偽りのない誓い 駅に着いたという連絡を受けて改札口まで向かえば、困った顔をした留三郎が駆け寄って来た。
「まさか雨降ると思ってなかったから傘持って来てないんだ。ちょっと買ってくる」
「そんなに遠くないから私の傘に入って行けばいいよ」
「えっ!? あ、いや、でもそれは悪いし……雑渡さん濡れそうだし……」
それほど嬉しそうな顔を見せて照れたように俯いておきながら、放っておくわけがないだろう。言い訳を並べる彼の背中を軽く押し、出口へ向かって歩きながら雑踏で掻き消えそうな声で呟く。
「せっかく会えたのに離れようとするなんて、つれないな」
掠めるように指先に触れると手首を掴まれ、軽く引っ張られて素直に体を傾ければ耳元へ唇を寄せてきた。
「……俺がどんだけ浮かれてるのか、わかってないだろ」
喜びを隠しきれない拗ねた顔でそんなことを言うのだから、油断も隙もない。自覚していてこの言動なら指摘出来るが、困ったことに留三郎は無自覚だ。掴まれたままの手首を引き、僅かによろけた体を支えて留三郎がしてきたように耳元へ唇を寄せる。
「私の方が浮かれていると思うけど?」
揶揄うように、しかし事実であることを伝えると、耳まで赤く染まる。口付けしたくなるのを耐え、体を離して傘を差した。
「ほら、おいで」
隣へ来るように促せば、一瞬躊躇した後に駆け寄ってくる。嬉しそうな表情を見せびらかしたいような誰にも見せたくないような、複雑な気分になりながら傘を傾けると、腕ごと押し返された。
「留三郎?」
「雑渡さんが濡れるように差すなよ。雑渡さんの傘だろ」
濡れないように荷物を抱え直しながらそんなことを言われ、気付かれないように傘を傾け直しつつ顔を寄せる。
「ごめんね、留三郎を独り占めしたい気持ちが強すぎたみたいだ」
「な……っ!?」
頬へ掠めるようにキスをして、体を寄せたまま歩く。家が近くて助かった。傘如きでは留三郎の表情を隠しきれない。
急く気持ちを抑えてそれなりの早足で帰宅し、玄関のドアを閉じると同時に抱き寄せる。濡れた傘が音を立てて倒れたが、今はどうでもいいことだ。そのまま口付けようとしたが、弱い力で胸元を押されて動きを止める。
「い、家に帰ったら、手洗いとうがいしろって、伊作がいつも言ってるから! 先に手を洗わないと!」
「……伊作くんがそう言うんだったら仕方ないね」
伊作くんの発言であることと、留三郎の手が微かに震えているのを見ていなければ止めてやれなかったかもしれない。腰を抱くようにして洗面所へ移動し、留三郎の後ろから抱き締めるようにして手を洗い始める。
「何でこんな洗い方……ッ」
「一緒に洗えて一石二鳥だろう?」
爪先を触れ合わせ、指を絡ませて手の甲を撫でると面白いほど留三郎の体が跳ねる。それでもしっかり洗おうとしているのだから、伊作くんが徹底的に教え込んだのだろう。手を洗いながら留三郎に擦り寄ると、ポタリと雫が垂れた。
「ん……? はぁっ!? 雑渡さん、何でそんなに濡れてんだよ!?」
「え? ああ……ごめん、留三郎も濡れちゃうね」
早く帰ることと留三郎を隠すことに意識が向きすぎていて、風向きも考えずに傘を差していたから頭まで濡れている。それを鏡越しに見て気付いたらしい留三郎は何か言いたそうに数回口を開閉した後、慌てた様子でうがいをして私の腕の中から抜け出し、振り返った。
「そのままじゃ風邪引くだろ! 風呂入って来い!!」
「大袈裟だな。着替えるだけで大丈夫だよ」
手を拭かせている間にうがいを済ませ、タオルを受け取って手を拭いた後、適当に頭を拭く。その様子をあまりにも疑わしそうに見てくるため、仕方なく新たなタオルを出して留三郎の方を見る。
「ちゃんと拭いて着替えるから、リビングで好きに過ごしてて」
