魔術師の話「例えば」
朱い装束に全身を包んだ魔術師は、徐に立ち上がると右手の指を鳴らした。指先に至るまで複雑な魔術紋様に覆われた指の、黒く塗られた爪の1センチかそこらか上に、ボッと赤い炎が灯る。
次いで、空の左手が空を撫ぜた。それだけで空間に現れたポケットからポトリと落ちてくるそれを、器用に手のひらが掬っていく。指先が開かれた時、その内には安っぽいガスライターがあった。
カチリと音が鳴り、赤い炎が灯る。
「火が点きましたね」
「はあ」
「さて、ここにどんな違いがありますか?」
子供に問うような口調で尋ねられたので、スターゲイザーはフードの下でムッと唇を尖らせた。それくらいは答えられる。
「アプローチの違いだと?」
「素晴らしい、良くできました!」
ぱちぱちぱち! と手が打ち鳴らされ、放り捨てられた百円ライターが地へ落ちる。もちろん火がついたまま。スターゲイザーはギョッとしたが、彼が手を伸ばすより先に、空間に開いたポケットの中にライターは飲み込まれ消えていった。息を吸うように行われる高等魔術の数々に、憧れと苛立ちの双方が同時に胸に湧く。敢えて見せつけているのか、無自覚故の残酷なのか、ウェイ=ファーと名乗るミスティックの天秤がどちらなのかは測りかねた。
スターゲイザーの胸中の煩悶に興味など無いのだろう。ウェイ=ファーは再びハンマースペース(文字通りの!)から取り出した小型の黒板に、白いチョークで文字を書き記す。慣れた様子でさらさらと描かれるそれが化学式であることに気付き、少しばかり瞠目する。
「卑金属を金へと変える、それこそが最も原始的な錬金術の目的というのは言うまでもありません。その過程に於いてさまざまな発見があり、発明があり、錬金術という言葉の定義もまた拡大されました。そして今日の科学は、目的だけをとらえるならば、この錬金術を再現可能な域にまで辿り着いています。水銀の同位体に中性子線を照射して原子核崩壊を起こす方法ですね、まあ採算は合いませんが」
複雑な化学式を書き終え、手にしたチョークに吐息を吹きかける。それだけで彼の手の中に収められた炭酸カルシウムの塊は、鈍い光を放つ黄金へと変わった。
「ね、同じでしょう?」
「くっそ、認めたくねえ」
堪えかねた悪態を吐けば、魔術師はクスクスと密やかに笑いを漏らす。そのまま手にした黄金と黒板を放り捨てた。虚空へと消えていくそれも、結果だけを見れば、現代科学での再現は可能だ。結果だけを見れば。
認めたくはないが、事実では在る。だからこそスターゲイザーはそれを模索する道を選んだのだし、今も探求の中に在る。
「かつて錬金術と呼ばれた魔術は物理学や化学へ。占星術と呼ばれたそれは天文学や気象学へと変わった。同一の世界の側面を異なるアプローチで拓いているだけというのは、あなたもとうにご存知なのですよね」
「あーあー、そうだよご存知だよ。でも違うんだよ、俺が言いたいのはだな」
「憧れますか? 魔法使い」
「ぬアーッ!!!!」
「うふふ、いいじゃないですか。憧れは全ての発明の良き友人です。私は応援しますよ、あなたみたいな人のこと。今度はそちらのお話し聞かせてくださいね」
真正面から褒められてしまえば言葉に詰まる。皮肉の一つや見下しの驕りでも交えられていれば返す言葉もあったが、子供の内緒話でもするかのように返されれば毒気が抜かれてしまう。スターゲイザーはしばし内心を見通された羞恥に頭を掻きむしり、ウェイ=ファーはニコニコとそれを見守っていた。
しばしの休憩の後、インタビューは仕切り直される。手の中のタブレット、その画面の録画ボタンをタップし、スターゲイザーは質問を再開した。
「仕切り直そう。かつて魔術は世の真理であり、科学は魔術の中から生まれたものだった。その後、一度は科学が世界を斡旋し魔術を駆逐したが、今となってはその二つに違いはない。目的に至るための最短経路、それを探るアプローチの差があるだけだ」
「ええ、そうですね」
「あんたはその流れに思うところはあるのか? 古くから生きてる魔術師には科学嫌いも多い。俺のやってることはあんたたちにとって冒涜になるかもしれんぞ」
科学で魔術を再現するというのは、つまりそういうことだ。一部の者達にのみ限られていた特別を、万人が扱える常識へと形を変えることだ。スターゲイザーの使う魔術(そう! 魔術だ。そういうことにしている)は、理屈さえ知れれば恐らく、万人が再現可能なものだ。ただ、それを成すには恐ろしい手間と、時間と、頭脳がいるというだけで。
