あなたがすべて 2 アズール・アーシェングロットの観察。
一、人に見られていると思っているときの言動は若干権威主義的、あるいは威圧的になるようかなり慎重にロールプレイをしているらしい。
これは時折一人で休憩をしている所をこっそり観察して気付いた。コーヒーショップで一人で過ごすときが偶にあるようだったが、その時の彼のフラットな仕草は元々威圧的な人間のそれとは異なる控えめな所作が見受けられた。性根は案外大人しいところがあるようにも見える。
二、好奇心はかなり旺盛のように見える。ビジネスのチャンスを得ようとしている面もあるが、単純に自分の興味を引くと立場などは一旦置いて真面目に聞く面がある。趣味の話題でメンバーの話を聞いているときなども、教わる役に徹することも余り気にしないようだった。
そうして、基本的に理不尽な力による押さえ込みをしやすい権力側にありながら、彼はどうもそういうものを無能な人間のすることと考えている節があった。
いつもの獲物を探すときなら、そろそろ彼の家にでも行ってみるのだが、ジェイドはひとまずそれは止めることにした。自分から土足で踏み込むのは頂けない。きちんと彼が自分から招いてくれるほうが絶対に良い。
何しろジェイドにとっては初めての経験である。慎重に着実に彼との距離を詰めなければならなかった。
そんな、決意を固めて少し経った頃だった。
「ここの所、随分機嫌が良いようですね」
外部との打ち合わせを終え、ビル群の合間を並んで歩いていると、アズールがジェイドに話しかけてきた。
「そうですか?」
「ええ、そう見えます。何か良い話でもありましたか」
「そういう物は……いえ、まあ無くは無い、ですかね」
ちら、とアズールに目を向けると、彼はそれは良かった、と平然とした顔で答えた。
「プライベートの充実は仕事にもそこそこ張りが出ますからね。まあ、件の彼みたいに大きなミスをしなければ休みについてもそれなりに考慮しますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
捉え方によっては自分との間には何も無いと、彼から宣告されているようなものだ。しかしそれでもジェイドは微笑んだ。体面を保つとか、そういう物では無く。
――今日は一週間平均よりも長く会話している……
と、次元の違う部分で喜んでいたのでそもそも彼は全く気にしていなかった。何しろ彼にとっては初恋。
アズールの顔を見ただけで、彼の視界には薔薇が舞い、髪に煌めきが見えるほどのフィルターがかかっていた。なんであればファイルを手でやり取りしたときにうっかり指先が触っただけで雷に打たれたような衝撃を受ける。たとえそれが静電気によるものでも、彼にとってはもうそういう物に変換されていた。
ふらふらとあちこち出歩いて好きに生きている、彼の兄弟が横に居れば指摘もしようが、今のジェイドにはそれを指摘する人間はいなかった。
「っと、今この時間ですか。少し休憩しますか」
アズールはふと時計を見てから近くのカフェに目をやり、ジェイドに問いかけた。
二人きりでカフェで会話。これほどの機会など無い。
「ええ、そうですね」
表面上は穏やかな笑みのままジェイドは頷いて、アズールの後を付いてカフェに入った。
「こうしてゆっくり膝をつき合わせてというのは初めてですかね」
コーヒーを片手にアズールは問いかけた。
「そうですね。なんだかんだ忙しかったですし」
店は古いタイプの物でこう言ってはなんだがジェイドの身体には少しばかり椅子が小さかった。縮こまって、と思っているとアズールがああ、と頷いて、
「あなたの身体、というより足では窮屈ですね。少しこっちに足を伸ばしたらどうです」
「……あ、いえ……」
アズールもそれなりに窮屈そうである。ここで自分が足を伸ばしたら、それこそ足が絡んだり、触れたりしてしまうだろう。
――それは、それはまだ心の準備が……!
人間への興味がその辺の埃以下だった彼にとって、アズールへの感情はかなりの刺激だったらしい。生娘よりもいっそ敏感かもしれない。
そんなジェイドの葛藤など当然知らないアズールは、ニコニコと出されたコーヒーと、ケーキのセットをジェイドに差し出した。
「ここのケーキはかなり生地がしっかりしてまして。値段もさることながら、クリームも中々良い物を使ってて良いんですよ」
「は、あ……。甘い物がお好きだったとは」
ジェイドは思わず呟いて、手元に出されたケーキを見下ろした。何しろ、彼の食事は普段豆腐やら何やら、意識の高いローカロリーの物ばかりだった筈だ。これも恐らく一部の社員達に誤解を招く原因だっただろう。
そう思って呟いた言葉に、アズールはわずかに拗ねたような顔で
「その……別に食事については嫌いではないですが。仕事の事などを考えるとあまり不摂生をするわけにも行かないですし。何より太りやすい、体質なので」
「ああ、それは」
そういえば彼はここ最近皮膚の炎症というのか、できものが出来たことを気にしてトイレで鏡とにらめっこをしていた気がする。眼鏡をしている姿は当然好ましいが、外していてもやはりその涼やかな顔つきを損なう物では無く――。
「ジェイド、どうしました」
黙りこんだジェイドにアズールが思わず問いかけると、慌てて意識を戻してジェイドは首を振る。
「あ、いえ。別に。良いんですか? こちら」
「ええ、甘い物もそれなりに食していたようですし」
確かに、時折腹を満たすために甘い物を摘まんでいたことはあった。彼はそれを記憶していてくれたらしい。若干舞い上がったジェイドは、そのままごく、と目の前の皿を手にして、シンプルなシフォンケーキを食べ始めた。
「確かに、美味しいですね」
「そうでしょう。案件が上手く行ったときだけ、昼間に一つだけ食べるようにしてるんです」
コーヒーを飲みながら、アズールは自分にも出されたそれを味わうように口に入れた。
