『ティータイム』 科学王国の人たちは皆一様によく働く。狩りをする人も見張りをする人も、ラボに籠る人も、役割は違えど働き者という意味では同じだった。サボり癖があるとしばしば言われる銀狼も、なんだかんだで引っ張られて役目を果たしている気がする。自分のやっている仕事が終われば、終わっていない人たちに声をかけて手を貸し、また仕事をする。日が沈むまでにその日やるべきことを終わらせて、夜になったら食事をとって、団欒を過ごしてよく眠る。翌日の仕事に備えるためだ。
科学王国の人たちは皆一様によく働く。龍水は、そういう働き者たちに比べるとずいぶん遊んでいる。少なくとも自分ではそう思っていた。するべき仕事はするのだが、とにかく娯楽が好きだ。仕事の合間にもちょっとした娯楽が欲しいし、なんなら仕事と娯楽の境界線があいまいになることすらある。天気がよければ外に遊びにいきたい、雨が降ればボードゲームに興じたい、翌日が休息日ならば寝るのを忘れて楽しみたい。不規則な生活が続けばフランソワの小言が待っているので程々にするが、それでも大目に見てくれる日はある。
龍水は自分の部屋にいた。
夜更けはとうに越えた時間、静まりかえった眼下の森と、そろそろ沈みにゆきそうな霞む半月を窓辺から眺めて、ゆっくりゆっくりと過ぎる時間のなかにいた。明かりは絞っていて部屋は薄明るい程度だが、テーブルには少し前に飲みきって空になったティーセットが残り、ふたつあるカップの淵だけがほっそりと光る。いつもであればフランソワが片付けにくるのだが、今日はそのままだった。絞られた明かりは、そこにある残されたカップに加えて、部屋の一角にあるベッドの、人ひとりぶんの布団の山をそれなりに照らしていた。自分の部屋にそういう景色があるのは新鮮で、龍水は先ほどから動かない部屋の様子を何回か眺めている。
ベッドはひとりぶんの大きさしかない。頑張ればもうひとりくらいは入り込めるかもしれないが、もしも自分がそうしたら、今ぐっすりと眠っている人を起こすことになるのだろう。それならば別にもうしばらくはこのままでもよかった。
仕事を片付けた羽京がやってきて、仕事とも趣味ともつかないよう話を、とりとめもなくしていたのが二時間ほど前だった。羽京は、クロムと一緒に狩猟にいったことを話して、次に子供たちに文字の読み書きを教えたことを話して、さらに千空に声をかけられて船の設備の調整を手伝ったことを話して、最後にそれらが今日一日であったことなんだと話した。よく働く科学王国民のなかでも羽京はとくによく働いているようだった。望んでそうしているのかは知らないが、とにかく相談をされやすい立場であることは間違いない。
そうした羽京の話を聞きながら、娯楽というものに興味はないのか、もっと遊びたいと思わないのだろうかと龍水は珍しく心底不思議に思った。
疑問に感じたことを疑問のままにしておく龍水ではない。羽京にそのまま問いかけてみた。
そうすると羽京は、ちょっと黙って目を丸くして、それこそ、逆に不思議そうな様子で龍水を見つめ返した。
「どうした」
「……」
羽京は一瞬目を伏せた。そして静かに笑い、
「なんでもない」
とだけ返した。龍水からの問いかけには返事をしなかった。
しばらくしてフランソワが部屋にやってきて、ふたりぶんのお茶と焼菓子と置いていった。話し込んでいる声がフランソワのところにまで届いていたのかもしれない。
普段であれば羽京も龍水も就寝の時間だというのに、そのタイミングで運ばれてきたものだった。羽京がびっくりした様子でフランソワを見ると、普段と変わらない様子でフランソワが答えた。
「羽京様も龍水様も明日はお休みと聞いておりますから」
「……言ったっけ?」
「そう聞いておりますから」
フランソワが退室したあと、羽京の視線は龍水にうつったが、べつに龍水だってそれを話した覚えはない。運ばれたラテを口にすると、わずかに酒が入っていた。これを飲み終わったらさすがに寝るように、という意味なのだろう。その日の仕事を終えたフランソワも、レストランの近くにある自身の部屋に戻っていった。
けっきょく飲み終わったあとは、眠そうにしている羽京を布団に押しこんだ。龍水はもう少し起きていたい気分だったから、今もこうして窓辺にいる。
フランソワがどのくらい時刻を正確に把握しているかは分からないが、とにかくフランソワは毎日ある程度決まった時間にお茶を淹れて、龍水のところへ運んでくる。それは昔から続いていることで、石化から復活した今になっても変わらない。そうした時間があるたびに龍水はひととき仕事という渦から抜けでて、今日はいったい何が運ばれてくるのだろうと考える。お茶を飲みながら緊張を一旦忘れ、考えていたことを整理したり、次に欲しい物ややりたいことを考えるのだ。自分のなかにある娯楽の習慣がいったいどこから来たのかと問われると、もしかするとそこからやってきたのかもしれない。
布団の山のなかで、足の先がわずかに動いたのを見た。窓辺から離れてベッドに近付き、眠っているはずの羽京の顔をのぞき込むと、足音で気付いたのかうすく目があいていた。
「……」
「……」
羽京は今すぐにでもまた眠りそうな顔をしている。こちらのことは気にせずに眠っていい、と言おうとしたら、
「……龍水も寝たら」
やっぱり眠気のなかにある声でそう言われた。それから横になっている身体をベッドの奥にずるずる動かして、どうにかもうひとりくらいは収まりそうなスペースを用意した。
「ほら」
当たり前のように一緒に眠ることを促される。だったらいいだろうと判断して龍水も布団に入ることにした。靴をぬいで羽京の靴のとなりに並べて、羽京の隣で布団に入る。遠慮なく半分使わせてもらった。ふ、と羽京が笑った。
「狭いね」
「狭いな」
そのまま笑いながら、一度はベッドの奥にいた羽京の身体が戻ってきた。龍水の身体に自分の肩までぴたりと寄せて、腕はやんわりと背中にまわった。羽京が目を閉じたのが龍水には分かった。このままもう一度眠るつもりなのだろう。珍しい、と龍水は思った。
羽京が布団をしっかり被っているのを確かめて、龍水も目を閉じる。
「龍水」
「なんだ」
「僕にもあるんだよ」
なんのことなのか、龍水はしばらく気付くことができなかった。
寝心地がいいとは言えないだろう。だけど羽京は不快そうではなかった。むしろ今のこの、もう一度眠りにつくまでのわずかな時間を楽しんでいるようにも見えた。
寝息が聞こえ始めた頃になって、ああそうか、と思い至った。
羽京にとってはきっと、この時間がそれなのだ。仕事を終えてここにやってきて、今日あったことを取り留めなく話しただけの、あの時間。運ばれてきたお茶や焼菓子を楽しむひととき。そして狭い布団のなかで、龍水の息づかいを感じながら眠りに落ちるまでのまどろみ。他の誰もが知らない今の時間。
髪にふれた。足を動かすとわずかに絡んで、混ざるというのはこういう感じなのだろうかと眠りにつく前の頭でぼうっと思う。答えのない問いは寝息になって消えた。テーブルに置かれたままのティーセットだけがふたりを見ていた。