人間の過ちが引き起こした未曾有の大災厄から十数年。かつて共存していた人と妖怪の関係は次第に遠ざかり、都市の街区に棲むのはその殆どが妖怪だ。僕らが生活する六分街も、住民たちは皆妖怪である。僕たち兄妹を除いては。
あの厄災によって住む場所を失い、手負いの僕たちを拾ってくれたのが、六分街の住民たちだった。彼らは僕ら兄妹があやかしではないと知りながら、傷の手当てをし、住む場所と食べ物を与えてくれた。以前、隣人のチョップ大将に『どうして人間の僕たちにここまでしてくれるのか?』と尋ねたことがある。彼は豪快な笑顔で答えた。『困ってる奴がいたら手を差しのべるなんてのは、同然のことだろ?』と。そんな彼らに報いるため、僕ら兄妹は所謂何でも屋の形で六分街での困り事の解決や手伝いをしながら生計を立てている。
ひとたび六分街から外へ出れば、厄災をもたらした人類への憎悪を滾らせた妖怪も少なくない。それでも妖怪が暮らす街で生きていく理由は六分街への恩だけではない。
あの悪夢を引き起こしたとされる人物が、僕らの恩師だからだ。彼女の汚名を晴らすべく、先生が失踪した都市で生活し、妹と二人で情報収集していくことに決めた。とは言え今のところはこれといった収穫はないのだけれど。
幸い僕たち兄妹には、この街で暮らしていく上で役に立つ特技がある。先生が授けてくれた『妖力を見ることができる眼』だ。迷子の妖怪を見付けたり、妖力を暴走させそうな妖怪を事前に察知することが可能だ。尤も、二人とも戦闘能力には長けていないため、妖力を暴走させそうな妖怪の鎮圧は専ら武闘派の知人たちの力を借りている。それでもこの能力で妖怪たちの手助けが出来ることで、今では六分街の外にも少しずつ人脈が広がってきた。
本日の依頼もそのひとつ、とある治安官からのご指名だ。人間と共存していた頃から存在する組織だけれど、この地にいる治安官は全員妖怪。もし妖怪の治安官に見つかってしまった場合、基本的には人間の住む郊外へと強制送還されるものの、万が一妖怪に害を成す存在だと判断されればその場で『処分』されることもあるという。人間にとっては天敵ともいえる組織だが、そこに所属する朱鳶さんと青衣は僕たちの立場を理解し、その能力を買ってくれているおかげで内密に協力関係を結ぶことが出来た。
今回の依頼内容は『妖力を増強させる薬を用いて悪巧みをしている妖狸たちの痕跡を辿り、その拠点を暴いて彼らを制圧する』というシンプルなものだ。僕が妖力を辿り、その拠点の位置を特定したのち、朱鳶さんたちの武力によって妖狸たちを捕らえることができた。惜しいかな、彼らの拠点は郊外に近い位置にあり追跡が夕暮れまでかかってしまったけれど。
「……おかしいですね、ここにもいないなんて」
なにやら朱鳶さんが、妖狸たちの拠点を見回している。
「どうかしたのかい?」
人が隠れられる程の大きさの戸を全て開け、中を確認した朱鳶さんは、お目当てのものが見当たらなかったのか溜め息混じりに肩を落とした。
「ええと……うちの新人の姿が見当たらないんです。真っ先に飛び出していった筈なのに……」
「ふむ……どこで道草を食っているのやら」
「先輩、セスくんはそんなタイプじゃないでしょう?」
真面目な新人治安官が行方不明とあっては、楽観視できるような状況ではなさそうだ。
「妖探しなら、手伝うかい?」
妖力を辿れる僕ら兄妹にとって妖探しは朝飯前だ。彼の種族の情報か、妖力の残った私物があれば市内での捜索は長くても半日、近くにいれば一瞬だろう。
「いえ、今日はもう遅いですから。人間である貴方を妖怪たちが活発になる時間に外を出歩かせるのは気が引けます……一先ず私たちで探して、必要なら明日お声かけしますね」
気付けば辺りは既に薄暗く、逢魔が時が近付いている。かつての人間との共存により昼夜のリズムを人間と同じくしていた妖怪たちだが、今では始業をこの時間にずらし生産能力を上げた会社も増えてきているという。妖怪たちにとって、一日で一番活力が漲る時間なのだろう。それだけ悪さをする妖怪も増える訳なので、治安官は交代制で昼夜駆け回っているのだから頭が上がらない。
こんな時間に一緒に捜索をしたところで、他の妖怪の妖力が強すぎて正確に辿れない可能性もあるどころか、戦闘については門外漢の僕が横にいることで足手まといになる確率のほうが高い。ここは大人しく、朱鳶さんからの続報を待つほか無さそうだ。
