星を探して「あれ? 一誠、どうした?」
深夜のファミレス。
ドリンクバーから席に戻った星一誠に、御手洗暉は声をかけた。
手渡されるグラスを、ありがとうと受け取って。中身は、頼んだ通りの烏龍茶。
対して一誠は、シュワシュワ泡の立つ透明なドリンクに満たされグラスを携えていた。彼がよく飲んでいるセブンアップ………にも、見えるのだが。
「……無い」
「あ?」
「セブンアップが、無いんです」
「はぁ?」
分かりやす過ぎるくらい分かりやすく落ち込みながら、御手洗の向かいに腰掛ける。グラスを両手で持ち、口付ける。
「それは、違うのか?」
「……これは、スプライトです」
「スプライト」
ちみちみ飲みながらの言葉を、繰り返す。
スプライトなら知っている。レモンライム味の炭酸。いやそういう意味では、セブンアップもレモンライム味だと言ってなかったか?
「……違うのか?」
「違いますよ!」
反論は、鋭かった。グラスを叩きつけ……るような所作に見せて丁寧にテーブルに置き、フレームレス眼鏡のレンズの奥から、薄茶の目がこちらを見据える。
「ボクが愛するのは、セブンアップです。スプライトはこう、なんというか。炭酸が若干キツめ、と言いますか」
「……うん?」
「ボク、炭酸あんまり得意じゃないんですよ」
「は?」
いやいきなり何を言ってるんだ? 僕の家に今、あの緑の缶が何本あると思ってる?
「だから、セブンアップくらいの炭酸が、ちょうど良くて……」
「なるほど……? て、ストップ一誠」
「なんです?」
「なんで僕のオムライスのお皿にニンジンのグラッセが乗ってるんだ」
「……オマケでしょうか?」
「アンタのだろ!」
グラスに視線を引き付けている間に、嫌いなものを他人の皿に移す。何故こんな所で妙にギャンブラーっぽいスキルを無駄遣いするのか。
「バレてましたか……」
「当たり前だろ」
むしろ、どこにバレない要素があると思うのか。
共に何度か食事を摂る内に気が付いたが……この男は、意外と嫌いなものが多かった。
「嫌いではありませんよ。無理をすれば食べられます」
「はいはい」
相変わらずの思考を読んだような言葉には、適当に相槌を返す。まったく……ギャンブラーという人種は。ちっとも……『らしく』ないくせに。
眉を寄せて人参のグラッセを見つめる姿を正面から眺める。どれだけ食べたくないんだ。
苦笑していれば……良いこと思いついた。という風に、表情が動いた。
「では、こうしましょう」
「なに」
「ここに、コーンがあります」
「一誠のハンバーグの付け合わせな」
ハンバーグやステーキの付け合わせ野菜にありがちな、黄色いアレだ。どちらかというと、嫌いな人は少ないようにも思えるが……
こちらのツッコミは聞こえていないことにしたのか。滑らかな口調で、説明が続けられる。
「コーンを交互に食べます。食べる数は一個~三個とします。最後の一つを食べた方が負けです」
「はぁ?」
「負けたら……グラッセを食べる、ということで」
「なんでだよアンタのだろ僕に得ないだろ、どうせアンタは毎回一粒しか食べないつもりだろ。というか、そうやって殆ど僕に食べさせるつもりだろ!」
「バレましたか」
「当たり前だ!」
言い返し。ちら、と、コーンに視線をやる。数を数えて、頭でシミュレーションをするのに、三秒も必要ない。
「八手目で、僕の勝ちだ」
「……おや」
「コーンが二十九粒。アンタは常に一つ。それなら、やらなくてもわかる」
「数字では、アキラくんは騙せませんね」
「騙そうとするなそもそも」
嘆息してみせるも、相手は全く気にしていないようで。テーブルの隅のメニューを手に取って開きながら、こちらを見てきた。
「じゃぁ、勝ったアキラくんに、賞品です」
「?」
「どっちが好きです?」