錬金術と核反応と同じだ。ただ、採算が合わない。だが裏を返せば──問題はそれだけなのだ。
正直なところ、スターゲイザーはそれがちょっと嫌だ。自分が作っている癖に何をと言われるかもしれないが、魔法は魔法であってほしい。だから彼はあくまでミスティックを自称するし、自分の扱うそれらを魔術だと主張する。
例えば遠い未来で、自分のこれらの発明をきっかけとして、魔術と呼ばれるものを万人が利用できるようになったなら。多分それはスターゲイザーが憧れた魔術ではないのだと思う。百円ライターを押したら火が出る、そんな気楽に使える普遍的な何かに変わってしまうのだ。それがスターゲイザーにはちょっと嫌だ。だってそれはラベルを張り替えただけの別物ではないか。
例え得られる結果が同じでも、アプローチそのものに価値と意味がある。ウェイ=ファーはそれを憧れと呼んだ。否定はし難い。否、出来ない。
少し考えるような素振りを見せたのち、ウェイ=ファーは口を開いた。
「深淵を覗いたと思えども宇宙の真理に至るには未だ遠く、宇宙の真理に至ったと思えども世界の真理には未だ遠い。然れば世界の真理に至ったとして、その先が在るのは想像に難くありません。我々は無限の探索を続ける旅人。その無限の連なりに絶望を抱くか、果てなき旅路への好奇に狂喜するか。いずれであっても歩みを止めないのであれは、それは旅を続けるに足る理由」
「……つまり?」
「科学風情が魔術に追いつくことは絶対に無いので心配しなくても大丈夫ですよ」
「それはそれでムカつくぞ!? ていうかアンタ実は滅茶苦茶傲慢か!?」
「冗談ですよぉ〜」
ケタケタと笑う声は、先程までの無邪気ぶったものとは違う。明らかなからかいを含んだ声だ。遊ばれているのだと察し、スターゲイザーは呻く。こちらは真面目に聞いたというのに。
ひとしきり笑い終えたのち、ウェイ=ファーはあっさりとスターゲイザーの問いに答えた。
「私は目的のためなら手段を選ばないタイプなのでどっちでも良いですね。バイクはカッコいいですし、ルンバは可愛いです」
「だったら最初からそう言えば良いだろ…」
「若人が悩んでるようだったので、構って差し上げたくなって、つい」
くそじじいめ。喉まで込み上げた悪態を飲み込んだ。四桁を超える歳月を生きるミスティックからしてみれば、己は確かに、子供にも足らぬ存在だろう。
スターゲイザーの質問は進み、ウェイ=ファーは答える。傲慢なのか、無邪気なのか、曖昧な言動からは彼の本性がいずれであるのかを秤りかねたが、問いに答える言葉はどれも理路整然としており、分かりやすかった。恐らくは彼自身が、そうして一つ一つを身につけてきたのだろうと、スターゲイザーに察せられる程には。
質問は終わり、録画を止める。最後にこちらに訊きたいことはあるかと問えば、ウェイ=ファーは蒼く燐光する眼差しをまっすぐにスターゲイザーへと向けた。
「ねえスターゲイザーさん、魔術師になりたいですか?」
「…………」
問いの意味をはかりかね、フードの下で眉を顰める。無言を促しと取ったか、ウェイ=ファーは続けた。
「あなたが本心からそれを望むのなら、お手伝いも出来ますよ。私は頑張る人を応援するのが好きですから。知り合いにも力になってくれそうなアテはありますし、不可能ではないでしょうね」
どうします?
顔の大半を口布で覆い、素顔隠しの魔術で顔を隠した魔術師の考えは読めない。それが言葉通りの意味であるのか否か、それすらも。
問いに対する答えなら、もちろんイエスだ。その憧れだけを動力にスターゲイザーはここまできた。けれど後続の言葉に対してであれば……。
言っていいのか否か、迷った。得難い機会かもしれない、とも思った。
だが……。
「自分のやり方で勝手になるから、結構だ」
「なるほど、素晴らしい。応援してますね」
ウェイ=ファーはそう言って、また笑った。
やっぱり本心はよく分からなかった。
胡乱だなあ、と、スターゲイザーはしみじみと思った。
「ちなみに知り合いって誰?」
「ギガフロストさんという方で、いやあまるで他人とは思えないほど意気投合し」
「インタビューは終わりですありがとうございました帰りますさよなら」
スターゲイザーはG6の会議室から飛び出した。
【了】