戯れ 忍術学園の内部を全て把握しているわけではないが、どの時間帯に誰がどこにいるのかはおおよそ把握している。そのため学園内で最も動きがあるのは用具の管理や修補を請け負っている用具委員であり、屋根の修補も行うこともあるのはわかっている、が──今目の前で繰り広げられているのは、一体何なのだろうか。
「留三郎ー! いい子だから降りておいでー!」
「先輩、縄梯子は?」
「駄目だ、僕達保健委員が使うと縄梯子を壊すか留三郎に当ててしまうし、そうでなくとも今の留三郎が縄梯子に何をするのかわからない」
屋根を見上げて声をかけているのは、保健委員長である伊作くんだ。その近くにいるのは保健委員のよい子達と、用具委員の子だろうか。そして屋根の上には用具委員長──食満留三郎がいる。伊作くんや後輩達を気にかけている彼にしては珍しく、これほど騒がしくしているというのに猫のように丸くなっている。何故屋根の上でそんなことをしているのか、と思って眺めていると伊作くんが私に気付き、近付いてきた。
「雑渡さん、突然で申し訳ないんですが留三郎を捕まえてきてもらえませんか?」
「構わないけど、彼は何かしたの?」
「何かしたのは僕の方というか……その…………薬を飲ませたら猫みたいになってしまって……」
「猫?」
伊作くん曰く、日頃様々な薬を飲んでもらっているが今回は組み合わせが悪かったらしく、想定外の結果になってしまったらしい。根本的な疑問として、様々な薬を飲んでもらっているとはどういうことなのだろうか。彼は了承しているのか──伊作くんには殊更に甘いから了承していそうだ。
ともかく、今の彼は小鳥を追って屋根まで登ったらしく、普段の彼とは異なるということだけは確かだ。どんな反応をされるのかわからないため後輩には頼めず、下手に不運に巻き込んで大事にしたくないため伊作くん自身も近寄れないとなれば、確かに私が向かった方がいいだろう。
(猫みたいに、と言っても昼寝しているだけのようだが……)
静かに屋根に登り近付いてみたものの、ゆっくりと上下する体は寝入っているようにしか見えない。こんな場所で暴れられると困るが、蹴落としたら彼も下にいる保健委員のよい子達も怪我をしてしまうかもしれない。慎重に近寄り、そっと肩に手を置く。
「……」
可愛くない猫の鳴き声のような声と共にもぞもぞと体を動かし、眠そうな顔をこちらへ向けてくる。学園内では表情を取り繕うのに珍しい──なんてことを思っていると、これまた猫のように顔を手で擦っている。
「伊作くんが心配しているから、降りようか」
言ったところで伝わるのかはわからないが下へ視線を向けながら言えば、ちらりと下を見た彼は突然私に飛びかかってきた。
「おっと」
「ゃっ」
「うわーっ!? 留三郎、危な──」
咄嗟に足払いをかけてしまい、意図せず彼は下へ落ちる。焦ったような伊作くんの声が中途半端に途切れ、下を見ると何故か彼は落とし穴にはまっていた。あそこにあるのがわかっていて避けて立っていたんじゃなかったのか。
「伊作!?」
伊作くんの落ちた穴の横に難なく着地したらしい彼は慌てた様子で穴を覗き込み、助け出そうと手を伸ばす。その様子は普段と変わりないように見え、先程のは何だったのかと思いながら様子を見ることにした。
「いたた……すまない留三郎、助かったよ。それにしても、僕のことがわからないわけじゃなかったんだね」
「う……いや、その…………ちょっと昼寝したい気分だったから、つい……」
「もしかして本能に忠実になる……みたいだね。留三郎、今それをやると土がつくからやめた方がいい」
「は?」
引っ張り上げた伊作くんに半ば頭突きするように擦り寄り、肩を掴んで離されても何をされたのか理解していない顔で伊作くんの忍装束を握り締めている。そんな彼に困った表情を浮かべながらも少しずれた彼の頭巾を直そうとしたのか、伊作くんが布をするりと解くと、本来ならば存在しないはずのものが生えていた。