「なにが」
「チョコとイチゴ」
「………チョコ」
答えを聴いて、満足そうに唇の端を上げた一誠が、店員を呼ぶ。何やら注文し、店員が去ったのを見送ってフォークを手に取る。如何にも気分が進まない……と、いう風に、コーンに突き刺す。
「一誠って」
「はい?」
「甘い物は好きだよな?」
「はい、とっても」
「コーンもグラッセも、甘いだろ?」
「……甘い野菜は好きじゃないんですよ」
「へー?」
不満そうに、それでも綺麗な所作でコーンを食べ終え、人参のグラッセを口にする。
その表情が、まるで母親に見張られながら、無理して嫌いなものを丸呑みする子どものようで。
なんでそこまで嫌いなのに最後まで残すんだ……と、呆れながら。ふと、あることに気が付いた。
「なんです?」
「え」
「いや、ボクの顔を見てくるので」
指摘されてみれば。確かに随分と、熱心にマジマジと観察していた気がする。
「何かありました?」
「いや、なんか。なんて、いうんだろ……?」
「はい?」
「わかりやすい」
「は?」
不思議そうに、小首を傾げられる。その態度も、表情も……そう。とても、『わかりやすい』。
あの、川辺での花火の夜から。だろうか。
いや。それまでも、彼は決して無表情ではなかった。いつも、穏やかな微笑を浮かべていた。
けれど。今は、それだけではなくて。
セブンアップが無い、としょんぼりする。
グラッセを食べたくないと不満顔になり、さすが、と上機嫌で笑う。
全てが、『そのまま』なのだ。
なんとなくそれらを言葉に変換して説明してやれば、「ああ」と頷き、ギャンブラーは笑った。
「吹っ切れた、と、いうやつですかね」
「吹っ切れた?」
「楽しくて」
「楽しい」
「ええ」
頷く。
スプライトを一口飲み、僅かに眉を寄せてから、微笑む。
「初めてなんですよ」
「……」
「深夜のファミレスも。自転車の二人乗りも。オセロやトランプみたいな遊びも。
そうですね……誰かの帰りを待つのも。人の分の食事を作るのも。社交辞令以外の会話を交わすのも。殆ど、全部」
くすくす、と、笑いながら続ける。
「だから、楽しくて」
勿論、花火も。
そう言って、微笑んだ星一誠は……至って普通の、自分と歳の変わらないただの青年に見えた。
賭博で場合によっては容赦なく人を追い詰めるような人種には、とても見えない。
「……心配ですか?」
「いや。心配、てわけじゃない」
「そうですよね……まぁ。感情なんて、切り捨てれば済みますし」
「は?」
言われた意味が理解できず、目を瞬く。
「ええ。……だから……」
すっ、と。一誠の右手が、己の眼鏡に触れる。その、次の瞬間には。
「……」
表情は、何も、変わっていない。相変わらず、唇の端に微笑を乗せた、穏やかな笑い方。
それなのに。
何も、その表情からは読み取れなかった。何を考えているのか。何を想っているのか。それが、『何』から出る笑みなのか。何も。
「ね?」
「……ああ……うん」
ふ、と。彼の態度が戻る。今は……そう。グラッセを食べて不満だけど、機嫌自体は悪くない。ということだ。
なるほど……と、感心し。付け合わせを食べ終えたのに『お疲れ様』と笑ってやる。
「でも、いいな、それ」
「はい?」
「感情を、ホイって、切り捨てられるの」
「そうですか?」
「僕は……」
思い出す。真経津さんの後ろで、控えている時。村雨さんにも雛形さんにも叶さんにも……表情を、読み取られた。
自分は弱かった。努力して。全力を尽くして。余計はことばかり考えて、顔に出して。だから……
「……うーん」
対して。一誠は、何やら複雑そうな表情をしていた。どう言葉にして良いか分からない……そんな、顔にも見える。
「……アキラくんには」
「?」
「………キミには、必要ないですよ」
