二分間の両思い「ルフィが出てきたら、そのまま君とはここでお別れ……って、遠ッ!?」
聞こえてる、プリンちゃん? と声をかけながら、サンジはふとゾウを出た日のことを思いだした。
ーー思えば、君とは不思議な出会い方をした。
ベッジに見せられた写真に写っていた完璧な美少女。潤んだ瞳に羞じらう仕草、深い谷間……男の理想を詰め込んだあの姿はほとんどが見せかけで、サンジはまんまと罠にかかった、馬鹿なネズミの一匹に過ぎない。
それでも。と、サンジはますます遠ざかっていく彼女に右手を差し出す。君がとびきり魅力的なレディだってことは、本当だ。
「じきお別れだ……。色々ありがとう!」
\*\*\*\*
差し出された手に、プリンは胸の奥がぎゅっと痛むのを感じた。
ーー私はあなたを騙して殺そうとしたのに……お礼なんて言わないでよ、サンジさん。
傷ひとつない彼の手は美しい。そこに嘘がないからだ。ただあるのは、まっすぐなやさしさだけ。
プリンは、自分の手を拳の形に握りしめた。短く整えた爪が肉に食い込む。
謝りたい。ちゃんと謝らなきゃ。祈るように唱えても、嘘に慣れた唇は言うことを聴かない。
「うるせェ!」
いつも通りに罵声を浴びせ、違う、違う!と首を振るプリンに向けて、垂れた目元がいっそう優しげに弧を描いた。
「あはは、敵だもんな。
結婚は罠で、全部ビッグ·マム海賊団の大芝居だった。けど……」
サンジはそう言うと、にっと歯を見せて笑った。
「おれの婚約者役は、プリンちゃんでよかった」
ふいに圧し殺したうめき声が聞こえ、サンジは慌てて立ち上がる。
「あ、いや別にバカにしたわけじゃ……」
弁解の言葉も耳に入らず、プリンはごしごしと目元を拭った。
「おい、サンジ……♡さん。お願いがあるの……! 最後に、一つだけ……お願いがあるの……!」
うそをつくのは、もうやめよう。自分にも、大切な人たちにも。
決意を胸に、プリンはしっかりと大地を蹴る。涙で曇った視界の中に、ぼんやりと明滅する炎の色が浮かぶ。彼女はそれにむかって、まっすぐ手を伸ばした。
口元から奪われた煙草が、うすく煙を残して落ちてゆく。束の間それに奪われたサンジの意識を、次の瞬間、衝撃が塗りつぶした。唇をふさぐ甘い香りと、胸板に感じるふたつのふくらみ。
――ど、どっちも柔らかッ……♡
湯煎したチョコレートのように溶けていく意識をなんとか繋ぎ止め、サンジはぎゅっと目を閉じる。押しつけられる唇は意外なほどぎこちなく、乾いた肌が擦れ合う感触がもどかしい。
このまま抱きしめたい。そう、強く思った。丸い頬に手を添え、細い腰を引き寄せて。表面をなぞるだけじゃなく、もっと深く彼女を知りたい。その味を、香りを、質感と体温を。そうすれば、きっと。
――おれは、なにがあってもきみを忘れない。
だが、それを実行することはできなかった。サンジが動くより早く、プリンはまっすぐ背筋を伸ばすと、サンジの目を覗き込んでにこりと微笑んだ。涙で濡れた三つの瞳が輝く。この世のどんな宝石にも、満天の空の星にも似たもののない、世界の不思議そのもののような色合いでで。
ああそうか。と、サンジは胸の中でつぶやく。
きっと、きみを化け物と呼んだ連中は、蔑んだわけじゃない。ただ、畏れたんだ。あまりに神秘的で、人智を超えた美しさを。人は弱くて、似たものどうし寄り集まらなければ生きられない。異質なものは、排斥せずにはいられない。
――なァ、プリンちゃん。きみとおれって、本当は、すごく似てるのかな。
かつてひとりの少年が、夢の海への情熱に突き動かされたように。
突然の嵐にも似た熱病に駆り立てられ、プリンは自分の意思でここに来た。兄弟たちが血眼で探す侵入者をかくまって、脱出まであと一歩の場所まで運んでくれた。生まれたときから自分を縛り付けていた強大な『家族』。そのしがらみを振り切るために、どれほどの勇気が必要か。サンジほどそのことを理解している人間もいないだろう。
――ありがとう、なんて。それっぽっちの言葉で足りるもんか。
からからに乾いた舌を湿らせて、サンジは大きく息を吸った。別れの言葉は取り消しだ。そんなものより、もっとふさわしい言葉が見つかった。
行動を起こしたのは、プリンが先だった。細い指が金の髪をかきわけて、頭蓋骨の丸みを捉える。指先にぐっと力がこもり、かすかな震えが伝わってくる。
――これは……まさか、二度目のチャンス!?
予想より早くおとずれたリベンジの機会に、サンジの心臓は跳ね上がる。だが喜んだのも束の間、奇妙な感覚が彼を襲った。とぷん。水面に小石が落ちるような音がして、意識がぐらぐらとかきまわされる。薄れていく脳裏に、彼女の声が響いた。
「ありがとう……さよなら!」
ずるずると何かを引きずり出される感触がそれに続き……最後には、その言葉さえ消え失せた。