「遠慮なく頼ってくれ。明日、僕らも六分街の人に聞き込みをしてみるよ」
「ありがとうございます。それと……」
朱鳶さんは少し声を落とし、顔を近付けた。
「……彼、立場が少々複雑で……。彼のお兄さんが治安局の上層部にいて、セスくんが人間と関わることを禁止してるんです」
「あやつに割り振られる任務も、なにやらあの兄上が直々に精査しておられる模様。……まこと面妖な兄弟よ」
「そこまで言わなくても……。ちょっと変わってるけど、セスくんはいいこですよ」
あやかしである青衣が『面妖』なんて言葉を使うのもなんだか不思議な話だ。ともかく、その治安官には過保護な兄がいるということだろうか。それならその兄上がもう既に人手を手配しているのかもしれない。
「話が逸れてしまいましたね。とにかく、もし彼を見付けたときには、打ち合わせの通り……」
咳払いをし、話を戻した朱鳶さんの目配せに相槌を送る。
「ああ。種族を尋ねられたときは『さとり』だと名乗るのだろう? これなら人の姿をしていても、妖力が見えていても、多少言い訳がつくからね」
さとりとは、人の心が読める妖怪だ。人間を驚かせるのが好きないたずら好きの種族で、厄災以前は人間のふりをして生活し、読心術で彼らを欺いたり、振り回していたようだ。妖怪の心は読めないらしいので、そこを妖力が見える能力と絡め上手いこと誤魔化す、という作戦だ。
実際の彼らも特殊な存在で、かなり長い時を生きてきた青衣も本物のさとりには出会ったことがないと話していた。
「ええ。貴方がたの正体を知らない妖怪にはそう名乗ってください。私たちが居ない時にトラブルに遭われては困りますから」
「大丈夫、朱鳶さんたちの仕事は増やさないよ」
「そういうことでは……」
妖狸たちを増援の治安官へと引き渡すと、二人は僕を六分街まで護衛すると言ってくれた。有り難くご厚意を賜りながら、家までの帰路、二人と和やかな時間を過ごした。こうして話していると、僕たちに種族以外の違いはなく、あやかしと人は今でも手を取り合って協力したり笑い合ったりできる存在なのだと実感できる。
楽しい時を過ごすうち、いつの間にか通りいくつかを抜ければ六分街に着く距離まで帰ってきていた。
「本当にここまでで良いんですか?」
「ああ、朱鳶さんたちにも任務の事後処理があるだろう? この先はすぐ六分街だ。いざというときは流石の僕でも走って逃げ切れるからね」
「わかりました。ではまた」
「この先は暗い道も多いゆえ、足元には用心して帰るがよい」
「朱鳶さん、青衣、ここまでお見送りありがとう。おやすみ」
曲がり角まで二人の背中を見送ってから、六分街へ向け踵を返す。その道すがら、路地の奥から物音がした。恐る恐る覗いてみると、縞模様の白猫が横たわっていた。猫の尻尾は微弱ながら鬼火が宿っており、僅かに妖力も感じるので化け猫の類いだろう。本来人間一人の力では幼い化け猫にも及ばないけれど、白猫の力はかなり弱っている上、かなり濃い鉄の匂いを放っている。手負いの猫を見過ごす訳にはいかず、駆け寄る。息はあるが、それもかなり弱々しい。
「……君、大丈夫か!? 言葉はわかるかい?」
化け猫の一部は人の言葉を解す。けれど白猫は目を開けず、ぐったりと項垂れたままだ。持っていたタオルに包み、抱えあげる。身体がかなり冷えきってしまっている。
「医者に診て貰おう、それまではなんとか持ってくれ……」
出来得る限りの全速力で六分街までの道を駆け抜け、エンゾウさんの店を訪ねる。彼は表向きからくりを扱うお店の店主だけれど、医術の心得があるらしく診療所のない六分街ではモグリの医者のような活動をしている。猫の多い街なので、最近は獣医としても度々お世話になった。
彼は白猫を見た途端、僕が言葉を発す前に店の奥にある診察台へと運び、手当てを行った。小一時間ほどして、漸くエンゾウさんが口を開く。
「……化けるほどの力は未だないみたいだが、どうやら化け猫の一種だろうな。怪我のほうは二週間もありゃ完治するだろうから、安心しろ」
白猫は、麻酔が効いているのかぐっすりと眠っている。その穏やかな表情にようやく胸を撫で下ろすことができた。
「……よかった。しばらくはうちで面倒を見ることにするよ」
