「あ、」
コックピットで機材の最終チェックを終え、出発を待っていた風信は、その声に隣を見た。
副操縦士の南風が、手に持ったサングラスをいじっている。
「どうした」と覗き込む。その手の中のサングラスは片方のつるが外れていた。
「壊れたのか?」風信が聞くと、南風は気まずそうな顔をした。
「その、昨日うっかり踏んでしまって……。でも、つるが外れただけだったので、テープで巻いてみたら直ったかと思ったんですが」
目を近づけて、うーんと唸る。「やっぱりダメだったのかも」
「予備は」風信が聞くと南風は、そのぅ、と言葉を濁す。「……ロッカーに」
「おい」
風信の顔を見て、南風の表情がわずかに固まる。
「お前、これはカッコつけるための小道具じゃなくて、上空では必需品だぞ」
「……はい」南風の顔が下がる。
もちろん、もう取りに戻る時間はない。
「あの、なんとか直します…!」
南風は横に置いた鞄を開け、中を覗き込んだ。「絆創膏かなにかあるはず……」
その体から焦りが見えて、風信は小さく溜息をついた。これからのフライトには、平常心を保ってもらわないと困る。
風信は自分の鞄を開け、中から眼鏡ケースを取り出すと、なおもあわあわと鞄を探っている南風の肩を叩いた。南風が体を起こして横を見る。
「使いなさい」
「えっ、これは機長の……?」「予備だ」
おずおずと南風が手を出す。「……いいんですか?」
「ああ。安全な運行のためだ」
「……ありがとうございます」
南風は、焦げ茶色の革のケースを開けて、繊細な壊れ物を扱うようにそっと中のサングラスを取り出した。
「しばらく使ってないから、曇ってたら拭いてくれ」
「いえ」南風は恐る恐るそのサングラスをかけた。風信がちらりと横を見る。
「よく似合ってるぞ」
風信の笑顔に、南風の表情の強張りがとける。
「向こうに着いたらすぐに買いに行くんだぞ」
「はい」
「こだわりとかあるのか?」風信が聞くと南風は首を振った。
「いえ、特には」そう言ってから付け足す。「でも……機長がいつも使っているの、いいなぁって」
「そうか?」風信が驚いたように眉を上げて笑う。
「別に変わったのじゃないけどな。どこでも売ってるブランドだ。これから行く町にもあると思うぞ」
管制から連絡が入り、風信は天井のスイッチを操作し操縦桿に手を置いた。そして前を見つめたまま言った。
「一緒に買いにいくか」