「猫の耳……!? え、人間の耳は!? ある!? ってことは飾り!?」
「ふゃっ!? 伊作! 急に触るな!」
猫の耳を掴まれた彼は飛び上がって伊作くんから距離を取り、怒った猫のように耳を伏せる。どうやら人間の耳もありながら、本当に生えているようだ。さらに言えば、袴が不自然に波打っていることから尾も生えている可能性が高い。
人体をここまで変化させる薬をどのようにして生み出したのかは興味があるものの、解毒薬はあるのだろうか。疑問に思いながらも彼を屋根から下ろすことには成功したのだから、これ以上首を突っ込むべきではないだろう。そう判断して屋根から下りると、再び彼が飛びかかってくる。
「ーぅ!」
「……どうして私にはそういう反応になるのかな」
目の前に下級生がいる学園内で拘束など出来るわけもなく、両手首を掴んで極力距離を取る。それでも擦り寄ろうとしているかのように顔を近付けてくるのだから、関係は明かしたくないと言っていた本人のせいで私達の関係が周囲に気付かれてしまう可能性が高い。
「……雑渡さん、もしかして木天蓼が入った薬を飲んでませんか?」
「木天蓼?」
「はい、いわゆるマタタビなんですけど、あれって痛み止めにも使われるんですよ」
声を潜めて尋ねてきた伊作くんの言葉に少し考え、そういえば最近になって薬を変えたと言われたことを思い出す。効果的にはあまり変わりなかったため気にしていなかったが、まさか飲んでから数刻も経っているというのにここまで影響があるものだとは思いもしなかった。
これでは忍務には使えないなと考えていると、どうやっても私に近付けないと悟ったのか、手首を掴まれたままの彼が耳を下げて「にゃう……」と悲しげに鳴く。
「……これはつまり、雑渡さんに反応するかどうかで薬の切れ具合が判断出来るってことですね」
薬として使っているとは一言も言っていないが、使っていると確信しているようで伊作くんは考え込む。そんなことよりもこの状態の彼を私から遠ざけるべきなのではないだろうか。手首を掴む私の手に擦り寄ろうとしている彼をどうにか避けながら伊作くんを注視すると、私の考えに気付いたのか彼を押さえ込むようにして私から引き剥がした。
「留三郎、解毒薬を作り終えるまで部屋にいてくれるかな」
「にゃあ……ん、あ?」
「楽な格好して部屋で待っててくれ」
「んにゃう」
恨めしげに私を見ている彼の首を少し無理のある角度で自らに向かせた伊作くんは、目を丸くする彼の首元を撫でながら諭すように言う。ゴロゴロと喉を鳴らしながら頷いてるのか擦り寄ってるのかわからない動きをする彼からあっさりと手を離し、伊作くんは後輩達に指示を出し始めた。
「用具委員達は留三郎がいなくても出来る範囲の活動をしてくれ。もし留三郎が必要で急ぎやらなければならないことがあれば、僕や六年生に声をかけて」
「わかりました!」
「保健委員達はいつも通りに。僕は薬草園で薬草を摘んでくるけど、何かあればいつでも来てくれ」
「はい!」
「雑渡さん」
「何かな」
まさか話を振られるとは思っていなかったが、伊作くんに視線を向けると長屋がある方角を指差す。
「僕達の部屋の場所はわかりますよね? 留三郎のことお願いします」
把握はしているが、それを当然のことのように受け入れているのは如何なものか。やはり伊作くんは忍びには向いていないだろう。しかし私を見て爛々と目を輝かせている彼を片手で止めているのだから、実力がないわけではない。それもまた厄介だと思ってしまいながらも、素直に受け入れることにした。
「人払いは頼むよ。彼が元に戻った時に困るだろう」
「わかりました」
頷いた伊作くんを見て移動をすると、すぐに追ってくる気配がして屋根へと跳び、彼らの部屋の天井裏に忍ぶ。障子が壊れそうな勢いで部屋に入ってきた彼はしばらく天井を見てうろうろとしていたが、突然我に返ったのか障子を閉め、忍装束から寝間着へと着替えた。その方が尾が楽なのだろうし、伊作くんが診るのも簡単になるだろう。
