龍羽ワンライ【銃】 石神村から離れた場所の、小さな滝がある岩場の近く。
緑と灰色の景色に混ざり、僕は今、息をひそめている。
二日前に雨が降った影響で、滝の勢いはやや強く、水の落ちゆく音が耳にはよく届いた。かすかな人の声くらいなら簡単にかき消されるだろう。僕自身はというと声を出さず、大きな岩とそこに寄りかかるような木の根元に身をおさめ、周囲の様子をうかがっていた。空気は涼しいはずなのに首筋や背中には汗が流れていて、自分の身体が緊張していることが分かった。
手の中には、鉄の重みがある。その鉄の塊には部品としての尾筒があり、スライドがあり、グリップと撃鉄があり、引き金がある。
この世界で自分がこんなものを握る日がくるなんて思っていなかった。
遠くのほうで、クロムの叫ぶ声がした。滝の音でもかき消されないほどの声量だ。クロムは、やられてしまったんだろうか。
もしもそうなら残されている人間はあと僅かだ。
奥歯を噛みしめた。
そうして周囲を見回し、細心の注意を払っているうちに、ひとつの音が耳に飛び込んできた。
音を聴くことに集中する。僕がいる岩場の向こう側、滝のほうからやってきて、こちらに近付いてくる。草木を踏みしめる僅かな音。その重みからして背の高い人間だろう。滝音にかき消されそうになるそれを必死に拾い上げながら、どこからきて、どこへ行こうとしているのかを分析している自分がいた。
滝のほうからやってきた足音は、確かに近付いてくる。僕が隠れている岩のほうへと。あまりにも近付かれたら、さすがにここからバレないようにして逃げる術はないかもしれない。どうか、こちらに来ないでほしい。
足音は滝の前あたりまで近付いてきて、一度立ち止まった。あたりに隠れられる場所がないかを確認しているのだろうか。
僕がいる場所は確かに隠れることはできるけど、あまりにも身体が大きければ収めきることはきっと難しいだろう。それに他の木々もあって、そこに隠れる場所があるとは一見して分からない。だから大丈夫だと思って僕はここにいる。もしもそのことに気付かれたら、決着は一瞬でつくに違いない。
やがて足音がふたたび聞こえた。こちらに近付いてくる。自分の脈拍が急激にあがる。
これはきっと、もう助からない。
銃を構えなおした。
途端、再び叫ぶ声が聞こえた。コハクちゃんだった。
さっきのクロムのような単なる叫び声ではなくて、明確に意味ある言葉を口にした叫びだ。
僕の近くにきていた足音が止まる。姿は見えないけど、その叫び声に反応してむこうを向いたのが分かった。
今しかない。僕はさっき構えなおした銃を握りしめたままで、岩場から飛び出した。
そこには自分よりも背の高い人間がひとり立っていた。僕が飛び出したときには顔がむこうを向いていたけど、視界に僕を捉えた瞬間、視線も顔も身体もこちらを向いた。その右手には、僕が持っているものと同じ銃がある。腕がぴくりと反応したけど、僕のほうが早かった。
距離は、三メートル以内。
「Freeze!」
ぴた、と龍水の動きが止まった。僕がむけた銃口の先には龍水がいる。銃を構えかけた動きのまま、それを向けることもしない。
視線が合う。龍水はおどろいた顔のままで数秒、しかし間もなく銃を下ろし、降参を示した。
「驚いたな。貴様がいるとしても、ここではないと思った」
「……、滝があるから?」
「そうだ。音のよくわかる静かな場所で待ち構えていると考えていたが、裏をかいたのだな」
石神村のほうから、タイムアップを告げるためのブザーのような音が聞こえてきた。
「時間だ」
龍水が呟いた。僕も、構えっぱなしだった銃を下ろす。一気に身体から緊張感や力が抜けて、地面に座り込んでしまった。
「ああー……疲れた……」
「生き残ったのはおそらく貴様とコハクだけだぞ。さすがだな」
「ありがと……」
龍水が手をこちらに伸ばしてくるので、それを握って立ち上がらせてもらった。
「三千七百年ぶりにやったサバイバルゲームの感想はどうだ?」
「サバゲーは初めてだよ」
「それで?」
「……。僕、かなり強いと思う」
思ったことをそのままいうと、龍水は声をあげて笑った。
サバゲーの発案は陽だった。たまには遠慮なく銃を撃ちたいと言い出した。カセキに頼んで実弾の代わりになるプラスチック弾をつくってもらって、ここまで出来るならサバゲーをやろうと言い出した。
そもそも司帝国時代が相当なサバイバルだったからゲームも何も無いんだけど、こういう娯楽が復活するくらいにはサバイバルが過去のものになりつつある。
それでも必要以上に真剣になってしまい、身体に緊張が走るのは、職業病でもあるし性格でもある。
きっと僕はこういうのに強いんだろうと素直に思った。サバイバルが完全に過去のものになって、銃がこうして競技のための道具として収まっていれば僕としては言うことはない。早くそういう時代になればいい。
「Freeze」
「ん?」
龍水が呟いた言葉に、視線を上げた。
「最後。貴様がまっすぐこちらを見てそう言った時、なかなかにしびれた」
やけに真面目な顔で、だけど笑って言われて、僕はやっとさっきの自分を思い出した。
「それは……なにより」
「しばらく忘れそうにない」
「そんなに?」
「そんなにだ」
どうやら龍水は満足らしい。僕はいったいどんな顔をしていたんだろう。気になったけど、訊くとなにを言われるか分かったものじゃないから、それは自分のなかに仕舞い込んでおくことにした。