ホットサマーアンドモーニンググローリー「お母さん、行ってきます!」
「いってらしゃい。暑いから気を付けるのよ」
「大丈夫!」
心配症なお母さんの言葉に応えて、私は家を出た。途端に、痛いくらいの日差しが目や肌に突き刺さってくる。
暑い。
ほんの少し、くらり……とした感覚がして、慌てて日傘を刺す。
今年の夏は、例年にない暑さだって、確かニュースで言っていた。
子どもの頃も夏は当たり前みたいに暑かったけれど、だんだんと、暑くなってきてる気がする。
嫌だなぁ……暑いの嫌いだなぁ。
塾なんか行かないで、クーラーの効いた涼しい部屋で、ゲームしたり冷たいものを飲んだりしていたい。
でも、そうも言ってられないな……
「暑い………」
諦めて歩き出したけれど、ふと、目の端に紫色の花が見えて、私は足を止めた。
お隣のお家。
庭の窓の近くに置いてある、緑のプラスチックの植木鉢。
中の土に突き立てられた棒と、それに絡まる緑のツル。
咲き誇る、丸い、大きな、紫色の花。
朝顔。
たぶん、隣のお家の、小学生の子が学校から持って帰ったものだと思う。
私も、朝顔を育てていた。小学生の頃、学校の課題で。
とても、綺麗に咲いた。
たぶん、クラスで一番綺麗だった。
だって………
「先生が、そう言ってくれたもんね」
くすり、と、小さく笑う。
けれど同時に、少しだけ、ちくりと胸が痛くなった。
朝顔を見る度、思い出す人。
小学校の頃、大好きだった先生。
うさぎのサスペンダーが可愛かったな、て、思い出す度に思う。
「……せんせい」
あの頃、お母さんが、少しだけ怖かったことがある。
誰にも相談できなかったけれど……私を見る目が冷たくて。
たくさん勉強してもテストの点数か上がらない私を、時々ビックリするくらい冷たい目で見てた。
そんなお母さんは、夜に派手な化粧でお出掛けして、朝まで帰ってこなかったこともある。
あの頃は、子どもだから分からなかったけれど……今なら、あの頃のお母さんが何をしていたか、なんとなく想像できた。
なんで、お父さんがあんなに怒っていたのかも。
でも……
「ね、先生」
ある日。お母さんが、怪我をしていた。
階段から落ちた、て、言ってたけど……たぶん、違う。
「私、知ってるんだよ?」
あの日、お母さんが学校に来てたこと。
怒っていることがわかったから、近付けなくて……廊下の端っこから、お母さんと先生が応接室に入って行くのを見てた。
何を話しているのかなんか、分からなかったけれど……お母さんが、何か、先生に怒鳴っているのはうっすらとだけどわかってた。
そんなお母さんが、本当に怖くて……怒鳴られてる先生が心配になって。でも、身体が動かなくて。
そうやって震えてたら……大きな音がたくさん聞こてきて、また驚いた。
怖くて怖くて、私は何も見てない!! て、そう思うしかなくて。くるって背中向けて、そのまま、お家に帰ってきた。
ただ。
帰る時、一言だけ、聞こえた。先生の声。
「美斗さんが育てたアサガオは、クラスで一番立派に咲いたんですよ?」
今思い出して考えても、なんでこの声だけ? て、不思議で。
だからもしかしたら、気のせいかな? とか。記憶を作ってるだけかもしれない、て、思うことだってある。
でも……きっと、先生は褒めてくれていたんだ。
だって、その日から、お母さんはまた優しくなったから。
夜に出かけるのもやめて、テストの点数も褒めてくれて。朝顔も「綺麗ね」て、言ってくれたから。
「……あ。大変!」
朝顔を見て懐かしくなったから……思ったより、ゆっくりしてしまった。
急がないと、電車に乗り遅れちゃう。
パタパタと駅に向かって駆け出して。けれど朝顔が、頭の隅っこで、ずっと咲いていて。
「ね、先生」
先生。
眞鍋先生。
眞鍋コタロー先生。
私、知ってるよ。
お母さんが優しくなったのも、私をまた愛してくれるようになったのも、先生のお陰でしょ?
あの頃……今日みたいに暑い夏の日。突然、先生は居なくなってしまったけれど。
行方不明、て、大人たちは言ってた。
根拠なんて無かったけれど……何も分からなかったけれど、「もう会えない」て、それだけは、なんとなく分かってた。
コタロー先生。
先生は、私の、ヒーローだった。
今私、教育大学を目指してるんだよ。いつか、私も先生になる。
先生みたいになれるか分からないけれど……子どもたちを笑顔にできる先生になれたらいいな、て、思ってる。
あの時の、先生みたいに。
「コタロー先生」
あの時、子どもの私を、たくさん褒めてくれてありがとう。
今でも、先生のことが大好きです。