「にゃぁーう」
服の裾を尾でぱしぱしと叩きながら天井を見て鳴く彼に、仕方なく部屋へ降りると予想通り抱きついてきた。人払いを頼んだとはいえ──そして薬のせいとはいえ、この状況は良くないだろう。
擦り寄って頭を押し付け続けるせいで乱れた髪を梳くように髪紐を解くと、ゴロゴロと喉を鳴らして背中に回した手が引っ掻いてくる。爪も変化しているのか、引っかかっている感覚がしたが咎めはせず、抱き寄せた。
「随分とご機嫌だね」
マタタビのせいだろうが、今までこれほど素直に甘えられたことがない──わけではないが、無自覚に甘えてくることとこれは甘えの種類が違うため、少し対応に困る。いっそのこと学園外であれば何でも出来たのだが、と思っていると口布に鼻を寄せ、ふんふんと匂いを嗅いで体重を預けてきた。
「にゃふ……ふにゃあ……」
腰が抜けたような有様の彼を無理に立たせているわけにもいかず抱えたまま座ると、正面から抱きつき肩へ頭をぐりぐりと押し付けてくる。その頭を撫でると今度は手の方へ頭を擦り付け、とろんとした瞳で見上げてきた。ねだるような眼差しに口布を下へずらすと、猫らしくざらついた舌で唇を舐めてくる。
「ん……んむ…………ん……んにゃ…………っ!? ん、んく……っ、んん……っ」
肩の辺りを握ったり離したりしながら唇を舐めるだけの彼の頭を引き寄せ、口内へ舌を捩じ込む。驚いたように飛び上がりかけた体を逃さぬように抱き寄せ、ざらつきを避けて舌の裏を舌先で擽ると喘ぐように唾液を飲み込み、ぢゅうぅと吸い付き始めた。
食われているような感覚に何とも言えない気分になりながらも、夢中になって吸い付きながら腰へ回した私の腕に尾を絡ませてくる姿はいじらしい。
「んッ、にゃう、ふ……うにゃあぁ…………」
片腕は尾に巻きつかれたまま、頭を撫でていた手を滑らせて背中を撫でる。ただ撫でているだけだというのに余程気持ちいいのか、唇を離した彼はもぞもぞと体を揺らして鳴き声を上げ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
尾が出ているということは当然、それだけ服が捲れ上がっているということだ。背中を撫でる手が帯を超え、捲れ上がった裾を超えてしまえば、尾の付け根に直接触れられてしまう。それを望んでいるのか、ゆっくりと手を滑らせていけば彼の腰は手に擦り寄るように上がっていく。
「んッ、にゃッ、にゃあッ、にゃぅう……ッ」
尾をピンッと伸ばし、腰を上げた状態で私の肩へ強く頭を押し付ける姿は、完全に猫であれば大した問題ではなかっただろう。しかし彼の外見はほとんど人間であり、この場所でこの状況は非常に良くない。
そう思った直後に部屋へ近付いてくる気配を感じ、口布を引き上げて彼の服を整えつつ体を回転させ、後ろから腕を押さえ込んだ。
「にゃっ!? にゃう! う゛!!」
「雑渡さん、もしかして留三郎ずっとこんな感じでした?」
「これでも大人しくなった方だよ」
彼が抗議の声を上げてすぐに障子が開き、伊作くんが苦笑いを浮かべながら尋ねてくる。彼が人の言葉を喋れない状況で良かったと思いながらも言葉を返すと、伊作くんは水と薬を持って近付いてきた。
「留三郎、うわっ!? ちょっと待って!」
「にゃーう……」
伊作くんが近付いただけで喉を鳴らし始めた彼は、腕を拘束されたままの状態で擦り寄ろうとする。薬や水を零しかけて伊作くんが避けると、背後からでも避けられたことを悲しんでいることが鳴き声と耳でわかり、伊作くんが慌てた様子で彼の頭を撫で始めた。
「せっかく元に戻す薬作ったんだから、駄目にされたくなかったんだよ。わかってくれるだろう?」
「にゃあん」