幸いにもうちにも猫が一匹いるので、猫缶のストックはある。クロと喧嘩することがないよう、この子は僕の部屋に隔離しておけば問題ないだろう。
「傷口を縫った上から保護してある。ここを濡らさないように気を付けながらシャワーを浴びせてやってくれ、傷口に細菌が入ると治りが遅くなるからな。明日、アンタんちまで様子を見に行く」
「ありがとう、エンゾウさん……!」
白猫を起こさないようそっと抱き上げ、額を撫でながら無事手術を乗り越えた勇姿を労う。必死に駆けてきたので気が付かなかったが、クロの倍はあろう重みを感じる。大型の猫なのだろうか、それともこの子が少し食いしん坊なのだろうか。どちらにせよ、目を覚ましたらお腹いっぱいになるまでごはんを食べさせてあげよう。
雑貨店で猫缶を数種類買い足し、帰宅する。予定より帰りが遅れたことでリンは大袈裟なほど心配そうに出迎えてくれた。僕の自室にクッションとタオルで拵えた簡易な寝床を用意し、白猫を寝かせる。それからリンに事情を説明し、しばらく白猫をこの家で面倒を見ることについて合意した。部屋の外からクロが興味津々に扉を引っ掻いていたが、今はまだ対面させられないからと内心で謝罪する。
僕らの夕飯を済ませたころ、その匂いにつられたのかよろよろと白猫が起き上がった。
「起きたかい? シロ」
僕が声をかけると、白猫もといシロは部屋の隅へと駆けていってしまった。威嚇するでもなく、不安げに周囲を見回している。
「お兄ちゃん……黒猫には『クロ』、白猫には『シロ』って……安直すぎ……。それに、六分街にはもうシロがいるじゃん!」
「なら、リンはなんて呼んだらいいと思うんだい?」
「そうだなぁ。白くて柔らかいから『お豆腐』!」
シロは白いけれど、こんなに大きな豆腐は存在しないだろう。それにクロがいるからこそ、弟分になるこの子にはシロと名付けるのが相応しいはずだ。とはいえ、リンの言うとおり六分街の先住猫へのリスペクトも必要だろう。彼のことはシロ改めシロ二号と呼ぶことに決めた。
「君はどちらがいいかな。シロ二号」
「ほら、お豆腐~! おいで~!」
二人で呼び掛けるも、警戒心が強いのかシロ二号はどちらにも応じない。見知らぬ環境に困惑するのも無理はない。
「……どっちも嫌みたいだね」
「まだうちに来たばかりで、緊張しているのかもしれないな」
しばらく見守っていると、シロ二号は部屋のから少しだけ歩み始め、匂いを嗅ぎながら周囲を観察している。無闇にこちらを威嚇をしないのを見ると、人慣れあるいは妖怪慣れはしているようだ。随分と汚れてしまっているけれど、毛並みからも育ちのよさが伺える。
「綺麗な飾りをつけてるし、飼い猫かなぁ。明日、六分街のひとたちに聞いてみよ!」
六分街の猫は多くが地域猫であり、猫を飼っている住人はそう多くはないけれど、その中に他の地域の飼い主と交流がある人もいるかもしれない。装飾や身体に纏った微かな鬼火が特徴的なため、見たことがあれば印象に残るはずだ。
「そうだ。猫缶、食べるかい? 君の好みがわからなかったから、全種類買ってみたんだ」
まずはシロ二号と信頼関係を築くことが先決だ。抱っこさせて貰えるようになれば、彼をつれての聞き込みができる。
「あ~っ! 食べ物で釣って懐柔しようとするなんてズルい!」
「人聞きが悪いな。お腹をすかせてるかもしれないと思っただけだよ」
用意した猫缶のひとつを開け、近くに置いてみると、一瞬シロ二号がかなり嫌そうな顔をした気がする。もしや、育ちが良すぎて雑貨店で売っているような安物の缶詰は食べたくないのだろうか。そう心配していると、意を決したシロ二号はおずおずと猫缶を口にし始めた。やはりお腹を空かせていたのか、目を輝かせながらあっと言う間に一缶ぺろりと完食した。なんとも表情豊かな猫だ。折角なのでもう一缶開けようとしたところ、いきなり与えすぎると戻してしまうとリンに止められてしまった。
少しは僕たちの存在に慣れたのか、部屋の隅にいたはずのシロ二号は気づけば僕の隣で欠伸をしている。それを見ていた僕まで、つられて欠伸が出てしまった。
「あとはお風呂に入れないとね。私がやっておくから、お兄ちゃんは少し休みなよ。一日中走り回ってたんでしょ?」
僕の欠伸を横で見ていたリンに気を遣わせてしまった。彼女の言うとおり、夕暮れまで治安官の捜査に協力し、帰りは猫を抱えて全速力で走ってきた身体は限界が近付いている。