そう言って。“困ったように”、笑っている。
そんな表情なのに、何故だろう……その声音は、祈りのように、聞こえて。
「……?」
「さ、それより。もう一つ、ボクの“初めて”です」
「は?」
タイミング良く店員が現れ、トレーの上のものをテーブルに置く。
その一つを……チョコレートケーキのお皿を、こちらの前に置いてくる。
「ロウソクは、流石に無いんですけどね」
そう、笑ってみせた顔に。「あ」と、声が出た。
「……アンタ……今日、知って……?」
六月十八日。
今日が、御手洗暉の誕生日である。と、いうことを。
「ほら、ワインもありましたよ。ファミレスって、意外と色々あるんですね」
「いやいつのまにワインまで頼んでたんだよ」
「帰りはボクが運転しますから」
「アンタは飲まないのか?」
「ボク、お酒は全く飲めないんですよねー」
こっちで充分、と笑う彼の手元には、いつのまにかチョコシロップのかかったバニラアイスが届いていて。
ほらほら、と瓶の口を向けられるのに……‥苦笑して。グラスを、持ち上げた。
***
「さすがに飲み過ぎじゃないですか、アキラくん……」
確か、明日も仕事の筈だが。
そう呆れた視線を向けた先の御手洗は、随分と危なっかしい足取りで店を出たところだった。
まだ、意識ははっきりしている? いややや怪しいか? くらいの状態のようで。前後不覚、というほどではないから、まだなんとかなる。だろうか。
いやでも、明日からは特に忙しいと言ってはいなかったか?
「いっせー」
「はいはい。なんですか? アキラくん」
「いっせーは、いつ?」
「何がです?」
「たんじょーび」
思わぬ言葉に。無意識に、眉が跳ねた。
それを悟らせないように……眼鏡を押し上げながら、平静な声で答える。
「七月の二十五日です」
「じゃ、その時はお祝いするな」
「…………まだ一か月以上ありますよ」
それまで居候していても良い。とでも、言うつもりなのか。
呆れながら。ケーキはどんなのがいい? と訊ねられるのに苦笑する。
「おめでとう、て。言ってもらえたら、それで充分ですよ」
囁くような声音で、答える。
それを、最後に誰かに言ってもらえたのはいつだったか。そんなこと、もはや記憶の片隅にさえ存在していなかった。
「ん、わかった」
「はい?」
「言う」
顔を見れば、御手洗の意識はだいぶふわふわしているようだった。これでは、今の会話もどれほど覚えているのか、怪しいものである。
それに、少し呆れ。呆れたまま、ふと、空を見上げる。
視線の先には、この都会の空でも、確かに光を届ける眩い星があった。
「……」
見つめながら。いつのまにか目の端に滲んでいたものを、親指で拭った。
「さて。帰りますか」
「そーだな」
「帰りは、ボクが運転しますよ。モチロン」
「頼んだ……」
差し出されるキーを受け取り、御手洗の車へと向かう。
後ろからついてくる足取りには若干の危なっかしさは見られるが、歩くのに支障は無さそうだ。
「明日、朝ごはんは準備しておきますから。ちゃんと、食べてってくださいよ」
「ん……わかってる」
素直に頷くのに、クスッと笑う。
「目玉焼きって、アキラくん何かけます?」
「塩」
「……塩」
「アンタは?」
「ボクは……」
答えながら、考える。
毎日が、楽しい。楽しくて……楽しい、という感情を、自分は『知って』しまって。
いや。
与えられたのだ。この、賭場の一等星に。
空っぽの『自分たち』を、その光で惹きつけてやまない、スタープレイヤーに。
だからこそ、願ってしまうことがある。
ギャンブラーと銀行員。
生命と金と己を賭ける、あの場所に置いて……決定的に、立場が違う自分たち。
そんなこと、何も関係なく。ただ……友、と。呼べたらよかったのに。