わかったのかわかってないのか、機嫌良く鳴いて喉を鳴らす彼は軽く腰を浮かせ、せっかく整えた服から尾を出してピンッと突き立てる。伊作くんはそれに少し呆れたように笑いながらも放置し、彼の顔の近くへ薬を持ってきた。
「飲める? 飲めそうなら雑渡さんに手を離してもらうけど」
「………………う゛……」
目の前の粉薬の匂いを嗅いだ彼は口を閉ざしたまま唸って顔を背け、私を見上げてくる。まるで伊作くんが酷いことをしてくるのを抗議するかのような、訴えかけてくる視線は私だけではなく伊作くんからもよく見えたのか、伊作くんは溜息を吐いて持ってきた水に口をつけた。もしかして口移しで飲ませるつもりなのだろうかと思っていると、伊作くんは普通に水を飲み込んでこちらを見てくる。
「雑渡さん、もっとしっかり押さえ込んでください。出来れば足も」
そう言った伊作くんが水の中に粉薬を入れたことで、無理矢理にでも口へ流し込んで飲ませるのだと悟り、腕を拘束されながらも私に擦り寄ろうとしている彼を抱え直す。両手は前で交差させて抱き締め、露わになっている足を押さえ込むと、晒された尾が私の首筋を擽るように動いた。
「んなぁう、にゃうぅ」
後ろから抱き締められることは不満なのか、身を捩る彼の首元を伊作くんが撫でて宥め、顎を片手でしっかりと掴む。こうする他ないのはわかるが、少々手荒だと思わざるを得ない。
「にゃーん?」
「うん、口開けててくれて偉いよ、留三郎」
「にゃあ? ごふ!? ! ~~~~!!」
ゴロゴロと喉を鳴らしたままこてりと首を傾げた彼に笑みを浮かべ、伊作くんは躊躇なく薬を流し込んだ。顔は伊作くんが押さえてくれているが、身を捩ろうとする体も、蹴り飛ばそうとしているかのように浮く足も、ぶわりと太くなった尾も私がどうにかしなければならないのは、負担が偏りすぎではないだろうか。
やけに大きく響いた嚥下の音に伊作くんが手を離すと、彼は咳き込んで威嚇するような声を上げる。
「げほっ、げほ、っ、フシャーッ!」
「味覚も変わってるのかな、泣くほどの苦味はないはずだけど」
不思議そうに言って伊作くんは彼の顔を覗き込んでいるが、泣き顔など見慣れているからここまで動じないのだろうか。この状況でも威嚇などされたら多少は気にしそうなものだが──いや、そこまで繊細だと敵味方関係なくその場にあるものを使って治療する、なんてことは出来ないか。
思考がずれ、彼が泣いているらしいことで若干手が緩んだからか、彼は私の手を振り解いてくるりと体を反転させ、私の口布を引き下ろし唇を押し付けてきた。
「留三郎!? いくら口直しがしたいからってそれは駄目だ!」
「んむっ、んっ、う゛……!」
私達の関係を知らない伊作くんは引き離そうとするが、彼はしっかりと抱きついていて離れる気配がない。開かない口へ何度も唇を押し付けてくる彼越しに見える伊作くんが酷く狼狽えており、仕方なく彼を無理矢理引き剥がした。
「押さえておくから、水を持ってきてあげた方がいい」
「す、すみません雑渡さん、留三郎をお願いします」
そう言って部屋を出ていく伊作くんを見送り手を離せば、無言のまま彼は唇を押し付けてくる。今度はすぐに口を開いてやると即座に舌が捩じ込まれたが、その舌は僅かに苦味があるものの暴れるほどのものではなく、確かに味覚が変わっているのかもしれない、などと思ってしまった。
「んっ、んぅ、んっ、あ……っ、んんっ」
舌を掻き出そうとするような動きをする彼の舌は徐々にざらつきがなくなり、濡れた頬を軽く手で撫でてから頭へ触れると猫の耳がなくなっていた。そのまま手を滑らせ、捲れた裾を通り過ぎて尾が生えていた部分へ触れると彼の体は大きく跳ね、唇が離れる。
「ふにゃあッ! あっ、うぅぅ……」
「……まだ完全には戻ってないのかな?」
