くため、ガンガディアは自室まで足取り危うく歩いていった。あの言葉をいったいどんな顔をしながら言ったのか、見れなかったことが残念だと心底思いながら。