「アズールは、コーヒーがお好きなんですか」
「ああ、コーヒーも、と言うところですね。場合によりけりですが。紅茶も好きですが、中々良いところはないので」
「そうでしたか。実は僕、紅茶入れるの得意なんですよ」
ジェイドの言葉に、アズールはそうですか、と意外だったのか瞬きしてジェイドを見つめた。
「なんでしたらごちそうしますよ。僕、自信がありますので。ええ、なんでしたら本格的なアフタヌーンティーも出来ますよ」
と、答えると、アズールはわずかに悩むように黙り、そわそわとカップの縁をなぞった。
「それは、そうですね。アフタヌーンティーは随分前に行ったきりでしたが」
「おや、どなたと?」
「ああ、当時お付き合いしていた方と」
ばき、とカップの取っ手が壊れ、アズールは思わずうわっと声を上げた。
「ちょ、ちょっとジェイド!? カップが壊れてますよ」
「ああ、びっくりしました。こういうことあるんですね」
「不良品でしょうか……」
「いえ、僕ちょっとだけ握力があるものですから」
それのせいですね、と言うと、思いのほかアズールは食いついてきた。
「じぇ、ジェイドも握力が?」
「も?」
「じ、実は僕、いえ、私も少しその……家系なのか……。昔は結構なその……、んん。とにかく、体力を付けようと筋トレをしたところ、全体的には普通なのに何故か腕というか握力はやけに一気に力が付いていきまして。そのせいでカップは割るわ実家の店の備品を壊すわで大変な事になって……」
はあ、とため息をついてから、アズールは店員に声をかけて、カップが壊れたことを伝えて交換を依頼した。恐縮そうに頭を下げる店員に、アズールは人の良さそうな顔でニコニコと手を振り、去ってからジェイドに向き直った。
「そうでしたか。実家は店を」
「ああ、ええ。リストランテです。ふふ、身内のひいき目、とは言いますが結構それなりですよ」
「それは……興味がありますね」
ジェイドの思考は自由に羽ばたいて、彼の実家にお邪魔する様を一瞬で夢想し始めた。
「ああ、少し郊外ですが……。確か……」
財布を取り出して、アズールはショップカードをジェイドに差し出した。名前を見つめて、思わず瞬きをしてジェイドはアズールを見つめた。
「ここは……。確かテレビでも何度も取り上げられる……有名店では?」
「ああ、何だ知っていたんですか」
ジェイドは渡されたカードを見つめて思わず微笑んだ。
「昔、家族で行ったことがあるんです」
「そうですか。楽しんで頂けたのなら何より」
「よく覚えていますよ。兄弟と一緒にコースを食べたんです。ところで……」
げほ、と咳払いをしてジェイドは新しいカップにコーヒーを用意されると、それに口を付けた。
「その、お付き合いされていた、というのは」
「え? ああ、さっきのですか。別に何も。付き合うなんて言いましたが、トロフィーワイフの男版というか、そういうやつで。あちこち自慢するためだったみたいで。僕が転職する話をしたらひっぱたかれて別れを告げられまして」
「転職で?」
「一応有名な企業に籍を置いていたので。その会社に勤めている幹部候補の男、という肩書きが欲しかったのでしょう。まあ僕もそこの部長のパーティーに出席するために利用したのでお互い様でしたけど」
ふっと、あの不敵な、と言って良い笑みを浮かべたアズールに、ジェイドは心臓が一気に高鳴る。実際あまり残念と思っていないのか、彼はひらひらと手を振った。
「それは……」
残念ですね、と口にしようとして舌が張り付いて、ジェイドはコーヒーを飲んで誤魔化した。全く残念に思っていない上に、うっかり良かった! なんて言いそうで危なかった。ここまで口が頭と直結して喋ろうとするのは初めてだった。
普通に考えて、見た目と地位を考えれば確かに寄ってくる女も多く居るだろう。当たり前のことだ。うっかりしていた。
のんびりと、アズールと二人きりでお茶……! なんて喜んでいる場合では全く無かった。せめて他の有象無象の女達からは彼を守らなければ……。
ジェイドはそう誓ってケーキを食べ、コーヒーを飲んだ。
「それで、アズール。いかがでしょう。今週末でも……その、良ければお招きして、あなたをおもてなししたいのですが」
「もてなし、ですか」
「はい、僕結構好きなんです。勿論、そうそう誰でももてなすわけではありませんが……」
含みを持たせて視線をアズールに向けると、彼は少し考えてから
「そう、ですね……。少し興味はありますが」
「でしたら、是非。来てください」
前のめりになりそうになったジェイドは、アズールの足にぶつかって思わずはっと息をのむ。思いのほか弾力のある足の感触に頭に血が上る。
「そ、そうですね。では……」
若干目が血走っていたように見えたジェイドに飲まれるように、週末に、とアズールは答えて、コーヒーを飲み干して伝票を取った。
「さて、そろそろ帰りましょう」
「あ、ええ」
ジェイドは経費で、としれっと領収書を要求するアズールを後ろからじっと見つめ、店の外に並んで出た。
アズールが自分の家に来る、という事実が脳内を駆け巡り、あれこれと何を用意すれば良いかと既にプランをいくつも考え始めていた。
そういえば、まだ手足の一部がバラしてそのまま残していた気がするな、とジェイドは思い出したが、今週中に処分してしまおう、と彼は上機嫌で処分の算段もついでに考え始めていた。
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続き。
ネトフリにあるきみがすべてというお話の冒頭がジェイアズなりそうだなーってずっと思っててそれっぽい感じにしてみたらなんかシリアルキラージェイドのキラキラ初恋物になんかなってしまったというか……なんというか……
アズは別に善良では無いけどジェから見ると色々何枚もフィルターが多分入ってる