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    雨音🌟

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    雨音🌟

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    ワンドロ参加作品。お題「雛形春人」。
    ※死を思わせる描写があります
    タイトル「春を愛した人」から改題

    Remember you. 絵を描いている姿を、見たことがあった。
     ほんの一度。
     絵になど興味は全く無いし、操り人形が何をして生きているかなど、心からどうでもよかった。
     だから、見たことがあるのは一度だけ。
     背筋を伸ばして、キャンバスに向う。
     描いていたのは、確か、よくわからない人物にもそれ以外にも見える何か。
     ただ、その絵の不気味さは震えるほど覚えているのに……何故だろう、それを描く雛形の表情を、少しも思い出せなかった。
     だから。
     このガラスの向こうで己の自画像を描く雛形春人がどんな表情をしているか。
     背を向けている今、自分には少しも想像ができなかった。

     ****

     目を覚ますと、視界に入ったのはあまり見慣れない天井だった。
     人の気配はない。
     時刻は、恐らく深夜だろう。シンと、耳が痛くなるほど、周囲は鎮まり返っていた。
     身を起こさずに、目だけを動かして辺りを探る。
     すぐにそこが、何度か訪れたことのある、銀行関連の医務室だと気が付いた。
     何度か、運び込まれた雛形を見舞ったことがある。
     勝ちはしたものの、無傷では済まず危うく勝利を拾う彼に、世話を掛けるなと糾弾したものだ。
     全く勝手な話だろう。彼はただ、指示に従い……或いは従ったフリをしていただけなのに。
     そこまで考えて、思い出す。
     ガラスの向こう。遠くなっていった声。
     どうしても離れたく無かった俺を、主任が迎えに来て……
    「………痛ぇ」
     把握した途端、鳩尾に走る痛み。
     意識を失わせる為の、容赦のない一発。
     離れる気の無かった自分を連れて行くためとはいえ、もう少しやりようが……いや、文句を言える立場では無かったけれど。
    「………」
     夜は深く、空気は冷たい。
     空調が効いていないのか? 暖かさは感じられなかった。
     ゆっくりと、寝台の上に半身を起こす。
     今は何月何日か、は、敢えて確認をしなかった。
    「……雛形」
     すまねぇ、とはもう何度も言った。
     だからきっと、更に重ねたところで仕方がない。
     ただ、思う。
     一体、お前は、あのガラスの向こうでどんな顔をしていた?
    「ひながた……」
    「なんだ」
     は? と。
     目を瞬いた。
     今の声は……
    「オレを何回も呼ぶな、土屋田。恋してるのか?」
     そんな、言葉。
     ほんの数日前までの、よく知る気弱そうな男からは想像もできないような。
    「ば……違ぇよ!!」
     だから、なのか。
     うまく状況が把握できないからか、つい、自然と返してしまう自分がいた。
    「当たり前だ」
     さらりと流される。
     暗闇の中から現れた雛形春人は、土屋田のベッドに腰掛けると密かに笑った。
    「……お前」
    「どうした?」
    「お前、なんで……お前、死…………」
    「……」
     言葉はうまく紡げない。
     ただ震えそうになる手を握り締め、一度大きく呼吸する。
    「そうか、夢か」
    「ああ、夢だ」
     あっさりと肯定された。
     目の前の雛形は透けているわけでも天使の輪が頭の上に浮かんでいるわけでもない。
     だから、こそ。
     これが夢だと、理解する。
    「……だよな。夢だよな…………」
    「そうだな」
    「……さいごの挨拶にでも来てくれたのか」
    「どう思う?」
     疑問に疑問で返される。
     この不遜さは、ずっと、見ていなかったモノで。
     従順に従うふりしていたギャンブラーの、丁寧に隠された本当の顔。
    「……俺を、笑いにきたのか」
    「アホが。今更、笑って何になる」
    「俺を恨んで……」
    「………頼みがある」
     すまねぇ、と、あの時のように繰り返しそうになれば、遮るように静かな声。
     お前にしか頼めない、と、その声は続けた。
    「オレの家、知ってるだろ」
    「……ああ」
    「アトリエへの入り方は」
    「知ってる……一回行ったことがある」
     そうだったか? と首を傾げるのに、心の中で「あるさ」と呟く。
     一度だけ。
     アトリエに入ったのも、絵を描くコイツを見たのも一度だけ。
     ああ、何故、もっと見ておかなかったんだろう。
     そうすれば……或いは、もう少し早く。この顔に気が付けたかもしれないのに。
    「まぁいい。その中に、製作途中の絵がある。部屋の真ん中にあるからわかるだろ」
    「……?」
    「途中なんだよ。お前、完成させろ」
    「………っは!?」
     思ってもいなかったことに困惑する。
    「いや、無理に決まってんだろ? 俺に絵は描けねーよ」
    「絵なんか描かせるか」
     慌てて拒否すると、よく分からないことを言い切り捨てられる。
    「サインだよ」
    「サイン」
    「絵を仕上げ、最後にサインを描く。ただ、今描いていた絵は、サインを入れる前に家を出る時間になってな」
    「……」
    「帰って書くつもりだったんだ……お前なら、筆跡くらい分かるだろ。書いとけ」
    「……いや、書いとけ、つってもよ…………」
     反論は、静かな眼差しに遮られた。
     頼むよ、と。囁かれる。
     もう、お前しか居ないんだ。
     オレはもう、ペンも筆も握れないのだから。
    「……わかった」
     熟考の末、頷いた。
     下手くそでも我慢しろ、と言うが、即ふざけるなと却下された。
     せいぜい丁寧に書けよ、公式にはオレの遺作だぞ、と、笑われる。
     なら俺に任せるなと返し、二人、しばらく笑った。
    「……なぁ、雛形」
    「なんだ」
    「スマネェ」
    「それは、何回も聴いた」
     にべもない声。
     でも何回でも、言わずにはいられなかった。
     さて、と。
     雛形は立ち上がる。
     逝くのか? と。或いは俺が夢から覚めるのか? とは訊けなかった。
     ただ、突然全てが古いテレビのように……或いは蜃気楼のように、乱れる。
     溶ける。曖昧になる。
     気配が遠のく。
     消える瞬間確かに……「頼んだぞ、天才行員」と。
     笑う気配だけがした。