濡らさないように額にキスをしてリビングへ通し、服を脱ぎつつ部屋へ入りさっさと着替える。一緒にいたくて家に呼んだというのに、別室にいたら意味がない。意外と濡れていたらしい頭を拭きながらリビングへ向かうと、固い姿勢のままソファに座っている留三郎が目に入り表情が緩んだ。
「そんなに緊張しなくても、取って食ったりしないよ」
今は。と心の中で付け加えて近付けば、文句でも言おうとしたのか顔を赤らめながら振り返り、留三郎は目を瞬かせて立ち上がる。
「まだ全然濡れてるじゃないか!」
「そんなに気になるなら留三郎が拭いてくれる?」
これ以上離れる気はない、と態度で示せば虚をつかれたような顔をした後、口元を緩めながらも仕方なさそうにソファへ座るよう言ってきた。言われるがままに腰を下ろし、正面に立つ留三郎を抱き寄せて膝の上に乗せる。
「うわっ!? ざ、雑渡さん……!」
「拭いてくれるんだろう?」
慌てて退こうとするためしっかりと引き寄せると、留三郎は顔を真っ赤にしてしばらく暴れていたが、私が逃がす気がないのだと悟ると呻き、少し乱暴に頭を拭き始めた。
そうされることで自ずと下を向くことになり、視界が狭まる。生地は違えど布を頭に被っているからか、昔を──前世を思い起こさせる。あの頃は、これほど近くで触れ合うことなど出来なかった。しかしそれを悔いているかというと、そうでもない。もしあの時共に生きる道を選んだとしても、今よりずっと早く別れが訪れることがわかっていたからだ。
「ヴェールみたいだな」
「……………………ヴェールって、まさか花嫁の?」
「他にあるのか?」
突然理解し難いことを言われて思考が逸れ、顔を上げると留三郎が少しだけタオルを持ち上げ、顔を覗き込みながら不思議そうに言う。つまり本気で花嫁が被るヴェールだと思って言ったということだ。
「……それを、私が被るって?」
「格好いいからヴェールだって似合うだろ」
揶揄うように言うのは、以前私が今の姿を「昔よりも格好いい」と称したからだろう。留三郎にもタオルを被せて如何に似合っているか熱弁すべきかと考えていると、タオルをずらすように頬を撫でてくる。
「何だっけ、病める時も健やかなる時も、みたいなやつ」
「誓いの言葉? 死が二人を分かつまでとか言うね」
私の言葉に留三郎の手が止まった。互いに一度死を経験している私達は、記憶も感情もそのまま持っている。
「……死んだ程度じゃ切り離せないんだから、死すらも分てないんじゃないか?」
「そうだね……まぁ来世でも私が見つけ出してあげるよ。きっと私はちゃんと覚えているだろうからね」
先程のお返しとして、前世の記憶がないふりをしていた留三郎を揶揄うように言えば、拗ねた顔をして私を見てきた。冗談でも言っていないと今すぐにでも食べてしまいそうだと、留三郎はわかっていないんだろう。
「今度は俺しか覚えてないかもしれないだろ! そしたら絶対俺が見つけ出して、惚れさせてみせる!」
「……はは、留三郎はちゃんと惚れたままでいてくれるんだ?」
「はっ!? あ、当たり前なことわざわざ聞くなよ!」
あぁ、愛おしい。赤く染まる顔も、言っていることは本気なのだと雄弁に語る眼差しも、私に触れる手のひらも、とっくに抜け出せるはずなのに膝の上に乗ったままなのも、留三郎の全てが愛おしくて堪らない。
「私はきっと記憶がなくても留三郎を見初めると思うよ」
留三郎の左手を取り、薬指にそっとキスをして視線を交わらせる。
「今ここで、死すらも分かつことのない永遠の愛を誓える程度には、留三郎を愛しているのだから」
僅かに目を見開いた留三郎は顔は赤らめたままではあるものの、それ以上照れることはなく私の左手を取り、同じように薬指へキスをして勝気な表情を浮かべて口を開く。
「それ、雑渡さんだけだと思ったか? 俺だって同じくらい──永遠の愛を誓えるくらい、愛してるよ」
その言葉を最後まで聞けたかどうかわからない。気付けばヴェールと称されたタオルは落ち、誓いのキスにしては濃厚な口付けを交わしていた。