「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えて」
「任せて! この子ってば、どこでこんなに汚れてきたんだか……ほらほら、一緒に入ろ~!」
リンが手を差し出すも、シロ二号は僕の後ろに隠れてしまった。
「お風呂は苦手かい? 大丈夫。リンはこれに関して、僕より上手なんだ」
シロ二号の表情には戸惑いが浮かんでいる。リンを警戒しているという様子はないのだけれど、なにかを伝えようと、僕の裾を引っ張っている。
「お兄ちゃんのほうがいいってこと? うーん。男の子みたいだし、恥ずかしいのかなぁ」
「猫にも羞恥心があるのか……単に、ここまで連れてきたのが僕だから、少しは慣れたんだろう」
確かにシロ二号のお尻には、ふわふわのまん丸が二つ見える。けれど雄猫が人や妖怪の女の子を意識して逃げ回るなんて聞いたことがない。
「そうかな……なんだかこの子、人の言葉がわかるみたいじゃない……?」
リンはじっとシロ二号を観察する。彼は助けを求めるような視線を僕に向けてきた。
「六分街の猫だって、みんなこんな感じじゃないか?」
クロだってよく僕たちの話に相槌を打っているし、ごはんと聞けば飛んでくる。街にいる猫たちも、言わんとしていることがなんとなくわかる程には僕や妖怪たちとコミュニケーションが取れている。
「あの子たちとはちょっと違うカンジっていうか……うーん。私の考えすぎかも。それじゃ、後片付けは私に任せてお兄ちゃんは少し休んだらお豆腐をお風呂に入れてあげて」
「シロ二号だ」
リンの勘はよく当たるので、きっと本当にこの子は特別なのだろう。けれど僕にはちょっと妖気を纏った大きめの猫にしか見えない。
お腹を満たし、すっかりこの家にも馴染んだシロ二号をお風呂に連れていくと、緊張の面持ちだったもののひとつも抵抗せずに洗われてくれた。砂埃や血の痕で汚れていた毛並みは本来のふわふわを取り戻している。
「嫌がらずにお風呂に入って偉いなと思ったけど、君はドライヤーも慣れてるんだな……やっぱりどこかで飼われていたのか……」
クロと鉢合わせしないよう部屋を締め切り、綺麗になったシロ二号を布団の上で撫でる。
「……それにしても、極上のふわふわだな……。……お風呂にも入れたし、いいよな……?」
シロ二号を抱き上げると、何ごとかと首を傾げている。
「少しだけ……少しだけだから……吸わせてくれ……」
危険を察知したシロ二号が逃げ出すよりも早く、ふっくらした胸元の毛に鼻を埋めた。無香料の猫用シャンプーを使った筈なのに、ひまわりのような暖かい匂いがする。
「……すーーーーっ…………はぁ…………たまらないな…………」
シロ二号は、驚いて放心している。その隙に胸に頬擦りをさせてもらう。先住猫のクロよりも毛量が多く、クロの毛並みはなめらかさを感じるけれど、シロ二号はどちらかというと柔らかく、ふかふかだ。
そんな至極のひとときを堪能していると、シロ二号の妖力が揺らいだ。距離を取る暇も無く、その妖力は瞬く間に増幅した。激しい妖気に、思わず目を瞑ってしまう。と同時に、何かに押されて倒れ込む。
「……ッ……!」
幸い、布団の上にいたお陰で痛みはない。けれど圧迫感に恐る恐る目を開くと、見覚えのない白髪の妖怪が覆い被っていた。その額の装飾は、シロ二号が付けていたものによくにている。驚いたものの、目の前の妖怪は僕以上に混乱しているようで、茫然として動かない。
「お兄ちゃん、大丈夫!? 今、部屋からものすごい妖力が見えたけど!?」
同じく妖気を感じ取ったリンが部屋の戸を勢いよく開けて飛び込んでくる。彼女の目には、見知らぬ妖怪が兄に襲いかかっている姿が映っただろう。一瞬警戒した表情を見せたけれど、僕よりも困惑している様子の妖怪を見て、彼女まで混乱し始めた。
「……え~っと……どちら様……?」
白髪の妖怪は僕の上から飛び退くと、頭に生えた大きな耳を搔きながら気まずそうに答えた。
「……あー…………。オレは……その、……キミたちが『シロ』や『豆腐』と呼んでいた猫だ…………」
「えええええっ……!?」
リンの大きな声が部屋に木霊する。
この日から、我が家に大きな猫の居候が増えることになるのだった。