     ****

     数日後。
     土屋田は、雛形宅にいた。
     以前から預かっていた合鍵を使い中に入れば、主を失った部屋はすっかり静まり返っていた。
     廊下を歩き、奥へと進む。
     本棚の間、よく目を凝らせばわかる、小さな扉。
     開けて、中へと入る。途端肌に触れる、締め切った部屋特有の空気。
     鼻腔に触れる、油と絵の具の匂い。
     散らばる画材と、重ねられたキャンバス。そして、何枚もの絵。
    「……」
     あの日の夢を、思い出す。
     あれは、あくまで夢だ。
     或いは土屋田の願望が見せた幻に過ぎない。
     頭ではそうわかっていて……けれど、どしても「頼んだぞ」という声が忘れられず、こうして来ていた。
     さて。
     その夢の中で言われた通り……部屋の中央に、絵はあった。
     おそらく、完成はしているのだろう。
     土屋田の目にはそれはカタチのない落書きのような物にしか見えず、判断は難しいけれど。
     ただ確かに、他の絵と比べてみれば、その絵だけサインが無かった。
     辺りを見渡して、筆を手に取る。
     確かこれが最後のサイン用だと、以前に何かの弾みに聞いた気がした。
     絵に向き合い、長く、息を吐く。
     そして息を止め、そっと『Hina』と記した。
    「……何が筆跡知ってるだろ、だよ。アルファベットじゃねえか」
     確かに名前を書くところは見たことはある。でもサインじゃないだろう。『雛形春人』の漢字四文字だろう。
     文句を言ってやりたいが、受ける相手はもういない。
     筆を置き、もう一度絵を見る。
     そして、気がついた。
    「……ああ」
     これは。この、何を書いているか分からない。ただ、土屋田の目には酷く『恐怖』に見えたソレは。
    「……オレ、か。雛形…………」
     自称天才行員を散々弄んだ後の、これが、彼のイメージか。
     自分は、最初から、スゲェやつじゃなかった。
     それを。雛形春人は、ずっと誰よりも知っていた。
    「……そうか」
     スマネェ、と。言いたくなるのを堪え、土屋田は絵から離れた。
     サインを刻んだことで、この絵は完成した。
     それは正しく、自分にしかできなかったことで。
     ここにこの絵があることすら……もしかしたら、他の誰も知らないことで。
    「俺は、覚えてるよ」
     ここに、絵があること。
     お前が描いていた日のこと。
     雛形春人が、どんな人間で、どんなギャンブラーだったのか。
     ハリボテの『凄い人』でしかなく、何も、気がつけなかった自分だけれど。
     それだけは、誰にも譲れない。
     静かにドアを閉め、土屋田はアトリエを後にした。

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