褌を避けて触れる肌は間違いなく人間のもので、尾など生えていない。一度触ればわかるそこをすりすりと撫でると彼の腰は徐々に上がり、先程撫でた時に近い体勢となる。肩へ頭を押し付け、唸り声を上げる彼を抱き寄せると予想外にあっさりと腕の中に収まった。
「にゃう、う…………ん………………んッ!?」
「あぁ、戻った?」
居心地のいい場所を探すように身動いでいた彼が急に全身を硬直させ、唸り声とは異なる声を出したことで体だけではなく意識も戻ったのだと確信する。しかし彼自身の方が状況を呑み込めていないのか、抱きついた体勢のまま動こうとしない。
伊作くんが戻るまでこのままでいたいのだろうか、と思いながら腰辺りを撫でていた手を動かせば、彼の体は飛び上がって私の上から転がり落ち、少し離れた場所で蹲った。
「……覚えてないふりは出来そうにないね。覚えている上での振る舞い方を伊作くんが戻るまでに考えておいた方がいいよ」
「う゛……何であんな…………あんたももっと拒めよ……!」
「あんなにわかりやすく悲しまれたら拒みにくいじゃないか。もしかして普段もあれほど悲しんでいたのかな?」
それなら随分と悪いことをした、と軽い気持ちで言うはずだったのだが、ビクリと体を動かした彼の顔が真っ赤に染ったことで言い損ねてしまった。
無言のまま濡れている頬に触れようと手を伸ばしかけた時、外から急いでこちらへ向かってくる気配を感じ、手を止める。
「あぁ良かった、元に戻ったんだね」
「伊作! 何でもっとちゃんと止めてくれなかったんだよ!」
「止めようとしたさ! でも留三郎が雑渡さんから離れなかったんじゃないか!」
障子を開けて安堵したように言う伊作くんに対し、彼は噛み付くように言う。その態度のおかげで、羞恥による顔の赤みは怒りによるものだと思われることだろう。拗ねた顔をしながら水を受け取り一気に飲み干す彼を見ながら口布を戻すと、一瞬視線が交わり即座に逸らされた。
「留三郎、ちゃんと雑渡さんに謝った?」
「ぐふッ! げほッ、あ、あやま、る、って……ッ!?」
「記憶は残ってるんだろう? それなら迷惑かけたことも覚えてるんじゃないかい」
目を逸らした直後に言ったからか、彼は咳き込みながら狼狽えた様子で伊作くんを見る。この有様でよく今まで関係を隠してこれたものだ。少し呆れながらもどうするのか見守っていると、遠回しに言ってくれた伊作くんの配慮に気付けるだけの余裕はあったのか、彼はしばし呻き、目を泳がせてから私へ視線を向ける。
「………………ご迷惑を、おかけしました」
絞り出すように言いながら、彼は目で必死に余計なことは言うなと訴えてくる。その様子に口角が上がりそうになり、考え込むように口元を隠しつつ伊作くんへ視線を向けた。
「そうだねぇ……色々手を貸してあげたし、伊作くんにはあの薬の製法で手を打とうか」
「そんなことでいいんですか?」
不思議そうに言うが、上手く使えば人間を意のままに操れる代物だ。伊作くんも含めて、今後似た薬を作れないように手を回した方がいいだろう。
視線を彼に戻すと、無視をされたと思ったのか少し拗ねた顔をしていた。いくら伊作くんに背を向けているとはいえ、その表情は如何なものか。そう思いつつわざとらしく目を細めると、彼はわかりやすく眉間に皺を寄せた。
「キミには貸し一つだね」
「は……はぁっ!? 何だよそれ!」
「さぁ、何になるかはわからないな」
困惑の直後にまた会えることへの喜び、そしてそれを隠すための怒気。一人でころころと表情を変える彼に笑いそうになりながら肩を竦め、立ち上がって障子へ手をかける。
「伊作くん、次来るまでに頼むよ」
「はい、わかりました」
「おい! 俺の話はまだ、ッ!?」
伸ばされた手を避け、指先で彼の首元をつぅっ、と撫でて顎を上へ向かせる。予想外なことだったらしく目を見開く彼に、ニヤリと笑いながら伊作くんにも聞こえるように囁いた。
「今度は噛み付いてくれるなよ」
それだけ言い残してその場を去ると、しばらくして怒った猫の鳴き声が響いた。